「お疲れさま」 大きく溜息を吐いたマイクロトフにカミューは湯気の立つカップを差し出しながらそう労った。 「さすがに疲れたな。菓子作りがあんなに重労働とは知らなかったぞ」 「あんな物を軽々と作るご婦人方というのも侮れない存在だろう?」 くすくす笑いながらそう尋ねるカミューにマイクロトフは苦笑をもらした。 たった今まで二人はケーキの製作を手伝わされていたのである。 カミューはもっぱら粉等の分量を測るのを担当し、マイクロトフは卵白の泡立てを一人で引き受けるはめになった。 見るからに体力に自信のある彼を見込んだナナミたちの眼力はさすがというべきか。 しかしさすがのマイクロトフもケーキ十個分の馴れない労働に疲れた様子で椅子に座り込んでいる。 「確かに…。しかしカミュー、お前が菓子の作り方を知っていたとは知らなかったぞ」 「昔仕込まれたんだよ。ガスティン殿のお嬢さんが菓子作りが好きでね、食事招待で呼ばれていく度に手伝わされていたんだ。 人間何処でどんな経験が役に立つか分からないものだな」 副団長時代にカミューが団長の家によく呼ばれていたのは知っていたが、そんな事をさせられていたとは全く知らなかったマイクロトフである。 よくお土産で焼き菓子などを持ってきてくれたのだが、それも彼の手が入っていたと言う事か。 「確かに。お前がケーキの作り方を知っていると聞いて皆驚いていたな」 「そりゃ、そうだろう。私自身も驚いているのだから仕方ないさ」 そう冗談めかして笑うカミューに、マイクロトフもつられて笑みを漏らした。 この菓子騒動の発端は昨日に遡る。 マイクロトフとカミューがリーダー・シュエ達と森の村から帰ってきたら、いつの間にか翌日が同盟軍の休日と定められていたのだ。 遠征の事後報告で部屋に出向いたパーティは軍師直々にそう告げられたのだが、理由を尋ねてもシュウは何故なのかはっきりと答えなかった。リーダーはといえば「なんでなんでしょう?」 と不思議そうに首を傾げて笑う始末で当てにならない。まぁ、根がのんびりしている彼の反応としては妥当な線だったのだが。 そんな時、城に残っていた彼の義姉ナナミが二人の部屋を訪ねてきたのだ。つむじ風のように飛びこんできて彼女が二人に頼み込んだのはロックアックス風ケーキを作ること。 もとい、その指導をすることだったのである。 「あっ、二人ともごくろうさま♪」 「おかえりなさいナナミ殿、お目当てのものは買えましたか?」 いつにも増して忙しそうにどたばたとあちらこちらと飛びまわっていたナナミが、買い忘れたものがあったと言って出て行ったのはケーキ作りが始まってすぐのことだった。 「ばっちりよ♪わぁ…!もしかしてケーキ焼けてるの?」 「えぇ、こちらの窯で五つ、向こうで五つ焼きあがる予定です。あちらはニナ殿やアンネリー殿が見ておられますよ」 一つの窯にはとても入りきらないというので一緒に作っていた少女達は隣の部屋で見張り番をしている。 「ところでナナミ殿これは誰かの誕生日祝いなのですか?」 「え、なんで?マイクロトフさん知らなかったの?」 びっくりして眼を丸くするナナミにカミューは苦笑した。 「マイクロトフだけではありませんよ、私も彼と共に昨日までシュエ殿と遠征へでていましたので知りません。 多分スタリオン殿やルック殿、クライブ殿も知らないんじゃないでしょうか」 「そっか…シュエには黙ってるようにシュウさんに頼んでおいたから伝わらなかったんだね。今日はシュエの誕生日なんだよ…多分」 「多分と言いますと…?」 「うん。……ジイちゃんがねシュエを拾ったのがちょうど今くらいの日だったんだって。」 その日はとても寒くて。 吐く息も今にも凍りそうだった。 老人が一人泣く赤ん坊を拾上げた時、空から冬を告げる雪の精が舞い降りた。 だからその子供はシュエと名づけられたのだ。 今はもう亡き古き語で゛雪"を指す言葉を。 「…シュエは雪と一緒にきた子供だってジイちゃんはいつも言ってた。私も小さかったけどジイちゃんがシュエを連れて帰った日に雪が降ってた事だけは覚えてるの」 祖父から何度も聞いた話を語る少女の眼は懐かしげに窓の外を眺める。 「毎年初めて雪が降った日におじいちゃんや…みんなでお祝いしてたんだ。だから今年も皆でお祝いして欲しいの」 言いかけた言葉を飲み込んで笑う彼女がきっと言いたかったのは、今は敵方についている彼らの幼馴染みの名前。 「それで私達にケーキ作りを手伝うように頼んだんですね」 「うん。ロックアックスで出されたケーキすごく綺麗で美味しかったから、シュエきっと喜ぶと思って」 毎年楽しく過ごしたその日に寂しい思いをする事がないように。 そう願う少女の心が痛いほど分かる。 「シュウさんは今日あたり雪が降るって言ってたけど…本当に降るのかなぁ…」 「この雲の具合だったら間違いなくここ数時間以内中に降り出す筈です」 「マイクロトフは優秀な指揮官ですからね、間違いないでしょう。彼の予報は外れた事がないんですよ」 「そっか、じゃあ大丈夫だね」 太鼓判を押したカミューに、ほっとした顔でナナミは笑った。 突風のようにまたナナミが出て行って、部屋には薪のはぜる音だけが時折響く。 「羨ましいような気がするよ」 「何がだ?」 じっと暖炉の燃える火を見つめていたカミューがもらした呟きにマイクロトフは振り向いた。 「いや…血は繋がっていなくともあれほど必死になってくれる家族がいるというのはどんな気がするのだろうな…」 「カミュー…」 ひっそりとそう呟いたカミューの眼は酷く寂しそうで、彼の縁薄い家族環境を知るマイクロトフは掛ける言葉が見つからない。 そういえば彼の誕生日を初めて祝った時、酷く嬉しそうだったのを覚えている。 もしかするとそれまで誰にも祝ってもらった事がなかったのかもしれない。小さい頃から毎年家族に祝ってもらっていたマイクロトフにとっては、祝ってくれる人のいない誕生日とは想像だにできないものだった。 もどかしい気持ちで親友をただ見つめる彼の眼に気が付いたカミューは、驚いたような表情を一瞬するとすぐに悪戯っぽく笑って訊ねた。 「私の誕生日にもケーキを作ってくれるかいマイクロトフ?」 「あっ、ああもちろんだともっ!!」 勢い込んで答えるマイクロトフに眼を丸くする。 やがてこらえ切れないように笑い出した。 「…カミュー…なぜ笑うんだ…」 いつまでも笑いやめないカミューに憮然とした顔をするマイクロトフ。 「あぁ…すまない…」 即答したマイクロトフの姿が主人の命令に嬉々として応じる猟犬のイメージと重なったなどとは口が裂けても言えないカミューである。 声を殺して肩を震わせ続ける彼に、怒ったような顔をしてマイクロトフは視線をそらした。 「マイクロトフ、嬉しいよ」 むっとして口を結ぶマイクロトフの首筋を宥めるように優しく撫でる。 「本当に楽しみにしてるから」 そう言葉を重ね本当に嬉しそうに微笑むカミューに、 「期待していてくれ」 そう短く返すとマイクロトフはそっと口唇を寄せた。 「雪だ…」 そっとカミューが呟いた言葉にマイクロトフは柔らかい髪に埋めていた顔を上げる。 「あぁ…降り出したな」 音もなく訪れた冬を告げる使者。 窓の外には今年初めての雪が静かに降り始めていた。 |