宝石・冬・涙





 雪が降っている。

 指先がかじかむような冷え込みだから、降っていてもおかしくは無い。
 どちらかと言えばこんな季節だ。
 雪の降らない日は無い。
 毎日、一瞬でもちらりと雪は舞い降りる。
 時にふわりとまるで天がうっかり取りこぼしたようにひとつふたつ、ちらほらと舞う。
 それをある冬の日、唐突に美しいと感じた瞬間が、マイクロトフにはあった。





+ + + + + 宝石 + + + + +



「もう冬かな」
 そんな事を寝床で呟くカミューに、マイクロトフは閉じかけていた瞼を押し上げた。
「なんだと?」
「そろそろ夜は肌寒いから、もう冬も近いかなと」
「まだ夏が終わったばかりだろう」
「あぁ、でも冬は良い季節だから待ち遠しくてならない」
 そして嬉しそうに微笑む彼の横顔をマイクロトフはじっと見つめた。
 小さな灯火を正面から受けて、その滑らかな頬の輪郭が浮き上がるように白い線を描いている。そして弱い火をその琥珀の瞳に映して、何処とも無く見つめて時折瞬く。何度も見慣れた、だが決して見飽きる事の無い青年の横顔だった。
 だが凝視が過ぎたのか、それに気付いたカミューが苦笑を向ける。
「何かついているか?」
「……いや、ただ見惚れていた」
 するとカミューは「飽きない奴だ」と軽く笑い声を立ててまた正面を向いた。
 しかし、本当に見惚れる横顔なのだ。こんな危うい薄明るさの中では特に、微弱な陰影を宿したその秀麗な面差しからは、容易に目が離せない。
 美女は三日で見飽きると言うが、美男は見飽きないのだろうかとぼんやり考えるマイクロトフの、その頭をぱしんと叩かれた。
「そうじろじろ見るな。居心地が悪い」
 いつの間にか上がっていたカミューの手が、再び軽い音を立ててマイクロトフを叩いた。
「他に誰もいない。存分に愛でさせてくれても構わないだろう」
「構う」
 憮然とカミューはマイクロトフの望みを一蹴する。
「落ち着かないからな」
「ならば寝てしまえば気にならない」
「それこそ、寝顔を見られるなど真っ平だ」
 不機嫌そうに返してカミューは両手を伸ばすとマイクロトフの両頬をとらえてぐいと捻じ曲げた。
「なんだ……」
「あっちを向いて寝ろ」
「おい」
「こっちを向くなよ。わたしはもう眠いんだ」
 まるで年齢に相応しくない子供地味た要望に、マイクロトフはこれがどうして素直に応じる。言われるがままに身体を反転させるとカミューに背を向けて目を瞑った。
「おやすみカミュー」
「さっさと寝ろ」
 素気無い応答にマイクロトフは微かに苦笑する。だが、それきり再び言葉を交わす事は無く、気付けばしんと降りた静寂が、眠りの心地良さを誘っていったのだった。



 晴れ渡る秋空は抜けるように高い。見上げれば切りが無いような気がしてマイクロトフは視線を下界へと戻した。そこでいつの間にか真正面に立っていたカミューと必然目が合う。
「何を犬のように見上げているんだ」
「…いぬ……」
 呟いて視線を地に落としたマイクロトフだが、カミューは逆に上を向いて伸びやかに腕を上げて背伸びをする。
「あぁ、良い天気だ。絶好の結婚式日和だな」
 そして伸ばしていた腕を下ろすカミューの騎士服は、普段のそれよりも幾分華美な仕様になっている。そしてマイクロトフが着ているものもまた同じく。胸元には勲章の類が所狭しと並べて付けられ、装飾用の紐や飾り釦などがあって見掛けはどうあれ着心地は自慢できない。
 秋晴れの今日は赤騎士団の大隊長である男の結婚式の日だった。
 無論大隊長ともなれば上司である団長のカミューが出席しないわけも無く、やはり白騎士団、青騎士団の上層部にも出席を請う通知が行く。そして概ね、執務に支障が無ければ出席するのが礼儀と言えた。
「だが、騎士の結婚式に出席するなど久しぶりだな」
 晴れた空と、式を控えた賑わしい空気にあてられているのか、実に機嫌良さそうにカミューは言う。
「あぁ……団長に就いてから初めてではなかったか」
「そうだね」
 無位の騎士だった頃ならともかく、次第に地位を昇るに連れ二人に出席を請うような立場の騎士が結婚をする機会が減っていくのだ。そもそもが、騎士と言うのは危険な役目を常に伴っている。責任ある立場になればなるほど、生涯を共にと望む相手に気を使うものらしい。だからなのかどうなのか、騎士は早婚のものが多く、その婚期を逃すと生涯独身を貫く場合が多かった。
「なんにしろ慶事は喜ばしい」
 そう言ってカミューは跳ねるような足取りで歩き出し、くるりと振り向いて向こうを指差す。
「行こう。そろそろ式が始まる」
「ああ」
 頷いてマイクロトフも足を進めた。

 大勢の見守る中、二人が生涯変わらぬ愛を誓う儀式は、やはり大昔から連綿と繰り返されてきた神聖なもので、見ている側もつい厳粛な気分になる。そして結婚の証である指輪を交わす段になると、緊張の気配がいったいに伝播して気付けばその作業を息を詰めて見守っている。
「アンティークだな」
 真横に座っていたカミューが、唐突にぼそりと囁いた。
「…え?」
 ついびくっとして隣を見てしまったマイクロトフに、カミューが「あぁ」と顎を引いた。
「声に出していたか?」
「アンティークと言ったか」
 参列席の前列に座っている二人の団長である。小声で囁き交わすのは当然ながら、流石に式の主役から顔を背けるのは頂けないので、マイクロトフは応えながらも直ぐに視線を元に戻した。すると、隣のカミューから頷く気配があった。
「交換の指輪が見えるだろう? あれはアンティークだよ。古いデザインだが……とても良いものだ」
「そうなのか?」
 装飾品に対する興味も知識もまるで皆無のマイクロトフにしてみれば、そう言われても理解が及ばない。だがカミューは軽く微笑みを浮かべると楽しそうな声音をして言った。
「多分、代々受け継がれてきた指輪なのだろうね。恐らく、彼の両親もあの指輪で誓いの儀式をしたんだろう」
「なるほど」
 それは良いな、とマイクロトフもつい口許を綻ばせる。確かに言われてみれば二人の指にたった今輝き始めたその宝石は、決して煌びやかなそれではなく、くすんだ淡い色を放っている。だが、淡い――――カミューの瞳のように淡い色合いのそれは、深みのある美しさを持っていた。
「良い指輪だな」
 多くの意味を込めてそう言うと、カミューにもそれは通じたらしい。
「そして、良い式だ」
 そう返ってきたのだった。





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 あれから戦があった。
 小さな、ほんの小競り合いとも呼べるような小さな戦だった。
 だが国境付近の村を巻き込んだそれは、誰もが予想もしていなかった被害をもたらしたのだった。

 騎士団から一人。民間から七人。

 その死者の数。

 殉死した騎士は、あの晴れやかな秋の日に、美しい花嫁を得た赤騎士だった。
「寡婦が美しいなどと誰が言った言葉だ? あれほど見るに耐えないものは無いのに」
 寒い日に執り行われた葬儀の後。静かな声音で熾烈な感情を持て余して吐露された青年の言葉に、マイクロトフは返す言葉を探して、そして結局何も言えずに黙り込んだ。その耳に、更に静かな声が届く。
「あの指輪は……あの宝石は二度と祝福の光を受けて輝く事は無いんだ」
 ずっと若き未亡人の指で、涙を受けて哀しく光るだけだ。
 そう最後に呟いてカミューは黙って部屋を出ていった。



 だが数日後、気を使うマイクロトフをカミューは唐突に散歩に誘った。
 そしてあの日のマイクロトフのように空を見上げる。
 しかしそこにあるのは灰色の薄暗い雪雲で、まるで重く圧し掛かるような重圧を感じて直ぐに視線を地上へと下ろしてしまいそうになる。だが、マイクロトフがそうして視線を戻しても、カミューはずっと灰色の雲を睨むように見上げ続けていた。さながら、雲の更に向こうの何かを射抜くかのような強い眼差しで。
「カミュー?」
 不安に思ってつい名を呼んで、そんな青年の興味を下界へと戻す。
 ところがカミューは雲から視線を外さずに、薄く唇を開いた。
「先日の彼女だがな…奴が救った孤児を引き取ったらしい。育てると、奴の救った命を今度は自分の手で慈しみ育むのだと、彼女は胸を張ってわたしに言ってくれた」
 そう。何故大隊長であった赤騎士が、不用意にも敵の刃に身をさらしその命を落としたのか。それは図らずも戦場へと様変わりした国境付近の小さな村で、親とはぐれた幼児を庇ったからに他ならない。
 だが、そんな涙を誘うような結末に、マイクロトフはただ眉をひそめる。
 何故ならそれを語るカミューの様子には、まるで不幸を語るような気配しか感じられないからだった。
「わたしも馬鹿だ。今更、当たり前の事を思い知らされる」
 そして上を向いたまま微かに口の端を笑みに歪める青年を、マイクロトフはただ無言で見詰めた。
 カミューの足が、さく、と雪を踏む。
 マイクロトフの視界の中、一面の白い世界の中で赤い騎士服のカミューだけが鮮明だった。ゆっくりと一歩一歩雪を踏みしめながら歩くカミューは、だが途中で見上げていた視線を漸く下ろすと緩やかにその先をマイクロトフに定めた。
「マイクロトフ」
「なんだ?」
「わたしは、だが駄目なんだ」
 応えを期待していない、一方的なカミューの感情を吐き出すための言葉。マイクロトフは否定も肯定もせずに無言のままそれを聞いた。
「わたしは、あんな当たり前の強さを目にしても、自分の中にある弱さを変えられないでいる」
 駄目なんだ、ともう一度同じ言葉を口にして、カミューは再び天を見上げる。
 いつの間にか空からははらはらと細雪が舞い降りている。それを何気なく広げた掌で受けながら、青年は薄く微笑んだ。
「わたしは、他の生を育むなど出来ない――――もし、おまえがおまえの命と引き換えに誰かを救ったとしても、わたしはその誰かを恨む事しか出来ない。おまえと言う生を失えば、他の生も意味を失う」
 何かにとり憑かれたように淡々と、だが口許には微笑を湛えながら語るカミューに、マイクロトフは知らず掌に汗を握っていた。
 そしてカミューは僅かの間を置いて、もう一度その形良い唇を動かした。
「だから……」
 舞い降りるいくつもの雪片を纏いながら、カミューはそしてマイクロトフの瞳を真っ直ぐに見詰めると、微笑を鮮やかな笑みにかえて。

「おまえが死ぬ事は許さない」

 嫣然としてカミューはそう言い放ったのだった。





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 美しいと思った。

 冬の日の、身の凍るような寒さの中、舞い降りる雪のまるで宝石のような結晶の煌きを受けて、カミューは笑みを浮かべて言ったのだ。
 だから、あの日頷かずにはおれなかった。
 そして今日までその約束はずっと守り通されていた。
 決して死なない。

「カミュー」

 雪が降っている。

 すっと伸ばされたカミューの掌が、雪の欠片をひとつ受ける。
 結晶は直ぐに溶けて水へと変じた。
「カミュー……」
 その名を呼ぶと、その瞳がゆっくりとマイクロトフに向けられる。
「なんだい?」
 その淡い微笑み。

 おまえこそ。

 おまえこそ死んでくれるな。

 祈るように吐き出した。それはマイクロトフがカミューに向けて初めて向けた言葉だった。
 少し驚いたように、カミューの瞳が見開かれる。
 だが直ぐに、カミューは嬉しそうに笑った。
「やっと、言ったな…」
 そして青年の笑みに細められた瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
「……本当におまえは…馬鹿だね」
 雪を受けていた掌が更に伸びてマイクロトフの頬に触れた。
 さっきから瞬きも忘れるほど、カミューの顔を見つめ続けているのに、彼は以前のようには怒らずにその添えた掌でもっと見ていてくれとばかりにマイクロトフを引き寄せる。
 そんな青年の、雪に触れて濡れた掌は冷たかった。だが、逆にその掌にマイクロトフの頬は暖かいのだろう。カミューは淡かった笑みをますます儚いそれに変化させ。
「温かい」
 掠れる声で、息を詰めて耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で呟いて。
 そして、カミューは目を閉じた。

 二度と、見開かれない目を、閉じた。

 その眦に光る涙の痕と、舞い降りる雪と言う名の宝石の煌きは何故か相似していて。



 身も切れよと凍える冬の日。

 マイクロトフは呆然と――――美しいと思ったのだ。


END



リクエストを受けた時「落語のご」なんて番組を思い出しました
気分はまるで汗だらけでお題をこなすざこば師匠(笑)
客席からちぐはぐにお題を三ついただいて
即席の落語一席の中で順番通りにお題を盛り込むのです
落語家にしてみれば腕を問われる難しい一席ですが観る分にはとっても面白い

まさか自分が似たようなはめに陥るたぁ…(笑)
しかもリクエストと順番違ってるし……とほほ

そんで「暗涙行きでも」とか言われて
暗涙はもうこりごりだよとか思ったくせになんで……?(笑)

 2000/10/26



訳のわからないリクエストを受けてくださりありがとうございました。
本当に私の頭の中を知っておられるに違いない、と冷汗をかくほどツボを抑えたお話で感涙しています。
キリ番取るとこんな良い目にあえるのか…とますますキリ番ねらいに磨きをかけることを誓うのでした(笑)

座谷さん、本当にどうもありがとうございました!