嘘 と 桜 ロックアックス城の裏手、ほぼ垂直にそびえる岩崖の中腹からその桜は枝をたらしていた。 枝垂れ桜とも見えぬその木は重力に従うようにその枝を伸ばしつづけ、花満開の今では夜眼に朧な淡い色の滝のようにも見える。 薄紅一辺倒でもない山桜は、花びらがだいぶ散った今でも十分に見ごたえがあり隠れた花見の名所の一つとなっていた。 もっともこんな夜更けに花見に来る酔狂な輩などはそういないはずだったが。 そんな酔狂な真似をもう数刻も過ごしていたマイクロトフは、雨のように降りそそぐ花びらを手の平で受け止めながら、また桜の木を振り仰いだ。 「こんな所で何をしてるんだ、マイクロトフ」 その背後から、不意に掛けられた言葉。この時間にありえるはずのないその声の主にマイクロトフはゆっくりと振り返る。 「何って、カミューこそこんな時間にどうしてここにくるんだ」 こんな時間という所に知らず力がこもり、何でもないようにと気をつけたはずの言葉は子供の拗ねたような響きを持つ。それを論うことなくただ柔らかい微笑みを浮かべたカミューは、 「あぁ、ルークに捕まってポーカーの相手させられて、巻き上げてやった酒の酔い覚ましに桜を見にきたんだ」 と告げて。 確かに夜目にもうっすら紅潮して見える彼の表情と、いつになく機嫌が上向きな様子は飲酒後の彼の特徴と一致していた。 「…俺はずっとここで待っていたんだが」 夜の鍛錬が終わったらこの夜桜を見に行こうと誘ってきたのはカミューの方だった。普段はマイクロトフがカミューと一緒に行動したがるのを、煩いだの、鬱陶しいだの、挙句には『しつこい男は嫌いだ』とまで気まぐれな猫のような態度でそっけなくあしらって見せるのに、珍しくも彼の方から言い出したのだ。 「何、怒ってるのお前?」 面白そうな表情で顔を覗き込んでくる仕草に、慌てて眼をそらす。 しかしたった一瞬にもかかわらず、視界に飛び込んできた、仄かな藍闇に染まらずそこだけ浮き上がって見えるほど白い首筋は、脳裏から離れることはなかった。 動揺を落ち着けようと、沈黙を保ったマイクロトフに眉を顰め、沈黙を破ったのはカミューの方だった。 「もしかしてお前、俺のあの言葉本気で受取ったのか?」 『あの言葉』が何を指すのか意識を他に向けていたマイクロトフが気がつくのには暫くかかったが、はらりと視界を過ぎる花びらに、すぐ何のことか思い当たる。夕暮れの中庭で、すれ違い様にかけられた囁きは、悪戯つもりで自分を誘ったとも思えぬ響きだったのだが。 なんと答えてよいか分からないマイクロトフは、口を閉ざしつづけるしかなかった。 「エイプリルフールだろう、今日は。・・・もしかしてこっちにそういう風習…なかったことはないよな」 眉を寄せた姿に、慌てて首を振る。 「いや、ある…はずだ」 「ならいいじゃないか、そんなに怒るなよ」 自分がカミューに向かって怒れるわけはないだろう。 的外れの言葉を吐く彼に、おもわず苦笑が漏れる。 誘い出した自分を数時間も放置して、同期の友人と遊びほうけていたというのは、今までのカミューから向けられた我侭の記録を更新するものだったが、惚れた弱みと、それを口に出していつもカミューを困惑させているという自覚のあるマイクロトフはいつものことと咎め立てる気はなかった。むしろ数ヶ月前に彼に対する想いを告白してから、向けられたことのなかった衒いのない微笑を向けてくれることで十分だった。 だが、そんなマイクロトフの内心に気づく由もなく、 「なに、まだ怒ってるのか?俺は寛大なお前が好きなんだけどな」 そう首に腕を絡ませたカミューは、確かに酔っているようだった。 酔って自分に情を向ける男に媚態を見せる、まるで性質の悪い女のような真似をする友人を、それでも咎めることなどマイクロトフにはできよう筈もない。 むしろ一方的に思いを告げてから、保たれるばかりだった距離を一気に縮めてみせる姿に気持ちは乱れるばかりだ。 「マイクロトフは優しいから愛してるよ」 まるで夢のような状況に、眼が眩むような緊張を覚えながら眼を見張ると、見上げてくる顔は柔らかい微笑を向けている。その上、どうしたのだろうという風に、ちょっとだけ首を傾げてみせる表情とアンバランスな素振に、今度こそ本当に目眩を覚えたマイクロトフは誘われるままに唇を寄せた。 想像していたよりもひやりとしたその感触。 引き寄せた首筋とは格段に冷めた熱に違和感を覚え、恐る恐る眼を開けるとすぐ眼の前にそれまでの甘い雰囲気など彼方に消し去ったカミューの冷え冷えとした瞳がある。 そして接吻けの先はと見れば。 「…なんて俺が言うと思ったか?」 彼の指先が桜の花を摘み上げ自分の唇に押し当てていた。 「あ…え…?」 「馬ー鹿、今日は何日かもう一度思い出してみるんだな」 一気に素面に戻ったように、いつもの対マイクロトフ限定の傍若無人な顔に戻ったカミューは、ふいと踵を返す。 「都合よく忘れているようだけど、俺は親友だったはずの男に好きだの愛しているだの言う男は大っ嫌いだからな」 そう言ったカミューの言葉に呼応するように遠くで教会の小鐘が日付の変更を告げる。 「ちょっ…、カミュー!待ってくれ」 振り返りもせずにひらひらと手を振ってみせる彼の足取りが、それでもいつもよりは緩やかなものであることに気がついたマイクロトフは頬を緩ませながら後を追う。 エイプリルフールの嘘でも"愛している"という言葉が聞けたことに感動している彼は、その言葉を告げたときのカミューの手が小さく震えていたことなど気がつく由もなかった。 |