浴衣
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 未来の騎士の養成を行う士官学校では、就寝の時間が決まっている。
 夜は十時に、寮長が見廻り、部屋の灯りは全て消される。
 とはいえ最も若手の雛達ならまだしも、学年が上になるに従ってその規制の眼も緩くなる。こと休みの日の前ともなれば、寮の誰ぞの部屋に集い、他愛のない遊興や四方や話に興じるのは日常のことだった。
 クソ真面目で堅物と周囲から称されているマイクロトフも、そんな仲間内での集まりには、カミューと一緒に顔を出していた。
 しかし仲間より一時間は早く起き出して、早朝訓練をする彼だ。
 日付が変わる頃には周囲の喧騒を子守唄に、部屋の主の寝台で寝落ち、場がお開きになる頃にカミューや友人達に揺り起こされて帰るのが常となっていた。
 そんな休日前のとある夜のこと、いつものように寝こけていたマイクロトフは、ふと妙な気配を感じ眼を覚ました。
 なんだろう、と眼を開けると、友人達が自分を見てくぐもった笑いを洩らしている。
 眉を寄せて起き上がった彼は、やがて己の身体を見回し、夜着の袖から覗くその異変に眼を瞠った。
 
 

  
◇ 


 
 
「……ということを思い出してな」
「…………それで?」
 痛む頭部を撫で擦るマイクロトフの前には、打撲の加害者であるカミューが仁王立ちしている。
 真っ赤になって怒ってる顔も可愛いなぁ、とぼんやり考えているのが顔に出たのか、彼は美しい流線描く眦をますます吊り上げる。
「それとこれとがどう繋がるんだ!!」
 怒りに高くなった声がこれと示唆しているのは、ぎゅっと握り寄せられた浴衣という夜着の下のありさまだろう。フリード・Yの妻、ヨシノが仕立ててくれたという異国の湯上がり着を意外にもカミューはとても気に入っているようで、夜半過ぎてもまだ熱気が残る城の中、少しでも涼を求めようとこのところの彼の夜着はこの浴衣だ。
 一枚の布平らかな布を直線的に縫い合わせただけの衣装は帯という紐一本で整えられる無防備さで、起きているうちはそれを意識してか居ずまいを気をつけている彼も、一端寝込んでしまえば意識の及ぶ範疇ではない。ここの所毎朝、マイクロトフは寝乱れた恋人の艶姿を堪能させてもらっている。
「いや、だから十年越しにお返しをしようと思ったのだが、生憎印章がなかったから、ついな」
 士官学校時代のあの晩、眼を覚ましたマイクロトフが眼にしたのは、べったりと腕に捺された印影だった。
 寝こけている間に仲間達が悪戯に捺したそれを呆然と眺めたことを、無防備に肌蹴られたカミューの白い胸元を眺めるうちに不意に思い出したのだ。
 その記憶に煽られつい興に乗ってこれまでの自制を無視し唇を寄せてしまったその結果が、皮膚病かと間違われそうなほどの紅痕だった。
「印章って……、いや、それとこれとは全然違うだろう!」
 眉を寄せ、唸るカミューに、
「いや、違わないぞ」
 とマイクロトフは断言した。
「なにしろあの時の印章は、俺がプレゼントでやった蔵書印だったからな。意味するところはあまり変わりはないだろう」
 そう、あの時捺されていたのはマイクロトフが本好きのカミューに贈った『カミュー蔵』という蔵書印。
 今カミューの白い肌一面に散っている所有欲を表す紅跡と、確かに意味するところに大差はないはずだ。もちろん、視覚に訴えかける卑猥さと、そこに込められた情の濃さは大いに異なっているだろうが。
「あの時、俺は内心嬉しかったのだが、もしかするとあの頃から俺はカミューのことが好きだったのかもしれんな」
 共に机を並べていたあの当時は、まだ親友に対する恋情など、意識していない昔だった。今も美しくはあるものの、あの当時は性別を超越した綺麗という言葉一つでは表せない独特な空気をもつ彼に、周囲仲間は皆傾倒していたのを知っている。でもその感情は恋と呼ぶには異質な、何かとても圧倒的なうつくしさを愛でる、いわば憧憬のようなものだったに違いない。
 だから悪戯でカミューが捺した「カミュー蔵」というその印影を笑う仲間達の視線には、ささやかな繋がりでも彼と結べたことに対する、微かな羨望が浮かんでいた。
 きっとあの時の自分の感情は、同じような感情を共有していた友人達に対する優越感もあったに違いない。
 とはいえそれを承知で、性質の悪い言葉を呟けば、寝ている間の悪戯への怒りで赤くなっていた目の前の恋人の頬は、違う赤で染まる。浴衣の裾をきゅっと握っていた手が震えているのは、これまたさきほどの怒りのせいではないのだろう。
 そしてそんな言葉一つで許してしまう甘い恋人が、淡い紅を刷いた目蓋を閉じると同時に、マイクロトフは今度は唇に所有のくちづけを落としたのだった。  




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