ムーンライト クッキング
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「・・・そこで溶かしたチョコレートに卵黄を入れて混ぜてください。卵黄は必ず一つずつです」
幾分声を張ると、高く伸びやかな声が口々に返事を返す。
三つのグループに分けての今日のお菓子講習会は、ここまではまずまず順当に進んでいた。とはいえ、どこでどう失敗するか分からないのが彼女達の恐ろしい所だ。
特に破壊的な料理の腕の主であるナナミと、どうにも料理にすら独自の改造を施したがるメグは要注意だった。彼女達のグループの成功率は今のところ半々。それも材料の作り直しがあってのことだから、油断は禁物である。
余計な工夫や独創的な腕を振るわないようそれとなく眼を配りながら、マイクロトフは予備の材料の準備を進める。
「ねぇ、マイクロトフさん」
不意に掛けられた声に見下ろすと、ナナミが興味深そうに手元を覗き込んでいた。
「これは何してるの?」
「あぁ、カミューに一個作っているんです。甘いものが好きなんですよ」
彼女達の調理が成功すればこれは首尾良くカミューのものとなる。失敗した時はその時点でそのグループのものと入れ替えになるのでカミューの口には入らない。
さて今日のガトーショコラはどうだろう。
カミューが好きな品だから食べさせてあげたいのだが、こればかりは神のみぞ知るといったところか。
「カミューさん甘いもの好きなのかぁ」
「はい、ですから皆さんとこうして料理をした次の日は、いつも何ができるのか楽しみにしているようです」
「シュエもそうなの。いつも次の日に何ができたのか聞きたがるの。この間の焼きプリンはすごく気に入っていたみたい」
嬉しそうな顔で報告してくるナナミの表情に、それだけでこのような場を設けて良かった、とマイクロトフは嬉しくなった。
マイクロトフが城内の少女達に請われてお菓子作りの講習会を開くようになったのは、この同盟軍に参入してさほど経たない頃だった。最早どんな切っ掛けでかは忘れてしまったのだが、確かマイクロトフの料理の腕前を知ったナナミやニナ辺りに頼まれてのことだったと記憶している。
女性全般と接することが苦手なマイクロトフにとって、束の少女達と対峙するのは挑戦だが、可愛らしい顔でお願いされたら断るに断れない。マイクロトフの料理の腕の恩恵に与る機会が少ないことを内心不満に思っているカミューをも味方につけて強請り倒してくる彼女達に負け、では不定期な開催でよければ、と引き受けたのだった。
時間はキッチンを使わせてもらう時間上の関係で、レストランが閉まった後の深夜から。
そんな時間帯にも関わらず少女達の口伝えで参加者は回追うごとに増えていき、今では同盟軍の主要な少女達が顔をそろえるようになった。
話をしてみれば少々扱い辛い面もあるがからりと明るい彼女達は皆率直で人懐っこい。マチルダで顔を合わせていたレディ達や、社交界の面々に比べればよほど気楽に話せる相手だった。
団長としての職務の忙しさゆえに、一ヶ月に一回も催せないが、大きな戦などの後にこうして顔を合わせれば、皆無事に顔を合わせることができたという感慨すら浮かぶ。
こうして少女達と過ごす時間は、マイクロトフにとっても貴重なものとなっていた。
「ナナミ、そろそろ代わってよ。腕痛くなったからさ」
卵白をひたすら泡立て続けていたアイリがボウルを差し出す。
「あ、ごめん。忘れてた」
ボウルを受け取ったナナミに、離れたところから声が掛かり、マイクロトフとアイリだけが残された。
チョコレートを湯せんすると同時に粉も篩うマイクロトフからボウルを取り、かき混ぜ始めた少女は低めた声で囁いた。
「なぁ、カミューさんの手袋を盗もうとしたヤツがいたから、懲らしめといたよ」
「手袋を?」
どういうことか分からず訝しげな表情を向ければ、
「カミューさんマニアの手下。前から怪しい行動してたから、張ってたんだよ。ちょっと油断させたら喰いついてきたからさ、お灸すえといた」
にやりと笑った少女は事も無げに語る。
「それは…ありがとうございます」
何故手袋を、とか、マニアって何だ、とか、なぜ彼女がそんなことを知ってるんだ、等々いろんな疑問が頭を渦巻くが、とりあえずマイクロトフはお礼を返した。
「しかしマニアとは一体…?」
「あぁ、なんかカミューさんのマニアがいるみたいでさ。そいつがカミューさん関連のものだったら高く買うって言ってるみたいで、今までも色々あったんだよ」
結構な金額の報酬に釣られて、カミューに関するものを集める者が少なからずいたらしい。とはいえそれは書き損じの署名であったり、落ちていた髪の毛であったり、食べかけのパンなどさして害にもならないものばかり。ちょっと度が過ぎるものは、睨みを効かせている騎士達がご同行を願い、丁重に引き取ってもらっていたのだという。
だが、今回の犯人は騎士達が入り込めない洗濯場に入り込み、しかも犯人は女。そんな事情もあり彼女達で始末したのだとアイリはにやりと笑った。
「まぁ二度と悪さしないと思うから大丈夫だと思うよ」
その笑みにどんな始末の仕方をしたのかと、マイクロトフは空恐ろしいものを感じ遠い目になるが、はっと我に返り、粉と卵黄を混ぜるように指示を出した。
「しっかり混ざったら、固く角がたつくらいになった卵白を半分入れて混ぜてください。残り半分は泡を壊さないよう、へらを立てて切るように。ここがポイントですから気をつけてください」
はーい、と可愛らしい返事を返す少女達はこれまでの所、失敗はないようだ。
ほっとするマイクロトフの横で、アイリは卵黄をボウルに加えてかき混ぜていく。
「でもまぁ、暫くは大丈夫だと思うよ。アネキもカード使ってなんかするって言ってたし、カミューさんにちょっかい出すと酷い目にあうってニナが噂を流した筈だ」
「噂?」
そう問い返すと、自分の名前が聞こえたのか、プラチナブロンドの少女が粉まみれの手で近寄ってくる。
「任せといて。カミューさんにちょっかいかけたらどうなるか、騎士さん達と話し合って楽しく決めといたから」
ふふふと楽しそうに笑う笑顔に、そういえば城の噂は彼女達の得意分野だとカミューが言っていたのを思い出し、ならばと訊ねた。
「そういえば噂といえばカミューと私の噂が以前流れていたということがあったようですが、どこからのものかご存じないですか?」
「噂? カミューさんとマイクロトフさんの?」
「だって、噂も何もアンタ達自分で公表したらしいじゃん」
そう示唆するのはつい先日の酒場でのごたごたの際、勢い余ってカミューとの仲を皆の前で宣言した時のことだろう。あれだけ派手な公表の仕方をしておいて、どこがどう噂だ、と言わんばかりの視線を向けられ、言葉に詰まる。
「いえ、ですからその前に私とカミューとの仲が噂になっていたらしいんですが・・・」
大体その噂とやらに踊らされて、酒場でカミングアウトをかます羽目となったのだ。ある意味その噂のせいといっても過言ではないだろう。カミューはしきりに気にしていたその噂の元は、とうとう分からず仕舞いだったが、彼女達に聞けば分かるだろうか。
「それって誰から聞いたか分かる?」
「カミューはシーナ殿からと言っていましたが」
「あぁ、それ私よ。シーナさんがやけにカミューさんのこと知りたがって妙だったから、釘さしといたの」
あっさりとニナから返された答えは、ある意味とても納得のできる答えだった。
なるほど、それでは噂といっても噂にならない噂だろう。当事者達同士の間しか流布していないなら、探しても分からないはずだ。
苦笑したマイクロトフは、ふと思い浮かんだ問いを口にする。
「ところで皆さん、どうしてそんなに親切にしてくださるのですか?」
「あら、だって…」
「なぁ」
その言葉に顔を合わせた少女達は、おかしそうに笑った。
「それは勿論私達がマイクロトフさん達のことを好きだからに決まってるでしょ!」
真っ直ぐに見つめてくる眼差しはどこまでも暖かい色で、純粋な好意だけを伝えていた。
不意打ちのように寄越された綺麗な情に言葉に詰まる。
小さく礼を言うと少女達は満足そうに笑い、綺羅硝子のように華やかな声が漣のように広がるキッチンからは、やがて甘い香りが流れ出す。
どうやら今日のお菓子作りは成功のようだった。
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