文箱
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大きな執務机の上にはあるのは、事務書類の小山に筆具。
およそ自分の机の上と変わり映えはしない。
仮にも職場であるこの机の上を私物で飾り立てる者は、記憶にある限り歴代の団長達の中でも現白騎士団長くらいのものだろう。
そんな認識でいたために、マイクロトフはその箱に気がついたときは少し違和感を覚えたのだった。
木目も鮮やかに、艶やかな曲線を描く文箱。
台となっている執務机と同じ色合いのその箱は、机の一部のようにひっそりとそこにあって、暫くその存在に気がつかなかった。
いつからそこにあったのか、と部屋の隅に控えている従騎士の少年に問えば、自分が配属される前には、との答えが返ってくる。
つまりはいつからか分からないほどその箱はこの机に置いてあったということだろう。
「カミュー様親展の手紙が入っております」
じっと見詰める視線に不穏なものを感じ取ったのか、重ねられた言葉には固い響きが交じる。
「・・・女性からか?」
ぼそりと呟いた言葉は耳に届かなかったのだろう。
「はい?」
怪訝そうに問い直され、なんでもないと、マイクロトフは片手を振ってソファーに背を預けた。
騎士団長ともなれば職場も居住も一所の為か、公私に関わらず全ての手紙はこの部屋に届けられる。
学生の頃から飽きがくるほど寄せられ続けた恋文を、今更部屋に持ち帰りありがたがって読むほど可愛げのある男ではない。
さしずめこの箱には一度目を通されただけの、自分の知らない男女の恋執の断片が押し込められているのだろう。
ちらりともう一度だけその箱を一瞥したマイクロトフは、大きくとられた窓外に広がる濃藍の夜空に視線を転じた。
程なくして、前触れもなく扉が開け放たれた。
足音を察知していたのであろう従騎士が抑えている扉から入ってきたのはこの部屋の主カミューだった。
「遅くなってすまない」
「構わん、どうせゴルドー殿に捕まっていたのだろう」
「もう少し早く帰れる心算だったんだが、骨董商が来てな」
優雅な口調に潜んでいるのは、微かな苛立ち。
きっと大幅に時間を獲られたことに、内心腹立たしく感じていたのだろう。それを押し隠し、笑顔を浮かべて白騎士団長や彼のお気に入りである骨董商と対峙していたであろう親友の姿が眼に浮かぶ。
「あぁ、君もこんな時間までご苦労。もうそろそろ寮では食事の時間だろう。次回からはこの男のことは置いて、時間になったら帰って構わないよ」
静かに控え室から出した外套を調えている従騎士の姿に、カミューは声を掛ける。
「しかし、お客様を残して退出するわけには・・・」
「本当の客なら確かに困るが、これは客扱いする必要はないさ」
あまりの言い草に、口を挟もうとするマイクロトフは、続けられた言葉の尤もさに口を噤む。
「これからも度々あるだろうから、いちいち待っていてはきりがない。次からは帰るように」
「・・・はい」
ちらりと視線を向けた少年は、頷く青騎士団長の姿に、首肯する。
そんな少年にふっと笑ってみせたカミューは、駄賃というほどではないが、と手招いて、
「食後に食べなさい」
と少年の手のひらに銀包みの菓子をぱらぱらと落とした。
「・・・その箱の中には何が入っている?」
従騎士が退出して、一瞬静まり返った部屋にマイクロトフは口を開いた。
「よく見ていたな」
「手紙じゃないのか?」
「手紙?」
「手紙を入れる箱だろう、普通の用途としては、な」
「あぁ、まぁそうらしいね。入れることもあるけど普段はさっき見ての通りさ。ここなら誰もあけないから、適当に放りこんどくことできて便利なんだ」
先ほどそっと箱の中から取り出していたのは、従騎士の少年に渡された小さな菓子だった。音も立てず、ひそやかな動きだった為に寸でのところで見逃すところだったが、間違いなく菓子はその箱からとられていた。
「なんだ、俺はてっきり・・・」
「てっきり恋文でも入ってると思ったか?」
肩を竦めて本人は笑う。
「紅顔のみぎりには山のように受け取っていたのを思い出してな」
「今でももらわなくはないが、全て副官に任せてある」
ああ、なるほど、と頷きかけて、その言葉を理解したマイクロトフは眉を顰めた。
「それははどう考えても公私混同ではないか! 送ってくれた相手にも失礼だぞ!」
「騎士団長の私にか、個人の私にか分からないから仕方あるまい。ちなみにもらった手紙は全て一纏めに閉じてもらってあるから一昔前の焚き木燃料にされたものに比べればましな待遇だと思うぞ」
悪びれた様子もなくそう返す親友の言葉に、そういえばそんなこともあった、と思い出す。
溜まりに溜まった手紙の山を、全て落ち葉と共に火にくべて、芋まで焼いてそれを食らった記憶が薄っすらと残っている。
人を恋うる気持ちも、叶わぬと知りつつ何かに思いを託す行為の切なさも分からぬでもない歳となった今では、思えば残酷なことをした、と省みることもできるが、所詮猿に毛が生えた程度の情緒しか持ち合わせていなかったガキの所業としては順当なところだろうか。
そう遠い眼で過去を振り返るマイクロトフに、
「冗談だ」
と不意に言葉が降ってくる。
「は?」
「開封は任せているが、個人宛と分かった時点で私のところにまわされている。さすがの私でも人様の書いた手紙を部下に読ませるほど人でなしでもないし、私生活の露出の気もない」
「そうか」
「それに恋文なんて奥ゆかしくも稚いシロモノ、ここ数年もらったことはないぞ」
「・・・そうか」
あっさり告げられた言葉に返す返事に喜色が交じっていたのを気がつかれなかっただろうか。
自然と笑みを浮かべそうになって、思わず表情を引き締めたマイクロトフに、
「そんなことより腹が減ったよ。さっさと行こう」
と急かすカミューの手には、いつのまにか外套がある。
慌てて立ち上がり、後を従うと、灯りの落とされた暗い部屋に一瞬長い影が二つ伸びた。
バタン閉じる音とともにすぐにそれもかき消えて、暗闇だけが後に残った。
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