日傘
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ミズキの季節も過ぎ、木々の緑も初夏の陽射しに濃く色づく頃になれば、日の長さに乗じてか街も賑わいを況していく。
週末ともなれば方々で市がたち、近隣の村から人々が集まる。
都市同盟南部最大の街サウスウィンドゥの市も、商業の街ミューズと相並んで口端に上る規模で、そのミューズがハイランドの手に落ちた今となっては、かってそこに店を出していた商人達が流れ込んできたせいか、確実に以前よりも拡大しているとのことだった。
「本当にすごい人手ですこと」
馬車を降りながらぐるりと辺りを見回し、驚いた声を上げるテレーズに手を貸しながら、
「これでは間者が紛れ込んでいても分からないな」
とバレリアも呟く。
「田舎の暮らしが長かったせいか、お城も結構な人数だと思っておりましたが、これはまた比べ物にならないくらいですわね」
横でにっこり笑う女性は、同盟軍で宿屋の女主人をしているヒルダだ。
「何を言われる、ヒルダ殿はミューズの街で慣れておいでだろうに」
「いいえ、市がたつような日には宿にお客さまがお出ででしたから」
同盟軍の城に移り住む前は、ミューズに近郊で宿を出していた彼女は、「こんな人混みは久しぶりです」とおっとりと笑う。
トラン共和国の女将軍バレリア、そしてグリンヒル市長代行だったテレーズも、それぞれ大きな街に暮らしてはいたものの、各々の職務ゆえにこうして市井の賑わいに身を紛らせたことがない。
暫く三人で切れ目のない人の波を眺めていたが、こうしていても時間を浪費するだけと気がついたバレリアは口を開いた。
「それでは何時に待ち合わせをいたしますか」
「私はさほどかからないと思いますわ」
「ヒルダ殿は?」
「そうですね、ピートとアレックスの夏着用の布地と細々したものだけですから、私の方もさほど。でもテレーズさんは御本も頼まれていたのではなかったかしら?」
首を傾げたヒルダに、あっと、声を上げたテレーズは、「そうでした」と頷いた。
「エミリアさんから本を頼まれていたんでしたわ、良かった! 思い出させてくださってありがとうございます」
「ならば三つ時後ではどうだろう、一刻では少々長すぎるのではないかな」
「そうですわね、私はそれで十分です」
「まぁ、足りない場合は落ち合ってから一緒にまた廻ることにすればいいですものね」
懐中時計を取り出し、時刻を確認するヒルダの隣で、早くもテレーズの意識は市の喧噪に向かっているようだ。
「待ち合わせの場所はここでいいかな、ここなら間違えなさそうだ」
「ええ。日陰もありますし、一休みするのにちょうどいいところだと思いますわ」
街の中心地から少し外れたこの場所は、右手に曲がると袋小路ということもあり、人通りもあまりない。かといって裏路地にありがちな殺風景で陰湿な感もなく、低い石垣の向こうには木立が続く、どこか鄙びた印象を残す所だった。
「では、参りましょうか。・・・お待たせしました、テレーズ殿」
悪戯っぽく、わざと恭しい物腰で手を差し出すバレリアに、テレーズはぱっと顔を赤くする。
「まぁ、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げるその顔は、歳相応の賑やかな街に憧れる娘の表情だ。
三人で顔を見合わせ、同時に明るい笑い声を響かせた彼女達は、街の中心地へと歩き出した。
三つ時後、元の場所に集まった三人の腕にはそれぞれ荷物が収まっていた。
中でもとりわけ大きなものを抱えていたのはやはりヒルダだった。
「なんとも大荷物だ。これだけ運ぶのに大変だっただろう」
「途中まで傭兵さんが手伝ってくださいましたの」
両手に抱える布の巻物に幾多の紙袋。見かねて手を差し伸べるバレリアに礼を言って辞したヒルダは、
「私他所さまの馬車に乗ることがなかったので気がつきませんでしたが、迎えの馬車が来るまでまだ時間がいくらかありますわね」
と困ったように視線を荷物に落とした。
「私達も途中で気がついたんです。いざとなれば買ったものを持って食堂にでも行けばいいかと話してたんですが」
「どこぞに預けようにも今日の人出では紛失する可能性も高いな」
さすがにこの大荷物で人混みの中に戻るのは難しいだろうと三人で顔を見合わせる。
迎えの馬車に荷物を預かってもらおうにも、どこで休息をとっているのか近くに見えない。いっそのことそこらの子供にでも伝言を頼み、辻馬車を拾うかと言い出したバレリアを止めたヒルダは、
「どうせあと半刻くらいのものですから、それまでそこで休んでいませんか?」
と石垣向こうの木立を指差した。先が見えないほど続く敷地には、木立がそこここに立ち並び、よく見れば散歩道を整備してある公園にも思える。
青草のはえた木陰は、なるほど休息をとるにはうってつけのようだった。
「誰ぞの庭ではないだろうか?」
「柵で囲ってありませんし、それらしきお屋敷も見えませんわ。それに、これだけ広い庭の端っこにお邪魔してもわからないんじゃないでしょうか?」
「一理あるな。しかし、どうやって入るのだ?」
普段の剣士の服装とはうって代わり、珍しく今日はヒルダの服を借り、ドレス姿で貴婦人然としているバレリアは入り口を探して視線を彷徨わせる。
だが、それにあっさり返答したのはテレーズだった。
「あら、これくらいの塀なら簡単に乗り越えられますよ。裾が気になるなら、座って足をこうやって反対側に廻せば、ね、簡単に行けるでしょう」
紙袋を石垣の上に置き、彼女は片手でスカートの裾を抑えながら素早く隣の敷地に降り立つ。
「テレーズ殿、貴女は見た目に違い、案外・・・」
「お転婆、と父から良く叱られてました。今のもシンにばれたら怒られてしまいます」
そうくすくす笑う娘は、だって田舎育ちですから、と肩を竦めた。
「私も田舎育ちですから、これくらいなら容易いですわ」
「となると私もお二方に遅れをとるわけにはいかんな」
三人とも難なく塀を乗り越えると、周囲を窺って人目のなさを確かめ、顔を見合わせて思わず笑い出す。
木陰を求めて歩き出すと、緑が生い茂る場所ならではの、どこかひんやりと清々しい空気が足元から立ち上ってきた。
石垣からあまり離れすぎず、さりとて覗き込まれないような陰を探し、幾重に立ち並ぶ木々の間に、切り株と倒木を見つけ、三人はそこに腰を下ろした。
一息ついて辺りを見渡せば、緑の葉陰に木苺の赤が見え隠れしている。
よく見れば、そこここに群生しているその実は、今まさに色づいて収穫の時を迎えているようだった。
「採っても・・・いいのでしょうか?」
「どこぞの屋敷の庭・・・というわけではなさそうだしな」
木立の向こう、はるか見渡せば、どうやらこの敷地は街の目抜き通りまで広がっているようだ。
かなり広大なこの敷地に他にも何組かの人が涼をとっているのか、同じように座ったり、散歩をしたりしている。
「誰かが植えたというわけでもなさそうですし、摘む程度なら許してもらえると思いますよ」
その言葉に、嬉しそうにテレーズは熟した実を探し始めた。
赤を通り越し、黒に近い実を口に含み、ぷっくりと張り詰めた粒に歯を当てると微かな酸味の残る甘さが広がる。
「城の周りにもきっと生ってますよね。今度探してみようかしら」
「そうですわね。たくさん採れたらジャムが作りたいですわ」
「ジュースも美味しいですよ」
「ソースもいいと思いません?」
「それからもちろん、」
「「タルト!!」」
声を揃えて言うと、テレーズとヒルダはくすくす笑う。
「確かに美味しそうではあるが・・・」
そんな二人を眺め、感心したようにも呆れたようにも呟くバレリアに実を渡しながら、
「タルトはそんなに作るのが難しくないんですよ」
今度一緒に作ってみませんか? とテレーズは誘う。
「食べるのは好きだが、作るのは性にあわないので遠慮申し上げるよ」
「あら残念」
甘酸っぱい実を摘みながら、他愛もない会話を重ねていくうちにゆっくりと木立の影も動いていく。
やがて、同盟軍で供される料理について話をしている三人の後ろにふと気配を感じ、バレリアが振り返った。
それに気がつき、後の二人も視線を向ける。
「あら、マイクロトフさん」
一斉に向けられた視線に驚いたように立ち竦んでいるのは、青騎士団長マイクロトフだった。
「失礼。邪魔をする気はなかったのですが、その・・・木立の陰に日傘が見えたもので、どうしたのかと・・・」
思いまして、と尻すぼみに呟く青年は、三人に見詰められ、困ったように一歩下がる。
「ここで座って馬車を待っていただけですの」
「お急ぎでなければどうぞお座りになって」
「いえ、あの・・・」
「貴殿も買い物に来られたのかな?」
賑やかな声に臆した表情を一瞬浮かべた青年は、だが覚悟を決めたように少し離れた木の根元に腰を下ろした。
「頼まれ物を少々買いに来たのです」
「カミューさんの?」
「はい、まだこういう所には出向けませんので・・・」
彼の親友の赤騎士団長の背中には、数日前から羽が生えている。モンスターの攻撃の後遺症で生えてきたそれは、そんな後遺症とは思えぬ美しさで城内の者の眼を楽しませていたが、さりとてこのような混雑した場所にはそぐわない。
納得して頷いた三人に、ふと気がついたようにマイクロトフはヒルダに向かって頭を下げた。
「この間はありがとうございました。助かりました」
「いいえ、お役に立てて嬉しいですわ」
好奇心に満ちた二人の視線を向けられ、「シャツのお直しをして差し上げただけですの」と、ヒルダは説明する。
「確かにあの羽では普通のシャツは着れまいな。それに出歩けないとなれば、ストレスも溜まりそうだ」
「本人はこれ幸いと休暇と決め込んでいるようですが、もしかするとそうかもしれません」
「綺麗な羽だから見る私達は楽しくていいんですけどね」
「本当に、あの金色の羽はカミューさんに良く似合ってますもの」
「消えて欲しいような、欲しくないような、難しいところだな」
楽しそうに話す女性陣の姿に困ったような表情を浮かべ、青年は沈黙を守る。だが女性の前では無口な彼の常を知る彼女達は、気にした様子もなく軽やかな会話を続けた。
やがて懐中時計に眼を落としたバレリアが、「そろそろ・・・」と声を掛けた。
「まぁ気がつけばあっという間でしたわね」
「マイクロトフさんは馬車に乗られるんですか?」
「いえ、馬を待たせておりますので」
「あぁ、そうだわ。だったらこれをカミューさんにお土産に渡してくださいな」
ハンカチの上の赤黒い木の実を包み、ヒルダはマイクロトフに差し出した。
「カミューさんはお好きではないかしら。お二人で召し上がって」
「ありがとうございます」
立ち上がり、荷物を持とうと差し出す手を断りながら渡すヒルダにマイクロトフは頭を下げる。
口々に挨拶を残して去っていく三人に目礼を返しながら、彼はそっと白いハンカチを広げた。
濃紅の小さな宝石のような粒に首を傾げ、おもむろに腰を屈め葉陰に潜む粒を幾らか摘む。はしりの果物に眼のない恋人が満足するだけの数をそろえると、満足したように笑い、白いハンカチに共に包む。
そして立ち上がって視線をやると、三人の姿はない。
敷地向こうの石垣越しに、白い日傘が三つ並んでいるのが見えた。
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