ねこ
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浅い眠りに微睡んでいた彼女は、カツンゴツンと鈍く響く足音に眼を開けた。
石床を鳴らさないように抜き足差し足、静かに歩いてくるのは二人の青年だ。
特徴的な青い服と赤い服には見覚えがある。
確かマチルダの騎士だったはずだ。
何の用だ、と見ていると柱の影で立ち止まった二人は、何事か話し始める。
やけに至近距離で雰囲気を出して見詰め合うその顔は、今にも近づきそうだ。
なるほど、逢引というわけか。こんな薄暗い城の地下でとはご足労なことだ。
抱きあい重なり合う影にまた眼を閉じると、不意に、
「痛ッ!」
という小さな叫びが閉ざされた空間にこだました。
「なんなんだ、一体?」
「ちょっ、どうしてこんなとこに…」
何事だ、とまた眼を開けると、困惑しきりな青い服の足元には一匹の猫の姿があった。
暗がりにも白と明るい黄色がまぶしい、艶やかで美しい毛並みの猫だ。
黄金、という名で呼んでいるその猫は、何を思ってか、しきりに青い服にすがりついている。
爪が膝に食い込んでいたのだろう。顔を顰めながら青年が身を屈めると、その隙を捉え、猫は肩まで駆け上がり、首筋にぺったりとまきつくようにしてぺろぺろと驚いた顔を舐め始めた。
「お前、またたびでも顔につけてるんじゃないのか?」
もしくは魚を食べたとか。
不機嫌そうな赤い服が問い詰める言葉に、
「いや、別に…今日は肉料理だったし」
と青い服は、困ったような表情を浮かべ。だが、動物好きなのだろう。しきりに舐めるその舌を窘めながらも、ゴロゴロ喉を鳴らす猫が落ちないように身体を傾けている。
「どういう了見だ、コイツは」
「ちょっと、乱暴はしないでくれ!」
「いいんだよ、猫はこうやって持つのが流儀だぞ」
離れる様子のないその姿に苛立ったのか、赤い服は無造作に首筋を掴むと、ぽいっとばかりに猫を投げ出す。
小さくニヤン! と鳴いてみせた猫に青い服は心配そうな視線を向けるが、顔を白手袋にぐいっとつかまれ引き戻される。
「焼いてるのか?」
「……煩い」
小首を傾げる相手にむっとした表情を浮かべた赤い服は、荒々しく唇を重ね。
その後少しの間、恋人同士の甘い睦言が暫し暗く静まり返った空間に色を添えた。
騎士達の足音が聞こえなくなった頃に、彼女は部屋の隅で丸くなっていた眷属に呆れた声を掛けた。
「おんし、なにをしていたのじゃ」
「あぁ、これは御始様。ご機嫌麗しゅう」
その声にぱっと飛び起きた黄金は、早足で駆け寄り彼女の下で背筋を伸ばした。
「いえね、ちょっとお礼のお礼をしていただけなんですよ」
「お礼のお礼?」
何かの感謝にしては、あれでは単に邪魔をしていただけのような気もするが…。
怪訝な響きに気がついたのか、
「実はですね、いつもあたしがおまんまをもらっているこの城の女の子がですね、…」
と黄金は語りだした。
曰く、いつもお世話になっているその少女に、何か恩返しがしたいと思っていたそうだ。すると、彼女とその仲間達との会話で、同じように彼女達にも恩返ししたい人間がいるということを知ったのだという。
相手の名前はマイクロトフ。
マチルダ騎士で、男なのに男の恋人がいる変わった人間だそうだ。
「彼が何を一番喜ぶかっていうと、きっと恋人との仲がもっとラブラブになればいいんじゃないかという話になったんですよね。でもこれ以上ラブラブにするにはどうすればいいんだ、って皆悩みこんじゃいまして」
そこで出てきた案がライバルの出現で、恋人にやきもちを焼かせるという方法。
『古今東西恋愛のスパイスは嫉妬。三角関係は恋愛小説の王道』
と言い切った一人の少女に一同納得したのだが。
「問題はメスの彼女達ではライバルにならないって問題があったんですよね。でも、まぁ焼きもちを焼かせるだけならあたしにもできるんじゃないかなって。一応これでもあたしはオスですし」
思った以上に上手くいきました、とヒゲをぴくぴくさせながら誇らしげに言う黄金に、
「なるほど」
と苦笑する。
「しかしそれにしては相手を間違っておるぞ。彼女達が言っていたのは、騎士の中のボス達のことじゃ。団長、と呼んでいるらしいがのぉ」
「あらまぁ、それは知りませんでしたよ。てっきり青い服と赤い服着たオス同士ということだから、さっきの二人だと思っていました」
それでは意味がない、と黄金はしょんぼりと尻尾を寝かせる。
「そうじゃなぁ…マイクロトフというのは肉臭い大男で、カミューというのは確か宵闇と一緒にこの間庭で昼寝をしていたはずだからあやつにどれか聞いてみるとよい」
「はい」
「あぁそれから別に一緒の時を狙わなくても、片割れにマーキングするだけでも十分ぞ」
「えー、でも人間は馬鹿みたいに鼻が悪いじゃないですか! マーキングに気がつくもんなんでしょうかね?」
確かに人間の嗅覚は信じられないくらい鈍い。
疑わしげに訊ねる声に、だが小さく含み笑う。
「しっかりつけてやれば大丈夫じゃよ。顔じゃなくて首筋を狙うとよい。舐めるだけじゃなくて、歯を立てないように気をつけて噛むと、痕が残って鈍い人間も気がつくだろうしな。赤い服のほうが肌が柔らかそうだから試してみるがよいさ」
大男の肌は見るからに硬そうだが、一度見たカミューの首筋は肌理が細かく、ちょっとばかり牙がうずいたほどだった。もちろん欲望のままに噛むような不躾な真似はするつもりはないが。
その言葉に嬉しげな返事を返した黄金は、しかし、と首を傾げた。
「不思議なもんですねぇ、騎士というのはオス同士で番うもんなんでしょうか」
「さてのぅ…」
騎士の中にはこちらに来て女性の恋人を作っているものもいるようだし、そこまで行かずとも片思いの騎士もいる。
殆どの者は異性を選び、オス同士で番うのは特殊な方だろう。
だがそれを語るのも面倒で、口を噤んで眼を閉じると、やがて遠くから足音とさざめきが近づいてきた。
「こっちにはいないわねぇ」
「だから言ったろ、こんな暗いとこにかくれやしないって」
「そりゃアイリは暗いとこ嫌いだから来ないかもしれないけど…」
高い声で話し合っている少女達は、階段を弾むように駆け下りてくる。
「あれ? キンポウゲじゃない。何でこんなとこいるの?」
部屋の隅で座っている猫に気がついた少女の一人が声を掛けると、
「おいで、抱っこしてあげる」
と中でもひときわ小柄で大人しそうな少女が屈みこんだ。
いそいそと小走りで駆け寄り、嬉しげに少女の胸に抱かれた黄金に、
「ねぇ、ナナミちゃん見なかった?」
と少女の一人が尋ねる。
「うにゃーん」
「知らないって」
「やっぱ知らないよな」
「案外食堂じゃない?」
「もしくはシュエの部屋か…まさか軍師の部屋…じゃないよな?」
えーそんなとこ入れないよ、と好き勝手笑いさざめきながら一頻り部屋を見回した彼女達は去っていく。
一緒に抱かれていく黄金に、
「苦労するな」
と声を掛けると、
「仕方ありません」
屋上ですよ、と答えた言葉を理解されなかった猫は諦めた顔をする。
それでも少女の腕から覗く金色の尻尾は満足げに揺れていて。
それに気がつき小さく笑うと、白い蝙蝠はまた眼を閉じた。
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