こたつ
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六畳の真ん中に据えてある炬燵に入って背を丸めている姿に、台所で林檎を剥いていたマイクロトフは小さく微笑んだ。
上司にして隣人であるカミューは、初めて炬燵を見た時これが何の用途のものかが分からなかったようだ。
ステイツ生まれの彼は、こんな小さな採暖用機器は見たことがなかったに違いない。
実際に電気を入れてその暖かさを証明してみせると、緑青の瞳を見開いた彼は英語で小さくなにやら呟いていた。多分、すごいとか信じられない、という意味だったのだろう。
それ以来、壁を背にした南端が彼の定位置となり、いつも泰然として見えるこの上司が意外な寒がりであることを知ったのだった。
外では泣き言一つ言わないカミューだが、家の中では一歩炬燵を出ると『寒い』だの『凍えそうだ』だのぶつぶつ呟いている。どこか幼いその表情と、会社での颯爽とした姿とのギャップは、思いの外微笑ましいものだ。
もっとも立て付けの悪いこの木造長屋では、下手をすると外の気温より室温が低いこともあるので、彼の嘆きはもっともなことなのだが。

綺麗な八等分に切った林檎に爪楊枝を刺すと、急須とともにお盆を運ぶ。
狭い炬燵の上に散らばっている英字新聞や経済誌を片付けていると、うつ伏して睡魔と戯れていたカミューが薄く眼を開いた。
「あぁ、マイク…リンゴむいてくれたんだ、ありがと」
眠たげな表情の微笑みと、舌足らずな口調。
まごうことなき英語の発音で名前を呼ばれ片眉を上げる。
英語でマイクはマイケルの略。
それではマイクロトフではなくマイケルと呼んだことになるだろう、そう何度となく繰り返した抗議が口につきそうになるが、英語で喋られなかっただけましとするべきか。
ドイツ人の父親の血と名前ゆえに外国人と見なされることも多いが、生まれてこの方東京下町育ちのマイクロトフは英語の受け答えは苦手だ。
外資系の狭き門を突破できたのはその外見と名前ゆえ、恐らくペーパーテストの点数で英語が使える人材と思われたに違いないが、あいにく日本の英語教育程度では仕事で使える流暢な英会話など夢また夢だ。
カミューに言わせるとそれは単に慣れていないからだと言うことらしいのだが、家に帰ってまで英語と格闘するのは御免こうむりたい。
とはいえ、そんなことを言って余計な火種を起こすのも得策ではないので、マイクロトフは黙って林檎を差し出した。
「これは、八百屋の場原さんからだ。お前に食べさせてやってくれとのことだ」
「あぁ、お祭りの時、お前を引っ張っていったあのレディだね。あれは楽しかった」
林檎を齧りながら、眼を細めて笑う彼は一体何を思い出しているのか。
「頼む、あの時のことは忘れてくれ」
低く唸り声をあげてマイクロトフは頭を抱えた。
あの日は急な召集に駆り出され、朝から休日出勤だった。
仕事自体は昼過ぎにどうにか片がついたのだが、別れ際ひょんとしたことから祭りがあることを上司に話したのだった。
特に仲が良いでもなく、むしろ立場としては雲の上の存在の彼になぜそんなことを話したのか、今でもよく分からない。
だが暇だったのか、興味があったのか、いきなり行きたいと言い出したカミューをつれて商店街に足を踏み入れたところ、ちょうど町内の神輿と鉢合わせ。
問答無用で場原や日玖に神輿の担ぎ手として引きずりこまれたのだ。
挙句の果て、打ち上げでは日本酒が弱いカミューの代わりに、彼の分までしこたま酒を飲まされてひっくり返るという無様な態まで晒し、あの日のことは正直思い出したくない記憶となっていた。
「なぜ?とても格好良かったのに」
ぼんやりとした顔で首を傾げるカミューに呻き声で返したマイクロトフは、続けられた言葉に顔を上げた。
「私はあの祭りが楽しかったから、ここに引っ越したんだよ。みんな楽しそうで、親切だった。マイクもとても格好良かった。どうして忘れないといけないんだ?」
そういえば次の朝、目が覚めたらなぜかカミューが長屋の隣に住むことになっていたのだった。理由を聞いても笑って受け流していたけれど、そんな理由で彼はここに住むことを決めたというのだろうか。
「…本当は神輿を担ぐ男衆は白い祭り廻しに縹の法被を着るんだ」
「ハナダのハッピ?」
「青い上着だ。皆着てただろう」
「きっとマイクに似合うね…」
先の祭りでは着替える間もなく引き入れられ、揃いの縹の法被を着た列の中で、白シャツにネクタイ姿は悪目立ちしていたに違いない。
「毎年一家代々受け継がれたその法被を着て、神輿を担ぐのがこの町の男衆の誇りなんだ。来年は俺もあれを着て神輿を担ぐ。だからカミューも…一緒に…」
そう言いかけた言葉を止める。
いつの間にか林檎を食べ終えたカミューはまた、とろりと柔らかい睡魔に身を浸し、安らかな眠りに落ちていた。
よほど眠かったのだろう。
爪楊枝を持つ指もそのままで、くったりと炬燵になついて眠り込んでいる。
そんな姿さえ美しい彼は、いつまでもこんな下町で暮らすような立場の人ではないと分かっていた。本社でもエリート街道を歩く彼が、極東の小国に留まる理由などないのだ。
だから、言いかけた、言いたかった言葉を飲み込んで、マイクロトフは違う言葉を探し出す。
「こらカミュー、ここで寝たら風邪をひく。家に戻れ」
そっと掛けた声にもちろん返事は返らず、小さく笑ったマイクロトフはいつものように客用布団を敷くために立ち上がった。



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