久しぶりにテツご自慢のひのき風呂で汗を流したマイクロトフとカミューは、いつものようにハイ・ヨーのレストランへと足を向けていた。 暑さも盛りを過ぎた頃で、いまいち食欲のなかったロックアックス出の騎士達にもやっと食欲が戻ってきている。特にマイクロトフに付き合って、猛暑の中真紅の団長服を着用していたカミューの食欲減退は深刻なものだったが、ここ数日の涼風のおかげで半月あまり続いていたダイエットランチからようやく普通食へメニュー換えを図ろうとしていた。 「今日は何を食べる気だ、カミュー?」 「そうだな…そろそろダイエット食も飽きてきたし、今日は涼しいから違うものを食べようと思ってるんだが」 「野菜ばっかり食べているから青い顔になるんだぞ。それじゃなくても白いのに、顔色が悪すぎる。肉を食べろ肉を」 「自分の好みを押し付けてどうするんだい、マイクロトフ。私はこんなに暑いのに血の滴るステーキを貪るほど、神経が太くできてないよ」 「…悪かったな神経が太くて」 「そこもお前のいいところだろう」 フォローになっていない言葉とともににっこりと微笑むことで、少々へこんだ隣の男の感情を回復させた赤騎士団長は、さて、とばかりにレストラン入り口のお品書きに眼を向けた。 「日替わりランチは…豚の生姜焼きか。生姜焼きってなんだたっけ?」 「下し生姜が加えてある甘い醤油風味のたれに、豚肉のスライスを漬け込んで焼いたものだ。少々物足りない感はあるが、美味なのは美味だぞ」 「却下だな。美味しいかもしれないが、今食べたい気分ではない。もう少し…」 「じゃあさっ!カミューさん俺と一緒にディナーしないっ!!」 弾んだ声とともに勢い良く後ろから人塊がカミューの背中に飛びついてきた。不意を突かれて踏鞴を踏んでしまうカミューの身体を支えたマイクロトフは、カミューの背中に張り付いて、その上馴れ馴れしげにその首に腕を巻きつけ密着している少年の顔に渋面を堪えた。 「…シーナ殿」 無邪気そうににっこり笑う少年が、その笑顔のまま邪気がないことはないことではないのかもしれないが、時折見せる猫科の動物に似た瞳の色が気にかかる…と、なんとも回りくどい思考で少年を苦手としているマイクロトフだが、その感情をそのままに出すほど子供じみた真似をしてはならないと自戒している 。意識的に平常の顔を作って向けると、少年はやんわりとその腕を振り解いたカミューと相対していた。 「ディナーですか?」 「そうっ!今度女の子食事に誘おうと思っているんだけど、俺テーブルマナーって良くわかんなくてさ。ということでカミューさん教えてゥ」 語尾にハートマークが浮かんでそうな口調に苦笑しつつ、赤騎士団長は首をかしげる。 「それならばマイクロトフのほうが適任ですよ。彼のテーブルマナーは完璧ですから、私も試験前に彼にマナーチェックしてもらったものです」 「マイクロトフさんが?」 いきなり振られた話題に頭もついていかず、ついでに好奇心もあらわな瞳に晒され、マイクロトフの顔が引きつりかける。 「いえ、その…。確かにそういうこともありましたが、昔の話です。今ではむしろカミューの方が綺麗な食事をしますし、式典等でも、カミューにそういう役目が多く廻っていましたし……」 「マイクロトフさん!」 「はいっ!?」 しどろもどろ婉曲に断りの言葉を捜すマイクロトフは、真剣な顔で顔を覗き込んでくるシーナに腰が引き気味になった。 「お願い、頼むよ〜。女の子に恥かかしたら悪いと思ってすごく困ってるんだ…」 手を組み合わせてお願いのポーズまでとってみせる少年に、今度こそ顔が引き攣る。が、弱きを助け強きを挫くをモットーとしているマイクロトフにとって、「困っているんだ」の言葉は弱点である。これも人助けと思い内心溜息をつきながら了承した。 「…分かりました。で、食事は何をお望みなのですか?」 「サンキューv食事はロックアックスコースにしようと思ってるんだ」 ロックアックスコースというと、食前酒、前菜、パンから始まりフロマージュにデザート、そして食後酒で締めくくるあの質量感たっぷりのディナーコースではないだろうか?まさかコボルト・コースなどを頼むはずはないだろうとは思っていたが、懐かしいマチルダの食事を食べられるとあってマイクロトフの機嫌はかなり上向きになった。なにしろマチルダコースをディナーで食べようとすると長時間とる。しかも普段の食事の数倍も値段が張るとあって、何かきっかけがないと手が出ないのが現状だ。夏ばて気味のカミューにも丁度いいなと踏んだマイクロトフは、間髪入れず快諾した。 「分かりました。お受けいたしましょう!カミューも一緒に来るんだぞ」 「………私はもっとあっさりしたものが食べたいんだがなぁ」 ぼやくようなカミューの呟きを耳に入れなかった振りをして、早速マイクロトフはウェイトレスにディナーの申し込みをしに踵を向けた。 ウェイトレスに頼んで壁側にしつらえてもらったテーブルで、奇妙な晩餐が始まった。 「レディと同席されるときは壁側の席を勧められてください」 「はーい」 現実に即したようにということでシーナを中央側に騎士二人が壁側に座る。メンバーもともかく、燭台や銀食器がセットされたテーブルは広いレストラン中で注目をあつめていた。 少年のリクエストでカシス酒とスパークリングワインを割ったキールを食前酒に頼み、テーブルに用意されたパンを食べる。 「本当はパンを食べていいタイミングも厳密に言うとサラダを食べ終わるまでと決まっているのですが、普段ディナーで食べるようなときは気にしなくても構わないと思います」 「うん…わっ!美味そうじゃん!!」 あまり間を置かずに出された前菜は、魚貝類をメインにした一皿だった。 白く広い皿の中央に切れ目の入れられたメロンの上にスモークサーモンがかけられ、そのメロンに尾をかけるような形で小ぶりの手長海老が三尾手前に向かって扇状に飾られている。左右のスペースには緑野菜と蕾状に整えられた白身魚の薄切り、奥にはカクテルソースに和えられた海老が配置されて、それを囲むように皿のふちにソースで模様が描かれていた。 「マチルダの人っていつもこんないいもん食べてるんだ」 「まさか。いつもはもっと簡素にパンとスープ、それにメインデッシュくらいです。パンもこんなに質の良いものはめったに食べませんしね」 「ここで出されるマチルダコースは晩餐会に出されるような正式なものです」 「へぇ、そうなんだ。食べなれてるからこんな綺麗に食べているのかと思ったよ」 あくまで優雅な二人の手つきを、シーナは感心したように眺めた。女性が夢見る理想のナイトを地で行く赤騎士団長はもちろんのこと、一見無骨そうに見える青騎士団長のマナーのよさに眼を奪われる。音を立てずに白い皿を走る銀の動きを自分も真似ようと、慎重な手つきで料理に挑む…が。 「シーナ殿、背筋が曲がってます」 「へ?」 「ナイフで料理を突き刺して移動させるのも感心できません。フォークを使ってください」 「それからナイフの使い方ですが…」 「マイクロトフさん厳しい〜」 次々と下される指導に絶句し、思わず悲鳴をあげる少年にカミューは笑みを漏らした。 「まだまだ序の口ですよ。」 「うひゃ〜」 「それよりもマイクロトフ、野菜に混じっているこのピンク色の粒は何だろう?」 「ピンクの粒?あぁ、これのことか…ピンクペッパーだな」 件の粒を掬い上げ、口に運んだマイクロトフはそうあっさり断言した。 「胡椒といっても、彩りにの用途でしか使用されることはないので、辛さはない。珍しいな、久しぶりに食べたぞ」 破顔するマイクロトフの顔を興味津々の表情でシーナは覗き込む。 「マイクロトフさんって料理に詳しいんだ」 「…料理自体は嫌いではありませんが、詳しくはないと思います」 「詳しくないとは言うが料理は得意だよな。マイクロトフの料理はとても美味なんですよ。本人の舌が肥えているせいかなまじな物を食べさせられるよりはと、最近ではあまり外食もしないで時間の空くときは、よく自分で料理を作ってくれるんです」 嬉しそうな顔でそう我がことのように自慢するカミューに、首をかしげたシーナは、 「じゃあさ…あ、ちょっとミンミンちゃん待ってくれる」 ウェイトレスを呼び止めると、次にサーブされたスープの器を指差した。 「これ、このスープの上の白いのが何か当ててみてよ」 「ポタージュの上の白ですか?」 足の高いグラスに入った南瓜のポタージュには白いクリーム状のものが中央に載せられており、真ん中には紫色の小花が飾ってある。 「生クリームにペースト状のジャガイモを混ぜたものでしょう。それからこの飾りの小花はマロウの花を乾燥させたものですね」 一口口にして静止したマイクロトフが淡々とそう答えると、 「その通りです。すごいですね、ハーブの花まで分かるなんて!」 トレイを抱えたウエイトレスは感心した声をあげた。 「葉とあまり変わらない香りがしたから分かったのです」 「でもマジで凄いよ、マイクロトフさん」 「…鍛えられましたから」 「確かに。あの時は確かに鍛えられたな」 何かを思い出したように複雑な顔をする赤騎士団長に、黙り込む青騎士団長。そんな二人の様子に好奇心の塊は黙ってはいない。 「なに?なに?何があったのさ、マイクロトフさん?」 「………士官学校時代の話です」 身を乗り出して尋ねる少年に、青騎士団長は重たい口を開いた。 ■□ 「カミュー、ナイフの使い方がおかしいぞ」 「え?」 「ナイフは前後に動かしてはだめだ。手前にひくだけだ」 ロックアックス城内の通称・上級士官専用食堂。 別に幹部クラスの騎士の為の食堂と銘打ったわけではないが、上層階に位置するという立地条件から、自然そのように呼ばれ一般騎士はあまり足を運ぶことがない。ましてや士官学校の生徒が使用することなど皆無に近い。そんなわけで食堂の壁際のテーブルを陣取っている二人は衆人の注視を集めていた。 「……面倒くさいね。ナイフとフォークから使えだの、一口で食べられる大きさできれだの…。そんなの食べやすいように食べればいいじゃないか」 マチルダの正騎士となることを目指して少年達が集う士官学校で教えられるものはなにも、剣術だけではない。一般の学校で習うような語学からはじまり、歴史学、地理学、自然科学…多岐の分野にわたる科目の履修が義務づけられている。その中でも異色な科目「作法」という科目では、文字通り騎士として身に付けておかねばならないさまざまな作法について指導される。その作法の授業の最終試験としてテーブルマナーの実技が実施されると聞いたカミューは、親友のマイクロトフをこの食堂に誘ったのだったのだ。 曰く、『グラスランド生まれの自分は正式なテーブルマナーになれていないから』とのことだが、確かに改善の余地があるかもしれないとマイクロトフに思わせる所作である。 指摘されたとおり、不承不承肉を切リ方を変えるが、度重なる指摘にうんざりとしたようにカミューは琥珀色の瞳に苛立ちを浮かべていた。 普段は辛抱強い彼がこういう風に、苛立ちを顕わにすることは滅多とないことだ。いつもは耳に快い少し高いアルトも、心なしか笹刳れたった感もある。珍しい年上の友人の不機嫌に、どう対応しようかとマイクロトフは思案する。しかし彼が口を開く前に、背後から暢気そうな声が降ってきた。 「それは食事の時間を拷問にするために昔のやつが作った決まりだからさ」 「アレフリィード殿!!」 「よ、いいもん食ってんじゃねーか。ガキどもが食べて許されるもんとはおもえんな、もったいなすぎる」 頭に両腕をかけ覗き込んでくる年上の悪友に、カミューはうっとおしそうに頭を振った。 「何の御用ですか」 「何の御用とはご挨拶だな。レストランには食事をしに来る位しか用はないだろう。もっとも今日は他の楽しみもありそうだけどな」 「食事にこられたのならばあちらのテーブルにどうぞ。それに一般士官用の食堂の方が安くつきますよ」 「ほー…俺に指図するとは良い度胸じゃねぇか」 「指図だなんてとんでもない。一つの選択肢としてご提示しただけですよ」 年上の友人と、その彼の悪友だという赤騎士の皮肉と軽口のエッセンスをたっぷりと塗したやりとり。 毎度なじみのそれに確かに慣れてはきた。 慣れてはきたのだが、相変わらずまったくもって制止の仕方がわからないマイクロトフである。 「アレフリィード殿…お連れの方はどうされたのですか?」 恐る恐るそう尋ねるが、しらんの一言で片付けられる。 「その辺で食べてるだろう。いちいち申し合わせて一緒に食べようなんて言っているわけではないからな、ガキじゃあるまいし」 「そうですね、口煩い男と食事時まで一緒にして煩わされたらたまりませんものね。賢明なご判断でしょう」 「口煩い男って誰のことだ、それ?」 「おや、自覚がないと仰る」 それでなくとも注目を集めているという自覚があるのに、こんなところであたり憚らず口喧嘩をされたら突き刺さる視線が痛い。 「とりあえず…お座りになりませんか、アレフリィード殿」 呆れたようなカミューの視線を感じながらも椅子を勧めると、男は遠慮会釈なくさっさと席についた。 「で、なんだってお前らこんなとこで、こんなくそ高いもん食ってんだ?」 「作法の授業の最終試験がテーブルマナーなのです。カミューが確実に及第する為に練習した方がいいといったので…」 「ふーん、そりゃまたまぁ面倒くさいことを。優等生は大変だな、試験対策でこんなくそ高いもの頼まにゃならんとはな。…そうだ、その金俺が払ってやろうか?」 「は?」 「へ?」 思ってもみない言葉に、手が止まり二人してまぬけな声をだす。カミューの皿から付け合せのポテトフライを失敬した男は、 「もちろんただでとは言わねぇぞ。賭けに勝ったらだ」 どうだ、と人を喰ったような笑みを浮かべた。 「賭けとはなんですか?」 「食材を当てる」 当てるとはどういうことだろうか。意味が掴めず困惑する二人に、 「だから、今から食べる食事の食材。料理五品のなかで俺の指定するものの食材を三つ当てるだけだ、簡単だろうが。ついでにワインの銘柄を当てるのも含めて九品にしてやってもいいぜ」 「はぁ………。で、もし……負けたら?」 「なんだ始める前から負ける気なのか?」 「いえ、そういうわけではありませんが…」 何を要求されるか分からぬ相手が恐ろしいなどと本人を前にして言えないマイクロトフだ。言葉を濁す彼に、 「参考にです」 カミューが助け舟を出すと 「知らない方がいいんじゃねぇのか?負けたときのこと考えたらプレッシャーになるぜ」 人の悪そうな獰猛な笑みを浮かべる。 「…で、やるのかやらないのか?」 確かにアレフリィードが何を要求するかなど想像力も拒否する恐ろしさだ。だが懐具合のお寒い十代にとって高級ディナーが負担なのは確かなのである。虎穴に入らずば虎子を得ず。男ならここはやるしかない! 「……やります!」 一瞬の躊躇の後マイクロトフがそう告げると、男は満足そうに笑みを浮かべた。ボーイを呼び寄せ、何事か囁くと程なくして華奢なグラスが三人分運ばれてくる。デキャンタで冷やされた淡い琥珀の白葡萄酒が注がれると、 「じゃあまずこの食前酒からだな」 と男は賭けの開始を告げた。恐る恐るグラスを手にし、まず香りを確かめる。甘い葡萄の芳醇な香りはどこかでかいだことのある香りだ。一口口に含むとひんやりとした喉越しの良い癖のない味が口に広がる。 「……トラン産のミュスカ?」 「はずれ。正解はエルフの村産のミュスディガだ」 トランのミュスカはエルフの村のミュスディガの原産となる葡萄を品種改良して、少し甘味を強くしたものである。もともと生産量が少ない上にエルフの村は先の門の紋章戦争の際に壊滅され、ミュスディガは幻の酒と言われているのに対し、大衆用として大量に出回っているミュスカはミュスディガと味はさほど変わらない。よほどのワイン通でもなければ両者を飲み当てることはできないとも言われるそのワインを持ってくるあたり男の性格の悪さが存分に窺える。 「ミュスディガって…」 そんなの飲んだこともない…と呆然と呟く。なにしろ超高級ワインなのだ。そんなもの一般騎士はおろか、一士官学生などが口にしたことがあるわけがない。 「またマイナーなものを…」 顔を顰めて呟くカミューに被さるように、 「まずは、0勝一敗だな」 人を喰ったような青年の、楽しそうな声がテーブルに響いた。 ■□ 「で、結局その賭けはどうなったのさ?」 所変わって酒場である。 食後のプチチョコレートケーキと数種のすぐりシャーベットのデザート、さらに食後酒のデザートワインまで堪能した三人は、お礼におごるからというシーナに引きずられるようにして、酒場にきていた。 未成年の癖に、堂にいった飲み方でグラスを傾けるシーナに、マイクロトフは難しい顔をして首をかしげる。 「……それが………覚えていないのです」 「…何それ?」 「デザートの前で二勝五敗だったのは覚えているのですが、それからの記憶はさっぱりで…。次の日眼を覚ましたらカミューは怒っているし、アレフ殿に尋ねても答えていただけなくて…」 結局あの賭けはどうなったんだ、と都合何度目になるか分からぬ問いを繰り返す男に、 「賭けには勝ったよ」 と、赤騎士団長はそっけなく答えた。 「なんだ勝ったのか。俺は勝負に負けたから怒って教えてくれないのかと思ったぞ。じゃあ…」 「なんでカミューさんは怒ってたんだよ?」 言葉尻を奪って少年が問い掛ける。 「なんで…なんで…ね」 「カミュー…?」 口元には笑みを浮かべながらも、目付きと口調は限りなく剣呑なものに変化している恋人の様子にマイクロトフは不安を覚えた。普段は温厚で一見すると優男に見えるカミューが、その実右手に宿している烈火の紋章よりも激しい気性の持ち主だということを幸か不幸かマイクロトフはよく知っている。いや、身体に叩き込まれている。 「知りたいかいマイクロトフ?」 「あ、あぁ….」 嫌な予感がしつつも恐る恐る頷くと、 「ならば飲め!」 ダンッ!!と激しい音を立ててカミューは酒瓶を目の前に突き出した。 「なんッ…どうしたんだカミューッ!!」 「…………飲むのか飲まないのか?」 据わりきった眼がとてつもなく恐ろしいが、その口調に幾分酔いが感じられることにマイクロトフは気がついた。よくよく見れば目許も淡い朱色に染まり、かなり酔っていることが分かる。 「分かった分かった…分かったから…。カミューお前は飲みすぎだ、代わりに俺が飲むからこれくらいにしておけ。それ以上飲むとつぶれるぞ」 手を挙げて降参の姿勢を示すと、 「これが酔わずに話せることかっ!」 カミューはやめるどころか、勢いをつけて酒を注ぐとグラスを一気に空にした。 「すっげーカミューさん、良い飲みっぷり〜」 こちらもグラスを重ねいい具合にできあがっているシーナが無責任に声援を送る。 大体にしてディナーだけでも食前酒、ワイン白赤二本、食後酒と種類を交えて空け、それから酒場で常にない勢いで酒を飲みつづけているのだ。これで酔うなという方が無理なのである。 「わかった、わかったからカミュー!謝る、謝らせてくれ俺が悪かったっ!!」 とりあえずここは謝るでも何でもしてカミューの機嫌をなだめるしかないと思ったマイクロトフは必死で頭を下げる。 「…お前何で謝っているのか、知って謝っているのかい?」 「いや…そのすまん。知らない…んだ…が……」 「そうか、なぜ謝らなければならないか知らないで謝るのも気分が悪いだろう?知りたいよな、その訳?」 「あ、いや、…その、聞きたいような…聞きたくないような…」 ここまでカミューを不機嫌にさせた自分の言動とは一体何か知りたいような気もするが、正直恐ろしくて聞けないのも確かである。 だがそんな反応もすっかり出来上がったカミューは意にも介さない。 「ならば教えてやろう、お前はな、酔った勢いで。こともあろうにアレフの馬鹿の前で。私にキスしてくれたんだぞっ!!!」 怒りを押し殺したような言葉はしかし最後の方はかなりの声量になっていた。酔っているとはいえ良く透る声質のカミューの声は酒場中に響き渡り、その瞬間辺りの喧騒はぴたりと止まり酒場中の眼という眼が三人のテーブルに向けられる。 怖いもの見たさなのか、何なのか。恐る恐るマイクロトフが見渡すと、大半は興味津々という好奇心に満ちた視線だったが、中にはカミューに心酔し切っている赤騎士団員の氷柱もかくやと思わせる凍えきった視線もあり、本気で命の心配をしてしまう。 闇討ちは……騎士だからしないだろうが、ひっきりなしに決闘を申し込まれるのは嫌かもしれん…。 そんなマイクロトフの想像と、周囲の沈黙を破ったのはシーナのあっけらかんとした言葉だった。 「え〜いいじゃんちゅーくらい。酔ってたらノープロブレムでしょお〜」 その言葉に、酔っ払いの戯言かと酒場は再び活気を取り戻し、カミューは不本意そうな声をあげた。 「ほう…シーナ殿、それではこの男の唇が欲しいと言われるのですね」 「や、やだなぁカミューさん、オレどっちかってーとカワイコちゃんの唇の方が好きだもん」 慌てたように手を振るシーナに、当然だろうと頷いたカミューは再び爆弾を投下した。 「心配なさらずとも頼まれてもあげませんよ、コレは私のものですから」 「はい〜?」 何を言われたのか理解できません、といった風に首をかしげる少年に、否定の言葉を吐こうとするが、首に腕に巻きつけられもたれかかられた時点でもはやもう何の言い訳もできないことを悟ってしまう。 「あぁ、つまりマイクロトフさんの唇ってカミューさんのものなんだ〜」 ぽんと手を打ち、知らなかったよ〜感心する酔っ払いに、そうですよ、とこちらもすっかり怒りを爆発させてすっきりした酔っぱらいがニコニコと頷く。へらへらと能天気そうな笑みを浮かべるのは、酔ったときのカミューの癖だ。 コレ明日になったらカミューから「何で止めなかった!!」と怒られるんだよな、と酔いがすっかり覚めてしまったマイクロトフは深く溜息をつく。 たまに。本当に何年に一度かカミューは酔った時に羽目をはずし、後になって猛烈に落ち込むのだ。せめて自分が取れる最善策は、これ以上カミューに言葉を重ねさせないことだろう。 「シーナ殿、今日はありがとうございましたっ!!ではっ!」 飲み足りない、と駄々をこねる恋人を引きずるように立たせ、きちんと礼をして立ち去るマイクロトフに、 「あれ、でもカミューさんもマイクロトフさんも男だよなぁ…??」 一人残されたシーナはおかしいなぁと首を傾げた。 「カミュー、ちゃんと歩け」 宵も深まり薄暗い通路にはもう人影もない。ふらつく足どりのカミューに肩を貸したマイクロトフは、幾分涼しくなった夜風に大きく息をついた。 「んー……面倒くさい…」 「そんなこと言うと抱いていくぞ」 「ん〜よろしく〜」 普段なら口にするのも躊躇われる提案を、二つ返事で受け入れ、凭れ掛かってきたカミューに、救い様もなく酔いつぶれていることが改めて実感する。 「お前明日になって文句いうなよ。お前が言い出したんだからな」 「言わない、言わないよ…」 絶対嘘だと確信しながらも、滅多とない甘えてくるカミューを抱き上げる。 細身だが騎士を務めている男であるカミューはそれなりに筋肉がついていて力が要る。途中驚いたように目を見張る夜警の兵士に口止めをして、部屋のある棟に連なる通路まできた所でさすがのマイクロトフも息切れを覚えた。窓際にもたれ一息つくと、腕の中で気持ちよさそうに眼を閉じているカミューに苦笑する。ふと気にかかっていた疑問が胸に浮かび、なぁ、と声を掛ける。寝ているのかと思ったカミューは微かに眼を開けて、ん…と返した。 「お前あの時オレがキスしたのそんなに嫌だったのか」 「ん…あぁ…あれね。……あのせいで私はさんざんアレフ殿からからかわれたんだぞ…。大変だったんだからな…」 眠そうな声で答えられ、苦笑する。確かにあの男に見られたら何を言われるかわからない。さぞかしカミューがひどい目にあっただろう事は容易に想像がついく。 「……すまん」 「別にキス自体は嫌じゃなかったよ、からかわれたのが嫌だっただけで。…お前のキスは好きだ……いい気持ちになれる」 眼を閉じたまま穏やかな笑みを浮かべてそんなことをいう唇に誘われたような気がして。 「精神安定剤かオレのキスは?」 優しく唇を重ねた後で、照れ隠しのようにそう呟く。 「んー…どちかっていうと睡眠導入剤かな。お前のキスがあると気持ちよく眠れるんだ…これが…」 そう呟いたきり、穏やかな寝息を立ててすっかり寝入ってしまったカミューにマイクロトフは笑みを浮かべた。 翌日。 眼が覚めて、二日酔いとともに昨夜の醜態を思い出したカミューに、予測どおりマイクロトフはさんざん八つ当たりされしばらく口も利いてもらえなかった。その上二人の仲がしっかりばれたシーナにマイクロトフは散々からかわれることになるが、それくらいカミューさまの唇を奪った不届き者には当然のことだ、と赤騎士団員達が聞いたら口をそろえて言うことに間違いはなかった。
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