天敵
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最近カミューが冷たい。 今まで一緒に食べていた食事も、ちょっと…、と言ってどこかへいってしまったり、休みの日も部屋に篭りっきりになっていたり(もちろん部屋から締め出される)、あまつさえ夜もベッドから追い出されることもある。 それもこれもあいつが来てからだ。 二人だけの生活にいきなり乱入してきた敵を思い出して、彼はいらいらと歯噛みした。 あいつがやってきてからというもの、カミューはそちらに気を取られることが多くなっている。 今まで一緒に過ごしていた数少ない時間が、覿面にあの敵の出現によって減少しているのだ。 そんな訳で彼は最近機嫌が悪いのだった。 休日が重なった日の昼下がりは、二人が青、赤両騎士団長からただの恋人同士に戻ることができる、大切な時間だ。 「こら、マイクロトフ。そんなことしたら本が読めなくなる…」 久しぶりのその大事な時間を、十分に活用する気満々のマイクロトフは、読書をしているカミューの髪に顔を寄せ、嫌がらないことを良いことにゆっくりとその唇を堪能した。 甘い紅茶の香りに負けないくらい、甘ったるい空気が二人の間に流れる。 しかし、不意に強い視線を感じ、マイクロトフは振り向いた。 「なんだかお前の犬、眼つきが怖くないか…?」 視線の先、ベッドの上に寝そべっているのはカミューの愛犬、ミクロトフ。眼が合った両者だが、強い視線に睨まれているように感じたマイクロトフは、恐る恐る飼い主に伺いを立てた。 その言葉にくるりと振り向いたカミューを見て、ミクロトフは瞬時におすわりの体勢を取り、盛大に尻尾を振り始める。 「そうかい?可愛いじゃないか。ほらこんなに尻尾を振って」 愛犬の可愛い仕草に満面の笑みになったカミューは、骨をあげるからな、と言いながら引出しの中を探しはじめる。 気のせいだよな。 そう首を傾げながら、マイクロトフが犬に向き直ると、その瞬間尻尾をぴたりと止めて冷ややかな瞳でマイクロトフを睨み上げた。 気、気のせいではないような気がする… はげしくにらまれてないか自分……? 何かきらわれるようなことをしたか、そう自問しながら、撫でてやろうと手を伸ばす。が、その瞬間。 「カミュー!こいつ俺の手を噛んだぞっ!!」 かぷり。 そう効果音をつけたいような勢いで、ミクロトフがマイクロトフの手の甲に歯を立てた。 「ミクロトフ!?どこを噛んだんだ?」 驚いて駆け寄るカミューに、マイクロトフは手を差し出す。親指の付け根の辺りに小さく、噛み跡が残っている。血は出ていないが、見事に穴があいていた。 「駄目だろう、ミクロトフ。噛むのは駄目だ」 鼻面をつかんで、鼻先をピンと指ではじきながら、低い声でカミューがそう諭すと、ヒューンともキューンともつかない哀れな声で、ミクロトフは鳴き始めた。 「多分いきなり手が眼の前に来たから、ミクロトフもびっくりしたんだろう。マイクロトフも撫でる前には一声かけてやってくれ。いきなり触るとびっくりするからね。」 そんなかわいいたまだろうか。 よしよしと抱き上げるカミューの腕の中で、もう鳴きやんだ子犬に、ふとそんな考えがよぎる。 「傷も浅かったし、許してやってくれないかい」 そう尋ねるカミューの頬を舐めながら、ちろっとこちらに向けるちび犬の視線は激しく優越感に満ちたものだった。(と、少なくともマイクロトフの眼にはそう映った) その見下ろすような視線に、やはりこいつには悪意がある。そう確信したマイクロトフは、だが飼い主カミューの機嫌を損ねないように、恐る恐る尋ねてみた。 「…やっぱりこの犬、俺のことを嫌ってないか?」 「それはうちに引き取られてから一ヶ月くらいお前が留守してたから、まだ知らない人という感覚が強いんだよ」 「知らない人…か…」 そのわりには同じ時期だけ留守をしていたマイクロトフの従騎士には、よく懐いているように見えるのだが。少なくともいきなり噛んだりはしない程度には。そういえば自分以外の人間には、この犬は結構愛想を振りまいているように思える。 なぜ俺だけに懐かないのだ。 別にこの生意気なちび犬に好かれなくて傷心するというわけではないが、自分だけ嫌われているというのは癪に障る。否、嫌われるのは別に良いのだ。もっと腹が立つのは馬鹿にされているように感じることである。 ここはどちらが偉いのか、はっきり教え込む必要があるな。 動物相手、最初に舐められたら負けだということをマイクロトフは本能で知っていた。 「ほら、こい、ミクロトフ」 抱き手が変わるのを嫌がって激しく抗ったところで、所詮、手のひらに少しあまる程度の小型犬。ちょっとやそっとの抵抗などものでもない。 「ぜんぜん知らない人じゃないだろう。もう何回も会ってるじゃないか。怖くないだろう」 さりげなくカミューに背を向けながら、見下ろす形の至近距離で視線を合わせると、その言葉とは裏腹の強い視線に怯えたのだろうか。すぐに視線を泳がせ始める。ちらりと確認すると、尻尾は完全に後足の間に挟まっており、マイクロトフは己の勝利を確信した。 本当はここで口を噛むと効果的って聞くけどな… 飼い主の手前そういうわけにもいかないだろう。まぁこれくらいにするか、と考えていた彼は、ふと足元のブーツに微かな違和感を感じる。 ブーツのつま先にある小さな水溜り。よく見ると臍の辺り布地も色が変わっているようだった。 「まさか、こいつ、おしっ……」 げしっ!げしっ! 言いかけたマイクロトフの額に衝撃が走る。足元を見下ろすために抱き上げられたミクロトフが、ちょうど真正面にあるマイクロトフの頭に、思いっきり後ろ足で蹴りを入れまくったのだ。 肉球のところならまだしも、角度が悪かったのか、爪で抉るように引っかかれる。しかもその足は微妙にぬれているのだ。 たまらず犬をベッドに放り出すと、ミクロトフはギャンッ!!と派手な悲鳴をあげた。 「ミクロトフッ!」 愛犬の悲鳴に驚いて駆け寄ったカミューは、子犬を抱き上げると胸にぎゅっと抱きしめた。 「大丈夫かい、怖かったねぇ…」 きゅんきゅん鳴く子犬を宥めながら、きっ、と睨みつけてきたその視線の鋭さに、マイクロトフはたじたじとなった。 「ちょっと待て…」 確かにマイクロトフが子犬をベッドに放り出したのは事実である。 だが断じて荷物を放り出すように乱雑な投げ方ではなかったし、今まで何度もこの犬がもっと高い椅子の上や、ローテーブルから床に飛び降りるのを見たことがあるのだ。ふかふかのベッドへ優しく投げ出してやる衝撃など、それに比べればなんてことは無い筈なのだ。 だから絶対絶対絶対こいつの悲鳴はわざとだ。 ……そう力説してもカミューは納得しないだろう。 大体にしてカミューは身内に甘い傾向にある。いつもはその恩恵に預かるのはマイクロトフだが、同じ身内の立場のミクロトフと比べたら不利な立場にあった。何せあちらの方が小さくて弱い生き物だ。そしてなによりカミューの保護下にある。 ここで下手に己を弁解をしても逆効果だとマイクロトフはわかっていた。 どんなに正論でも保護下の者を傷つけられたと思っているカミューは、加害者のこちらの味方などしない。かえって心証が悪くなるだけだ。 だが、おしっこを引っ掛けられ、汚れた足で額を蹴り上げられて、どちらかというとこちらが被害者ではないだろうか。それでも… 「……俺が悪いのか?」 顔を引きつらせながら足元を指差すマイクロトフに、カミューは無言で頷いた。 「当然だね」 冷たい眼で断言するカミューの胸元では、さっきまでの小憎たらしい表情に戻った子犬が、優越感に満ちた眼でこちらを見上げてる。 その時点でマイクロトフのその日の欲望に塗れた予定は、灰燼に帰した。 マイクロトフとミクロトフ。 趣味の似通った両者の熾烈な階級争いは、もうしばらく続きそうだった。 |
tennteki
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LYRIC BY AYA MASHIRO/20030130/Fin
Blue & Red * Simplism