晩夏も夕刻過ぎればうだるような暑さが少しは和らぐ。
湖を渡る風を受け、カミューは高詰襟に指を掛けると喉元を寛げた。
「……暑い」
息抜きにと称し抜け出でてきた湖の辺に立てども、少々気温が下がった程度ではこの暑さに太刀打ちできない。
水面に映る自分の顔は、我ながら嫌になるほど生気を失った表情だ。死んだ魚のように見えると自嘲するが、周囲に言わせると独り涼しげで暑さを感じさせないものらしい。
どの面を見てそう評するのか、問いただしてみたい気もするが、それだけの気力もないというのが実情だ。
大体にしてこの騎士団長服が暑いのだ。
真面目に団服を纏っている平騎士の士気を低下させぬため、と相方が諭す団服着用は、しかしこの猛暑では忍耐の限界を試す拷問具にしか感じられない。
いっそのこと平騎士も私服着用を認めれば問題あるまい、そう提案したのだが、秩序と伝統を重んじる青騎士団長以下両副長に却下され、およそその案が通ることは望めない。
『一般兵士及び傭兵との見分けがつかなくなるのは困る』との青騎士団副長の意見は、一聞もっとものようにも聞こえるが、お揃いのリボンでも頭につけていれば、見分けがつかない云々の問題はないだろう。そこまで考えた彼は、頭で思い描いたその情景のシュールさに、一瞬思考を放棄する。
暑さにあかせ益体のない空想に思考を委ねていたカミューは、前方の桟橋にいる人影に気がつくのが遅れた。
「おお、カミューじゃないか」
「タイ・ホー殿…良い物をお持ちですね」
「さすがに目ざといな。一杯やってくか?」
苦笑して掲げて見せる一升瓶の束に、躊躇なくカミューは頷く。
湖の水で冷やしていたのであろう瓶の表面は汗ばみ、ぽたぽたと水が滴り落ちている。その様子は、ただ見ているだけでも涼をとれる。
いわんや中身の冷酒をや、といったところである。
「一杯と言わず、何杯でもお付き合いしますよ」
顔に似合わぬ図々しい物言いは、酒場で親しく酒を飲み交わす間柄ならではのもの。
気にした様子もなく豪快に笑ったタイ・ホーは、そこまで酒が残るかな、と独りごちる。
「どういうことですか?」
「いや、なに、他の面子に飲み尽くされそうでな。これだけあっても何杯飲めるか…」
五指を余るか余らぬかといった数の一升瓶を眺め、あながち冗談でもなく呟く様子に他の面子を尋ね、そのメンバーにカミューも納得した。
酒場でよく見かける酒豪の面々では、ちょっとやそっとの酒の量ではたりないだろう。
「ということで本気で飲む気なら、自分の分を確保してきてくれ」
「了解しました」
酒盛りの場所を聞くと、さっさとカミューは踵を返す。
来たときのどうしようもなく停滞した気分とは打って変わり、久しぶりに浮き立つ気分になった彼は、さてどんな酒を持ってくるか、と算段し始めた。



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カミューがタイ・ホーの暮らす湖に面した小屋へ足を向けたときには、もう他の面々は集まっていた。 いつもは魚釣りの客でにぎわう小屋の前の桟橋の板場には、酒瓶やつまみの入った木皿が並べられ、車座になった男達が思い思いに酒を飲んでいる。空瓶の様子からすると宴は始まったばかりという風情だ。
「おお、きたな」
「先に始めてるぜ」
声をかけてくるビクトールやシロウのよこで、ハンフリーが無言で杯を掲げ挨拶をする。
「皆さん、お早い集合で」
まだ定時を半刻過ぎた程度。
軍師が仮に定めた執務時間の定時など実際にはあってなきが如しだが、夜半遅くまで仕事をしているシュウの眼に留まれば、立腹し悪態や嫌味の一つ二つは吐かれかねない怠慢振りである。
「こう暑いと、こう椅子に座って書類に向かう気にもならんでな」
ぼやくキバ将軍の横で、
「こっちも商売があがったりだ」
暑いとどうにも客が少なくていけねぇ、とリッチモンドが肩を竦める。
「そういうカミューさんこそさっさと騎士服脱いでるじゃねぇか」
つまみにとカミューがレストランに頼んできた枝豆を受け取りながら指摘するアマダに、カミューはにっこりと微笑んだ。
「当たり前です、定時も過ぎてあんなくそ暑いものきてられますか」
「服装の乱れは気の乱れじゃなかったのか?」
その言葉を聞きつけたビクトールが、揶揄するように野次を飛ばす。
「…という意見もあるようですが、どう思われますかキバ将軍?」
「……時と場合によりけり、と言うしかないだろうな。今日のわしの格好では」
珍しくも軽装なキバは、突然振られた話題に苦笑する。
「だそうですよ、ビクトール殿。そんな堅物はマイクロトフだけで十分です」
きっぱりと言いきるその言葉に、するめを咥えたシロウは、
「でもよう、騎士さんたちってーのはアレだね、このくそ暑い時期に揃いも揃ってあんな暑げな長袖着てよ。真面目ってーか、堅物ってーのか…ある意味視覚の暴力だぜ。眼の前にんな格好で並ばれた日にゃ」
呆れたように肩を竦める。その横でうんうんと頷いたビクトールが、
「確かに視覚の暴力だぜ、…暑苦しい団長服が揃って並ばれた日にはな」
思わせぶりな口調で、にやにや笑って見せた。
「そういう傭兵のあんちゃん達だって、いい加減暑苦しいぜ」
暗にマイクロトフとの仲を揶揄するその言葉を、奇麗に無視したカミューの代わりに、その意図に気が付かなかったシロウが軽口を叩く。
「おお?俺のこの服のどこが暑苦しーってんだ?傭兵仲間じゃフリックくらいなもんぞ、この暑さで長袖着てるのなんか」
「確かに暑いとはいえねえけどよ…」
「…お前の格好じゃ、別の意味で視覚の暴力だぜ」
一人輪から離れたところで七輪に火を熾していたタイ・ホーの突っ込みに、どっと笑いが怒る。
るせー、とぼやくビクトールの今日の格好は、確かに妙齢の女性が見たら水でも掛けられかねない露出度の高さだ。
「でもまぁ確かにあの暑い服を真面目に着用しようと言い出すんですから、堅物通り越してもはや変人ですよ」
「騎士のあるべき姿、武人の鏡と言いたいところだが…しかし暑いものは暑いからなぁ…。わしも息子が煩くなければ、少しは涼しい格好をしたい気もするのだがな」
「私も相方さえ煩く言わなければ、私服で過ごしたいところです」
「別になぁ…注意されるのも口うるさく言われるのも嫌じゃない…嫌じゃないのだが…」
「時々悲しくなるんですよね」
「そう、その通りだ!」
溜息をつきあい、酒を酌み交わす将軍と赤騎士団長は、そこだけ湿った空気を背負っている。
「…嫌な感じに意気投合してねぇか、そこ?」
「誰だよ、あの二人くっつけたのは」
ひそひそと、だが聞こえばせに会話する周囲に、
「いいですよね、煩い輩が周りにいない人は」
と、カミューは肩をすくめて見せた。
「おお?俺の相棒だって十分口煩いぜ」
「フリック殿は半分諦めてますよ、貴方に関しては」
意地の悪い笑みと共に吐かれた言葉に、反論すべく口を開きかけたビクトールだったが、
「諦めてもらえるならいいさ、ヤム・クーなん最近は実力行使に出てきたぞ。没収と称して酒をかってに飲まれてかなわん…」
実感のこもったタイ・ホーの溜息混じりの言葉に、口をつぐむ。
「たまには煩いのから離れて息抜きをしないと窒息しますって」
「確かに」
「…文句を言われず酒を飲んで」
「涼しい格好をして」
「…うだうだと愚痴を言い合う」
「たまには息抜きがいいんだよな」
「そうたまにはな」
「毎日息抜きしてる奴もいるけどな」
何故か酒場であの辺の顔を毎日見るんだよな、そう空呆けたようにアマダが独りごちる。
「そう言ってる本人が一番酒場に入り浸ってるってことだよな」
と言うシロウの突っ込みに周囲はどっと湧いた。
「…だが、傍にいて口煩く言ってくれる存在と言うのはありがたいもんだぞ。いるのが当たり前になると、なかなか気がつかぬものだがな」
そうしみじみと呟くギルバードの言葉に、横でハンフリーが無言で同意を表す。
「おっ、さすが妻子持ち!言うことが違うな」
「羨ましいなら、お前もさっさと相手を見つけることだ」
もっともその格好じゃ、来てくれる者も逃げ出すだろうがな。
その言葉に便乗して飛ばされる野次に、宴も佳境になり、酒が程よく廻った男たちの空気も 弾んだものとなる。
やがて持ち寄った酒を互いに飲み比べるうちに、歌い出す者や踊りだすもの。
その喧騒にゆったりと身を任せ、ふと親友は今頃なにをしているだろうか、とカミューは思いを馳せた。
暑さが好きではない自分を慮ってか、最近静観してくれている男ともうどれ程一緒に飲んでいないだろう。
そろそろ一緒に飲みたいな、そう考えた所で二人で過ごす夜の安らいだ空気を思い出し、知らず笑みを浮かべる。
日も暮れれば湖の上を渡る風の中に、涼を感じる。
夏はもう終わりにさしかかっているようだった。




 

natu no yuugure

MODELED BY GENSOUSUIKODEN2
LYRIC BY AYA MASHIRO

20010906/Fin




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