『○月○日 記録者・第一隊長ローウェル
昨夜、初めてカミューと寝た』
その一節を見た途端、青騎士団長マイクロトフは手にした冊子を取り落とした。
愛しい青年を探してロックアックス城をうろついていた彼が最後に行き着いた赤騎士団の会議室。その机の上にぽつんと置き去りにされていた冊子に気づき、おそらく騎士団における日誌か何かだろうと手に取った。
あの注意深いカミューにしては珍しいこともあるものだと何気なくパラパラとページを捲ったところ、ふと目に止まった一文が恐るべき文言であったのだ。
彼はよろめきながら必死に自制に努めた。
────見間違いに違いない。
何しろ自分は常日頃『もっと落ち着け』『思い込みで突っ走るな』とカミューから散々注意を促されているのだ。
心を静めて、過ちを正そうとしたマイクロトフだったのだが。
────改めて読み始めたそこには、血も凍るような内容が並んでいた。
『○月○日 記録者・第二隊長アレン
初めて見たときから胸が疼いたものだったが、これほど可憐だとは思わなかった。いつも澄ましているだけに、夜の変貌ぶりは意外だ。甘えたように擦り寄ってこられると、抱き締めずにはいられない。カミュー……ああ、彼はわたしのものだv』
『○月○日 記録者・第五隊長グスター
恐れながらアレン隊長に申し上げます。昨夜、カミューはわたしのミルクを飲んでくれました。最初の頃は嫌そうに顔を背けていましたが、やっと心を許してくれたようです。彼は赤騎士団隊長一同の共有財産であり、束縛なさる発言は控えた方が宜しいかと思われます』
『○月○日 記録者・第四隊長ウォール
何と! わたしのは飲んでくれないぞ……これはいったいどういうことなのだ? 次に順番が回ってきたときには無理にでも試してみなければ!!』
『○月○日 記録者・第七隊長ランベルト
どうしたらよいのでしょう! カミューに舐めて貰いました!! 感動のあまり涙が出そうです。赤騎士団所属で良かった……。それからウォール隊長、彼はプライドが高いですから、無理強いは逆効果かと。気紛れですし、その気になれば自分から求めてくれますとも』
『○月○日 記録者・第三隊長エルガー
驚いた。夜、就寝しようとしたらカミューがベッドにいるではないか。普段からは想像もつかないあどけない寝顔で、そっと触れてみたら寝惚けた顔で笑いかけてくれた(ような気がする)。あまりに愛しくて、きつく抱き締めてしまったところ、不機嫌そうに部屋を出て行った。無念である』
────これは……これはいったい何なのだろう。
マイクロトフは真っ白になった頭で考えようと足掻いた。
赤騎士団の隊長たちによる日誌────それも、驚くべき内容の。
信じられない驚愕と、更には怖いもの見たさが相まって、よせばいいのに先を読み進めてしまう哀れな青騎士団長であった。
『○月○日 記録者・第六隊長シュルツ
皆さま、教えてください。カミューは一度もわたしに抱かれてくれません。わたしの何がいけないのでしょう。アミダで決めた順番が回ってきても、夜毎すっぽかされてしまうのです。かといって、昼間捕まえて問い質す訳にもいかず、悶々と日々を過ごしております。よきアドヴァイスを願います』
『○月○日 記録者・第十隊長エド
シュルツ殿、お気の毒です。実はわたしも彼に疎んじられているのです。最初に共寝をした際、寝相の悪いわたしはカミューの上に乗ったまま寝ていたようで、それ以来近寄ろうとしてくれません。ああ、粗忽者のわたしを許して欲しい……』
『○月○日 記録者・第九部隊長ロドリー
シュルツ殿は菜食好みでおられるようですが、彼はあれで結構肉の匂いに弱いようです。まるで某青騎士団長殿に引き寄せられるが如く……ですね。一度お試しください』
『○月○日 記録者・第六隊長シュルツ
ロドリー、感謝する!! 肉食はあまり好みではないが、カミューとの夜のためだ、この際ジンギスカンを詰め込んでみることにする。いや、持つべきものは仲間だ』
『○月○日 記録者・第二隊長アレン
カミューに関しては仲間などではない! 我らはライヴァルである!』
『○月○日 記録者・第七隊長ランベルト
アレン隊長、そうは申されてもアミダで順番を決めているわけですし、何より彼の意志を尊重せねばならないと思われますが』
『○月○日 記録者・第三隊長エルガー
ランベルトの言う通りかと。カミューが我らの愛によって、幸せに日々を送ることが第一です。それより気になるのは、ローウェル隊長が一度もカミューの相手を勤めておられぬことですな』
『○月○日 記録者・第二隊長アレン
先日は取り乱して申し訳なかった。確かにローウェル殿の件は気になる。以前、「あの琥珀色の瞳で見詰められると身体が竦んでしまって、とても抱けない」と仰っておられたが……意外に純なところもおありのようだ』
『○月○日 記録者・第四隊長ウォール
話を逸らせて申し訳ない! 昨夜、とうとうカミューが……! 嬉しそうに音を立てて舐めてくれたときには感動で胸が潰れそうだった。ああ……愛しいカミュー……わたしはもう、死んでも悔いはないぞ!』
『○月○日 記録者・第五隊長グスター
ウォール殿、死んではつとめが果たせませんぞ。その喜びを胸に、いっそう励みましょう!』
『○月○日 記録者・第六隊長シュルツ
ウォール殿、グスター殿の仰る通りです。わたしも早く皆様と感動を分かち合うべく、肉を食べ過ぎて胸焼け気味です』
『○月○日 記録者・第一隊長ローウェル
色々と心配をかけているようだが、どうもわたしはこうしたことに臆病なようだ。求めて振り払われたら……そう思うと、なかなか進み出すことができない。カミューは本当にわたしも受け入れてくれるだろうか?』
『○月○日 記録者・第九隊長ロドリー
これまでの経緯から見ますと、カミューは逞しい体躯の男ほど好んで身を任す傾向にあるようです。そこから推測致しますと、ローウェル隊長は拒絶されようはずがありません。昼間の凛とした姿からは想像し難い、無防備で奔放な夜の顔を、ご覧にならないのは惜しいことです。ただし、いきなり乱暴に扱われてはなりません。馴染めば幾らでも大胆に振舞ってくれるカミューですが、本質は繊細で誇り高いことをお忘れなく。ご健闘をお祈り致します』
『○月○日 記録者・第一隊長ローウェル
今宵、思い切って触れてみたところ、予想外に脆い感触に戸惑ってしまい、それ以上の行為に進めなかった』
『○月○日 記録者・第五隊長グスター
ローウェル隊長へ申し上げます。耳の後ろにキスなどすると、とても感じるようです。初めはソフトに、慣れてきたら多少乱暴に扱っても身体が柔らかいので受け入れてくれることでしょう』
『○月○日 記録者・第一隊長ローウェル
グスター、助言を感謝する。ここまで激励されて踏み出さぬは騎士の恥。本日、意を決して抱き締めてみた。本当に柔らかく腕に馴染んだ。どうして今日まで堪えていられたのか、不思議な程だ。指定の場所にくちづけてみると、確かに心地良かったのか、琥珀の目が潤んでいた。行くところまで行ってしまいたかったが、生憎副長に呼ばれてしまったので断念することになった。彼の寝顔はどれほど可憐だろうか……その日が来るのが待ち遠しい』
『○月○日 記録者・第二隊長アレン
おめでとうございます、ローウェル隊長! クジ運の強い貴君のことですし、次の機会はそう遠くはありますまい。カミューは背を撫でられるのも好みます。是非お試しを』
『○月○日 記録者・第六隊長シュルツ
今、羨望のあまり眩暈がしております、ローウェル隊長。肉の匂いを身体に染みつけたはいいが、わたしはアミダで外れっぱなしなのです。これ以上体重が増える前に、何とか宿願を果たしたいものです』
『○月○日 記録者・第一隊長ローウェル
昨夜、初めてカミューと寝た。素晴らしい体験だった。これ以上を語ることが出来ない。わたしは生涯この夜を忘れはしないだろう』
そこで記録は途切れていた。
マイクロトフは耳鳴りと眩暈に襲われながら、記述の意味を必死に吟味し、最後に苦悶のうめきを洩らした。
────何ということだろう────あのカミューが。
彼は赤騎士団の隊長たちに慰まれているのか。夜毎戯れのように選ばれた男から男へと身を任せているのか。
しかも、この記載から読み取れるのは、カミューが決して意志を問わず弄ばれているわけではなく、さながら小悪魔のように配下の男たちを手玉に取っているらしい、ということだ。
────信じられない。否、信じたくない。
彼の笑顔は自分だけのものではなかったのか。褥で慎ましく開かれる身体は、自分の愛撫では満たされなかったのだろうか。交わされる愛の言葉も、甘い視線も、自分ひとりに与えられるものではなかったのか────
そこではっと我に返った。
よもや、そのようなことがあろうはずもない。カミューが真実本心からこのような淫らな行為に身を投げるような人間でないことは、自分が一番良く知っているではないか。
何らかの事情があるのだ────さもなくば、隊長たちの歪曲された思い込みであるに違いない。
そうだ、日記や覚書というものは主観がすべてを支配する。片側からの言い分では偏った主張ばかりで、本当のことは伝わるものではない。
ならば、もう片側に確かめればいい。
そこまでは論理的に考えられたマイクロトフも、しかし行き詰まった。
────いったい、カミューをどう問い詰めればいいというのか。
赤騎士団の隊長たちと夜毎ベッドを共にしているのか。
おれにさえ滅多にしてくれない奉仕を進んでやっているのか。
何故、誰彼かまわず身を任すようなことになったのか……。
どれもこれも、とてもではないが口に出来そうにない。
マイクロトフは頭を掻き毟って苦悩した。
何時の間にか握り潰した冊子が心細げに震えている。
最後に思い出したのは、温厚で誠実な赤騎士団副長の顔だった。彼はこの日誌に記述を寄せていない。となれば、相談できるのは彼ひとりだ。まして、己の部下にあたる騎士隊長たちが総出で騎士団長を慰んでいるという由々しき事態を、厳粛に受け止め解決に尽力してくれるに違いない────
彼は即座に会議室を飛び出して、城内に設えられている副長の私室へとすっ飛んでいった。
幸いなことに、一日のつとめを終えて寛いでいた副長を捕まえることに成功し、半ば涙混じりに手にしていた冊子を突き出した。
「如何なさいました、マイクロトフ様……?」
「────これを」
あまりに興奮していて声にならない。必死の形相で差し出す冊子を、副長は怪訝そうに眉を寄せながらも無言で受け取り、ソファを勧めてから開き始めた。
「これが……会議室に……いったい……カミューは……」
脈絡のない詰問であった。ソファに腰を下ろして両膝を押さえ、ぜーぜーと息を整えているマイクロトフだが、目だけはギラギラと副長に向かっている。その必死の目に、ふとうっすらと笑む柔和な顔立ちが映った。
「……思い込みの激しい連中ですな……誰もが自らが一番と主張しているような────」
何処かのんびりした言葉にマイクロトフは目を剥いた。
「ラ…………ンド殿、そのような────」
「彼らは残念がるでしょうが、カミューが一番好いているのはわたしですぞ、マイクロトフ様」
────え。
「確かにアミダで順序は決めておりますが、大抵彼は連中のベッドを抜け出して、わたしのところへ戻って参ります。だいたい彼らは『程々』ということを知らない。夜通し弄くり回されて、あのカミューの気が休まる筈もなかろうに」
「ラ……ランド殿…………?」
信じられると思われた唯一の人物までが、企てに加担しているのか。いや、確かに騎士隊長たちとは一線を引いているようではあるが、この優越感に溢れた物言い、苦笑混じりの表情────誤算どころか、愕然とするばかりの衝撃であった。
「まあ、連中の気持ちも分からぬではありません。カミューは優雅で美しく、その上気紛れで可憐ですから。しかし、あの堅物のローウェルまでが陥落するとは……」
楽しげに笑い出した副長に、マイクロトフは青褪めて叫んだ。
「どういうことなのです! あなたは……カミューを愚弄するのですか!!!」
「────は?」
副長は激昂している相手に初めてまともに視線を合わせ、それからまじまじと見詰めた上で首を傾げた。
「愚弄…………とは?」
「あなた方は……カミューを……カミューを……」
とても言葉にならず、唇を噛み締めて両拳を震わせるマイクロトフ。そんな彼を呆気に取られて眺めていた副長が、ふと声の調子を変えた。
「おお、カミュー……どうした? 今夜はアレンのところではなかったのかね?」
ぎくりと振り向いたマイクロトフの目に飛び込んできたものは。
────仔猫だった。
金色がかった薄茶の毛、つぶらで聡明そうな琥珀色の瞳。
歩く姿も姿勢正しく、優雅さに溢れた小さな物体は、マイクロトフの足元まで歩み寄ると、如何にも見慣れぬ存在に不快を催したようにつんと澄まして細い尾で彼の足を打った。
それから全身をしならせ、軽やかにランドの膝の上に飛び乗ると、甘えた仕草で彼の手に顔を擦りつけて小さく鳴いた。
「よしよし、どうした? マイクロトフ様はお気に召さないか?」
────これぞ、猫撫で声。
普段から温和な男であるが、愛しげに細められた目許といい、猫を撫でる手の優しさといい、彼がこの小さな生き物に心底骨抜きにされているのを物語る光景である。マイクロトフは呆然としたまま、しばし仔猫をあやす副長を見詰めていた。
「ランド殿…………そ、それはいったい……」
「ああ、ご紹介致しましょう。カミューです」
「ええと、ええと……カミュー……って……猫、ですな……」
「無論、猫です」
「すると……この日誌は……」
「それは隊長たちが交代でつけている『カミュー育成日記』でしょう。わたしも目にするのは初めてでしたが」
つけるか────?
猫に自団長の名を。
「おれは……この日誌の『カミュー』が人間だとばかり……」
安堵以上に脱力した彼が正直に告げると、副長は珍しく厳しい口調で返した。
「何ゆえに左様な勘違いを……我らが赤騎士団長は『カミュー様』、そしてこの子は『カミュー』。間違われては心外ですぞ」
『様』だけで分けるか、との突っ込みは声にならない。
「ご覧下さい。この毛並みの色艶、瞳の色……我らがカミュー様を彷彿とさせる容姿。その上、どうやら性格も似ている様子で、凛々しく澄ましているかと思えば人懐こくも振舞う────可愛いでしょう?」
「は、はあ…………」
「数週間前に城内をうろついているのを見つけましてな、あまりにカミュー様に似た姿に放り出すに忍びず、世話をすることにしたのです。ただ、わたしだけでは手に余るので、部下にも声をかけたところ、もう……取り合いのような状態に陥りまして。皆に愛されて幸せだな、カミュー」
目尻を下げて抱き上げた仔猫にちゅっと唇を押し当てる副長の姿には、入り込めない何かがある。マイクロトフは引き攣った笑みを浮かべるばかりであった。
それより、自分が勘違いした方向から改めて日誌を読まれたら……と思うと生きた心地もしない。この忠実で、カミュー(人間)第一の男は、必ずやマイクロトフの勘違いを申告してしまうだろう。それがどんな暴風雨を引き起こすかは疎い彼にも予測可能である。
「ええと……その、ランド殿……で、できれば此度のことはカミューに内密に願いたいのだが……」
「それはわたしからもお願いせねばなりません、マイクロトフ様」
返ってきた言葉はマイクロトフには意外なものであったが、年嵩の赤騎士団副長は至極真剣であった────ただ、その指先が仔猫の喉元を撫でてじゃらして遊んでいるのを除けば。
流石に常識人で知られる人物だけあって、戯れにしても騎士団長の名を猫に与えたことを気にしているのかと思ったが、マイクロトフの認識は甘かった。
「城内にて猫の飼育は許されておりません。このことはくれぐれもカミュー様には御内密に……」
「わ、わかった」
代わりに自分の過ちが隠蔽されるなら安いものだ────と思いつつ、何故か釈然としない青騎士団長である。
ともあれ、愛する青年が性奴もどき扱いを受けていないことに安堵するべきなのだ。脱力しながら両足に力を込めて立ち上がるマイクロトフに、副長は温厚な笑顔を向ける。
「お戻りですか? おやすみなさいませ、マイクロトフ様」
「このような時間に失礼した、ランド殿…………」
一応礼節に則った挨拶を交わし、ふらつく足でドアに向かうマイクロトフは、背後からたいそう優しげな男の声に送られることとなった。
「────ん? どうした、カミュー……そうか、ここが気持ち良いのだな……よしよし、良い子だな。あの御方も、おまえくらい素直に甘えてくださると良いのだがなあ……」
────最後の言葉は多分親心のようなものだろう。
……多分、きっと────いや、絶対に。
独特の空気と世界を持つ神秘の園、赤騎士団。
其処の空気に馴染むことは生涯なさそうだと、その日改めて青騎士団長は思った。