Fleur d'Interdit
preliminary Rose
早朝訓練を終えた部下達に交じり武道場から出ると、それまで普通に交されていた周囲の会話が、不意に何かを伺うように潜められたものとなった。
何事だろうかと彼らの視線を追えば、図書館口の階段に、同盟軍でも特に目立つ若き少女達の姿がある。
何気ない立ち話をしている姿にも、どこか華やかな色を纏う彼女たちに、皆自然と眼を奪われるのだろう。
自然、姿勢を正す周囲の様子に苦笑した所で、その一群の中に親友の姿を見つける。
相手も同時に気づいたようだ。
視線を交わし、表情を緩めた彼の様子に、こちらを振り返った盟主の義姉が、ぱっと笑顔になり手を振り招いた。
部下達の注視に面映ゆくも気後れする気分になるが、さりとて無視するわけにもいかない。
「おはよう、早朝訓練お疲れさま!」
近づくと、各々手に書を重ね持つ少女達は、口々に朝の挨拶をかけてくる。
一頻りの挨拶を終え、
「珍しいな」
と声をかければ、「こんな朝早くに」、とまでは告げずとも、親友は略された続きが分かったようだ。
「レディ達との約束があってね」
図書館の業務時間前に司書の手伝いをするという少女達に請われ、作業を手伝っていたのだという。
「でしたら手伝いましょうか?」
「ううん、終わったから大丈夫。ありがとう! それよりもね、今面白い話をしてたの」
なんのことだ、と親友を伺うが、頬笑む彼は少女の話を聞くようにと受け流すばかりだ。
「あのね、今日は夏至でしょう。今夜は妖精たちの力が一番強くなる日なんだって。だから夜に窓を開けてね、甘い水と蜂蜜とお菓子を置いてお願い事をしたら、妖精が叶えてくれるっていう言い伝えがあるらしいの。皆でやってみようって話してて、で、お願い事を何にするかって話してたの」
「妖精、ですか?」
夏至という認識は勿論持っていたが、妖精という連想には及びもつかなかった。
実に少女らしい柔らかな発想だ、と頬を緩めると、
「あ、馬鹿にしてるでしょ!」
と拗ねた顔になる。
「いえ、別にそのようなことは」
「ね、お願い事するなら何にする?」
「そうですね……何を頼んだんだ?」
咄嗟に思いつかず親友に視線を向けると、
「私かい? 私は魔力を向上を願うことにしたよ」
と彼は微笑む。
「魔力?」
「最初はね、その剣を強くして欲しい、なんて言ってたのよ! 妖精に刃物なんて厳禁なのに!」
ぴしりと指差し、「妖精が叶えてくれる得意分野は、恋愛事なのよ」と言い立てる勝ち気な少女が願うのは、きっと同盟軍内で知れ渡っている片恋の成就なのだろう。
「で、何を頼む?!」
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に、興味津々と表情に浮かべた盟主の義姉の顔が至近にあった。
驚くとともに、汗を流してきたばかりの身に気が引け、咄嗟に一歩下がる。
その反応に虚を突かれたのだろう。満面の笑みが困惑に移る様に焦り、思わず口をついたのは、己でも思いがけない言葉だった。
「花……」
「え?」
眼を瞬かせ首を傾げる姿に、我に返り、知らず零れ落ちた単語が言葉になる。
「花、を咲かせてもらえれば」
「お花?」
「ええ、実家の花です」
「彼の家にはそれは立派な温室があり、今の季節にはいろとりどりの薔薇が咲くんですよ。一度見せてもらったことがありますが、それは素晴らしいものでした」
不思議そうな顔をする少女に、横から親友が口を添える。
「えー! 薔薇がたくさんなんだ! 今度見せてね」
「ええ、ぜひ」
無邪気なその願いに、応えを返す。
「でも願い事がそれって、ちょっと意外だったな。もっとなんかすごい願いごとをするのかなって思ってた」
「妖精は躯が小さいですから、あまり負担になる願い事はやめておいた方が良いかと思いまして」
「そっか、そうだよね。でもいいお願い事だね」
うん、と頷き笑みを浮かべる少女に礼を告げ、その場を辞す。
ちらりと眼を向けると、まだ留まるつもりなのだろう親友には視線で見送られた。
花を、と思わず口についたのは無意識のことだった。
だが、意識しないからこそ、奥秘めている願望が表に出たのだろう。
もしも願いを叶えてもらえるものならば。
きっと自分の願いは、あの日温室で眠る彼の上にあった。
薔薇に埋もれるように、いつの間にか眠り込んだ親友の姿は、胸が痛くなるほど美しく、驚くほどの愛しさを感じ。
そして自分以外、誰の眼にも触れぬよう閉じこめてしまいたいと願ったあの瞬間、彼への想いを自覚したのだった。
この腕に抱いて誰にも渡したくない。
彼の全てが、柔らかい金の髪も、優麗な貌も、長くて形の良い指先も、その眼差しも、その声も、笑顔も泣き顔も、彼を彼たらしめる何もかもを自分だけのものにしたい。
それはけして叶わない願いで、そして叶ってはいけない願いだ。
そっと振り向き、少女達に囲まれる親友の姿に眼を細める。
騎士達の中にあれば凛然と揺るがぬ強さを見せる彼は、華やかな少女達の輪の中にあっても極自然に気配を馴染ませ、違和を感じさせない。
誰からも求められ、愛される彼は、広い場所で自由にあるのが相応しい。この手の欲で潰してはならない。
だから、彼をあの温室に案内したのはあの時の一度だけだ。
一度だけで充分だった。
今は遠くある故郷の庭に想いを馳せる。
きっと今年も薔薇は咲いている。
光を求め、蒼空へと花開き、薫風に揺らめきながら。
きっと薔薇は咲いている。
叶ってはならない主の願いを糧に。
オンリー新刊「The Rose」の前話。
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