酒場にて
Thanx to Misa san!
宵入りの酒場は、その晩珍しい客人を迎えていた。
基本男で占められているこの酒場で女性の姿は珍しい。それがうら若き少女二人連れともなれば人目を惹かずにいることが無理だろう。
とはいえ、彼女達は同盟軍でも宿星という特異な立場にあり、片や若きながらも副軍師、片や戦士の村出身の少女剣士で名を馳せている為、彼女達にちょっかいどころか声を掛けようという酔客などいない。また、酒こそは飲める年齢ではあるものの所詮は十代の少女に過ぎない彼女達は場慣れしておらず、自分達が周囲からの視線を集めているという自覚もなかった。
そんなわけで二人はレオナの用意してくれたカウンター近くの奥まった場所で、お気に入りの果実酒を舐め、肴を摘まみながら、少女らしい会話にいそしんでいた。
「なにやってんだ、二人とも」
テンガアールが最近買った髪飾りの色に熱弁を振るっているところに声を掛けたのはフリックだった。
「何って、酒を飲んでるの。他に何してるように見えるんだよ」
同郷の誼でぽんぽんと頭を叩いてくる手に嫌そうな顔で避けながら、テンガアールは口を尖らせる。
「酒〜? それで酒を飲んでるっていうのか?」
指差す丸卓の上にあるのは、小型卓炉の上でとろりと溶けたチョコレートの小鍋にフルーツや一口大のパン。凡そ酒の席には相応しくないデザートの姿だ。フリックが呆れたような声を出すのは当然だった。
「いいじゃないか、人が何で酒飲もうとさ!」
「いや、そりゃそうだけど、わざわざ店の中で食うか、普通?」
「あら、レオナさんは良いって言ってくれたわよ」
「そうそう。それにちゃんと皿代も払ってるんだからね、フリックさんがとやかく言う筋合いじゃないってば!」
フリック相手にならば素直に煩しいと顔を顰めるアップルに重ねて、テンガアールもこしゃまっくれた表情で舌を出してみせる。邪険にしつつも気安さの滲む楽しげな少女達の雰囲気に、
「まぁ、ほどほどにな」
とフリックは苦笑して二人の頭をぽんぽんと叩くと、傭兵仲間の待つ卓に去っていった。
「絶対フリックさんって、ボク達のこと子供扱いしてるよね」
「まぁ、しょうがないわよ。フリックさんだもの」
「それってどういう意味?」
良く分からないという表情で首を傾げるテンガアールに、アップルは肩を竦めた。
「だって大昔から私たちのこと知ってるじゃない。昔から知ってる分感覚がついていかないのよ」
切り替えの悪さは年寄りの証拠なのよね、とさらりと酷いことを付け加える友に、テンガアールは遠慮会釈なく大笑いする。何事か、と視線を向ける周囲に、アップルは平然とグラスを傾け、どこかツボに入ったのか机を叩いて笑いこけていたテンガアールは、薄すらと浮かべた涙を拭いながら、
「いやでもさ、ボクは同郷だけど、アップルも昔からフリックさんのこと知ってんの?」
と尋ねた。
「マッシュ先生のとこに結構顔出してたのよ、あの人」
「あぁ、全身青で目立つもんね」
彼の有する二つ名の由来ともいえる服装を示唆するテンガアールに、
「それもあるけど、オデッサさんのこと好きだったから」
とアップルは首を振った。
「ああ、そっか。そうだったね」
幼い少女の記憶に残るほど、フリックの彼女に対する恋情は際立っていたのだ。
二人揃ってどこか遠い目をしてしまうのは、そのオデッサもマッシュも今は鬼籍に入っている人たちだからだろう。
そんなしんみりとしてしまった空気を悔いるかのように、
「あ……、ってことはもしかしてヒックスがいつまでたってもボクのことをちゃんと彼女扱いしてくれないのは昔から知ってるせい?」
威勢よく苺を鍋に投げ入れながら、微かに拗ねたような声でテンガアールは友人に実に返答し難い質問を投げつける。
口調はともかくとして、姿形は少女らしくも愛らしい魅力溢れるテンガアールだ。そんな彼女に、縋るような眼差しで見詰められるのは同性であろうと悪い気はしないものである。
だがうっかりこの話題に乗ってしまうと、延々悪酔いした気分になるまで愚痴とも惚気ともつかない話を聞かされる羽目になることをアップルは良く知っていた。
「どうかしらね、それは直接聞いた方がいいんじゃないかしら。あ、ほら苺がもう煮えちゃうわよ」
鉄串で溺れている苺を救い上げ、手渡しながら、
「そういえばさっき言ってた皿代、私初めて聞いたんだけどテンガアールは誰に教えてもらったの?」
とさりげなく話題を変えてみせる。
「ああ、カミューさんだよ。ほら、騎士団の団長さん。この間ヒックスと来た時にカミューさん達と隣り合わせて、プリン食べてたから聞いたんだよね。そしたら皿代払って持ち込ませてもらったんだって」
どう転んでも彼女の大好きなヒックスが話が戻る友人に、アップルは苦笑を浮かべた。
雰囲気でそれが伝わったのか、
「ホント、アップルってこういう話になると醒めるよね。好きな人とかいないの?」
とテンガアールは口を尖らせる。
「好きな人、ねぇ……」
「それこそカミューさんとかどうなのさ、格好良いよ、ほらほら!」
少し声を潜めてテンガアールがこっそり指差す先。少し離れた円卓では、件の赤騎士団長が親友と談笑しているところだった。
「あの金髪のめっちゃ目立つ人。……アップル、知ってるよね?」
友人が軍中枢にいることをいまいち実感していないテンガアールは、よもやあんなに目立つ美丈夫を知らないのではなかろうか、と恐る恐る問い加える。
「そりゃ知ってるわよ。美青年攻撃を盟主殿に提案したの、誰だと思ってるの?」
先のトラン紛争の折にフリックが組み込まれた、美青年攻撃なる実に恥ずかしい名称の協力攻撃を再現させたのは自分だと明らかにしたアップルに、テンガアールは眼を丸くした。
「うわ、あれ教えたのアップルだったんだ! てっきりビクトールさん辺りかと思っちゃったよ」
フリックさん可哀想〜、と全然同情の窺えない口調で呟きながらも、
「それよりも、カミューさんとかどうなわけ?」
と畳み掛けた。執拗に尋ねる彼女の魂胆は、恐らくは気兼ねなく己の恋話をするために、友人も恋愛モードに引き込もうというものなのだろう。
そう解釈するアップルは、苦笑を浮かべつつ、本人に気づかれぬよう話題の俎上に上げられた青年に視線をやった。
「どうと言われてもねぇ……あれだけ綺麗な人だと憬れる分にはいいけど、恋愛って感じしないんじゃないのかしら」
「うーん、そうかなぁ。確かに外見はすごーく美人だから近寄りがたい感じはするけど、ああ見えて結構気さくな人だし、女の子には優しいよ。それにああいう外見の人だから、ちゃんと相手の中身を見てくれそうな気がしない?」
「ああ、それはあるかもしれないわね。でも、あの華やかさの隣に並ぶのは、普通の女性はきついと思うわよ」
アップルがそう断言するのも頷けるほど、顔貌の秀麗さといい、有する華やいだ雰囲気といい、纏う色彩の美しさといい、カミューはこの薄暗い酒場でも自然と人目を集める存在だった。
「テンガアールくらい華やかさがあればまだ太刀打ちできるかもしれないけど、私には無理」
きっぱりアップルはそう話を締める。
「やだな、煽てても何もでないぞ」
酒のせいばかりではなく赤くなってみせるテンガアールは、確かに彼の青年団長と並び立っても釣り合いがとれるであろう整った容姿と華やいだ明るさをあわせ持っている。とはいえアップルも、聡明さと知性が滲み出た空気を纏っており、価値の分かる人から見れば十分過ぎるほど魅力的な少女だった。それをちゃんと知っているテンガアールは、もったいないな、と口を尖らせた。
そんな少女達のやり取りなど知る由もない話題の主は、何事かを隣に座る親友の青騎士団長マイクロトフに耳打ちをし、くすくすと肩を竦めて笑う。何を聞かされたのか、眼を見開いたマイクロトフも弾かれたように大笑いし、ちらりと視線を交わしてはまた額をつき合わせるようにしてまた笑い込む二人の様子は、普段の取り澄ました団長姿とは打って変わって、どこか子供染みた心安い空気があった。
ぼんやりとそんな二人の姿を眺めながら、アップルはポツリと呟いた。
「恋愛とかそういうのじゃなくていいなら……マイクロトフさんは結構好きだな」
「え? マイクロトフさん?」
「なんかね、不言実行って感じがして、いいなぁって」
「そうなんだ〜。……ボクはちょっと苦手なんだよね。怖いんだもん」
「怖い?」
少年のような顔で笑っている姿と、言葉が上手く結びつかず鸚鵡返すアップルに、小さく唸ったテンガアールは言葉を探し探し説明をした。
「んーとね、たまにだけど道場で稽古してるとこ見ることがあるんだけど、マイクロトフさんって"気"がすごいんだよ。"気"って殺気とか気迫とかそういうヤツのことね。前なんか稽古って分かってても殺される、って身が竦んだことあるんだもん。あれだけの"気"をうちに溜め込んでる人ってあんまりいない気がするな。毎朝稽古しないといけないの当然だと思うよ。だからそれこそそんなマイクロトフさんと付き合うのは大変かなって」
剣士ならではの意見を述べるテンガアールは、しかしなるほどと興味深げに聞き入る友人に、慌てて手を振った。
「あ、でもボクは剣術よりそういう"気"を読むほうが得意だからそう思うんであって、剣とか素人の人は全然分かんないって聞くから、それは別に気にしなくていいんじゃないかな?」
「ふーん、そういうもんなのね。まぁ、いいけど」
どこまでも冷めた返答をするアップルに、
「えー、いいじゃん。気になるんならアタックしなよ!」
と恋愛生活真っ只中のテンガアールはけしかける。
「だからそういうんじゃないの。ただ見ていて気持ちいいな、って思うだけだから恋愛云々とは違うんだって。それにそれこそそういうの分かってあげられて、その上で付き合える人の方がいいんじゃないかしら」
「そんなもんかな?」
「そうそう、そんな……」
と言いかけ言葉も動きも凍らせた友人に、テンガアールは何気なくその視線を追う。
そして同じように凍りついた彼女らの視線の先では、件の騎士団長達が揃ってテーブルの下に頭を入れて、落としたフォークを拾い上げようとしているところだった。
指が重なったのはご愛嬌、首尾よく拾い上げ、仲良くまた二人して姿勢を戻す。そのほんの数秒の動きは程よい喧騒と薄闇に包まれたこの酒場ではごく普通のことのようだったが、普通でないのは机の下での彼らの頭の角度だった。
どう見ても二人の顔が重なっていた角度で止まること数秒。
「あれって……」
「………そうね」
上の空で呟く少女達はその言葉で、自分が眼にしたものが幻などでないことや、浮かんだ連想が間違いではないことにも気づかされた。
とはいえそれを騒ぎ立てるには相手の立場を考えられる程度には大人であり、かといってさらりと流してしまえるほど人生いうものに熟れていない。だからとりあえずくつくつと湯気を立てる鍋に集中し、賑やかだったそれまでが嘘のように暫し沈黙のうちに食べることに専念していた二人だったが、やがてテンガアールがポツリと呟いた。
「まぁ、そういうの分かってそうな相手だよね……」
「相手の中身見てっていうのは正解かしら……」
それぞれ内心で衝撃を処理した少女達は、顔を合わせて苦笑する。
「でもさっきの手いいな、今度ヒックスにやってみよ」
「私の視界の中でそんな馬鹿っぷるみたいな真似はやめてよ」
ばっさりそう切って捨てるアップルに、
「なにその馬鹿っぷるって! アップルどこでそんな言葉覚えちゃったわけ?」
とテンガアールは嘆いてみせる。
さぁね、と肩を竦めたアップルはちらりと視線を先ほどの二人に向ける。
彼女が馬鹿っぷると称した彼らは、先ほどまでと変わらぬ笑顔で相変わらず周囲の視線を惹きつける騎士団長姿だ。
そう感じる自分に少しほっとしながら、にっこり笑ってアップルは頬を膨らませる友人が好きな杏を差し出した。
ミサさんから頂いたステキ絵から触発されたSSでした。麗しい赤さんの絵だったのですが、内密でとのことなので、こっそり楽しませて頂いております。
ありがとうございました。