マロングラッセ
Thanx to HIYUU san!
目抜き通りから脇に入った小路角の果物屋は、マイクロトフが子供の頃から看板の色も鎧戸の木目も変わらぬ店構えだ。
「いらっしゃい、坊! 良いの入ってますよ」
先代と相似の厳つい風貌の店主は、彼が騎士団で階位を得ても子供の頃と変わらぬ呼び方を通す頑固者である。その頑固さは商品の品質にも反映されていることを承知のマイクロトフは、店主が掲げた袋に興味を示した。
「それは?」
「栗ですよ。今年は寒くなるのが遅かったせいか、実が大きくてね。急に冷え込んだから甘みも十分だよ」
太麻の袋に入っているのは、艶も形も申し分のない大振りな栗の実だった。試食にと渡された剥き栗は、少し固めに茹でてあるせいか口の中でほろりと崩れ、濃い栗の味が口に広がる。
「美味しいですね」
「ああ、そのままで食べても美味しいけど、実が大きいからペーストにしてもいいし、グラッセにして保存するのにも適してますな」
「グラッセ、ですか」
マロングラッセは収穫祭から始まり新年に至る一連の冬の祝祭には定番の菓子だった。洋酒をしっかり利かせたそれは、甘いものがさほど得手でないマイクロトフも好む甘味だ。
そういえば、と祖母の遺した蔵書の一冊にマロングラッセの作り方が載っていたのを思い出した彼は、
「では、それを」
と隠しから財布を取り出した。
「毎度。ちょっと手は掛かるけど、やはり手作りが一番だからね。ローダさんにでも作ってもらうといいですよ」
そう名を挙げられた通いの女中は、祖母が亡くなったのを機に職を辞している。だが自分が作るのだ、とは口にはせず、おまけにとはしりの無花果を添えてくれた店主にマイクロトフは礼を言った。
書斎の本棚から探し出した件の本は、古風な字体の木版印刷誌だった。私家本に類するものなのか、奥付には著者の印章も施されており、黄ばんだ厚紙の表紙は時代を感じさせるものだった。
所々折癖や書き込みがあるのは祖母の手によるものだろう。
その中から目的の頁を捲り当てたマイクロトフは、眼を通しながら台所へと向かった。
マロングラッセの材料は、台所にあるもので充分だった。
だがこれはどうやら思ったよりも手間暇を要する代物だ、と数度繰り返しレシピに読んで頭に手順を叩き込んだマイクロトフは、棚から器具や食材を引っ張り出しながら時間の算段をした。
一番時間がかかるのは、今日の作業だ。付根部分を残して栗の皮を剥き、ガーゼで巻いて糸で動かないように固定して下茹でをするだけでも夜が更ける。シロップで煮詰め終えるのは日付が変わる頃か。
それから毎晩シロップの濃度を調整していきながら栗を漬け込む作業が十日間。
最終日にはシロップの水分を飛ばし、糖衣を施すという時間のかかる仕事も残っている。
隊長職を拝命してからというもの多忙が過ぎ、自宅に戻る機会が少ない。今日も久々の休暇で換気に戻ってきたくらいだ。果たして毎日、家に帰ることなどできるだろうか。
手を休めることなく厚手の鍋に砂糖と水を計り入れつつ、一週間先の日程まで思い浮かべたマイクロトフは、苦しい時間繰りに自然、表情が険しくなる。
だが、ふと浮かんだ親友兼恋人の横顔にその険は和らいだ。
甘いものを口にする時の彼は、見ている方が感動するほど幸せそうでうっとりとした表情を浮かべる。甘味もだが、酒も好きな彼は、高級酒の利いた手造りのマロングラッセには眼を細めるだろう。
その姿を思い浮かべたマイクロトフは、どうにでも時間を遣り繰りすることを心に決める。
予想以上に早い速度で作業が進んだので、下茹でた栗をシロップで煮詰める間に、作り置いていたタルト生地で無花果の焼き菓子も手早く仕上げた。明日の土産のこの菓子で、恐らく一足早く彼の笑顔が見られる筈だった。
それが、霞雀月も終わりのとある夜のこと。
それから月日は流れ、白虎月も終わろうとする年の瀬。年に一度の大掃除に勤しむマイクロトフの家には客人の姿があった。
街外れに建つ自身の広大な邸宅の大掃除は、忠実な家令以下使用人に任せているカミューは、しかし流石に城内に与えられている私室は自分で片付けたらしい。
少し埃っぽい格好でやってきた彼に湯を立ててやり、早めに火を入れていた暖炉の前に彼のお気に入りの毛皮を並べたて、熱い湯に肌を薄桃に染めて湯気を立てていそうな彼の身体を毛布で包んでやれば、嬉しそうに暖炉の前で猫のように丸くなる。
腹這いに寝そべり、時折寝返りをうちながら無心に読みたいといっていた書物の紙面を追う顔は、すっかり本の世界に没頭しているのか少し口元を緩め、どこか夢見るような表情になっている。
最近では家主が留守の時にも出入りし、今も客人と称するには些か寛ぎ過ぎている様子を見せているその姿を満足して眺めながら、マイクロトフは大まかな掃除を終え、食事の準備に取り掛かった。
階位を得てからというもの、年末年始は騎士団の行事に充てられている。その為、大晦には早いこの時期に休みを取り、二人で一年を締めくくり年を迎えるべく少し豪勢な食事をするのがこの数年の常だ。
献立も決まっており、前菜にはカミューの好きなスモークサーモン、メインはマイクロトフの好きなローストビーフ。付け合わせはどれも二人が好きなもので、バゲットやキッシュ、ポットパイ、マッシュポテトなどをその時の気分で作る。
キッシュとサラダを作り、そういえば人参が余っていることに気がついたマイクロトフは、カミューが好きな人参のグラッセでもと考え、その名に記憶の琴線の何かが触れた。
「……そういえば作ってたな」
デザートは焼きたての林檎パイにアイスクリームを、と前々からリクエストされていたせいですっかり記憶から抜け落ちていたが、秋口にマロングラッセを作っていた筈だった。
我ながら上出来だったそれを、折角だから今日食べようと瓶に詰め、それから食品棚の隅に詰め込んで―――
「……ない」
棚を開け、記憶通りの場所を探るマイクロトフの手が止まった。
手の中に確かに瓶はある。
だが、肝心な中身が奇麗さっぱり無くなっていて、白い砂糖の粉が残るだけだ。
「……カミュー…だな」
犯人は彼しかいないだろう。
しかしこれを全部彼が食べたのだと信じたくはない蜂蜜1kgの瓶の空を片手に、力なくマイクロトフは居間へと乗り込んだ。
「カミュー」
掛ける声が虚脱を帯びた弱さになるのは、もはや確信に近い域で答えを予測しているから仕方がないというものだろう。
「なんだい、マイクロトフ?」
「これを食べたのはお前か?」
「そうだよ」
予想通り、返ってきたのは鼻歌でも歌うかの軽さの肯定だ。
否定が返ってきたらそれはそれで物騒な話ではあるが、しかしこんなに軽く返事を返されても顔が引き攣るというものである。
ずんと暗雲を背後に負ったその雰囲気を感じ取ったのか、身を起こしたカミューは、
「え? いけなかったのかい? だって甘い物、嫌いだったよな?」
と首を傾げる。訳が分からないと言わんばかりのその表情に、マイクロトフは仏頂面で深々と溜息をついた。
「……これは好きなんだが」
「ご、ごめん! 嫌いなのかと思って……」
「だからと言って、全部食うか、お前というヤツは! これは新年に食べようと思って、秋に作っておいたものなんだぞ」
邪気が全くないその反応に湧き起こったのは、子供染みた憤りだった。
いくらなんでも全部食べるというのはあんまりだろう。
どうせなら、と使った蒸留酒は、家にある中で一番香りが良い最上級品だった。そんじょそこらで売っている物よりよほど高級素材を使ったあの力作を、何の感慨もなくあっさり消費……彼ならばしたかもしれないと思えば、腹も立つというものだ。
「悪かったよ、悪かった。今から材料を買ってくるからもう一回作ってくれ」
だったらいいだろ、と不貞腐れた声で立ち上がろうとする彼は、唐突に怒り出したマイクロトフの態度にカチンときたのだろう。
口に出す言葉とは裏腹なその姿と全くもって作る労力を分かっていないその軽々しい発言に怒りを煽られ、頭の隅の冷静な箇所で落ち着けと宥める声にも勢いを止められず、マイクロトフは言葉を重ねた。
「無理だ。マロングラッセはな、新鮮な栗じゃないといけないし、作るのに十日以上かかるんだ。そもそもあれだけの栗を手に入れるのはまず普通の店なら無理だな。それに栗の薄皮まで奇麗に剥くには一晩仕事だぞ。味を染み込ませるためには薄い濃度から段階的に煮詰めていかないといけないし……」
滔々と作る手順を並べ立てていくのは、最早もう意地になっていた部分もあったのだろう。
だが、話していくにつれ、次第に彼が表情を失っていくのに気付くと、その意地も氷解していく。語るうちに冷静になった部分もあった。
かっとなると自制が利かなくなるのは自分の悪い癖だった。『正論で相手を追い詰めるな。それより最終的にどう持っていきたいのか考えれば上手くいくよ』と、眼の前の彼がくれた助言を思い出し、落ち着くために心の中で深呼吸をする。
「まぁ、いい。お前の甘い物好きを知っていたのに言っておかなかった俺にも非がある」
気を取り直して出した声は穏やかな響きのそれで、そのことにマイクロトフは安堵した。
「じゃ、じゃあ買ってくる! それならいいだろう」
「多分探すだけ無駄だと思うぞ。この時期、もう売り切れているはずだからな。それにどうにでも欲しいわけじゃない」
元々は贈答品用の高級菓子で、市場に出回る数も少ない。冬の祝祭時期も終盤に近づく今時分ともなれば疾うに売り切れているはずだ。
物が惜しかったのではない。
もともと甘い物に執着はないし、丹精込めて作った物を知らないところで食べられたことに対する不満はあるが、そもそも彼の為に作ったようなものだから、最終的な目的は果たされていたと納得できないでもない。
残念なのは喜んでもらえる顔や、うっとりと味わう時の彼の表情を見られなかったことだが、だからと言って悲しませるのは本末転倒だった。
それに、こんなことが痼りとなって、やっと自宅のように寛いでくれるようになった彼が遠慮などするようになる方がもっと嫌だ。
今回のことは彼が自分の家を彼の家と同じように見做している証拠だと考えれば、いっそ嬉しくすらある。
気にしないで欲しい。
そう安心させるように笑いかければ、困ったように瞳を揺らす姿がある。
しなやかに長い手足と、いつもは綺麗にセットしてあり今は風呂上りの洗いざらしの長めな髪が毛布で覆れていると、まるでそれは途方に暮れたような子供のようだった。
騎士団での過ぎるほど整いすぎて取り澄ました姿とは打って変わった姿に、強く庇護心を刺激され、抱きしめて宥めたくなる。
だが、ここで抱きしめたらむしろ秘かに年上ということに拘っている彼の矜持を傷つけるだろう。
それくらいの学習能力が備わっているマイクロトフは、寸でのところで踵を返す。
「……マイクロトフ」
その足を止めたのは、おずおずとした響きの声だった。
振り向けば、何も言わずじっと見つめる彼がそっと手招きをした。請われるままに足を進めると、手を引かれ、
「ごめん」
という短い言葉と同時に、温かい濡れた感触が唇に触れる。
ささやかなで、色めいた含みのない口付けは、謝罪の気持ちを伝えてくるものだった。
言葉にならない気持ちが込められたその行為に、マイクロトフは自分の予想以上に彼が深く落ち込んでいることを知った。
「甘さが足りない。マロングラッセ分の甘さが欲しいぞ」
そう軽口を叩くと、和らいだ雰囲気に解けたように彼も笑う。
視線で強請れば、素直に眼を伏せ、マイクロトフの大好きな顔が近づいた。暖炉の火が、彼の優美な頬の流線に伏せた長い睫毛の影を落とす。
その様を陶然と眺めながら受ける接吻けは、触れるだけの先ほどのものとは違い、気持ちごと絡めあうような深さで一度。
そして二度、三度。
冷静に数えられたのは片手分だけだった。
何度も繰り返される度に長くなっていき、当初のものと色合いを変え段々と甘くなっていく。
やがてそれが煮詰めた砂糖よりも甘くなる頃、良い塩梅と告げるオーブンの肉の焼ける香りで、二人は我に返った。
「……お腹が空いた」
ふいと照れ隠しのように視線を逸らし、そんな色気のないことを言うカミューだが、大掃除の後で風呂にも入ればそろそろお腹が空くのも当然だった。
それは今朝から動き詰めだったマイクロトフも変わらない。
蒸留酒分の大人の香りは食事の後に味わうことに決めて彼の手を引けば、風呂上がりと変わらぬほど上気した彼は先ほどの迷子の子供のような顔から色めいた大人に変わっている。
残念なような嬉しいような気持ちにもう一度だけ唇を重ねると、コツンとぶつけた額で見詰め合う互いの瞳には、もう何の衒いも残っていなかった。
:: 新年のお年玉に頂いた素敵絵でした。年末お会いした時にお歳暮代わりにと押し付けた小話に、絵を描いてくださったのです。これは自慢せねば……!! と折角だから書いたのがこの青編。字書きにとって自分の作品で絵を描いてくださるというのは何よりの誉れだと思っているので、本当に新年早々から幸せを頂きました。ひゆうさんに感謝です。ありがとうございました!
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現在拍手絵では萌死ぬる程格好良い赤さんがお出迎えです。(眼福ですぞ。)