Happy Hallows eve!!
..........................................................
「今夜はハロウィンだそうだ」
ぼそりと呟いたマイクロトフに、稟議書の清書に取り組んでいたカミューは、ややあって顔を上げた。
「ハロウィン?」
耳慣れぬ言葉を思わず鸚鵡返し、生真面目に頷くマイクロトフの姿に「ああ」と思い当った。
「万霊節前夜のことか。そういえばそんな時期だったな」
視線を窓の外にやると、彼も同じように視線を向けるのを感じた。
マチルダよりは南に位置するこの地にも、ようやく秋が訪れている。数か月前まで黒々とした影を落としていた木には黄色い葉がちらほらと残るだけ、空の青もすっかり薄い。
どこか懐かしそうな眼差しのマイクロトフがそこに何を見ているのか、カミューには分かるような気がした。
マチルダ、こと騎士団においてはハロウィンの祭りよりも、万霊節の方が重要な行事だ。
在籍中の戦没者、殉職者は勿論、騎士団に籍を置いた退役者の大々的な追悼行事が行なわれる為、騎士団では前月半ばからその準備で慌しくなる。
また万霊節が明けるとすぐに、騎士団の建立祭。それに合わせ騎士の叙任式や、各種行事も執り行われ、更には領内での収穫感謝祭や、聖人祭など、とにかく行事に事欠かないのがこの時期だった。
麦穂が黄金に色付き山が色鮮やかな錦の彩りを見せると、通常穏やかな騎士団内の空気が活気を帯び、怒涛のように過ぎる祭りの季節へ向けて一種独特の空気を作り上げる。
それをきっとマイクロトフは懐かしく思い出しているのだろう。
日々のあれこれに忙殺されて万霊節のことなどすっかり忘れていたのは、城中がざわめいているようなあの空気に囲まれていないからに違いなかった。
「しかし万霊節ではなく、ハロウィンという辺りがなんともここらしいな」
「ああ、万霊節の方は話題にもなっていなかったらしい」
「らしいというのは?」
「先ほどフリック殿からな」
騎士団内の臨時会議のため揃って欠席をした今朝の朝議での伝達事項を、マイクロトフは先ほど顔を合わせたフリックから聞いたのだという。
確かに死者の追悼という儀式中心の万霊節よりも、精霊や魔法使いという非日常に彩られた賑やかな庶民の祭りの方が、この同盟軍には似つかわしい。
しかしあまり浮かれ騒ぐ祭り事を好まないであろう軍師がよく許したものだと思えば、そこにはやはり盟主姉弟の意向が強く反映されたのだという。なんだかんだ言っても、あの姉弟には砂糖のように甘いのが、シュウという男なのだった。
「日没から日付が変わるまでハロウィン祭りで、子供達が自由に歩き回るので城外に出さないように警備担当者は対策を講じるようにとのこと。それから仮装は良識の範囲内で。間違ってもモンスターと見間違えられ問題とならないようにだそうだ」
「仮装?」
「ああ、ハロウィンにはつきものだろう」
当然といった顔で答えるマイクロトフに、ハロウィンの経験がないカミューはそういうものか、と納得をする。
「仮装ねぇ……。今からネタを考えるのも、衣装を調達するのも難しいな」
「俺もそう思う。カミューのあの羽根が残ってたら、それだけで仮装になって楽だったろうな」
一時期モンスターから受けた攻撃の後遺症で背中に生えていた黄金の羽根を示唆するマイクロトフに、
「だったらお揃いでお前は黒い羽根でも背負うかい?」
「……それもいいな、鴉の羽でも拾ってこようか」
軽い気持ちで返した揶揄を真面目に返され、カミューは苦笑した。
「やめてくれ、夢見が悪くなりそうだ。それはさておき仮装で一番簡単なのは女装だな。オウラン殿やレオナ殿辺りに頼めば喜んで服を貸してくれるんじゃないのか」
「俺は遠慮しておく。お前だったら似合うだろうが、俺が着たら不気味なだけだ」
「それは私だって同じだろう。なまじ顔だけドレスに合ってても、骨格が男だと違和感だけが強調されるもんだよ。それよりは最初から受け狙いと分かってる方が、相手もリアクションに困らなくていいんじゃないのか?」
肩を竦めるカミューに、脳裏でその姿を思い描いていたのだろう。
「……とりあえず女装は却下だな」
苦虫を噛み潰したような顔で重々しく告げるマイクロトフに、カミューも同意を返した。
互いにとって危険な話題は避けるにこしたことはない。
「そういえば今年はパンが食べられないな」
ハロウィンと言えばカミューにとっては、城近くの小さなパン屋が出す期間限定の味だ。この時期になると城を抜け出して、ある時は人に頼んで毎年入手していたそれをマイクロトフも覚えていたのだろう。
「あのパンか。今年はどんな味だったのだろうな」
「去年はメロンパンのカボチャバージョンに干し葡萄を沢山混ぜたものだったねぇ。カボチャプリンパンとシナモンカボチャロールも美味しかった。その前はカボチャペーストを混ぜ込んだ牛乳パンとごろごろカボチャパン、スィートパンプキンで、その前が……」
すらすらとここ数年のライナップを並べ立てるカミューに、マイクロトフは些か呆れた顔を向ける。
「よほど好きだったんだな、お前……」
それこそ暇ならばと何度かカミューの代わりに買出しを頼まれていた彼も、カミューがそこまで入手に執念を燃やしていたとまでは知らなかったのだろう。
「そりゃね、例年この時期、行事行事と準備に忙殺されて息つく間もなかった私の唯一の楽しみが、あそこの新作パンだったからねぇ……」
酷い時は半月も城に泊り込んでいた殺人的な忙しさを思い出し遠い眼になったカミューだが、気を取り直し、今年はその忙しさから解放されるのだから、と新作パンを味わえない自分を慰める。
そんな彼の内心の動きを知る由もないマイクロトフは、
「じゃあ、手が空いたら何かカボチャを使ってパンを作ってやるから」
と言って、カミューを大いに喜ばせた。
「それよりも問題なのは菓子だぞ、カミュー」
「菓子?」
「ああ、今夜配る菓子だ。すっかり失念していたから、もう入手できそうな菓子は城にはないらしい。今から作るというのも、厨房を貸してもらうわけにはいかないから難しいだろうし……どうしたものだか」
先ほどから人の部屋へやってきて何をするでもなく座り込んで難しい顔をしているこの男、今朝方の会議の議題についてまだ考え込みでもしているのかと放置していたのだが、どうやら違ったらしい。
だが、子供時代にハロウィンなど祝った覚えもなく、騎士団に入ってからのこの時期は、それこそそんな浮かれ騒ぎとは無縁だったカミューには、その菓子がどういう意図でどう必要なものなのかさっぱり分からない。
「菓子はどうしても必要なのかい?」
思わず問うた言葉に、言葉の背後を察したのか。
「ああ、ハロウィンというのは死者や精霊や魔法使いが彷徨う夜と言われているが、それが転じて仮装をした子供達が彼らに扮してお菓子を貰いにいくという風習があるんだ。一軒ずつ家をまわって『お菓子か、悪戯か』という決まり文句を言い、言われた大人はお菓子を渡すんだ。大人はそれに備え菓子を準備して、目印に人面カボチャのランタンを玄関に飾っておく。勿論義務ではないから準備するしないは自由だが、一応準備しておくのが大人の礼儀だな」
またぞろ難しい顔で悩み始めていたマイクロトフは表情を緩め、端的にハロウィン事情を説明した。
なるほどそれでは菓子を準備しないわけにはいかないだろう。
こんな祭には城内の少女達が挙って参加するに違いない。となれば彼女達と親交の深い二人の元には必ずや来るに決まっており、そんな彼女たちを空し手で帰らせることも落胆させることも、できようはずがなかった。
どうしたものか、と同じく手を止めカミューも考え込むと部屋に沈黙が落ちた。
埋まらないその沈黙を破ったのは、ややあってのマイクロトフの意を決した一言だった。「思いつかん! 素振りに行ってくる!」
ダンスニーを片手に立ち上がるその眼は随分と据わっている。煮詰まった時の彼の常套手段に無言で手を振り見送ったカミューも、気を取り直して筆をまた走らせ始める。
だがその頭の片隅では、何か打開策はないかと思い巡らせるのはやめてはいなかった。
稟議書を書き終え文官に託し、気分転換のお茶を終え、それからまた書類と向き直る頃になって、ようやくマイクロトフは戻ってきた。
ノックの前に足音だけで識別していたカミューは、顔も上げずに「おかえり」と迎えるが、机の上に置かれた荷の音に視線を向けた。
「思い出した。これなら間に合うと思う」
推何するカミューの視線に、自信に満ちた声でマイクロトフが紙袋から取り出したのは砂糖と水飴と爪楊枝だった。その陰にはなにやら道具もある。
「何を作るんだい?」
「べっこう飴だ。水飴とに砂糖と呼水を少し加えて煮詰めて、それを冷たい鉄板に垂らせばすぐにできる。これなら大量に作れるし、この部屋でも簡単に作れるはずだ」
論より証拠とばかりに、手回し良く厨房からから小鍋と鉄板を借りてきていたマイクロトフは、早速携帯用焜炉で飴を溶かし始める。砂糖を加えねっとりと粘度を増した水飴を鉄板に落とし、爪楊枝を埋めるとなるほど黄金色の素朴な飴になる。
これは楽しそうだ、と手にしていた書類を棚に避難させたカミューも一緒になって作業にいそしむと、あっという間に城中の子供たちの分を賄うだけの飴が出来上がった。
王道の丸は勿論、興に乗って作った星型やハート型もある。マイクロトフが器用にも模った動物の飴などはさぞかし小さい子に喜ばれるに違いなかった。
「しかしよく思いついたな、こんな菓子」
「子供の時に近所の年上の遊び仲間に作ってもらったことがあってな。一度きりのことだったからすっかり忘れていたんだが、ふと思い出したんだ。思い出せてよかった」
嬉しそうに笑うマイクロトフの顔には安堵の色も浮かんでいる。
子供たちの期待を裏切らずに済んだことに、この律儀な男はカミュー以上に胸を撫で下ろしているのだろう。それは彼自身が子供の頃に楽しいハロウィンの祭りを過ごしたという記憶にも関係しているのかもしれなかった。恐らくは今夜巡り来る子供たちと同じように彼も幼い時に家々をめぐり、大人になった今そこで受けた歓待を同じように返したいと、彼ならばきっと思っている筈だった。
想像こそはできるが、自身の記憶にはそれを持たないカミューにはそれは羨ましい感情だった。
「さて、菓子はできたが……後は仮装だな」
すぐに渡せるようにと準備を整えた菓子を前に、呟き顔をしかめるマイクロトフはさすがにそちらまでは考えが回らなかったのだろう。
「そのことだけどな」
眉間に皺を寄せる彼に閃いていた考えを告げると、思いもよらなかったであろうその言葉に目を丸くする。
「それは……しかし…」
「仮装と言えば仮装だろ?」
「まぁ……そう言えなくもないが…」
「もうね、それしかないと思うんだが」
にっこり微笑むと、ううむ…と呻き声とも唸り声ともつかぬ声を漏らしたマイクロトフは、溜息をついて降参の意を表した。
さて、その晩威勢の良いノックの音と「お菓子か、悪戯か!」という決まり文句で、小さなカボチャのランタンが飾られた騎士団長室を襲撃した子供達を出迎えたのは、黄金の飴を差し出す騎士団長達だった。
いつものように対の色が美しい青と赤の団服を纏う彼ら姿は、一見して特に変わった様子は見受けられない。
ただ、違うのはそれぞれが纏う色がそっくりそのまま入れ替わっているというだけだ。
「ええええー! カミューさん、青いよ!」
「ええ、仮装の日と聞きましたから、取り替えてみました」
不躾に指さす猫耳と尻尾をつけたアイリににっこり微笑むのは、少し身に余る青騎士団長服を着たカミューだ。腰に下げるのはもちろんダンスニーである。
「マイクロトフさん、ちょっときつそう。腕足りてないみたいだね」
「はぁ、カミューの方が少々小さく…いや、なんというか、えー……」
取り替える段に、同じような発言でカミューの機嫌を損ね、鳩尾にきつい一撃をくらったことを思い出したマイクロトフは言葉に詰まりしどろもどろしている。
そんな彼が着ているのは勿論、赤騎士団長服だった。丁寧に採寸をしてきっちりとそれぞれの身体に合うように一流の仕立て屋の手で作られた服は、骨格の作りも筋肉の付き方も違う身体には馴染まない。
ことカミューより大柄なマイクロトフなど上着の前身頃が閉じられず、羽織るだけの形になっている。腰に下げたユーライアも普段の重量と違いすぎるのか、些か心もとない様子だ。
「でもでも、なんだか仮装って感じで楽しいね!」
こちらはお姫様という趣向なのか。ふわふわと白や薄桃のシフォンを幾重にも重ねたドレスに小さな王冠までつけた姿のナナミにえへへと笑いかけられて、困り顔だったマイクロトフも笑顔になる。
「……付け焼き刃にしては成功だっただろう」
笑顔で手を振り、戦利品に満足して帰っていく子供達の群れを見送りながら囁くカミューの言葉に、だからマイクロトフが答えたのも浮かんだままの笑顔だった。
「そうだ、な」
締め付ける袖に肩までも腕が上がらないのは、仕方がないことだと諦め、マイクロトフは笑顔を浮かべる。
なにはともあれど、こうして無事に騎士団長達のハロウィンは無事に終了したのだった。
Happy Hallows eve!!
back
* Simplism *
|