図書館はいつも独特な雰囲気がある。
ドアを開けて陽の光に溢れる表から、ドアを開け薄暗いこの空間に足を踏み入れる度に思うことだ。
あくまでもひっそりとした、しかしどこか懐かしい匂いがするのは、二階まで吹き抜けた部屋の四方を埋める本のために違いない。
静かな空間で響くのは頁を捲る紙ずれの音、どことなく乾いた香りに眼をやると、飛び込んでくるのは時を経た物言わぬ本の背表紙。そう、この空間は本で満たされているのだ。
一見同じように見える本達でも、訪れる人が手を差し伸べるのを息を潜めてじっと待っている本もあれば、目立たぬように静かにその存在を隠しているような本もある。本にも個性があるのだろう。
そう昔から感じていたことを、ある時漏らすと、目の前の人は微笑したものだった。
「ごめんなさい、やはりないようね」
慣れたように数段ある足台を危なげなく降りてきたこの館の主は、未練ありげに高い書架に一瞥を投げると、ため息をついた。
「誰かが今読んでいるか、…無断で持ち出したのかもしれないわ」
「そうですか」
念のためにともう一度貸し出しカードをチェックしてくれたエミリアは、予約を問い掛ける。
「いえ、また目に付いたときにでも借ります」
もとより切実に読みたい本というわけでもなかったのだ。親友との会話の最中にふと昔読んだ本を思い出し、散歩途中の気まぐれで探してみただけである。
じゃあ、目についたら取り分けておくわね。
そう微笑む相手に、申し訳なくさえ感じる。
「それよりなにかお勧めの本はありますか」
「お勧めの本ねぇ…。この間の遠征で頼んでいた本で、私が特に探していた本達はみんなで払ってるのよね」
新着本の棚には僅かに数冊残るばかり。先の遠征で大量に本を仕入れる盟主の姿を眼にしていた身としては、どれだけの本が彼女の指名だったのか気になるところである。投げかけた問いに対する彼女の答えは約六割。半分以上が彼女の要望によるものだという。
「まぁ、エミリア殿ほどの読書量ならば、読みたい本をすべて私費で集めるのは難しいでしょうね」
「そうね。グリンヒルにいた頃もかなりの本を、図書館のお世話になっていたわ」
職権をフル活用していろんな本を集めたものよ。
そう澄まして答えるエミリアは、だってねぇ、とため息混じりに続けた。
「読みたい本すべて買ってたらこっちの身がもたないわ。もちろん好きな作家や、好みのジャンルの本、それに一次資料のような最低限の本は揃えていたけど、置ける本の量も限りがあるのよね」
「確かに」
意外と重さも幅も取る本は、気を抜くとすぐに本棚から溢れ出す。
専門幅の狭い自分の読書量でそれなのだから、節操なく乱読する性質の彼女の部屋は押しなべてしかるべきである。
「だから自然にここが私の書斎みたいなものになるんだけど、書斎と違って自分の好きなように配置できないし、読みたい本がいつでも読めるわけでもないところが難点ね。代わりに思いがけぬ掘り出しものの本に出会う可能性がたまらない魅力なんだけど」
真剣な眼差しを本棚に流していたエミリアは、ふっと表情を崩す。
「そうだわ、これを読んでみない」
机に重ねられた本の山をの中から、くすりとわらって差し出された硬表紙の本は見慣れぬものだった。





「お帰り」
ドアを開けると少しの間の後に、恋人の出迎えの声が届く。
「外は寒かっただろう」
「昨日より一割増といったところだね。もう雪が降るほどではないけど」
ロックアックスとは違い、この地方は雪が降る期間が極端に短い。そうかと頷いたマイクロトフは、アダリーから作ってもらった簡易暖炉に薪をくべ、上にかけたケトルの湯をポットに注ぐ。
マグカップにも湯を注ぎ、丹念に暖めらたそれに紅茶を淹れると暖炉の前で手をこすり合わせていたカミューに手渡した。
礼を言ってそのまま敷布の上に腰を下ろしたカミューは、再び本を手にしたマイクロトフの手もとを眺めた。
「なんだ、今日一日本を読んでいたのか」
「あぁ、散歩ついでに図書館へ寄ってな。エミリア殿にお勧めの本を教えてもらって借りてきたんだ」
役職柄同じ日に休日を取れるのは月に一度あればよいほうで、多くの場合それぞれが平日に休日を割り当てられる場合が多い。今日は一人休日に振りあたっていたマイクロトフは、城に残って休息を取っていたらしい。最近よく行く図書館で、司書のエミリアと仲良くしているようだが、女性全般を苦手としていると公言する彼にとってはめずらしいことだった。
さてどんな本を彼女から薦められてきたのかと、中身をのぞくと驚くことに普通の小説、しかも恋愛小説で、カミューはその意外な組み合わせに思わず、読み手の恋人を注視してしまった。
「恋愛小説…なんて読むんだな」
「あぁ、初めてだがな」
真面目くさったいつもと変わらぬ表情で頷く彼に微笑が漏れる。
「面白いかい?」
「興味深いな。それに新鮮な感じがするし、勉強になる」
「勉強?」
「あぁ。他の人はどんなことを考えているのかなどな。本を読むと少し分かったような気がする。…どうやら俺はかなり鈍いらしいからな」
少し憮然とした表情に、どこからそんなことをからかわれてきたのか分かり、隣の傭兵二人組にカミューは内心クレームをつけた。
「でもそんなものだよ。誰も他人が本当になにを考えているかは分からないからね」
「カミューはどんな人のことでも分かっていそうな感じはするが」
「そう見えるだけだ。意識して理解しようとしても、どうしても思考回路に付いて行けないことが往々にしてある。だからこそ、本を読んで世界を広げようとするのは悪いことではないと思うけどよ」
そう言うとどこなく居心地が悪そうに本を玩んでいた恋人は、ほっとしたような表情で頷く。
「もっとも本を読むより実地で学んだほうが良いこともあるけどね」
もってまわった言い方で、わざとらしくもそう微笑すると、言いたいことを察したのだろう。
「例えば本に恋人を取られて、ちょっと機嫌が悪くなっている相手の機嫌の取り方とかか?」
「そう、かなり大切なことだと思わないかい?」
そう尋ねるてくる相手に問いで返すと、同意が返ってくる。
「確かに死活問題だな。で、どうしたら機嫌を直して頂けるのだろうか」
「では読書の成果を応用してもらおうか」
そう告げると、思案げな顔をしたマイクロトフは、おもむろに立ち上がり膝を就く。なにをするかと見守るカミューの手をとり、恭しくも接吻を落とし。
「とりあえずはこんなところで、…その後食事へでもどうだろう」
真面目くさった顔で尋ねてくる恋人に、カミューはこらえきれず笑いを漏らす。
「及第点だね」
とくすくす笑うその顔に、微笑したマイクロトフはもう一度接吻けを落とした。






20020217/Fin
  
MODELED BY CAMUS&MIKLOTOV / GENNSOUSUIKODEN 2
LYRIC BY AYA MASHIRO




Blue & Red * Simplism