[冬企画SS−3/火村×有栖] Day & Night 何度電話を鳴らしても返事のないアリスの家に火村が到着したのは、夕方のラッシュアワーにどうにか引っかからずにすんだ時間帯だった。 この前会ったとき締め切りが四日後とか言っていたので、さすがにもう終わっているのだろうと思いたいが、人生と小説家の執筆予定には何があるか解らない。ホテルで缶詰の時などは一応連絡を入れるアリスだが、たまに出かけているらしい日帰りの東京程度では果たして連絡を入れるかどうか。アリスの、よく言えばおおらかな性格ではそれを期待するのは難しかった。 例によっていつもの如く携帯の電源は入っていないようで、こちらも何度かけてもつながらない。あいつのずぼらさには困ったもんだと思いながら火村が玄関の鍵を回すと、カチッという音した。いやな予感と共にドアノブを回すと、案の定鍵がかかってしまったらしい。 「……家にいるときは鍵掛けろってんのに、アリスの奴」 一度自分の世界に入り込んでしまった小説家なんて、いてもいないようなもんだ。そうなったら鍵の掛けてない家なんて泥棒にどうぞ入ってくださいと言ってるようなもので、常日頃さんざん口を酸っぱくして言っているのにこの家の鍵がかかっていることは二回に一度位の確率でしかない。 「そのうち痛い目にあってからじゃ遅いんだぜ、まったく」 そう独りごちると溜息をついて鍵を開ける。何にせよこれであの呑気な小説家は在宅だということは判明した。 「おい、あがるぞアリス」 どうせ返事はないと解っている声をかけて、かって知ったる部屋の中に入り仕事部屋兼寝室を覗く。 「おや?」 てっきりここだと思っていたのだがどうやら居ないらしい。ちらっと覗いた台所兼リビングには人の気配がなかったのだが。 「アリス?」 そう声を掛けて静まり返った部屋を覗くとソファの陰になるように床に寝ころんでる姿が目に入った。猫が日向ぼっこをしているような姿勢で丸くなった周りには、原稿用紙やファックス用紙が散乱している。 「何やってんだアリス」 声を掛けるとぱちっと目を開けた。 「……見てわからんのかぁ?床と仲良くしとったんや」 「わかんねぇなぁ。俺はてっきりどこかの売れない推理小説家が、ひもじさのあまり行き倒れてんのかと思ったぜ」 普段寝覚めのあまりよくないアリスにしては驚異的な寝覚めの良さだが、果たして寝ていたのかいなかったのか。こんな至近距離まで近づいても気がつかなかったという事は寝ていたのだろう。何にせよこんな真っ昼間から昼寝とは、作家というのはいい身分だ。あきれ顔で火村は見下ろした。 「なんやそれ……ところで何で君がおるん?」 「あまりにも連絡ないんで死んでんのかと思っただけさ」 肩をすくめて答えると、そうなん?といまいちぼけた反応を返す。やっぱり寝てやがったか、と舌打ちしたい気分で商売道具のファイルや資料などを入れている鞄をソファにほおりだし、いい加減にぶら下げているだけのネクタイを緩めると、ぼーっとした顔でクッションを抱えたアリスが見上げてきた。 「……お腹空いたなぁ」 「何寝ぼけてんだよ、まだ五時だぜアリス」 「だって昼御飯食べてないんで」 「おいおい、大丈夫か。ちょっと早いがどっかに喰いにいくか」 「あー…外出んのめんどい」 なんだそりゃ、と憮然となる火村を上目遣いでみあげると、 「ほらたまには家でおいしい手料理食べてみたくなるやん」 アリスはにっこり笑った。 「一人暮らしだと必要に応じて料理の腕も上がるらしいぜ。やっぱ料理は上手い奴が作ったほうがいいんじゃねえのか」 「一人暮らしやからこそ、たまには愛情のこもった手料理が食べてみたいと思うんやんか」 「愛情ねぇ」 期待に満ちた瞳で見上げてくるアリスに肩をすくめて見せると、 「愛情に頼ってるようじゃ料理に進歩はないんだぜ」 と言いつつ火村はネクタイをほおり投げて台所へ向かった。 「で、何だってあんなとこで寝込んでたんだ?」 冷蔵庫をのぞくと鶏肉に卵、ベーコン、トマト程度しか入っていない。こりゃカレー程度しかできないなと思いながら鶏肉を取り出すと、野菜かごをあさる。 「別に寝とったわけやない」 「仕事してたわけじゃねぇんだろうが」 「確かに話書いてたわけやないけど一応仕事やったんやで。雑誌のインタビューの質問考えよったんや」 テーブルに頬づえをつくとアリスは口をとがらせた。 「んで、いつの間にか寝てしまったと」 「君もええ頃しつこいなぁ。難しい質問やったからちょっと黙想しとったんや」 「そうかよ」 玄関が開いて頭元に人が立つまで気がつかない位の黙想か?と突っ込んでみたくなったがやめておいた。どうせアリスのことだ。往生際悪くうーうー唸りそうだ。手早く野菜を切ると鍋でしっかり炒める。 「で、作家の先生が悩むようなどんな質問が寄せられてたんだ?」 話題を変えてやると、真面目な顔して考え込む。 「そうやなぁ、月並みなのは次回作についてとか、あとネタに関すること、いつ思いつくのかなんかゆう質問はミステリ作家なら定番やな。 今回のは好きな質問自分で選べて、ファックスで回答するゆう簡単なもんなんやけど……」 「ならすぐ済むじゃねぇか」 簡単に済ましちまえよ、と言いながら、こちらも簡単に鶏肉まで炒めると湯を注いだ。 「でもたまにおもしろい質問とか、普段あんまりない質問とかあったら、こっちもがんばって答えたくなるやん」 大阪人の血が騒ぐ、とか言って握りこぶしを作っているアリスのことだ。きっと質問にも、うけを狙って答えようとしてよけいな時間をかけてるのだろう。そうゆうとこがアリスらしいんだよな、と思い火村は苦笑した。 「あ、今火村笑ったやろう。君やていきなり質問されて自分の満足行く答えできるんか?」 「さぁな、ただ俺は作家の先生じゃねぇからな」 「作家じゃなくても答えられる問題やったらええんやな」 しめたという顔で椅子から立ったアリスはソファの周辺に散らばっている紙類を漁り始める。 「火村センセへの五つの質問や。ええと、まずこれ行こ。初恋は実るものだと思いますか?」 「人それぞれだろ。実る奴もいるし実らない奴もいる」 「火村センセはどうなんや?」 「ノーコメント」 実れば当然アリスには解るはずだろう。しかしどこか抜けているアリスはふうんという顔をして首を傾げた。 「じゃ、次。今切実にしたいことは何ですか?」 「……したい事じゃねぇんだけどな」 「なんや?」 「冷蔵庫に一個だけ残っていたトマトをカレーに入れていいもんかなと思ってな。お前トマトジュースだめだろ。液状にしてもかまわねぇか?」 「うまけりゃなんでもOKや」 「うまいよ。汁物はいろんなもの入れた方がうまくなる」 本当はワインなども入れたいところだが見あたらないので諦める。いまいち衣食住への関心が希薄なアリスの台所には最低限必要なものしかない。 「……結婚の予定は?」 だし抜けにそんなことを尋ねるアリスにトマトを持つ手を切りそうになる。 「そんなのも質問に入ってんのか?」 「アブソルートリーや」 興信所の調査じゃねえんだぞとつっこみたくなるがこらえて肩をすくめる。 「ねぇよ、んなもん」 こんな質問のどこがおもしろいんだろうか。 「そういうお前こそどうなんだ?」 「あったら今こんなことしてないで式場の予約に走るわ」 「隣の美人はどうした?」 「あぁ、彼女な、付きあっとる奴おるみたいやねん」 困ったような顔で肩をすくめる。 「それにただのお隣さんやで、君の勘ぐりは余計なもんや」 次いこ次、そう言って紙をのぞき込む。 「大人になったんだなと思ったときはどんなときでしたか」 「……忘れちまったな。お前は?」 「強いて言うなら免許取ったときかな」 お互いいまいちといった気分で顔を見合わす。 「じゃあ、ラスト。日夜これだけはしていると胸を張って言えることは何ですか?この問題が一番難しいんや」 「なんて答えたんだ?」 「いくら考えてもええ答えが出てこんねん。小説のネタ探しやったら敵の思うつぼやろ」 でもそれしかない、と頭を抱えるアリスをみやりつつ、 「お前の心配」 「へ?」 「売れない推理作家の心配だよ」 と肩をすくめて見せた。 「今だってしてるじゃねぇか、お前の飯の心配を。ほれ、出来たぜ」 火を弱め細かく刻んだルーが焦げ付かないようにかき混ぜると、カレーの匂いが部屋中に広がった。 火村の料理は上手いから好きさ〜、と歌うように言うアリスに苦笑する。 「だいたいお前が作るべき何だぜ、女房役はお前だろうが」 「そんなんフィールドワークの時だけやん。それに甘いなセンセ、最近じゃ料理は旦那が作るんだぜ、奥さん強いから。それを考えると結婚なんてするもんやないよな」 無邪気にそう言って、頂きまーすと食べ始めるアリスを見て火村は溜息をついた。 「おいアリス」 返事のないアリスに気がつきリビングをのぞき込むと、床に腰を下ろし頭をソファーに預けてすっかり寝込んでいるアリスの姿があった。 食後のコーヒーあたりからしきりに目をこすっていたから眠いのかなとは思っていたが。 台所の片づけで少し目を離したすきにさっさと眠りの国へ行ってしまったらしい。 「まったくまだ九時前だって言うのに……おい、こんなところで寝たら風邪引くぞアリス」 顔をのぞき込んで肩を揺さぶると、軽く眉を寄せ寝言を言うように唇が動く。思わず手を止めると満足げにまた軽く寝息をたてて寝てしまった。 「……喰うか寝るかだな。人間の三大欲っていうけど、おまえの残りの欲一個はどこいっちまったんだ?」 無防備にあどけない顔で眠り続けるアリスの髪を優しく梳き上げながら火村は苦笑してしまう。 「どうせお前の頭の中には小説のトリックのことしか頭にないんだろ。こっちは昼も夜もお前の心配ばかりしてるのによ。不公平だと思わないか、なぁアリス?」 そう呟いても何も答えずただ眠り続けるその顔をそっと撫で、愛おしげに目を細める。 どうせこいつの頭の中には自分の書いている小説のことしかないと解っているのに、そんな薄情な彼をずっと想い続けるなんて馬鹿なことを止められない。彼のどこにそんな魅力があるのかと聞かれてもきっと答えられないけど。 「……まぁ、いいさ…寝てろよ」 そっと抱きかかえ色素の薄い髪に唇をよせる。柔らかい髪の清潔な石鹸の匂い。腕の中にある確かな人の重み、そして暖かさ。彼が与えてくれる安らぎがどんなに自分を救ってくれているか。そのまま何も知らないままでいい。 たとえ言葉に出しては言えなくても望みは一つ。いつもそばにいて笑っていて欲しい。ただそれだけなのだから。 |