Calling 酔っ払いは性質が悪い。 「慎一郎、遅いぞ」 「…完璧に酔ってますね、緒方さん」 玄関を開けるなり、開口一番かけられた声に伊角は深く溜息をついた。 「言ってくれるじゃないか、俺のどこが酔っているっていうんだ」 そう嘯く男の姿に、ますます深い溜息をつく。 玄関口で壁にもたれ、腕を組んで偉そうにする男の姿は、確かにちょっと見ではいつもと変わらないようにも見えるだろう。 だが喜色をたたえた表情に、常よりも明るい口調、そして目許に滲む紅は、どうみても酔っ払った時の彼の特徴である。玄関まで出迎えに来ているあたり決定的としか言いようがない。普段の彼はまかり間違っても、出迎えなどしないタイプなのだから。 大体にして先ほどの電話からして怪しかった。 普段は緊急の用事でもない限り、メールですませる彼が、こんな夜更けにいきなり電話をかけてきたのだ。何事かと訝しがる自分に、『とにかく今すぐ来い』とだけ言って電話を切ってくれたのだ。 終電も終わった時間に何の用なのかと不審がる父親を罪悪感をかくしながら誤魔化し、車を出してくれるという申し出を何とか振り切ってタクシーを捕まえて辿り着いたのだが。 そこまでして見つけたものが、やけに態度がでかい酔っ払い一匹では、それはもう溜息の一つや二つでも吐きたくなるというものだ。 「で、何の用なんですか」 「用がなければ会ってはいけないのか」 つまり酔っ払いの単なる気まぐれで呼び出されたのだと開き直られて、今度こそ隠しようもなく盛大に溜息が漏れた。 「会うのはかまいませんよ。但し真夜中過ぎにいきなり呼びつけられるのは迷惑です」 「冷たいな、俺は慎一郎に会いたかっただけなんだぜ」 どの口がそれを言うか、という痒い台詞をしゃあしゃあと吐く辺りが酔っ払いたる所以なのだろう。だが普段はそっけない男に戯言と分かっていても甘い言葉をかけられるとうれしさを感じる辺り、自分ももう終わっているかもしれない。 「はいはい、分かりました。じゃあもう会ったから後はおとなしくベッドへ行ってくださいね」 こみ上げてくる照れくささを押し隠すように、わざと幼児をでもいなすような口調で簡単にそう流すと、まともに相手にされていないと感じたのか、男が表情を一転させる。 「俺に一度も勝ったことがないくせに、生意気だぞ」 「今の貴方にだったら俺でも勝てますよ」 「フン、言ってくれるじゃないか。なら俺が勝ったら明日は一日ベッドの中で付き合ってもらおうか」 「じゃあ俺が勝ったら、一日中碁の相手を真剣にやってもらいますからね」 「いいだろう」 そう言うなりずるずると壁にもたれたまま子供のように座り込む男に、笑いがこみ上げてくる。 「…ほら、緒方さん、起きてください。手を出して」 促すと素直に手を出す男に、握るでもなく差し出した手の形は<ちょき>。 「はい、俺の勝ちですね」 一瞬何の事かわからないように、目を瞬かせた男は、自分の開いた手の形と突きつけられたちょきにやっと事態を飲み込めたのか、むっとした表情を見せた。 「卑怯だぞ、慎一郎」 「俺は貴方の真似をしただけです。進藤君が呆れてましたよ。中学生相手に何をやったんですか、貴方は」 あれはどうしてもSaiの話を聞き出したかったからなんだ、そんな言い訳も今の彼がすると子供の愚図りにしか聞こえないな。そう苦笑しながら、今度こそその手を取り立ち上がった彼に肩を貸した。 「何でもいいですけど。ほらちゃんと動いてください」 体重をかけるように凭れ掛かる身体を支えながら、寝室まで辿り着く。 ベッドへようやく降ろそうとした所で、バランスを崩し二人してもつれ合うように倒れこむ体勢になる。この体勢はまずいのでは、と起きあがろうとした時にはもうすでに遅く。 「緒方さん、何するんですかっ!」 「何もかにも、ここでヤルことはひとつだろう」 にやりと上目遣いに笑う男に、我ながら頬が赤くなるのが分かる。 だが、それに流されると彼のペースにはまることは目に見えていた。 「その通りです。早く着替えて寝てください。酔っ払いは寝るのが一番ですから」 着替えなくてもいいですからさっさと寝てください、そう言いながら、不埒な動きを仕掛ける両手を取ると、一瞬不満そうな表情を浮かべた男は、しかしすぐに大きな欠伸をする。何事か呟いた男は、しかし素直に目を閉じた。 「…緒方さん?寝たんですか?」 ずっと続く沈黙に問い掛けるも返ってくるのは、穏やかな寝息だけ。 どうやら気力が、酒の力に勢いを押された睡眠の波に浚われてしまったのだろう。あっという間に意識を手放した男に、呆れ半分の笑みが漏れた。 そっと握っていた手を離し、眼鏡を外すと秀麗な寝顔が露になる。 何度見ても見なれない、穏やかな男の顔。 囲碁界で限りなく頂点に近い男が、自分の傍で穏やかに眠っている。 それはとても不思議な気分だった。 自分にとってこの男は、恋人というよりも倒すべき目標という意識のほうが強い。無理矢理に近かった自分達の関係の当初から、その意識にかわりはない。 それでも。 こんな風に我侭を言って甘えてくる傲慢な恋人に、限りない愛おしさを感じるのも確かで。 はだけたシャツに顔を埋めるように眠り込む男の髪を、そっと掻き揚げ苦笑をもらす。 「…こういう風に我侭を許すのはいつか貴方に勝つまでですからね」 勝った折にはこれまでに利子をつけて我侭を言って振り回してやるのだから。 小さく囁いたその言葉が聞こえたのか否か。 眠りの中の男は小さく身じろぎをした。 |