あまい誘惑 おまけ  





 
 
イギリスさん視点の本編の雰囲気をぶち壊す話です。
ご注意ください。 
   



 

 イギリスは本当に趣味が悪いと思う。
 いや、趣味というよりも感性がおかしいのか。
「すげー甘い美味そうな匂い」
 こたつに入ってDVDを眺める日本の背後に陣取り、高い鼻梁を髪に埋めたイギリスは、蜂蜜シロップのように甘ったるく滑らかな声で囁きかける。唇を耳に押し当てるように流し込まれる声は、実に居心地悪く尻がもぞもぞしてしまう。
 美味そうな匂いと言われても、使っているのはドラッグストアの特売品、シャンプー&リンスお徳用セット五百ml七九八円底値ですねありがとうございました! な品である。
 それこそ良い香りだと彼が持ち歩いていたシャンプーのラベルをこっそりグーグル先生で調べて、二百mlで三〇ポンド、日本円で四千五百円……王室御用達怖い! と遠い目になった日本には、彼の台詞は厭みにしか聞こえない。
「はぁ……ありがとうございます。特に拘りのない安いシャンプーなんですが、ご不快でなければ幸いです」
「安物って…少しは拘れよ。変なもの使ったら髪が傷むだろ。それに金を使わないでデフレがどうのって言えるかよ」
 ええ、ええ、知ってますよ、イギリスさんは自分の香水に合わせた拘りの特別調合ですよね。皇室御用達なんて制度、うちは廃止されましたし、一億総中流という国民意識が根強いこちとらペンハリガンなんて普段使いできないです、はい。
 ――とスルメのように乾いた声でそう返したいが、もちろんそんなことは言えるはずがない。 
 馬鹿にしたような言葉と裏腹に、声色はあくまでも明るく、今にも鼻歌が聞こえてきそうなイギリスなのだ。
 下手にそんなことを返すと――
「まぁ、あれだ。お前にやった香水に合わせて一式贈ってやってもいいぞ」
「あ、いえ、それは……」
「か、勘違いするなよ! 別にお前んとこのシャンプーがどうこうとかじゃなくて、本来なら揃えるべきものを失念して香水だけなんて片手落ちだからな」
 言わなくてもウキウキと出された提案に、内心溜息を吐く。
 昨日、山のように持ってきた『誕生日プレゼント』とやらに、自分をイメージして調合させたという香水があったのだ。
 もじもじと顔をトマトのように赤く染めて曰く、彼の香りと融けるとより一層馨しくなるという代物とのことで、まぁ確かにムスクが利きすぎない上品な香りはイギリスの早朝の深い森を思わせるそれと違和なく混じり、心地よい深呼吸に微笑んだのを覚えているのだが。
「なんだよ、もしかしてあの香り、気に入らなかったか?」
 どうしたものかと黙り込んだ日本に、イギリスは狼狽えた声を出した。
 昨日も笑顔で受け取って、今だって付けてるでしょうに。
 内心呆れながら、巻き付く腕が緩んだのをいいことに、拘束からするりと抜け出し、振り向いてイギリスを見詰めた日本は、「あ、見るんじゃなかった」と目を逸らした。
 キラキラと冬の陽射しを浴びて光り輝く黄金に、透けるような白皙の頬は男らしい鋭利さと優雅さを象っている。不安そうに揺らめく翠はけれども宝石より輝いていて――
 こんな言葉も詰まるような綺麗な顔が至近距離にあると、ほんの一瞬前まで考えてたことすら蒸発してしまうではないか。ああもう爆発してしまえ、この無駄イケメン! 
「な、なんとか言えよ……」
 オロオロした声なんか出しやがって、卑怯なんですよ、あなたは! ここで私が八つ橋破って本音さらけ出したら、傷ついた顔してほろほろ泣いちゃうんでしょうが、この豆腐メンタルめ! その癖甘い顔したら成層圏突き抜ける勢いで図に乗るし、なんだってこんなに振れ幅広すぎるんですか! いっそあの時、抱いてやればよかったですかね、そしたら少しは大人しく落ち着いて腕の中で愛らしくにゃんにゃん鳴く子猫ちゃんに――
 なるわけない……とこの二ヶ月弱で改めてイギリスの肉食獣っぷりを否応なしに体感させられた日本は心の中でがくりと膝をついてよろめいた。
 いやまぁ、あの晩「私があなたを抱く立場になるなら、付き合ってあげていいですよ?」と言った時は、半ば本気だったのだ。とはいえ、それはイギリスが受けるはずはないと踏んでの言葉であって、G&Hのスーツを惜しげもなく雪の舞う往来で土下座して、「それでもいいから」とぼろぼろ泣きながら訴えられた日には、その時点でかなり腰が引けていた。
 確かに記憶の中のイギリスの躰は、男の己の眼からしても惚れ惚れするほど美しく、綺麗に鍛えた筋肉も青年らしい瑞々しい肌も、昔イギリスがなんだかよく分からない言いがかりをつけて自分を抱いた時からきっと変わってないように見え、思い出せば挙動不審になるくらいそそられるし正直欲情もする。
 それに綺麗な顔が快楽に融けて気持ちよさそうに喘ぐのを見たいとか、自分の手で気持ち良くさせたいとか、そういう欲がないかと言われれば「ありますけどね」と答えるしかないけれど、「けどね」というのがポイントなのである。
『私だって日本男子、漢ですから!』と死地の赴く悲愴な覚悟で、云十年ぶりに肌を晒し合い、イギリスを押し倒した時、「おれ、初めてだから優しくしてくれよ」「ぜ、善処します」「それっていいえってことかよ? あ、それから本当に初めてだから慣れるために最低一時間以上前戯でたっぷり馴らして、躰が忘れないために一週間欠かさず毎日抱いてくれよ?」と今からにゃんにゃん啼かされる子猫とは思えぬ図々しさでそう宣われた時に、日本の心は折れた。
 ああ、そうだとも。
「抱きたい」と思ったことがないといえば嘘になるが、こちとら枯れに枯れまくり、最早二次元で充分満足できます面倒は嫌いですな二千云百才。
 欲は面倒という二文字の前に霧散する。
 絶句した日本に「だっておれだって最初の時、そうやって抱いてやっただろう?」とするりと浴衣に手を忍ばせて、「嫌なら代わりにおれが全部やってやる」と押し倒したイギリスに内心安堵し、くるりと体勢を入れ替えられて口を塞ぐキスに大人しく舌を絡めた時点で決着はついたのだった。
 いい加減この生殺しの進展のない関係に終止符を打って、嫌われて避けられてせいせいしたいという後ろ向きな気持ちから隙をみせた自分と、これをチャンスと一気に攻勢にかかった彼では、その意気込みで勝敗が決まったのは当然。
 にゃんにゃん啼かされるはずの子猫は獰猛な肉食獣にクラスチェンジして、話が違うという悲鳴は喘ぎに代わり、にゃんにゃんどころか思い出したくもない赤裸々な喘ぎを上げさせられ続けたのは自分の方だった。睨んでも罵っても、脂下がった笑みで「約束だから」と嘯いた彼はきっちり一週間、文字通り日本の上に居座って、それからは毎日鳴る電話とネットの音声チャットが喧しい。
 そのくせ、どれだけ水を向けても絶対に「愛してる」という言葉は言わないし、けれどもその程度の存在ですか私は、とやさぐれるには、イギリスの言動は重すぎるのだった。
 黙って翠の瞳を見詰める。
 おろおろ見下ろすイギリスの顔には『不安で一杯です』と描かれていて、内心溜息を吐く。
 やはり初手を間違えただろうか。
 あの時へたれずにマウンティングで自分が上位だと躰に教え込み、飴と鞭できっちり躾ければ、この感情が不安定な彼も陽だまりで微睡む猫のように穏やかに幸せそうな顔で、促すまま素直に愛の言葉を語るようになったかもしれない。
 しかしなぁ、と心の片隅で黒い悪魔がにょきっと顔を出した。
そう簡単に幸せを満喫されたら、百年以上も片思いをし続けた自分の立つ瀬がない。
 今も昔も自分のことを好きなくせに、言葉に出来ないヘタレなのだ。せめて一言だけでも素直に言ってくれるまで、せいぜいあたふたしてもらいましょうとも。
「――香りは嫌いじゃないですけど……」
「けど?」
 期待と不安でおろおろとする彼に、思わせぶりに目を伏せる。
「なんだかマーキングされているみたいで、気が進みません」
 そう溜め息を吐いてみせると、「マーキング?!」「え、あ、嫌なのか?!」と赤くなって青くなって餌を待ち構える鯉のようにイギリスは口をぱくぱくさせて慌てふためく。
 感情が乱高下するイギリスは、これはこれで可愛いのだ。もうちょっとぐらぐらしていればいい。
 そんな意地の悪いことを思う自分に「いや、マーキングだなんてそんなこと、べ、べ、別に思ってなんかないんだからな」と必死になって弁解する彼はやはり趣味が悪いのだろう。
 そして素知らぬ顔の意地悪で涙目にさせては、宥めるために抱きしめ、必死に抱き縋られて嬉しくなる自分はもっと趣味が悪い、と日本は自嘲したのだった。
 
 




本当はイギリスさん視点の計画計画!なお話になる予定でした。
さすが元大英帝国、奸計は得意ですよ、みたいな。
日本さん視点にしたら本編クラッシャーでびっくりでした。



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