イギリスさんと日本さん





 夕方の便で着くと連絡した日本の家に、一便早い便に乗ったイギリスが前触れもなく訪問したのは、ちょっとした悪戯心からだった。
 アポイントを無視した訪問は勿論紳士として感心できる振る舞いではないが、日本とは恋人同士。そこまで四角四面の他人行儀が必要な仲でもないし、不都合があれば家には上がらず、外で時間を潰す心づもりはある。
 単にいつ訪れても隙のない完璧な接遇をしてくれる彼の素の表情が見たいだけで、驚いた顔の一つでもしてくれればそれで満足だったのだが――

「ゴメンクダサイ」

 チャイムを鳴らせばインターホンで対応されるかもしれないと、恐る恐るノックし(どうして日本の玄関のドアはガラス張りなのだろう。空き巣に入ってくれといわんばかりの無防備さではらはらする)、うろ覚えの挨拶をかけるが、返事がない。
 留守だろうか。
 その可能性は念頭に置いていたものの、少しがっかりする。
 仕方がない。どこへ行こうか。
 そうぼんやり考えながら、玄関の引き戸に手をかけたのは無意識でのことだったが、するりと開いたドアにイギリスはあっけにとられた。

――え? 鍵がかかってない?

 留守じゃないのか?
 鍵をかけ忘れて外出したのだろうか? ――意外なところで抜けている日本ならばやりかねない。
 むしろ意識的に鍵をかけずに出掛けた可能性だってある。なにしろ常識外れの平和呆けの国だ。
 いや、この時間ならもしかすると昼寝をしているのではないか。
 宵っ張りの早起きのせいだろうか、日本はいつも睡眠不足を訴えているのだ。

 そろそろと引き戸を開けてみると、玄関には彼の革靴と草履が端座している。
 やはり在宅の可能性が高い。
 寝ているのならば起こさないように、と気配を殺しながら靴を脱ぎ、そっと家の中に入る。
 日当たりの良い縁側が昼寝の定位置だが、姿は無い。
 私室だろうか? 
 足を進めようとしたイギリスだったが、台所から聞こえた微かな音にそちらへ向かう。
 そして眼に飛び込んできた日本の姿に固まった。
 

 全裸に辛うじてタオルで局所を隠しただけの日本は、凝視する視線に気づいたのか、振り返り、眼を瞬かせた。
 あまり驚いたようには見えないが、多分驚いているのだろう。100年以上のつきあいで、そして恋人同士であるものの、彼の表情を完璧に読み切る自信はない。
 ――などと頭の片隅でぼんやり考えるのは、生々しい恋人の裸体に脳が半分以上緊急停止しているからだ。
  薄らと水分をまとった張りがある滑らかな肌、上気して血色の良い躯の温もり。そんなものをうっかり記憶から引っ張り出してしまうと、とんでもない惨事を引 き起こしかねない。一時の快楽のせいでその後の滞在中手酷い拒絶を受けるならともかく、静かにマイナス評価を蓄積され、ある日いきなり縁切りされるなんて 恐ろしい目に遭いたくはない。なにしろ相手は不快やクレームも笑顔の下に押し隠す日本なのだ。

「おや、イギリスさん? ええと、夕方の便でお見えになるという話ではなかったのですか?」

 硬直しきったイギリスの舌を解いたのは、ほのかに困惑が滲む日本の問いだった。

「ちょ、お前なんて格好してるんだっ!」
「ああ、これは失礼しました。風呂に入っておりましたので」
「失礼とか、そういう問題じゃねえ! 服着ろよ、馬鹿ぁ!」

 叫びながら、既視感に襲われる。なんだかこの会話は昔したような……

「……思い出したぞ! 昔、裸は恥ずかしいことだって教えただろうが」
「あー……そう言われて見ればそんなこともありましたね」

 日本が開国した初期も初期、まだ和親条約を結んだ直後のことだったか。銭湯とかいう公衆の風呂からほぼ裸体で往来へ出てきた日本相手にそう説いたことがあった。
 既視感もあるはずだ、今の彼は、まさにあの時の格好そのままだ。
 
「お前! 俺の話聞いてなかったのかよ!」
「は? いえ、あれ以降は往来で肌を晒すことはなくなりました、はい」
「でも今お前全然恥ずかしがってないだろ!」
「ここは自宅なんですが……」

 それでも恥ずかしく思わないといけないんでしょうか……というぼやきに「当然だ!」と返す。なぜそんな肢体を人目に晒して、平気な顔でいられるのか理解に苦しむ。見ているこちらが心臓が跳ね、背中がそわそわと落ち着かないくらいの艶めかしさなのだ。
 なのに日本は、視線を逸らし裸体を視界に入れないようにしているイギリスの努力など気づかぬのか、不満そうな声を出す。

「しかしそう言うイギリスさんもおうちではよく裸になられているという噂を耳にしておりますが。確か三回に一回は裸で電話の応対をされるとか……」
「はぁ? 俺の裸とお前の裸じゃ全然意味が違うだろうが」
「……違いますか?」
「当たり前だ!」

 日本の裸はエロい。
 目のやり場に困るくらいエロい。
 理性が押しとどめなければ、即押し倒して邪魔な布きれをひん剥き、ひぃひぃあんあんやだやめておっきすぎてこわれちゃうだの甘い声を上げさせて、一晩そのまま愛欲コース一直線と行きたいくらいエロい。
 ――が、それを馬鹿正直に告げれば、エロい身体に似合わぬ潔癖で頑なな精神を宿す恋人は、臍を曲げるであろうことなど目に見えている。
 なので、あくまでも彼が原因とは言わず、彼の大好きな迷惑とやらを引き合いに出すことにした。

「お 前んとこの国の中だけの話ならともかく、他国相手だと東洋人の男が警戒心なしでそんな格好してたら、誘ってると思われて押し倒されて襲われるんだぞ!  べ、別に人種差別とかじゃなくてだな、その、肌質とか顔立ちとか雰囲気とかそういうので東洋人がそういう対象にされやすいって話だ! 大体お前は変なとこ ろで愛想がいいから、相手によっては誘ってるように勘違いする可能性だってある! 別にお前がそんなつもりじゃなくても、相手が誤解させるような真似をし てうっかり相手は襲ったら相手にも迷惑になるだろうが!」
「いやいや、まさかこんな爺を襲うような物好きはいませんよ。それにイギリスさんの裸も充分……」
「はぁ?! 何言ってんだ! そんなのそこら辺にうじゃうじゃいる! そんなこと言ってるから平和ボケとか馬鹿にされんだよ! もっと危機感持て、自分の家だからって気を抜くんじゃねぇよ! いいからこれ着ろ!」

  持ってきた薔薇の花束をテーブルに置き、背広を脱いで無理矢理押しつけると、いかにも渋々といった態で日本は肩に羽織る。さほど大柄でもない背広でも些か 肩が余るその姿はなんだか余計にいかがわしくなった気もしなくはないが、つやつやで美味しそうな無防備な裸体よりはましだ、と思う……ことにした。
 しかしこの危機感のなさ、もしや……

「ま、まさかお前、他のヤツの前でも平気でこんな格好してんじゃねぇだろうな!」
「そんな不作法な真似はいたしませんよ。……その、イギリスさん相手なので気が緩んだといいますか……」
「そ、そうか」

  他の国のヤツらには見せていないという返事にほっとしつつ、自分だからという言葉に少し赤くなる。つまり自分は恋人だから特別だ、ということなのだろう。 それはそれで嬉しいような、しかし悩ましいような……とにやけていいのか困った顔をするべきなのか複雑な気分のイギリスに、「あの……」と背広の襟をそっ と抑えて身体を隠す日本が困ったような顔で首を傾げている。

「な、なんだよ」
「いえ……、その、イギリスさんが裸が恥ずかしいと思えと仰ったのは相手に迷惑だからということなんでしょうか」
「まぁ……そうだな……」 

 日本の貞操も心配だが、見る方の心臓にも悪い。女の裸なんぞ見飽きて動じない自分だって目のやり場に困るくらい色っぽいのだ。
 そんなもの晒されたら、相手に犯罪者になれと言っているようなものだ。

「分かりました。ではこれからはできるだけ人目に肌を晒さないよう、前向きに検討させて頂きます」

 なんとなく納得しきれていないような表情でそう結論を出す日本に、うんうんと頷く。
 隙をついて、少し無理矢理コトに雪崩れ込むのは、スリルもスパイスで燃えあがるが、後で払う代償も大きい。その気もないのに裸体を晒し、精神力を試されるのは勘弁して欲しいものだ。
 無理強いをしなくても求めれば求める以上に淫らに応じてくれる恋人なのだから、関係を壊すようなリスクは避けたいものだ。

「あの、つかぬことをお伺いしますが、中国さんや香港君が私と同じような格好だったら、その、……イギリスさんはうっかり襲ったりするんですか?」
「んなわけないだろうが!」
「あーちなみにフランスさんとか……」
「眼が腐る、想像させるな!」
「さようですか……」

 今夜はどうやって恋人を愛でようか。そんな楽しい算段をしていたイギリスは、とんでもない質問に顔を蹙め、不機嫌な声を出す。楽しい妄想に余計な成分を放り込むのはやめて欲しいものだ。
 今のマイナスポイントは夜に取り立ててやる! とこっそり騎上位オプションを付け加えると、そんな物騒な予定を知る由もない日本は、

「あー……すみません、なんだか今頃恥ずかしくなってきました……」

 なぜか今度こそ本当に恥ずかしそうに眼を伏せる。
 着替えてきます、とそそくさと横を通り抜ける姿を目で追えば、その耳は赤く染まっている。
 何がどういう理由でいきなり恥ずかしさを覚えたのかさっぱり分からないものの、ようやく人前で不用意に裸体を晒すのをやめてくれるのであろう恋人の意識の変化にイギリスは安堵し、後で絶対理由を聞き出してやろうと決めたのだった。

 しつこいイギリスの追及の手に、真っ赤になった日本が息も絶え絶えにそれを白状し、その理由を聞いて同じくらいイギリスも赤くなるのはほんの数時間後の未来。
 


 



何か絵を下されとゆずさんに頼んだら銭湯ショックの絵が来たので。
もう100人くらい同じようなネタで書いてるんだろうなー出遅れたよねーと 思いつつも、まぁ島国者なら課題の一つと思い書いてみました。
銭湯ショックの何が素晴らしいかって、あの海賊上等エロ紳士のイギが日本さんの半裸に真っ赤になってるとこですよ!
そんな純情なたまじゃないくせにー・・・とによによしてしまいますよ。
可愛いよ島国!
あ、ゆずさんの絵がコミカルなのに、やけに性的な話になったのは、ゆずさんの個人誌を読んだ後に書いたからです。ゆずさんのせいです。(責任転嫁)



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