「日本、ここのトーン指定どっちから?」
「……上からグラデ濃くでお願いします」
「はいよ」
 ぺろんとフランスが掲げて見せた原稿用紙をややあってPCから顔を上げた日本が一瞥し、無表情で指定を出す。
 すぐにモニターに視線を戻した彼の頭は、目の前の原稿のことで一杯なのだろう。
 壁のカレンダーに大きく赤丸で描かれている〆切りの日付を思えば、それは尤もなことだった。
 
 
 
 
      労働の対価



 ただいま日本邸は夏の祭典に向けての絶賛修羅場中である。
 リリカルなオリジナル清純少女漫画からいやんらめぇなエロエロパロディ漫画までなんでも描きこなす彼は、同人界で知る人ぞ知る存在で、マニアックな人気を誇っている実力派同人作家だ。
 十年以上前に偶然同人誌専門古書店で彼の著作を発見し、その世界観にどっぷりはまったフランスは、その時点では日本がその作者だと知らず「すっごい同人作家見つけたんだよ!」と喜び勇んで報告したのだった。
 何度も何度も読み倒した本を片手に「この細い線と丁寧な背景が」だの「このページの主人公のなんとも言えない表情が」などと熱烈に褒めちぎり、「この作者は絶対あの古典のファンで」「このモノローグはきっと」などと蘊蓄を語り倒したフランスの言葉を最後まで黙って耳を傾けた彼は、無理矢理押しつけた同人誌をうつむいたまま受け取ると、蚊の鳴くような小さな声で「……ありがとうございます」と呟いた。
 その時初めて目の前の耳たぶから指の先まで真っ赤になった彼が、その作品の作者だと知った。
 それ以来フランスは同人作家としての日本の大ファンである。
 
 萌は心の栄養、二次元は精神のオアシスです! と力説する彼の持説には心から同意するし、彼の作品はなんでも読みたい。
 国であるからにはかなり激務な本業(?)の仕事をこなさねばならないのは、フランスも同じ国という立場であるからその事情も分るし、趣味の同人活動はどうしても二の次になるのも理解できる。
 でも日本の、彼の新作も読みたいのは、ファンとして当然の心理だ。
 ということでできるだけ同人活動に集中できるようせっせと日本の世話を焼いているうちに、いつの間にか原稿の手助けをすることになり、最初は消しゴムかけから始まったその手伝いがやがてべた塗りになり、トーン張りになり、そのうち背景も任され、モブ人物や特殊効果まで描きこなせるようになってしまった。なにしろ美と芸術の国フランスだ。コツさえ掴めばそのくらいのことは余裕である。
 この時点で、フランスは立派なアシスタント要員として日本に認識され、原稿時期には一緒に作業するのが当たり前になったのだった。
 大ファンである日本の原稿を手伝えるのは、フランスにとって大歓迎。まるで夢のような話である。
 だからTwitterを始めた日本が「〆切りがヤバイです」と呟けば万難を排して飛んでいくし(散々漫画とアニメ漬けになったお陰で、日本語をしゃべるのは無理だが読むのと聞くのはなんとなく分るようになった。萌はつくづく偉大だ)、「朝から原稿、腹減って死にそうでござる」などというSOSを見れば、国際電話で懇意のホテルに日本の家までデリバリーを頼む。
 今日も今日とて、「本当に原稿やばいんです〜」という様子伺いの電話の返事に慌てて飛んできたのであった。
 
 さて、半日以上かけて極東の日本の家にたどり着いてみると、既にドイツ、イタリアも来ていて、その付属でプロイセンとロマーノまでくっついてきていた。
 芸術はなんでも大好きなイタリアはともかく、萌にあまり興味のないドイツは本音の所では日本の同人活動はどうでもいいと思っているようだが、一度日本が夏ばてと原稿修羅場でぶっ倒れた所に居合わせてからというもの、この時期になると早々に原稿のスケジュールをチェックし、自主的に手伝いにきている。
 無駄に生真面目で計画性の高いドイツらしい行動、涙が出そうになるくらい厚い友情である。
 もっともドイツは絵心など皆無だ。
 その代り工業デザインなら得意だというので、漫画の枠線や集中線などを試しに任せてみると、これがなかなか良い仕事をして使える男だった。逆に予想外だったのはイタリアの方で、一度「背景頼む」と渡した原稿に話の流れを無視して気分が赴くままに無駄に豪華な背景を描かれ、どうしたものかと途方に暮れて以来、彼にはきっちり指定付でないと原稿が任せられないということが判明した。
 ちなみに全く修羅場の役に立たないどころか邪魔になるプロイセンは毎度日本の愛犬ポチの世話、同じく役に立たないがフランスと弟の指示は素直に受けるロマーノは、消しゴムかけやメシスタント(献立はパスタ料理のみだが)でこちらはそれなりに力になっている。
 とはいえ、そろそろ原稿も佳境。
 他のメンツは昨日から徹夜の作業だったようで、ドイツもイタリア座布団を枕に撃沈中。プロイセンはポチとどこかへ行ってしまったのか姿が見えず、手伝えることがなくて夜はさっさと寝たというロマーノだけが日本のネット用デスクトップをいじって遊んでいて、その横の大きな作業机(掘り炬燵仕様なのがさすが日本である)でノートPCになにやらカタカタ書いている日本と、こちらは線入れと一部背景が終わった漫画原稿をせっせと完成させているフランスが向かい合って作業をしている状態だった。
「で、日本は今は何描いてんの?」
「……『お姉さまとワルツ』のユメカオ18禁小説です。昨夜いきなり萌の神様からコピー本を出すように託宣を受けてしまいまして」
「あー昨年アニメ化された美少女小説ものね。お兄さん、ユメカオより、上世代のルリアキの方が好みかなぁ。……へーでもあれ、菊ちゃんとこで扱ってたんだっけ?」
「ちょろっと4コマを書く程度でしたけどね。しかしネタが降りてきてしまったものは仕方ありません。さすがに漫画は時間的に無理ですけど、小説ならなんとかなるかなと。萌は熱いうちに書けですから」
「確かに。名言だね。じゃあ今回はオリジナル長編と、このルリカのパロとユメカオコピー本の三冊?」
「ですね。まぁ、間に合えばですけど」
「間に合うでしょ。コピー本の方は分量わかんないからあれだけど、こっちは多分余裕よ。今日はいつもの邪魔がいないしね。……味音痴兄弟はどうしたのよ?」
 毎度毎度原稿時期にやってきては、やれお腹がすいただの、まだ終わらないのかなどと絡んでみたり、酷い時には横で兄弟喧嘩までして邪魔をするはた迷惑な二人の姿が今日はない。
「アメリカさんには前もって電話で、『これは聖戦なんです』とお伝えしたら、納得して頂けました」
「あー……なるほど。学習できたわけね、一応」
 誰の教育が悪かったのか(眉毛の馬鹿に決まっているが)傍若無人を絵に描いたらこうなりましたなアメリカは、最近萌を理解するようになり、原稿中の妨害を控えるようになった気がする。
 それとも一昨年アメリカの妨害で原稿を一本落とした時、半年近く日本の家で牛乳とデリバリーピザしか出されなかったことが効いたのか。(いくらピザが主食でも、全員日本の作ったおいしそうな日本食を食べる中、毎回一人だけピザという罰はさすがの彼にも堪えたようだった)
「で、眉毛の方は?」
「さて、……色々とお忙しいのでしょう」
 ひんやりとした口調になった日本に、これは何かあったな、とフランスは睨んだ。
 実に不可解、理解不能なことに、日本はあの眉毛と付き合っているのだった。
 友人としては理解できない趣味の悪さを止めたい気もあるが、個人の自由を尊重する主義なのでとりあえず忠告だけして傍観しており、一ファンとしては彼の感性が充実しより良い作品を生み出せるというのであれば応援するしかないよね、というのが今のところのスタンスなのである。
 もしかしてあの馬鹿眉毛と喧嘩でもしたのだろうか。
 このテンションの低くさが原稿に影響しなければいいのだが、とちらりと心配したフランスは、話題を変えることにした。
「ふーん。ところでお兄さん、お手伝いのご褒美欲しいなぁ」
「何がいいですか?」
「そうだねぇ」とトーンナイフで輪郭をなぞりながら、思案する。
 最初に原稿のアシスタントをした時、描き損じの原稿とスケブに当時はまっていたキャラを描いてもらってからというもの、原稿手伝いのお礼にと日本はリクエストした作品をフランスのために描いてくれるようになったのだった。
「ルリアキの十年後の告白話とか? ああ、でも日本はユメカオなら無理かな」
「いえ、別に萌が無くても描けるのは描けますから」
 それでいいなら、とさらりと受ける日本に、フランスは顔を上げた。
「ん? 萌が無くても書けるんだ?」
「ええ、そりゃ一応同人者の端くれですから、書けと言われればなんでも書きますよ」
「えーだったらお兄さんとオーストリアのBL小説とかはどう?」
 さすがにそれは無理だろう、と己にツッこむ無茶振りをするが、
「……同人萌に一般人の方を巻き込んで迷惑をかけるのはオタク道に反します。それに私ハンガリーさんに殺されたくないです」
 冷静な声で拒否する日本は、だがけして描けないとは言わなかった。
「いや、むしろハンガリーは喜ぶんじゃない?」
「……そこはノーコメントで」
「でも菊ちゃん、BLもいけちゃうんだ?」
「そうですね。書こうと思えばそれはなんでも書けますよ。漫画で描けと言われたら正直まったく楽しくないので勘弁してほしいですが、小説くらいなら書けますね」
「じゃあ、お兄さんと菊ちゃんの話でどうよ?」
「ああ、私、ドリーム小説は苦手なんです」
「あーなんかあるみたいだねそういうジャンル。てか、自分題材でも書けないって言わないとこがすごいよね」
 しみじみ感心して呟くと、
「与えられたカップリングをいいえと言わずまずは書く、それこそが私の心得なのです」
 日本はどこかで聞いたことがあるような言葉で返した。
「おおおお!!」
 思わず拍手するフランスである。
「しかしやはりBLよりは……」
「おわッ!」
 そう言いかけた日本の言葉を不意に遮ったのは、横で片膝を抱えてネットサーフィンをしていたロマーノの奇声だった。
 ちらっと視線を上げただけで口を噤み、原稿に集中する日本の姿にちょっと笑うと、フランスはロマーノの方に身体を寄せた。これがフェリシアーノなら素直に「見て見て、フランス兄ちゃん!」と呼ぶのだろうが、内弁慶なロマーノはこちらから声をかけてやらないといけない。そして無視するといじけて泣いてしまう脆さももっている手のかかる弟分なのだ。
「こーら、ロヴィー。勝手に人のアカウント見るのはマナー違反でしょうが」
 こら、と小さく頭を小突いてやると、むっとした顔を作ってみせるが、その前の一瞬だけほっとしたような表情をのぞかせる。日本とフランスの話がオタクすぎて入れなかったのが寂しくて、構ってもらえるのが嬉しいのだろう。
「だって日本が使っていいっていったんだぞ、コノヤロー」
 拗ねたように上目づかいで口を尖らせる姿が可愛くて、頭をわしゃわしゃと撫でると表情ばかりは嫌そうな顔を見せるが素直に撫でられるがままになる。
「ああ、いいですよ。どうせ日本語で読めないでしょうから」
「わ、わりぃ! いや、俺自分のアカウントチェックしたくてさ……。でもお前、これすごい数のリプライとDMとだぞ」
 やや怯んだ声でロマーノが指さす先を見れば、確かにTwitterのTLが同じアイコンで埋まっていて、ダイレクトメールのお知らせもちょっと怖い数だ。
「確かに。なにこれ、日本?」
「……気にしないで下さい。ただのネットストーカーです。無視すれば実害はありません」
「でもよー、こんだけ延々送ってくるってどんなヘンタ……うう゛ぇー……」
 怖いもの見たさなのか、相手のアイコンをクリックして個人ページを表示したロマーノは、自己紹介の名前に泣きそうな声を出す。
 ”アーサー・カークランド 現在地UK”
「……あー……」
 ざっと見たところ、アーサー・カークランドなる人物のTLは延々日本宛のツィートで埋められていて、殆どが謝罪と言い訳だ。
 コイツは全世界発信のTwitterで何を書いているのだか。
「……もしかして坊ちゃんのせいで原稿が遅れたりした……の、かな?」
 ここで固有名詞を出すのも怖くて、海を挟んだ隣国の眉毛を暗に示唆すると、部屋の空気が10℃は下がった気がした。
 ビンゴ、ではあるが己の勘の良さが全く嬉しくないフランスである。
 精神的には天然のクーラーいらずだが、この寒さは体感に還元されるわけでもなく、なによりも精神衛生に悪いので、通常気温に戻していただきたい。
 横のロマーノなどすっかり怯えて、「ちぎー!」と涙目になっている。
「わ、わかった! いいこと思いついた菊ちゃん! リクエスト! 鬼畜本田攻めの眉毛受はどうよ?! 普段菊ちゃんがやられてることを、二次元の世界で思う存分やり返す、面白そうじゃない?」
 とっさに口に出した案ではあったが、自分で言いながら良い案のように思える。これなら日本もストレス発散ができ、溜飲が下がるだろう。
 フランスも別にイギリスのエロ話なんか読みたくもないが、普段憎たらしいヤツが二次元の中とはいえヒィヒィ泣かされると思えばちょっと気分がよくなる。
「あーそうですねぇ……。面白いかもしれません」
 日本もそう思ったのか、キーボードを叩く指を止めて、遠い目をした。
「でしょ? 極悪非道な海賊のヤツを捕まえてお仕置きしたり、魔法で女体化して悪戯したりとかさ」
「確かにイギリスさんの女体化はそれはそれでかわいらしそうですけど、私としましては軍服姿のイギリスさんを後ろ手で鞭で縛り拷問用の足かせと手錠で動けなくしたところをおもむろに下肢だけ剥いて怯えて縮こまった……」
「ちょ、菊ちゃん、八ツ橋八ツ橋!! 頼むから八ツ橋でくるんで! お兄さん一人なら良いけど、筋肉兄弟と、フェリちゃんくらいならいいけど、ロヴィーノいるから! この子実はフェリちゃんより純粋だから! 一応年長者として、あんまりアレな話聞かせたくないのよ! てか、変なこと聞かせたら保護者が怖いからやめてー! お兄さんまだ死にたくない!」
 慌ててロマーノの耳を両手で塞ぎ、実に直截にして卑猥な手順のあれこれを延々並べ立てる日本の言葉が彼の耳に入らないように大声で打ち消す。
 目を白黒させているロマーノの保護者にこんなことがしれたら、笑顔で何されるか分からない。
「ああ、これは失礼しました」
 ぜーはー息を吐くフランスの姿に、やや正気を取り戻したのだろう。
 日本はふっと笑うと、またキーボードを叩きだす。
「ええと、もしかして日本、かなり鬱憤たまってない? てか何されてるの、君は……」
「……二次元と現実の区別をつけるのがオタクの嗜みですよ」
 そうは言われても、なんちゃらボールだの、指にはめないリングだの、各種大人の道具をざらざらと立て板に水で並べ立て、恐ろしいほど具体的にストーリー展開させた日本は、一体普段どんなことをイギリスにされているのやら。
 想像するのも嫌になり、フランスは腕の中のロマーノの頭をよしよしと撫でた。突っ張ってはいるものの、根が臆病な弟分は異様な雰囲気に震えている。
「まぁいいや。で、書いてもらえるのかな、その話?」
「……そうですね。夏コミは無理ですが、大阪あわせくらいならばなんとか」
「えええ! 本にしてくれるの?!」
「……今なら私書けそうです」
 いつの間にかかけた眼鏡をキラーンと光らせて、冷笑を浮かべる日本は、ヤル気に満ち満ちた孤高のオタクだった。


 果たして件の本は確かに若干登場人物の名前を変えて発行された。
 豊田菊×アーサー・カードライドなる軍人達の耽美なハードにして重厚な歴史BLは、一部軍服マニアな腐女子から熱狂的に歓迎され、ぜひとも続編をという声がTwitter上でもちらほら見受けられた。
 しかし「もう二度と絶対に書きません!」と宣言した日本の身に一体何が起きたのかは、その一週間後に会ったイギリスの恐ろしい笑みと、へろへろになっている日本の様子から容易に推察できて、「あー…うん、それがいいかも」とフランスも呟くしかなかったのだった。
 
 



『お姉さまとワルツ』はマリみてみたいなイメージ。
本田さんは何でも書けるよろずサイト運営してそうです。主にオフライン専門だろうけど。
ロマーノもフランス兄さんも初書きなんですが、えらい書きやすかった。
てかロマーノ可愛い、可愛いよロマーノ、と書きながら悶えたですよ。
しかしもうちょっと立て板に水な日本を書きたかったなぁ……。
そして豊田菊×アーサー・カードライドのBL読んでみたいなぁ(笑)



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