2/11 St. Valentine's Day 




 
 
 落椿が冬の短い陽射しにぼんやりと色を滲ませている。
 縁側で胡座を組み庭を眺めているイギリスの姿を、生垣越しに見留めた日本は「ただいまかえりました」と声をかけた。
 どうしても出なければならない仕事へと鷹揚に送り出してくれた恋人は、「のんびりしとく」という言葉通りの穏やかな休日を過ごしていたのだろう。膝にはたまが丸くなっていて、ぽちも彼の腰に凭れるようにして長く伸びている。いつもなら飛び起きて出迎えてくれる二匹の姿に、イギリスがすっかりこの家に馴染んでいるのだと気づき、嬉しいような気恥ずかしいような心地になる。
 そのままくぐり戸を抜け、露地に打たれた飛び石を伝って近づけば、少し眠そうな顔で笑い、
「おかえり」
 と日本語で迎えてくれた。
 気配に眼を開け、耳を立てるポチは「いいんですよ」と宥めれば、すぐにまた眼をつぶった。にゃぁんと鳴くたまも、イギリスに撫でられるのが気持ちがいいのか、とろんとした眼で動こうとしない。
「……ああ、部下からもらったんです」
 ちらっと投げられた視線に苦笑するのは、両手に提げた大きな紙袋だ。
「すごい量だな」
「一応、私も上司に準じて財産の贈与は受けかねるとお伝えしているのですが、通常の私的な経済行為の一環だと主張されてしまいまして」
「財産なぁ……菓子をもうらうくらいなら問題ないだろう」
 日付で中身を察しているのだろう。素直に面に出さないものの妬心の強い彼にしては信じられないほど穏やかに微笑むイギリスの傍らに置いたそれには、部下達から渡された菓子が山と詰め込まれている。
 見える範囲でも定番の粒チョコレートだけでなく、チョコラスクやハート型の煎餅にクッキー、柿ピーやうまい棒、ブラックサンダー。デパ地下高級品からコンビニ駄菓子まで網羅してあるのは、きっとチョコレートばかりではもてあますだろうから、チョコレートにこだわらず日本の好きなものをという彼らの気遣いに違いない。
 バレンタインに女性がチョコレートを配る風習が根付いた当初は、チョコレートの山に溺れそうになり困り果てたこともあったが、最近では申し合わせをしているのか。五月雨に手渡される菓子に同じものはなく、甘い物からしょっぱい物、最近は飲み物や細々とした日用品まで範囲が広がっている。どれも数百円で買えるもので抑えてあるのは、受け取る日本の心情を慮ってのことだろう。
「お茶を煎れますので、どれか一緒に戴きませんか?」
 濡れ縁に座って、行商よろしく袋から出していく種類数多な菓子を珍しそうに眺めるイギリスは、
「お前がもらったんだろう。おれが食べたら相手に悪い」
 と首を振った。律儀で礼儀正しいイギリスらしい言葉に思わず笑みが零れる。
「全部イギリスさんが召し上がったら申し訳ないですが、一緒になら良いと思いますよ。それに贈って下さった方も、イギリスさんも一緒に食べて下さったと知れば光栄に思われるでしょう」
「そ、そうか?」
 照れた顔のイギリスは、
「だったら、おれが紅茶を淹れてやるよ」
 と菓子の山に紛れていたティーバッグの箱を手に取ると、「ちょっとごめんな」とたまに柔らかい声をかけて、自分が座っていた座布団の上にそっと寝かせた。
 イギリスが紅茶を入れてくれる間にスーツから家着に着替え、先程の縁側で始まるのは、どこの品評会かと紛う菓子の山を囲むお茶会だ。
 次から次へと出てくる菓子の中、イギリスは水羊羹や和菓子はもちろん、日本発祥のダッグワースや、一見するときなこ餅やよもぎ餅という和の生チョコが珍しいらしく眼を丸くしている。
「全部菓子なのか?」
「あ、それは違うと思いますよ……バスソルトだそうですね」
 洒落た三角袋に入っている氷砂糖もどきをつまみ上げたイギリスに、パッケージを見た日本は首を傾げる。
「こっちは分かるぞ、アイマスクだな」
 一目瞭然の写真入りスチームアイマスクのパッケージを、
「日本のとこのバレンタインって、チョコを贈るんじゃなかったのかよ?」
 とイギリスはおかしそうに笑う。
「一応そういうことになっておりますが、皆さん私の暮らしぶりをご存じですから。きっとチョコばかりでは負担になると気を遣って、実際的なものをくださったのでしょう。ありがたいことです」
「愛されてるな、お前」
 眼を細めて笑う姿に、なんだか落ち着かない心地になるのはなぜなのだろう。
「イギリスさんだって……本国におられたら、山と贈り物をもらわれるでしょう?」
「うちはカードを贈る程度だからな。それに誰が出したか分からないように匿名にするのが一般的だ」
「おや、そうなんですか?」
 肩を竦める彼が毎年贈ってくれるのは薔薇やチョコレートだ。もちろんカードは添えられていたが、物が主体だったのは日本にあわせてのことなのかもしれない。
「それにお前のところとは違ってどちらかと言えば男が贈る文化だから、特に何をもらうこともないぞ」
 
 ――私以外からは本当にもらわれないんですか
 
 そんな言葉を飲み込んだのは、みっともないという思いが胸をよぎったからだからだった。
 胸の裡に広がる失望にも似た淡い空虚を笑顔で蔽い、楽しそうに菓子を手に取り見比べているイギリスを眺める。
 己の胸に漂う空虚な羞じる気持ちはどこから来たのか。
 
 これはどうだろうと、薄紅のメレンゲを摘まみ上げるイギリス。
 
 開けてみてください、と心と躰が乖離したように言葉を紡ぐ自分。
 
 悪くないなと評する彼は甘いものが好きだ。そっけない言葉よりもきらきらと輝く宝玉のような瞳が雄弁に真意を伝えている。
 ああ、綺麗だ――。
 塞ぎそうになる気持ちが、彼の輝く瞳一つで払拭されていく。
「わりぃ、お前がもらったもんだよな。……ほら」
 雪を固めたような菓子を摘んで差し出す長い指に素直に口を開き、カシュッと口の中で解けていく淡い甘みをどこか遠くに感じながら、甘く浮き立つ心の奥底に薄ぼんやりと広がる灰色がどこから来るものかに気がついた。
 
 『――お前だけ』
 
 そんな特別を約する言葉の欠片だけでもと欲するのは、寂しいからだ。
 
 ――ああ、自分は寂しいのだ。
 
 言葉として気持ちが形作られると、その理由は考える間もなく浮かんでくる。
 明日の昼には、彼はもう帰ってしまう。
 日本の誕生日に合わせて休みをとったのは、随分と無理を押してのことだろう。本当ならとんぼ返りでもおかしくない人なのだ。
 それでもどんな贈り物よりも、共に過ごす時間が欲しいと望む日本のために、彼は時間を取ってくれて。どこへ行くでもなくこの屋敷で二人きりで過ごしたこの数日は、毎日が甘い色が付いたように、心浮き立つ日々だった。
 視線をやれば美しい金髪としなやかな躰がそこにあり、視線を察知した翠の瞳は甘く柔らかく微笑む。
 ぽつりぽつりと交される会話。
 途切れることなく弾む言葉のやりとり。
 一緒にご飯を食べて何をするでもなく同じ部屋で本を読み、書き物をし、くすりと笑う気配にそこからまた話の花が咲いて。
 けれども明日になれば――。
 ともすればいささかきつい諧謔混じりの言葉を吐く彼がはっと慌てたように態度を取り繕ろう姿も、たまやぽちに話しかけて相好を崩して抱きしめる様子も、寝起きで目付きの悪い顔がじわじわと笑顔に変わる喜びも、明日からはもう見ることが出来なくなるのだ。
 世界は狭くなって、一月以上要した海路はやがて半月とかからぬ鉄路に変わり、今では半日たらずの空路で地球の裏側にいる彼のところまで行くことができるようになった。
 同盟を結んだあの頃を思えば、夢のような近さでも、でもやはり遠い。
 毎日、毎晩、電話や映像で言葉や笑顔を交わすことができても、同じ場所で同じ空気を吸って微笑み気配を感じることができる距離は何にも変えることができないかけがえのないものだけど。
 それが明日には――
 
「――なにか他のものも開けるか?」
「あ、いえ、私は……。すみません、私が全部食べてしまったのですね」
 イギリスの気遣うような声に、日本ははっと我に返った。
 気が付けばイギリスの手の中の包みは空になっている、ぼんやりとした記憶をさかのぼれば、散漫な意識の中、促されるがまま一人で食べつくしていた。
 大事な恋人と向かい合っているというのに気がそぞろになるとは。
 目の前に迫る別れに気を取られ、共に居るこの時間をないがしろにするなど、本末転倒というものだ。
「あの、何かイギリスさん他に何か食べたいものはないですか?」
 申し訳ない気持ちで身を縮め、おずおずと尋ねれば、「いや別に」と機嫌を損ねた風もなく、イギリスは控えめに首を振る。
 思ったことをストレートに口に出すアメリカとは違い、イギリスは遠慮をする性質だ。
 はっきりとした甘みを好むイギリスのためにどれかいかがでしょう、といくつか彼が好みそうなものを選んで押し付けがましくならないように勧めれば、少しためらいがちにイギリスは大きなハート形のクッキーを手に取った。中央でハートを描く赤いジャムが眼に鮮やかだ。
「これ、一個しかないけど……半分もらっていいか?」
「仲良く半分こですね」
 一口で食べられるイギリスが好きそうなチョコレートはたくさんある。その中であえてこのハートの大きなクッキーを選んで、二人で分けようと言ってくれたのが嬉しくて、自然と笑みが浮かんだ。
 パッケージを開けていると、隣で胡坐をかいていたイギリスが身じろぎをし、おや、と思う間に横になり日本の膝に頭を乗せてきた。笑うでもなくむしろ少し居心地が悪そうな表情を浮かべ、目線で要求するのは、日本の手の中にあるクッキーのようだった。
 寝転んで、しかも人の手から菓子を食べるなど、いつも美しい所作を自に律している彼らしくない行動だ。
 彼らしくない行動――きまり悪そうに物慣れぬ態でなぜと思えば、思い当った理由に笑みが浮かぶ。
 甘えるよりも甘やかす方が得意な彼が、慣れない形で甘えてくれるのは恐らく心に巣食う寂しさを敏感に察知してのことだろう。
 優しく抱きしめて甘やかされたら、明日からこの温もりはなくなるのだと余計に寂しくなることを、日本と同じように、いや日本以上に寂しがりやな彼は知っているのだ。
「――イギリスさん」
 甘えられているように見えて、本当は甘やかしてくれている優しさが嬉しい。
 溢れんばかりの愛しさが、囁く声を我ながら気恥ずかしいほどの甘ったるい響きに染める。
 うつくしい瞳を目蓋の下に隠し、素直に口を開いた彼の口許にクッキーを運びながら、食べ終えた時か、それとも次を強請られた時か、さあどのタイミングで接吻けをしようと日本はそっと眼を細めた。
  

  


   


皇室の方々が年間に受け取れる贈答品の総額は160万までと知ってびっくり。
にったんも自主的にそれに準じてるんじゃないかと。
外国の元首などからのものは別枠で上限はないそうなので、イギリスさん一安心ですね!
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110128/imp11012802000005-n1.htm



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