2/11 St. Valentine's Day



 先月末からの大雪がいまだに残るJFKから日本は東京に降り立つと、せせこましい灰色の空には白い雪が舞っていた。
「トーキョーで雪が降るなんて聞いてないんだけどなぁ」
 どうやらこの冬はどこも異常気象らしい。
 とはいえ、降ってはいるものの積もるほどでもない雪は都会の脆い交通網を寸断するまでには至っていないようで、行き交う市民に浮かぶのは滅多に見ない雪への高揚だ。
 車の窓越しに、雪を見上げてはしゃぐ子供の姿を眺め、アメリカは笑顔になる。
 その表情のまま、勝手知ったる日本邸の玄関を開けると、大声で来訪を告げた。
「Hey、日本! Happy Birth Day!」
 用意されている室内用靴に履き替えるべくコンバースの紐と格闘をしていると、ぱたぱたと軽い足音がする。日本のものではない音だ。その予想通り、ほわほわと砂糖菓子のようにまるっこい少女の声が頭上から降ってきた。
「あー美国先生〜。どうしたんですか、いきなり?」
「なんだ台湾、君も来てたのかい?」
 視線を上げれば、膝に両手をついて不思議そうな顔で覗き込む台湾がいる。さらりと小さな肩から零れた黒髪が肩にあたりそうになり、アメリカはそれを躱した。
「日本の誕生日を祝いに来てあげたんだぞ」
「美国先生がですか?」
「そう。折角俺んちでビッグでエキサイティングなパーティをしてあげるって言ったのに、日本が断るからさ」
 極東まではちょっとと渋い顔をする欧州の連中も、アメリカの家になら集まっても良いと言っていたのに、肝心の主役が断ったせいで折角のパーティの計画は水に流れたのだった。今人気のパティシエに、天井まで届くサイズで日本の四季をイメージした華やかなデコレーションのケーキを作ってもらう話までつけていたのに、だ。
 さてはイギリスと約束でもしているのかと、電話をかけてみたが、『そんな予定なんかねぇよ! あってもなんでお前に言わなきゃならないんだよ!』とまくしたてられた。あの余裕のない声の感じでは、どうやら仕事に追われ休みが取れないらしい。そういえば日本の誕生日パーティーの誘いで声を掛けた時も、日程がなどと最後まで渋い声だったのはイギリスだった。
 となるとパーティを断った理由は、『皆さまにご迷惑をおかけするのも申し訳ありません』という日本の遠慮なのだろう。遠慮は美徳などとわけのわからないことをいう彼の考えはいつもながらさっぱり理解できない。
「でもお休みじゃないですよね? お仕事さぼったんですか?」
「さぼっただなんて人聞きが悪いこと言うのはどうかと思うんだぞ。普段しっかり働いてるから、たまには休みをもらっても平気なのさ」
 友人に一人で誕生日を迎えさせるなどあってはならないことだ。だから面倒ではあるがこうしてわざわざ訪問してあげたのだ。今日明日とそれに若干プラスした分の仕事はちゃんとイギリスにおしつけてきたし、それくらい恋人の誕生日も仕事で祝わないという薄情な彼が肩代わりして当然だろうと内心肩を竦める。
「そういう君こそ休みじゃないだろう? あれ? Chinese New Yearだっけ?」
「Taiwan New Year はもう終わりましたけど、お休みを一日ずらしてもらったんです。だから私はお休みなんですよ!」
「ふーん、そう」
 胸を張る台湾に気のない返事を返しながら、薄暗い廊下を通り、キッチンのドアを開ける。廊下まで漏れ聞こえていた賑やかな音楽が響く明るい暖かい空間で、日本は忙しそうに何かを作っていた。なんだかよく分らないが美味しそうな匂いもしている。
「これはアメリカさん。お出迎えもせず失礼しました」
「日本、Happy Birth Day! 君がパーティを断るから、仕方なく来てあげたんだぞ!」
「あー……遠路遙々ありがとうございます」
「はい、これバースディケーキ。君がチョコレートケーキがいいって言うから、チョコレート味にしておいたよ」
 折角のタワーケーキの構想は潰えたが、折角だからと小さいサイズでケーキを手配してもってきたのだ。開けてみなよ、と促すと、その大きさと手の込んだデコレーションに驚いたのか、眼を見開いた日本は「ありがとうございます」と嬉しそうに礼を言った。
 そんな横で、不服げな声を出すのは台湾だった。
「チョコレートケーキなのに青いですよ……?」
「そりゃ地球をイメージしてるからね。ほらちゃんと俺たちの姿が描いてあるだろ。君も一応いるよ。この小っちゃい点だね」
「……日本さんの誕生日ケーキなのに、なんで美国先生が真ん中なんですか?」
「うちのパティシエが作ったからに決まってるじゃないか」
「日本さんの誕生日ケーキなのにですか?」
「……何か問題でもあるわけ?」
 眉を寄せる台湾は、つまりは日本を真ん中に描けと言いたいのだろうか。だが世界のスタンダートはアメリカ中心であるし、わざわざそんなバランスの悪い図を描かなくても日本は満足なのだから、ケチをつけられる筋合いなどない。そりゃあ日本が真ん中になれば台湾も一緒に中心になるから、そうして欲しいのだろうけれど、それは我儘というものだ。
 思わずムッとすると、日本は困り顔で割って入った。
「まぁまぁ。ああ、アメリカさん、お疲れでしょう。何か飲まれますか?」
「じゃあコークを頼むよ! ところで君は何をしてるんだい?」
 白い粉で汚れていた手を洗い冷蔵庫を開ける日本に尋ねると、
「これは台湾さんリクエストのクリームコロッケを作ってるんですよ」
 と返った。
「コロッケ……?」
「クリームが入っている揚げ物ですね」
「日本さんのクリームコロッケ、美味しいんですよ!」
「私大好きです!」と目を輝かせる台湾に、日本は「ありがとうございます」などと礼を言っている。
 そんな二人の横でことさらに平坦な声で、アメリカは尋ねた。
「でもさ、なんで君の誕生日なのに、君がディナーを作るんだい?」
 その言葉に二人は顔を見合わせた。
「それは……前から台湾さんに作って差し上げると約束していたからでして」
「その代わり私が小籠包作ってあげるんですよ!」
 威張る台湾にブーイングを飛ばす。
「え〜また小籠包?! 小籠包は食べた気しないじゃないか! それよりはヤキニクが食べたいよ! 日本のギューカクはNYのと違うっていうから行ってみたいんだよね!」
 マツサカビーフに、フィレステーキ、ジャパニーズBBQのカルビ。どれもアメリカ本場のBBQとは趣きは違えど美味しいし、日本食だから日本の誕生日のディナーとしてもおかしくない。少々値段はお高いが、日本で食べるのならそこまでしないはずだ。
 我ながら良い考えだ、と出したアイデアに、しかし日本の返事は芳しくないものだった。
「あー……牛角ですか。誕生日に…牛角はー……」
「お誕生日にギューカクは可哀想ですよ、美国先生!」
 台湾にまで諭すように窘められるが、ヤキニクのどこが悪いのか訳が分らない。
「だって君、うちに遊びに来たって途中から日本食が食べたいとか言うじゃないか! つまり自分ちの食べ物が好きなんだろう? だったら問題ないじゃないか」
「いえ、まぁ、うちの食が好きなのは否定いたしませんが……」
「美国先生のトコだとギュウカクは高級レストランなのかもしれませんけど、日本さんとこだとデニーズみたいなものなんですよ」
 些かショックを受けて日本を見詰めると、困ったように日本は笑う。
「えー……爺ですので、誕生日に肉よりは、もう少し老人向けのものを頂けたらありがたいかと……ああでも、アメリカさんも台湾さんもまだまだお若いですし、お二人はお肉の方がいいでしょうかね。デパ地下に行けば松阪牛もあるでしょうし、ちょっと行ってきましょう」
「あ! だったら私が買ってきますよ!」
 はーい、と手を上げた台湾に、割烹着を脱ぎかけた日本が、「台湾さんがですか?」と首を傾げる。
「美国先生と一緒に行ってきます!」
 勝手にふられた話に異議を唱えようにも、口の中の饅頭が邪魔をする。慌てて食べようとして噎せた喉をコーラで落ち着かせ、口を開こうとした時にはもう話がついていた。
「ではアメリカさん、すみませんがお買い物お願いできますか?」
「えええー! 俺来たばっかりなんだぞ!」
 なぜ日本まで来てわざわざお使いに行かなければならないのだろうか。もちろんいつ行っても毎回新しいお菓子が出ている日本のコンビニやスーパー、活気のあるデパ地下は楽しいけれど、盛大なパーティの代わりにどうにかして盛り上げようと勢い込んでやってきてお使いとは。
 気分が盛り下がることこの上ない。
「そうですよね、ではやはり私が――」
「でも日本さんがお買い物に行ったら、晩ご飯遅くなっちゃいますよ? 小籠包は包んで蒸すだけだから、私行ってきます! 美国先生、私と買い物、嫌ですか?」
 にこにこ笑いながら女の子に首を傾げられて、「嫌だ!」と返せたらそれは男ではないだろう。
 不承不承、アメリカは「別に嫌じゃないけどさ」と返す。
「アメリカさんが一緒に行って下さるなら安心です」
「しょうがないな、ヒーローの俺がボディーガードしてあげるんだぞ!」
 コートとってきますと子犬のように部屋から出て行く台湾をやれやれと見送る横で、ほっとしたように日本に礼を言われれば、少し気分が浮上した。








「君さぁ、なんで俺まで買い物に付き合わせたのさ? 一人で買い物くらいできるだろう」
 何が楽しいのかスキップせんばかりに軽い足取りで、空を見上げながら歩く台湾にアメリカは尋ねた。
「だって一人で買い物行くの日本さんが許してくれないです。ちょっと近くのコンビニに行こうとしても、絶対一緒に行くって」
「うわー……過保護だなぁ」
 優柔不断で消極的という性質は対人関係においてもいかんなく発揮されている日本だ。過保護も過ぎるそれは彼のイメージと異なる。それともオタク気質が影響してだろうか。彼に妹萌属性はなかったはずだが。
「日本ってそんなだっけ?」
「んー前は普通に買い物一人で行ってましたよぉ。でも最近日本さんちでも治安悪くなってきたっていう話ですから、心配なのかもしれません」
「はぁ? 日本が治安悪いだって? 相変わらず平和ボケしてるね」
 先進国での犯罪率は最低水準。殺人事件発生率も低いし、女子供が一人で夜に出歩けるこの国のどこが治安が悪いというのか。鼻を鳴らすアメリカに、「そういえば」とほわほわとした声で台湾は続ける。
「前に英国先生が一人で出歩いたらダメだって心配して一緒に買い物行ってくれてからですねぇ」
 その言葉に、イギリスのせいか! と腑に落ちた。
 確かに無駄に過保護で、恩着せがましくて、鬱陶しいほど過干渉で、目上風を吹かせたがるイギリスならば言い出しかねないし、紳士面をしてエスコートした様は眼に浮かぶようだ。
 日本以外の国は『エセ!』と口を揃えて冠するイギリスの偽紳士っぷりはアメリカからすれば失笑ものでしかないが、だがなぜか盲目的にあの眉毛を紳士だと思い込みたがっている日本ならば、影響を受け真似をしてもおかしくない。
 でもなぁ、とアメリカは思う。
 台湾はアメリカやイギリスの眼からすればジュニアハイ程度のロウティーンにしか見えないが、童顔がデフォルトの日本の眼にはそこまでの子供には見えないはずだ。それに一応これでも国(のような存在)だから、犯罪に巻き込まれるようなことはないだろうに。
 イギリス以外の、例えばフランスや自分が同じことを言ったとして、日本がここまで過保護になっただろうかと思えば答えは否で、であれば自分が今こうして買い物に付き合わされているのはひいてはイギリスのせいだということになり、殊更に苛立ちも募る。
(本当にくたばれなんだぞ、イギリス!)
 ムカムカしながら、ポケットに両手を突っ込んで歩く横で、不意に台湾が足を滑らせた。
 つるっと漫画のような見事な滑りっぷりで、尻餅をつきそうになる所を、慌てて抱き留める。
「……ッ、謝っ、謝」
「なんだい、君は! 上なんか見てないで、ちゃんと歩きなよ!」
 まったくもって心臓に悪い。
 呆れ顔で冷たく言えど、びっくりしたように眼を瞬かせた台湾は、機嫌を損ねた風でもなく笑う。
「だって雪! すごいですよ! 綺麗です〜!」
「雪なんて君のとこでも降るだろう?」
「降りますけど、珍しいんですよー」
 凍死者まで出す昨今の雪害に頭を悩ませている身からすれば、脳天気この上ない発言だ。だが、心の底から楽しそうに眼をきらきらさせている姿に、毒気も抜ける。
 違う意味でボディガードが必要なのかもしれない、と自分を納得させたアメリカは、溜息を一つ吐いて台湾の腕を引っぱり歩き出した。


 折角だからデパ地下に! と力説する台湾の意見で最寄りのデパートまで足を延ばした。
 高級食材で溢れている食品売り場の精肉店には松阪牛のステーキ用ロース肉もあり、分厚く切ってもらったそれを日本の財布で払おうとしたら、台湾から見咎められた。
「日本にはちゃんと断ったんだぞ!」「日本円なんか持っていないし!」と言っても、「日本さんの誕生日なんですよ−!」「カードで払えますよ!」と返され、責めるような視線に負け、渋々自分のカードで払う羽目となった。こんなことならカードを置いてくれば良かった、と後悔する。
「ケーキは何個あってもいいんです」という妙な論を主張する台湾に引っぱられ、一階上の菓子売り場に足を踏み入れると、そこは女性で溢れた空間である。
 なんだこれは、と面食らう目の前に「St.Valentine's DAY!」とでかでかと幕がかかっていて、どうやらバレンタイン用の商品売り場らしい。
「チョコレート、たくさん売ってますね!」
「ああ、日本のバレンタインは女性がチョコレートを贈るんだっけ」
「情人節、うちもチョコレート贈りますよ! アクセサリーも贈ります」
 人の数が凄すぎて、うきうきと売り場に突進していく台湾の後を追いかけるのも一苦労だ。
「日本さんのチョコレートは用意してきましたけど、中国先生と香港のはまだ買ってないです! 日本さんちで買ったら喜ぶから、空港で買おうと思ってたんですよ」
「そういえば中国って日本のお菓子好きだよな」
「Made in Japanって書いてあるのが高級なんですよ! 買っていいですか?」
 売り場のど真ん中まで引っぱってきて、買ってもいいですかも何もないだろう。呆れながら「どうぞ」と言えば、真剣な表情でチョコレートを選びはじめる。ぐるぐると売り場をまわり、ためつすがめつ熱心に選ぶ横で手持ち無沙汰にしていると、店員からチョコレートを差し出された。「俺に? くれるのかい? でもこれ売り物じゃないの?」と聞くと、首を傾げた彼女は頷く。
 なんて親切な店員なんだ! 
 なんだか言葉が通じてないようだと思いながらも、礼を言うと、
「味見をさせてくれるんですよ」
 と訳知り顔の台湾も同じものをもらっていた。
 ブースによっては試食をさせてくれるらしい。そうと分れば、見て回るのも楽しくなる。
 一通りのブースを廻り終える頃には、甘かったり苦かったり形も色も様々なチョコレートを堪能でき、台湾も買う物が決まったらしい。目星をつけていた店に戻って買い物を終え、満足げな表情を浮かべた台湾は、ふと気がついたように尋ねた。
「美国先生もチョコレート欲しいですか?」
「もちろんさ! ……え? もしかして君、中国や香港にはあげて、俺にはくれないつもりだったのかい?」
 仮想敵の中国にはチョコレートをあげて、経済支援に武器提供をし、名目はともかく実質的には軍事同盟を結んでいる自分にはくれないなんてありえないだろう。しかも買い物にひっぱりだして迷惑をかけまくっているというのに。
 どういうつもりだと睥睨すると、
「欲しいんだったら勿論あげますよ!」
 と悪びれた風もなく、台湾は笑う。
「じゃあ、ちょっとここで待ってて下さいね!」
 ほどなくして戻ってきた台湾は、一際大きな紙袋を下げていた。
「美国先生のは一番大きいのにしました」
 にっこり笑って差し出す袋の大きさに機嫌を直し、「ありがとうなんだぞ!」と受け取ると、ついでに他の紙袋も持つ。自分へのものとは別に一つ増えている紙袋に気づいた。
「折角だから英国先生にもチョコレートあげるんですよ」
「イギリスに?」
「はい! クリスマスのプレゼント、英国先生に贈ったら、お返しに薔薇をもらいました。だからお返しです!」
 プレゼントのやり取りは薔薇をもらった時点で完結しているのでは? イギリスは相変わらずプレゼントには薔薇か、芸がないよね、などと思うことは色々あれど、「ふーん」と流したアメリカは、ふと気がついた。
「俺も君にチョコをあげようか?」
 フェミニストから苦情が殺到しそうな日本のバレンタインとは違い、アメリカのところでは男性女性と関係なく、物を贈りあう。大抵はカードで済ませるが、こんなに大きなチョコレートをもらったのだ。カードだけというのもねぇ、とらしくもなく気を遣ってみたところ、
「うちでは情人節のプレゼントはチョコレートかアクセサリーかお花ですけど……」
 と台湾は首を傾げる。
「チョコレートはさっき自分の分も買いましたし、きっと英国先生はお返しにお花くれると思います。美国先生も英国先生とお揃いでお花でも良いですけど……」
 イギリスとお揃いという言葉に思わず顔を顰めたのを、くすりと笑うと、
「でもどうせなら美国先生のとこの、BETSEY JOHNSONかJUICY COUTUREのネックレスがいいです!」
 と台湾は強請った。
「なんだいそれ! チョコレートの倍くらいするよね?! 不公平なんだぞ!」
「えー! でもバレンタインのチョコレートって高いんですよ。見てください、あのちっちゃい箱で3000円もするんですよ! 美国先生のは一番大きいチョコレートなんですよ!」
 指さす先、ショーケースの中の値札を見れば、確かに手のひらサイズの箱の値段は眼を疑う物だ。値段は真面目に見ていなかったが、見回せば確かにどれも高級チョコレート店並の値段である。
「それに日本さんのとこだと、男性からのチョコレートのお礼は三倍の値段のものを返すのが礼儀だそうですよ」
「……俺の所にはそんな礼儀ないんだぞ」
 苦し紛れにそう言い訳しても、期待する眼差しに負け、結局上階のショップへと連行されたのだった。








 松阪牛のステーキと、クリームコロッケ、小籠包に鍋というとりとめのないメニューを堪能しつくし、コタツで一休みとばかりに寝っ転がってPS3で遊んでいたアメリカは、先ほどから静かな台湾にちらりと視線を向けた。
 さっきまでWiiで対戦していた時は煩いくらいはしゃいでいたのに、今は炬燵で丸くなっている。ポチを撫でている手は動いているので、眠ってはいないのだろう。
 ぼんやり画面を眺めている横顔は、見るからに心ここにあらずという風情だ。
「ねぇ、君いつまでいるつもりだい?」
「明日帰りますよぉ。中国先生と香港のとこにチョコレートを持って行く約束なんです」
 マカオさんにもあげないと、とぺたっと頬をコタツの天板にくっつけて呟く台湾は、あまり機嫌が良いように見えない。先ほどから日本が、ひっきりなしに掛かってくる電話の対応で席を外しているせいだろうか。
 お客さまを放り出してすみません、と電話の合間毎に頭を下げていたが、コール音を無視するでもなく電話口につきあっているせいで食事もおざなりだった。
 電話なんかで済ませようとする相手なんか放って、わざわざこんな極東まで足を運んでやった自分達の相手をすればいいのにと思うが、言ったところで日本がその通りにするとは思えない。それに彼自身、電話に出たがってる節がある。それを感じ取って台湾は機嫌を損ねているのかも知れなかった。
「さあて、そろそろ俺のスペシャルでゴージャスなケーキの時間だと思わないかい?」
 ステージをクリアしたところでコントローラーを放り投げ、立ち上がる。さすがの日本もケーキを出せば席に落ち着くだろう。
 そう目論んでのことだったが、台湾は興味ないといった風情で顔も上げない。
 なんなんだ、その態度は!
 折角俺が気を遣ってみたというのに、まるっきり無視ってどういうことだ!
 思わずそう叫びたくなった舌を止めた自分は、「偉い」と誰かに褒めてもらってしかるべきだと思う。分かりやすくしょんぼりしている台湾の気持ちが伝わるだけに怒るわけにもいかず、しょうがないな、と内心溜息を吐いたアメリカは、
「オーライ、じゃあまずは前座で君から貰ったチョコを食べようじゃないか!」
 と部屋の隅に置いていた袋を引っ張り出して、包装紙をばりばりと破いていった。
 赤い箱の蓋をあけるとキーボードの三倍くらいある板チョコが出てくる。茶色いチョコの上に二文字の漢字が白字で書かれていた。角々とした文字は何と書いてあるのかさっぱり分からないが、なんだかとてもエキゾチックで格好良く見える。
「Wow! It's so CooL! これなんて書いてあるんだい?」
 ようやく顔を上げそれに答えようとした台湾は、ぱたぱたと軽い足音を立てて部屋に帰ってきた日本の姿にぱっと笑顔を作った。
「すみません、何度も中座して不躾な真似をいたしました」
 謝罪をしながらも機嫌が良さそうに見えるのは、待っていた電話がかかったからに違いない。なんとも分かりやすい反応だった。
「本当だよ! ケーキを食べようと思ったのに、今日の主役の君がいないと蝋燭の火がつけられないじゃないか!」
「でも美国先生、今までゲームして遊んでたんですよ」
「やることがなくて暇つぶしにだよ!」
 なに日本の前で良い子ぶろうとしてるんだ、じろりと睥睨するが、「これは……」とチョコレートに眼を留めた日本に、
「私が美国先生にあげたチョコレートです! 一番大きくて美国先生にぴったりだと思いませんか?!」
 と満面の笑みで威張る台湾はアメリカの視線など一顧だにしない。
「……ええ、そうですね」
 笑顔で同意はするものの、やや空いた間が気にかかる。
「この漢字、なんて書いてあるんだい?」
「義理、って書いてるんですよ!」
 君に聞いたんじゃないよ、とその言葉を無視していると、穏やかな笑みで日本が答えた。
「台湾さんの仰る通り義理という言葉です。ええと、意味は……そうですね、義は『ただしい』と読めまして、理は『ことわり』、つまり義理で『物事の正しい筋道』となります」
「つまり正義の道ってことですよ! これ見た時、美国先生にあげないと! と思ったんですよ−!」
 Justice! 
 それは確かに俺に相応しいチョコレートだ!
 悦に入ってぱりぱりと食べるチョコレートは少し味がぼんやりしているが、実に自分にぴったりな正義のチョコレートとあれば文句を言わずに食べなければいけないだろう。
 半分近く食べて、笑顔で自分を見守っている二人の姿に、ケーキのことを思い出す。
「ああ、そうだ、ケーキを食べないといけないんだった! 蝋燭をつけるマッチをくれよ」
 床の間に飾っていたケーキを運ぼうとすると、「だったら」と台湾がはしゃいだ声を出す。
「折角だからさっき買ったケーキにしましょうよ」
「えええーでも日本の誕生日のためにわざわざ持ってきたんだぞ!」
 誕生日用のこのケーキを食べないなんてありえないだろう!
 しかし日本も笑いながら台湾に同意する。
「そうですねぇ。アメリカさんが持ってくてくださったケーキはあまりに立派なので蝋燭を立てるのが憚られますし、私たちだけで楽しむのももったいないです。ああ、そういえばさきほどフランスさんからお電話を頂いた時に、アメリカさんが持ってきてくださったケーキの話をしたら随分と感心されまして、ぜひご覧になりたいと仰ってましたよ」
「そうかい?」
 まぁ一流パティシエに頼んだからには当然とはいえ、食に煩いフランスに褒められるのは悪い気はしない。
「ここまで素晴らしいケーキはただのお菓子というよりもむしろ芸術です。我々だけで食すのではなく、多くの人に見ていただくのがいいかもしれませんね」
「……これ、食べないのかい?」
 予定外で台湾が居たから半分は無理でも、三分の一は食べられるかなと楽しみにしていたのに、とサッカーボールの二倍近い直径のスペシャルケーキを未練がましく眺めるアメリカに、日本はにっこり笑った。
「皆さんに見て頂いてから美味しく頂けばいいと思いますよ。とはいえ私は暫く欧州へ行く予定がありませんので、アメリカさんにお願いできたら助かるのですが……」
「だったら明日にでも持って行くよ! フランスのところだね」
 確かに日本よりアメリカの方がフットワークが軽い。フランスの家なんてひとっ飛びだ。
「フランスさんと、イギリスさんの所にもお願いしますね」
「えー嫌だよ〜。折角の休みなのに、イギリスのとこになんて行きたくないんだぞ!」
「でも、イギリスさんは大層仕事に忙殺されてるとのことで、ぜひとも息抜きに見せて差し上げたら大層喜ばれると思いますよ」
 誰のせいで忙しくなったんだ、と顔にくっきり書いてある日本の微笑にぎくりとする。どうやらイギリスからあることないこと吹き込まれたらしい。
「ALL Right……わかったよ」
 このタイミングでイギリスの所に行くと色々煩く言われるに違いないが、日本の無言でプレッシャーに渋々了承すると、笑顔のまま近づいてきた。
 近い。
 え? 近すぎないか?
 頬が触れ合うほどの至近、うっかりするとキスでもされそうな距離に腰が引けるアメリカは、そのままぎゅっと抱きしめられて狼狽の声を上げた。
「に、にほん?!」
「『無理なお仕事なさらないで、ちゃんと睡眠をとってください』とイギリスさんに伝言をお願いします」
「わ、わかったんだぞ」
 混乱しながらもこくこくと頷く。伝言くらいたやすいものだが、なぜ抱きつく必要性があるのだ、という疑問は、
「ちゃんと伝言をお願いいたしますね。もちろんハグも込みでですから」
 という言葉で氷解した。
「えええー!!」
「二言のないヒーロー殿を信じておりますので、ぜひともよろしくお願い申し上げます」
 厭みなほど綺麗な笑顔で笑う日本のこれは絶対絶対嫌がらせだ!
「大丈夫ですよ〜美国先生は義理に厚いHEROですからネ! 誕生日の日本さんの頼みはちゃんと叶えてくれますよー!」
 ニコニコ笑う台湾も分かっていてやっているのだろう!
 なんだよ!
 折角誕生日を祝いにわざわざきてやったトモダチに酷いじゃないか!
 ぷーっと膨れたアメリカの機嫌は、日本の誕生日ケーキを半ホール食べるまで、下降したままだった。








 夜更けに鳴り響いたチャイム音に宅配便かと軽い気持ちで玄関の戸を開けた日本は、そこに佇んでいた恋人の姿に目を丸くした。
「おやまぁ、イギリスさん! いらっしゃいませ」
「急にすまない。その……バレンタインだから……」
「わざわざお出で下さったんですか?」
 そっぽを向きながらぐいっと差しだされた真っ赤な薔薇の花束は、いつもの倍以上の豪華さだ。今日はバレンタインの日、祭日仕様なのだろう。
「べ、別にお前のためじゃなくてだな、うちでバレンタインに一人っていうのはものすごく不名誉だから仕方なく、だ!」
 一人で過ごすバレンタインなんてもてない奴の代名詞みたいなもんだから、と怒ったように言いながらもその頬は赤い。
「ありがとうございます……嬉しいです」
 そう素直に告げると、ほっとしたようにイギリスの肩の力が抜ける。頬がまだ赤いのは寒さのせいか。家の中に入るよう促し、何か食べるものを用意しようかと台所へ急ぐ日本は、不意に後ろから抱きすくめられ動きが止った。
「……誕生日……行けなくて悪かった」
 ぎゅっと抱きしめる腕の力の強さに、日本はふっと笑みを浮かべた。
 短い言葉に、彼の悔しさや落胆が籠められていた。
「アメリカさんからの伝言、受け取られましたか?」
「……ああ。お前、アメリカに抱きついたのか?」
「だってイギリスさん本人がおられませんでしたから。アメリカさん経由ではお嫌でしたか?」
「あ、当たり前だろっ!」
 上擦った声を出すイギリスが、苦虫を噛み潰したような顔のアメリカにぎゅうぎゅうと抱きしめられて狼狽する姿が浮かび、日本はくすくすと笑う。
 嫌だとは言ってはいるけれど、いまだにアメリカを弟と思っているイギリスはまんざらでもなかったはずだ。
「ケーキは召し上がりましたか?」
「食った。日本の形のチョコを食った」
「それは宜しゅうございました」
「でも、……実物の方がいい」
 誰も他に聞く人はいないのに密やかな声で囁かれた熱っぽい言葉に、日本の心臓が跳ねる。ゆっくりと向き直れば、離さないとばかりにまた腕に捕らわれ翠の瞳が目の前にある。きれいな宝石のような瞳は好きという気持ちをまっすぐに語りかけている。
「私も、伝言よりも実物の方がいいです」
 ふわりと花のような笑顔を浮かべたイギリスが翠の瞳を閉じ、顔を近づける。
 久しぶりの口付けは、チョコレートよりも甘く、チョコレートと同じように日本の理性を蕩けさせた。    




どうにか終了。お付き合いありがとうございました!


OECD(経済協力開発機構)の犯罪率調査
http://titania.sourceoecd.org/vl=16805147/cl=12/nw=1/rpsv/factbook2009/11/04/01/index.htm
解説してるHPさん
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html



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