12/26-27  クリスマスの後に




   Dezember 26



「イギリスさんちのクリスマスとうちのお正月って……似てますねぇ」
「うん?」
 独り言のはずが、眠ていると思ったイギリスがぼんやりした声を出す。
 後ろから抱きしめる腕の力が少し強まった気がして、日本はその腕に手を添えた。
「家族で集まって、伝統的な料理を食べて、カードのやりとりをして、お店がお休みになって、教会へ行くんですよね。…うちは教会の代わりに神社へお参りに行って、クリスマスディナーの代わりにお節とお雑煮を食べるんですけど。プレゼントは…そうですね、お年賀とかお年玉とか?」
「……オトシダマ?」
「年長者が年少者にあげるプレゼントです。今は子供にお金やお菓子をあげることが主流ですね」
「イギリスさんも欲しいですか?」と笑みを含んで訊ねれば、「……いらねぇ」と寝ぼけた声が返る。代わりにと言わんばかりに、裸の胸に抱き竦められ、首筋に唇を押し当てられる。身構えれど、それ以上は起こらず、日本は力を抜いた。
 眠いのだろう。それはそうだ。
 昨日は夕方からベッドの中で延々、日本がもういい加減勘弁して下さいという気分になるくらい、表にしたり裏にしたり上にしたり下にしたりと好き放題日本を弄くり倒し、軽食をとる時も風呂へいく時も、日本には一歩も歩かせない勢いでせっせと傅いてくれたのだった。(日本にとっては大層不本意ではあれど、歩くのも面倒なくらい体力を吸い取られ、抗議する気力も残らなかった)
 日付が替わる頃にはもう体力も限界とさっさと夢の世界へ逃避したが、日本が寝ている間も舐めたり囓ったり、この躰を触りまくっていたのを夢現に感じていた。
 それなりに濃厚なセックスの後に(一応これでも)大の大人を抱えたり、細々世話焼きをしてくれて、その上何時まで起きていたのかしらないが、夜更かしをしていたようだ。まだまだ夢の中なのだろう。
「……寝ておられますね、イギリスさん」
「……ん…」
 緞帳を捲って確認した時計は十時過ぎだと教えている。このまま惰眠を貪り、ぬくぬくと暖かい布団の中で体温を分け合っているのも良いが、そろそろお腹が空いてきた。
「ではそのまま寝ておいてください」
 するりとベッドから抜け出そうとすると、目が覚めたのか。
「どこ…行くんだ」
 はしっ、と手首を掴み、引き戻そうとする手を、もう一方の手で宥めるように撫でる。
「朝ご飯を作ってきます。お腹が空きましたので」
「……俺も起きる」
「眠いのでしょう。どうぞそのままで」
 そういえど、首を縦にふらないイギリスに諦め、背中に張りつかせたまま、台所に立った。長い腕をへその辺りで組むようにして抱きつき、肩に頭を乗せる体勢は正直鬱陶しいが、料理に手を出されるよりは良いだろうと好きなようにさせた。
 残ったターキーやバゲットでサンドイッチを作る。温野菜は賽の目状に切りコンソメスープの具にして、ドライフルーツを使った重いクリスマスケーキは遠慮会釈なくざくざく切ると卵と牛乳で焼きプリンのような代物に魔改造を施す。濃い味のドライフルーツケーキはクリスマスプディングだけで充分だ。
 後ろからおんぶお化けのように抱きついて、べたべた服の下の肌を撫で回していたイギリスに紅茶を頼むと、その隙に朝食用の部屋の丸食卓にテーブルセッティングを済ませる。
 残り物ばかりで作った料理ではあったが、それなりに美味しい食事になり、日本は満足した。コーンスターチでとろみをつけたXO醤風味のタレは邪道だろうが、これならぱさぱさしたターキーも気にならない。バゲットはフランス産で、他も素材は良いものなのだ。食べ方を工夫すればそうそう不味いものができるはずがないのだった。
「今日はどうする?」
「今日の予定ですか。……何も考えておりませんでした」
「その、一応今日からセールだから、買い物に行きたいなら付き合うぞ。ただ地下鉄(チューブ)はストライキだし、タクシーも捕まるかどうかは分らないが」
 公の祝日だからな、という言葉に日本はどうしたものかと首を傾げた。
 買い物は嫌いではないし、セールという単語には心惹かれる。
 だがいまだに雪が厚く残り、寒そうな日に交通手段も限られた街へ出たいかと問われれば返事に困る。何よりいまだにガウン姿のイギリスは、どう見ても外出を望んでいるように見えない。
「でしたら今日は家の中でのんびりしましょうか。まだプレゼントも開けていないことですし」
 空気を読んでみた日本に、
「お前がそういうなら、別に俺はそれで構わないが」
 と言いつつ、ナプキンで口を拭うイギリスの表情は嬉しそうだった。


+




 暖炉の中で赤々と薪が燃え、天辺の天使を飾ったツリーの根本には色とりどりのクリスマスプレゼントの箱。びりびりと破った包装紙やリボンが周囲を飾り、開けたプレゼントがソファーや椅子、箱の上に置かれている。
――これぞまさしく絵に描いたようなうちのクリスマスだ。
 とイギリスは悦にいる。
 今年は日本宛のプレゼントもイギリスの所に届いているので、箱の数がいつもより多い。
 イタリアからは靴にパスタ用のトング。ドイツとプロイセンからはウィンドブレーカー。どれもオーダーメイドなのか、日本にぴったりのサイズだ。菓子や食べ物も一緒に送っているのは、日本に食道楽のきらいがあるからか。イギリス宛の箱には食べ物は入っていなかった。
「やっぱりパスタ関係の物なのかよ」
「これ、使いやすくて欲しかったんですよ」
 トングを嬉しそうに持つ日本は、イタリアの靴やドイツからの服に嬉しそうな顔を見せたものの、イギリスが上から下までコーディネートした靴や上着と替えようとはせず、それにイギリスの機嫌は上向く。元より日本と過ごすクリスマスに、上機嫌なのではあった。
「ははは、カナダのはやっぱメイプル菓子がついてるな」
「ロシアさんのウォッカ、大きすぎます! あーでもこの靴は室内履きにしたら暖かそうですね」
「トルコのこれ、嫌がらせか?」
「おや、うちは蜂蜜を頂いたんですけど」
 あれやこれや話ながら二人で箱を開けていくのは楽しい。やはりクリスマスはかくあるべきだ。来年はアメリカやカナダも呼んで、英連邦の国にも声をかけてもいいかもしれない。年に一度くらい家族雰囲気も悪くないだろう。いや、二人だけのクリスマスの方が日本は気が楽か。
 そんなことを考えていると、居間の電話が鳴る。
「Hello?」
 こんな休日に誰から電話だ、と電話を取ると、受話器から響くのは無駄に元気な大声だった。
『やぁ、イギリス! メリークリスマス! 日本は居るかい?』
「なんだよ、アメリカか。ハッピークリスマス。日本ならここにいるぞ」
『よかった、日本の携帯がつながらなくてさ。代わってくれよ』
「ちょっと待て。――おい、日本、アメリカが代われってさ」
 なんだろうという風に少し首を傾げながら、日本は受話器を受け取った。
 クリスマスの挨拶をしながら、言葉少なに相槌を打ち、日時を告げている。会議かなにかの打ち合わせなのだろうか。
 さほどせずうちに会話が終わった日本から受話器が返ってきた。
「クリスマスまで仕事の話か? ちょっとは空気を読めよ」
『はぁ? 仕事の話なんかでわざわざ電話するわけないだろう。コミケの打ち合わせの話さ! 三日後のことなのに、ちっとも日本と連絡がとれなくて仕方なくかけたんだぞ! 日本の携帯はグローバル対応っていってたくせに、肝心な時に繋がらないんだよな。もしかして君、電波妨害なんかしてないだろうね』
 気を利かせて日本が電源を落としておいてくれたのだろう。「んなことするかよ!」と返しつつも、ちらっと自分も電話線を引っこ抜いておけば良かったかと考える。
「コミケってのはあれか? ジャパニメーションだか漫画だかの……」
『そう。あ、でも君は来なくて良いんだぞ。どうせ君、アニメやオタクには興味ないんだろ』
「頼まれてもいかねぇよ! それよりお前、日本をあんまり引きずり回して迷惑かけるなよ。体力馬鹿のお前と違うんだからな」
『なんで君にそんなこと言われなきゃいけないんだい。君は日本のママかい?』
「違う! 俺は恋人と…して……だなぁ……」
『ああ、うん。気持ち悪いから聞きたくないよ』
 言葉にすると照れくさく、尻すぼみになる言葉をざっくり切って捨てたアメリカに『じゃあね』とぶちっと電話を切られ、イギリスは憮然とした。相変わらず礼儀作法というものがなっていない。
「すみません、イギリスさん。ちゃんと連絡をしておけば良かったんですが、なかなかアメリカさんが捕まらなくて……」
「いや、アメリカの礼儀がなってないだけだ。まったく、あいつは図体ばっかりでかくなりやがって」
「はぁ……」と困ったように曖昧に笑う日本は同意していいものか、判断がつきかねているのだろう。
 とはいえ、折角の時間にアメリカの愚痴というのもよくないだろうと気をとりなおし、包みを開ける続きに戻る。
「今までスペインさんからいただいたことはなかったんですけど……」
 困惑した顔の日本は、メッセージカードを手に呟いた。
 クリスマスのプレゼントの交換は同じキリスト教国の間で職務の一環のような感覚で行っているものなので、特にキリスト教国でもない日本には、送る国と送らない国があったのだろう。
 今回プレゼントを送りつけてきたスペインは、日本がイギリスの家でクリスマスを過ごすと恐らくイタリア辺りから聞きつけて、ならばと送ったに違いない。
「くれるっていうものはもらっておけばいいんじゃねぇのか?」
「はぁ……。しかし私の方ではプレゼントをお送りしておりませんのに。今更お送りするのもおかしな話ですし、いっそお歳暮でもお贈りすべきでしょうか。しかし帰ってうちから手配すればもはやお年賀になりますよね……」
 両手で持った箱をじっと凝視しながら呟く日本の言葉は、所々よく分らない単語が混じっている。尋ねようと発した声を被さるようにまたぞろ鳴ったのは、電話の呼び鈴だった。
「すまない」
 断りを入れて席を立つイギリスは、ベルの音に嫌な予感を覚える。
 果たしてその予感通り、
『Jo yeux Noel! お兄さんだよ! 日本いるんだろう、代わってくれない?』
 聞こえてきたのは忌々しいフランスの声だった。
「てっんめー! クリスマスに何の用だよ!」
『正確にはクリスマスの翌日だろ』
「こっちはバンクホリデーだ! 遠慮しろ!」
『んーでもお兄さんとこは違うし。それに坊ちゃんじゃなくて、日本に用事があるんだよね。それともなに? イギリス紳士様は、お客にかかってきた電話も取り次がないわけ?』
 ニヤニヤと嗤う気配に歯噛みしつつも、日本に受話器を突き出すと、恐縮しきりといった風情の日本は、ぼそぼそと話し出した。
「はぁ、一応29日からあると思いますよ」「ええ、そのサークルさんは搬入数多いと思いますから問題ないかと」「あーノベルティですか……それはちょっと分りかねますが、私も買う予定なのでいざとなれば……」「ええではそれは28日の夜にでも、ええ、はい」
 イギリスにはよく分らない単語が並ぶ会話は、恐らくアメリカと同じ用件なのだろう。やがて電話を終え、恐る恐るという風情で振り返る日本は、実に気まずげな表情だ。
「コミケとやらの相談か?」
「はぁ…実に申し訳――」
「アメリカとフランスは行くんだよな」
 言葉を途中でへし折るマナー違反で尋ねれば、
「ええ、まぁ…あーでも、イギリスさんはご興味ないのですよね。興味のない方が足を踏み入れるには危険かつ実につまらない場所です!」
 その含みのある言い方に日本は慌てて制止にかかる。もちろん元から行こうなんて気はさらさらないが、その言葉にイギリスは眉を上げて見せた。
「危険で面白くない所へ行くのか? 三人で?」
「それはその、蓼食う虫も好き好きという言葉もありますし。オタクはオタクなので、そういう場所こそが楽しいのであって、一般の方にはアレな所でも……」
「つまりオタクではない俺は楽しめない、と」
「はぁ……まぁ…そうではないか…と」
「まぁ、そうだよな。オタクにはオタクなりの楽しみがあるから、それを乱したり妨害するような真似は興醒めだよな」
 理解ある発言をしてみせれば、目の前の恋人はほっとしたようにこくこくと頷く。それをじっと見詰めながらイギリスは続けた。
「その理屈で言うと、だ。普段は6000マイルも離れている恋人と久しぶりに再会する休日に、恋人同士なら恋人同士なりの楽しみやとってしかるべき行動があって、それを妨害するような真似は興醒めだと思わないか?」
 我ながら良い笑顔で首を傾げれば、がっくりと肩を落とした日本が「そうきますか」と呟く。
 それに「当然だ」と腕を引いて抱き寄せれば、遠距離恋愛の恋人らしい行動という言葉に異議は唱えない(唱えられない)らしい日本は、大人しく腕の中に収まった。
 寝室に行く前に、忌々しい電話線を引き抜いておくことは勿論忘れなかった。




   Dezember 27



 総じて良い休暇だったと思う。
 カウンターでのチェックインのやりとりをイギリスに任せながら、日本はここ数日間のことをぼんやりと振り返った。
 ロンドンでは珍しいという雪のクリスマスはとても美しかったし、食事も我慢できるレベルより遙かに上だった。
 クリスマス気分に犯されていたのか、いつもはツンデレのツン八割のイギリスがツンを封印する勢いで、イタリアもかくやと思わせるストレートな愛の言葉をベッドの中といわず外でも吐きまくってくれたのには腰が引けたものの、「クリスマスですから! クリスマスですから!」と念仏のように唱えて違和感をどうにか凌ぐこともできた。
 日本とて、異国のクリスマス気分に浮かされ、随分と浮かれていた自覚もある。クリスマス休暇明けの空港の喧噪に身を置いている今は人ごとのような感慨だが、成田にでも着いて柄にもないはしゃぎっぷりを思い出せば、居たたまれなさに腰痛を起こすに違いない。
 日本に帰ってからはこのクリスマスの記憶を暫く封印し、努めてそれは考えないようにしようと心に定めるが、もっともその後に控えるイベントを前にすればそんな腰痛など吹き飛ぶではあろう。年に二度の戦を前にすれば、腰痛などと甘っちょろいことを言う隙などないのである。
 これから帰宅で、家に着くのは28日。それから戦支度をして、カタログの再度チェックに装備の確認と、コピー本がと日記で呟いていたサイトのチェックに……
 早くもコミケの算段に思いを馳せる日本は、腕を引く感覚にはっと我に返った。
「は、はい?! なんでしょう?」
「いや、まだ時間があるようだからお茶でもしないかと思って。それとも買い物の方が良いか? あー免税はセキュリティエリアの向こうなんだが」
 名残惜しそうな表情を見せるイギリスに、それでは、と会員制のラウンジへと移動する。名残惜しいのは日本も同じだった。
 お茶を飲みながら他愛のないことを話しているうちに、電光掲示板の中の日本の乗る便名が上へと押しやられていく。そろそろと立ち上がった日本に、そうだなと応じるイギリスは、下げていた紙袋を差し出した。
「これ、お前んちの出窓に置いておいてくれないか。クリスマスプレゼントといっても分らないか? オトシダマの方がいいんだろうか」
「お年玉……?」
 お年玉というのは年上の者が年下に与えるものだと昨日説明をしたはずなのだが、忘れているのだろうか。しかし彼の口ぶりではどうも自分へのものではないような気もする。
(でも私一人暮らしなんですよねぇ……)
「あの、イギリスさん、もう充分プレゼントは頂きましたので……」
「べ、別にお前のために買ったんじゃないんだからな! お前じゃなくて――」
 イギリスのツンデレテンプレの『お前のためじゃない』という言葉が、文字通り日本のためではない、という風にしか聞こえなくて顔を引き攣らせていると、それに気がついたのか、「あー……」と唸るような声で頭を掻きむしったイギリスは、溜息を吐いた。
「その、だなぁ……出窓の人形が動いて気持ち悪いって言ってただろ。そういうことがないようにの、おまじないだ!!」
 そういえば、最初の晩の寝物語に、最近の不思議な出来事と出窓の人形の話をしたのだった。あの時は、ただ聞いていただけだった彼は、今まで気にかけていてくれたというのか。
 これがどうしておまじないになるのかさっぱり分からないものの、そんな些細な話まで覚えて気を回してくれるのは、さすが紳士の国。その心遣いが嬉しい。
「ではありがたくお預かりします」
 差し出された紙袋を素直に受け取ると、イギリスはほっとした顔を見せた。
「本当にイギリスさんにはお世話になりました。楽しいクリスマスが過ごせました」
 半分近くベッドの上だった事実には眼を瞑り、楽しかったクリスマスのイベントだけを努めて思い出しながら礼を言う。
「俺も……楽しかった」
「次はぜひうちへお越しください」
「ああ、できるだけ早く行くから」
 ゲートのぎりぎりまで名残を惜しんで別れるこの瞬間が一番寂しい時間だ。
「では……」
「……またな」
 最後にぎゅっと繋いでいた手を握り、離す。
 検査場のぎりぎりで振り返る時にも、イギリスはまだ見送っていた。






『できるだけ早く』の言葉通り、イギリスが日本邸を訪れたのは、正月の門松も取れない一月のことだった。クリスマスを一緒に過ごせなかったイタリアやドイツと遅い正月気分を味わっているところにアメリカが押し掛けてきて、それを知ったイギリスもやってきたのだった。
 コミケの騒乱に、年末年始行事、年が明けてからの来訪と忙しい日々を送る中、イギリスからもらって窓際に置いた小箱の存在などすっかり忘れさっていたのだが、ふと思い出し、なくなっていることに気付いて日本が首を傾げたのは、立春も過ぎたある日のことだった。



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