12/25 クリスマスの朝に




   Dezember 25

 雪の匂いがしたような気がして、日本は眼を覚ました。
 天蓋つきのキングベッドは緞帳を下ろせば外気など分らない筈なのに。そう思いながら、隣で眠るイギリスを起こさないようそっと顔だけ布の切れ目から出すが、世界はまだ暗く窓の外の様子は分らない。
 サイドテーブルの置時計は、既に7時を大きくまわっていて、日本は内心驚く。時差ぼけの影響にしても、寝過ごしすぎたというものだ。そしてなぜこんなに暗いのだろうと、そのことにも驚くが、ここが日本よりも緯度が高いからだ、と思い出した。
 昨日ロンドンに着いたのは14時半、それからあっという間に陽は傾き、市内に着く頃には街は暮色に包まれていたのだった。
「ん……どうした?」
 刺すような部屋の冷たい空気が流れ込み、それで眼を覚ましたのか。
 掠れ声でイギリスが囁いた。
「なんでもないです」
 そう言いながらクシュン、と小さくくしゃみをすると、手を差し延べられる。ぼんやりとした眼差しで無防備な笑顔を浮かべるイギリスの手を取れば、そのまま懐の中に抱き締められた。
「まだ、……朝じゃない…から……」
 眠気を多分に含む声に小さく頷く。
 昨夜は久しぶりの再会に興奮して、遅くまでベッドの中で話しこんだ。
 いつも再会の時に感じるぎこちなさと遠慮は、食事と軽い酒を共にするうちにいつの間にか溶け、そうすれば語る話の種は尽きない。
 ここ何十年に一度というイギリスの大寒波、ドイツから送られたアドヴェントカレンダーの小物にまつわるエピソード、他国との交流から最近読んだ本のことまで。他愛ない話題を重ねて、会えなかった時間を埋めていく。
 暖炉の前で一つの毛布に一緒に包まりながらパチッと時折鋭い音をたてて爆ぜる薪の上で踊る炎を眺め、温かいムルドワインを啜る静かな満ち足りた時間。
 普段は時間を惜しむように肌を重ねるのに、という疑問は「ファーザー・クリスマスが来るからな」という子供のように無邪気なイギリスの言葉で氷解した。日本自身はサンタクロースやクリスマスの聖人の類の存在を信じているわけではないが、妖精の類が見えるという彼の言葉を否定するつもりはない。
 普段は淡泊な性質ではあるものの、日本とて愛しい存在を前にすれば、狂おしい熱を分かち合う一体感への欲はもちろんある。だが枕を並べ、目線をあわせ、囁く小声で会話を紡いでいく濃密な時間も充分に心地よく多幸感に包まれるものだった。
「あかるくなる……まで…な……」
 欠伸まじりのイギリスを抱きしめ返しながら、上質なフランネルの胸に額をつける。
 目を閉じれば浅い眠りはすぐに訪れた。

+



 12月に入って急に寒くなり、大量に雪が降って交通機関どころか市民生活も停止した時は、このままクリスマスになってしまったら日本が来れないのではないかとイギリスはやきもきした。
 だが、祈り叶えてくれなければいっそ呪うぞな勢いで祈り倒したその熱意が通じたのか、運航も復旧し、晴天にも恵まれて、イブには笑顔で日本を迎えることができたのだった。
 空港から直接トラファルガー・スクエアへ向かいツリーを見て、荷物を置くのもそこそこ、ウェストミンスター大聖堂へ急いだ。観光客に混じってこっそりキャロル・サーヴィスを受けたつもりだったが、イギリスの顔を知っている司祭に気づかれ驚いた顔をされた。こちらが素知らぬ顔をしていたので、私人としてきたことを察知してくれたのだろう。特に何を言われるでもなくほっとする。そんなイギリスの横で、日本はキャンドルの灯が輝く教会の雰囲気に眼をまん丸にしていた。そういえばこいつは伝統や格式、いかにもな西洋な趣きが大好きなんだった、と黒い瞳の熱っぽい視線に思い出す。初めてこの大聖堂に連れてきた時も、同じように眼を瞠り、ステンドグラスに見入っていたのだった。
 普段は教会など真面目に行かないイギリスだが、クリスマスの荘厳な空気は気に入っている。高い聖堂に響く賛美歌の響きに、同じようにうっとりと耳を澄ます存在が隣にいてくれることが嬉しい。
 賛美歌集を見せながら、ちらっと眼をやれば熱を帯びた瞳と視線が合う。普段は照れたようにすぐに視線を逸らす日本は、暗闇と灯が混じり合う独特な空間と、そこを満たす美しい和音の合唱に心奪われているのだろう。焦点が曖昧な黒い瞳は逸らされることがない。
 彼の常である曖昧な笑みを削ぎ落とせば、残るのは精緻に作られた人形のような美しさだ。東洋特有の凹凸に乏しい顔ではあれど、いや、だからこそか、西洋では珍しいその異相に目が奪われる。
 蝋燭の頼りない灯は、黒目が大きい眼に青みを帯びた影を落とし、一層神秘的な色を添えている。
――この小さな顔に触れてみたい。
 初めてそう思った時も、この黒い瞳が逸らされることなく自分を見詰めていた。
 もう百年近く前のことなのに、あの時の苦しいほどの衝動はまざまざと思い出せる。
 無意識に伸ばしそうになった手を、イギリスは握りしめた。

 大聖堂を出た頃には辺りはすっかり暗くなったことに、日本は驚いていた。大回りしてライトアップされたウェストミンスター宮殿こと国会議事堂(ハウスオブパーラメント)の煌びやかなクリスマス・ツリーを眺めたり、チェルシーに近いイギリスの家までの道すがら店のディスプレイに足を止めたり。降った雪が凍結して足下が悪いからと理由をつけて、手を繋いでも日本は嫌がる素振りを見せなかった。
 静かに降り出した雪が日本の黒髪に落ちて、まるで冠のようだった。淡いそれはすぐに融けて消え、その美しさをイギリスは惜しんだ。もっとも家に帰り着いた時には彼の髪はすっかり湿っていて、慌てて風呂へと案内したのだが。
 旅塵を落とす間もなくあちこち連れ回したせいか、食事を終える頃には日本はすっかり眠そうな顔になり、それでも起きていようと頑張る様子にイギリスは少し早い時間ではあったものの、寝るように促した。
 なにしろ時間はある。クリスマス休暇ばかりは誰にはばかることもなく邪魔も入らない休みなのだ。今年はクリスマスパーティに出席する必要もないし、雪を口実に閉じこもることもできる。雪慣れないイギリスには迷惑でしかない大雪も、口実に使える今ばかりはありがたいものだった。
 明日のクリスマスミサは雪のせいでと欠席を決め込んで、だらだら過ごすボクシングディは勿論、日本が帰る日もぎりぎりまでこの屋敷に閉じこもっていよう。
 今年は二人だけの静かなクリスマスを過ごすのだ。
 イギリスはそう決めていた。
 ――のだが。


「メリークリスマス。ええ、こちらも雪ですよ。……ホワイトクリスマスなんて久しぶりです」
 確かにこんなにクリスマスに雪が積もったことはいつ以来だろう。
 日本も東京で雪が降るのは珍しいそうで、ホワイトクリスマスなんて嬉しいですとはしゃいでいた。
「……大丈夫ですよ、イギリスさんのおうちはちゃんと暖かいです。もったいないくらい空調が効いていて半袖でいても大丈夫なくらいです」
 当然である。日本に風邪などひかせないように、薄着をしても、いっそ服など着なくても大丈夫なくらい暖かくしているのだ。パスタ野郎に心配される筋合いはない。
「え? ……はい、ああ、ドイツさん。メリークリスマス。……ええ、ありがとうございます。……ちゃんといただきましたよ……」





 何が楽しいのか、ふふふ、と満面の笑みを浮かべる日本を前に、イギリスは笑みを張り付かせながら、心の中では盛大に邪魔者を呪う。

(二人きりのクリスマスを邪魔するんじゃねぇ! 空気読め、イモにパスタ野郎!)

 なんだってクリスマスの朝っぱらから電話などかけてくるのだ。
 言葉には出せない罵倒の言葉を散りばめ、今度会った時は絶対にイタリアを殴ると心に決める。不穏な空気に感づいたのか、日本は目線で謝ってきた。それに笑顔で気にしていない返しながらも、さっさと電話が終わらないかと内心じりじりするが。
「は? え、あ、これはプロイセンさん、メリークリスマス。……はい、楽しんでおります。……は? いえいえ、お心だけで、はい、……あはは」
 電話口から漏れ聞こえる濁声に、イギリスの笑顔は凍り付いた。
 イタリアやドイツのみならず、プロイセンまで邪魔をする気か。
 滅びろゲルマン!
 お前ら全員雪に埋もれてしまえーー!
 その後も、なぜかハンガリーに、オーストリアにまで電話の相手が代わり、いい加減苛々も頂点に達したイギリスは痺れを切らし口を開いた。
「あー日本、すまないがそろそろクリスマスミサの時間になる。今日は雪だからその、早目にだな……」
「す、すみません」
 電話口を手で覆った日本は恐縮しきりの顔で、慌てて相手に何かを言おうとするが、「俺にも挨拶させろ」と強引に携帯電話を奪うと、限りなくにこやかな声で口を開いた。
「……ハッピークリスマス。悪いがこっちはそろそろクリスマスミサなんでな。そっちはそっちで楽しいクリスマスを過ごしてくれ。俺からも素敵なクリスマスになるよう願って(呪って)おくからな」
 そう言いざまプチリと切った電話向こうで、ロマーノのちぎー!と泣き喚く声が微かに聞こえ、日本が咎めるような色の視線を送ってくるが、それには気がつかない振りをした。
 折角のクリスマスの朝のゆったりとした気分に水を差され、行くつもりなどなかったミサにも行かざるをえなくなったきっかけを作られたのだ。これくらいの挨拶でとやかく言われる筋合いなどさらさらないはずだった。


+




 早朝に雪の気配を感じたものの、陽が昇ったクリスマスの朝はよく晴れた青空だった。
 気温は相変わらず低く、舗道の厚い氷はつるつると滑る。
 普段なら五分か十分で歩いて行けるはずの寺院まで三十分近くかかり、行き帰りの間に滑って転びそうになってイギリスに助けられることが数回。もっともイギリスも何度も転びかけ、日本が慌てて手をさしのべた回数は同じくらいだった。道で見かけた人達の間でも滑りかけた仲間に冷やかすような歓声や笑い声が上がったり、ハイヒールで盛装した女性がぐらついたのを通りすがりの紳士が慌てて手をさしのべ、笑顔を交わしたり。天気が良いせいか、それともクリスマスの朝だからか、通りを行く人たちの顔も一様に晴れやかで穏やかなものだった。
 ミサから帰って紅茶を飲んで一息ついた頃に、ケータリングサービスがやってきて、クリスマスディナーのテーブルセッティングから料理の盛りつけまでしていった。
 正直一番怖かった食事だが、予想し恐れ戦いていたほどのものではなく、内心日本は拍子抜けをした。七面鳥の肉はぱさついて、クランベリーソースの甘いソースに違和感は感じるものの、こんなものと思えば許容範囲。確かにあのフランスが合格点を出しただけある。台所で調理するという付け合わせの野菜は頼み込んで日本が任せてもらったので、いつもの火を通しすぎて繊維も崩壊する代物ではなく、歯ごたえがちゃんと残っている。イギリスは食べ慣れないのか一口食べて、皿の上のバースニップを凝視していたのがおかしかった。
 昼間からシャンパンに上質なワインまで開ければ、特別な食事なのだ、と雰囲気も盛り上がる。嬉しそうなイギリスの顔で、料理も何割増しか美味しく感じて日本は口を開いた。
「美味しいですね」
「そ、そうか」
 ぱっと白皙の頬に鮮やかな紅を刷いたイギリスは、視線をうろうろと泳がせ、「まぁまぁだが、気に入ってもらえたなら良かった」と早口で返す。
 食事に対する賛辞に本当に慣れていないのだろう。クリスマスクラッカーに入っていた紙の安っぽい王冠を被っただけで充分王様然としている姿と、狼狽する表情のそのギャップが可愛らしくて、日本はくすりと笑った。
「な、なんだよ!」
「失礼致しました。なんだか……幸せだなと思いまして」
 口を開いたイギリスは、何か言いかけようとして口を閉じ、言葉に迷うような表情を見せる。少し待っても口を開く様子のないイギリスに、日本は問うた。
「でも良かったのでしょうか、クリスマスはご家族で過ごされるものでは?」
「……いいんだよ、うちは。兄貴達とも微妙に宗教違うし、会えば喧嘩になるしな」
 アメリカさんやカナダさんは、と言いかけそうになって、日本は口を噤んだ。泣かせたり泣かされたりで仲が悪いように見えるイギリスとアメリカの仲は、正直日本にはよく分からない。英連邦の国々とも上手くやっているように傍目には見えるが、きっと当事者であるイギリスでなければ分からない事情もあるのだろう。自分と周囲の国々との間柄を思い出し、「そうですか」と言うに留め、話題を逸らした。


+




 窓の外は呆れるくらいの晴天で、久しぶりにいれた暖炉の火も威勢良く燃えている。
 フランスからせしめたシャンパンとワインも、手配した食事も悪くはなかった。によによ笑うフランスから『悪いこと言わないからここにしとけって』と馬鹿にした顔で勧められた時は、『その髭引っこ抜く!』と奴の意見など聞く気はさらさらなかったのだが、頭にのぼった血が引いて渋々ながらも予約の電話をかけたのは、ゲストにして恋人である日本の口が世界一肥えていることを思い出したからだった。
 腹立たしいことではあるが、食に関する限り、自分の意見よりあのヒゲの意見の方が、日本のそれに近いことを認めざるを得ない。『クリスマスディナーは手作りであるべきだ』という持論を折り曲げ、フランスの意見に屈したかいがあったことは、日本の反応からうかがえた。
 恒例の我が女王のスピーチも恙なく終わり、先ほど流れた”God Save the Queen”を鼻唄で歌っているとふわふわと妖精が近寄ってくる。
”ご機嫌ね、イギリス”
「……まぁな」
“クリスマスだもんね”
”日本もいるし”
「……うるせぇ、あっち行ってろ」
 冷やかす声にひそひそと声を荒げれば、暖炉やテーブルの上に並べたカードを眺めていた日本が怪訝げな視線を向ける。日本には彼らの姿は見えないのであった。
 眼が合うと困ったようにさりげなく目線を逸らす。妖精が見えない彼に説明すれば信じないまでも納得はしてくれるであろうが、それを楯にややこしいことになるのは体験済みなので(曰く「誰が見てるか分らないところで一緒に寝たくないです!」と、同衾を拒否され宥めすかすのに往生した)、何も言わずイギリスは立ち上がった。
「面白いカードあったか?」
 隣から何を見ているのか覗き込むと、日本は真っ青な海の上でサーフィンをしているサンタクロースの写真を指さした。
「オーストラリアさんのカードが面白いですね」
「海ってのがクリスマスっぽくはないけどな。まぁあっちは今は夏だからな」
「クリスマスパーティは海辺でバーベキューをすると聞いたことがあります。ケーキはアイスクリーム製だとか。……おや、このリヒテンシュタインさんのカードについているレース編み、うちにはなかったですね」
「ああ、これは俺が教えたやつだからそれでつけてきたんだろう」
「イギリスさんがリヒテンシュタインさんに?」
「いつだったかの会議の後に頼まれてな」
 鉤編みを手にしたリヒテンシュタインに口頭で教えていると、横で聞いていたドイツが編み図を描いて差し出してきたのだった。以来たまにあの二人とは編み物や刺繍の話をすることがある。
 そう説明すると、日本は感心した顔をみせた。
「なんか面白いですね」
「何がだ?」
「カード一枚にも交友関係が透けて見えるようで、そしてそれを飾るというのも興味深いです」
「あーお前んとこは飾らないんだっけ?」
「手紙、カードの類は親書ですから。人様にお見せする感覚はありません。最近うちではイギリスさんたちの真似をして飾るようになりましたが、クリスマスカードのやり取り自体うちの国民の間では一般的ではございませんし」
「そうだったな。その代りネンガジョウ? だっけ? 新年のポストカードをやりとりするんだろ?」
「ええ、年賀状がこちらのクリスマスカードのようなものでしょうか。もっとも飾ったりはしませんが」
 確かにポストカードでは、そして以前見せてもらったワビサビテイストの利いたネンガジョウとやらでは、部屋に飾るには不向きだろう。こちらで流通するカードは、どれもクリスマス気分を盛り上げるためのアイテムの一つとして作られている。カラフルなそれは机の上に、壁に、そしてツリーに飾り付けて楽しむ物だ。
 その中でも一際派手なクリスマスツリーの写真のカードを手にした日本は、「おや」と声を上げた。
「イギリスさんの所へはメトロポリタン美術館のツリーのカードなんですね。うちにきたのはMoMAのでした」
「……お前んとこMoMAのだったのか……ってことはこれは俺に対する嫌がらせか」
 アメリカにしてはまぁまぁなセンスだとわざわざ良い場所に飾っておいたというのに、とイギリスは眉間に皺を寄せた。
 日本にはMoMAで、こちらにはわざわざメトロポリタンのを選んで送ってくるなど、嫌がらせ以外のなにものでもないだろう。アメリカは全く意識せずに選んだのかもしれないが、それならそれで被害妄想が過ぎるようでもやもやする。いや、あえて空気を読まない彼のことだ。全て見越して、仮に指摘しても知らん顔をするつもりで送ってきたのかもしれない。
 美術館設立の経緯を知る日本は、「あー」と困った顔で笑うと、話題を変えようとしてか明るい声を出した。
「ああ、ハンガリーさんのは、もしかして続き柄になってないですか? ほら、私宛のカードと並べたら、模様が完成しますよ!」
 わざわざ日本宛のカードをまとめておいたテーブルからカードを持ってきて、「ね、ハート柄です」と笑う日本をじっと見詰める。視線の強さに居心地の悪さを感じるのか、
「ええと……イギリスさん?」
 確かめるように尋ねる日本を無言のまま抱き締めれば、仕方がないというように細い躰が嘆息した。背中を抱き締め返す腕は、ゆったりとしたリズムで優しくリズムを叩き、宥めようとしているのだろう。
 鼻梁を耳の下に埋めるように擦り付け、首筋の定位置に頭を預けると、そっと日本は頭を傾げ、耳にその頬を押し当てる。
 遠慮なく強い力で抱き寄せているこの体勢は、身長の差がある彼に若干無理を強いているのは分っている。じっと立ち尽くすよりも座った方が楽だろう。そうは思えど、動きたくない。
 少し高く感じた肌の温度はぴったりとくっつけていると同じ温もりで溶けた。頬を押しつけるようにしながら顔をずらし、少しかさついた粘膜を舐める。啄むような接吻けを繰り返し、薄い唇から吐息が漏れたのを切っ掛けに舌を忍ばせると、「ん…っ…」と咎めるような、むずがるような声が返った。
 身構えたように強ばる躰を揺らし、蕩けるように柔らかく熱の高い密室の中を執拗に暴いていると、ゆるゆると細い躰は自重を預けてきた。
 さわり心地の良い背中や脇下を確かめるように撫で、両手で薄い尻を鷲掴んで腰を重ねると、はっとしたように首を振り、接吻けを解いた。
「……イギリスさん、クリスマスですよ」
「うん?」
 濡れた唇が動くのがやけに卑猥に見えた。口の端にキスをすると、瞳が揺れる。
「聖なる日に…こんな破廉恥な……」
「破廉恥ってなんだよ」
 困り果て途方にくれたような声と古風な言い方がおかしくて吹き出すと、怒ったように後ろ髪を引っぱられる。
「だってクリスマスってこういうことしないんじゃないですか? 昨日だって……その…」
「それは……」
 移動で疲れているかと思って気をつかったんだ――という言葉が照れくさくて、
「ファーザー・クリスマスが来たからな」
 と咄嗟に返すと、黒い瞳は不思議そうに瞬く。
「ええと……ファーザー・クリスマスというと…サンタクロース…ですか?」
「そりゃアメリカんとこの言い方だ。うちにくるのはファーザー・クリスマスだ!」
 赤ら顔で気でも触れたような真っ赤な服装がトレードマークのあれは、イギリスの所にやってくるファーザー・クリスマスとは似て非なる物だ。
「はぁ、左様で……」
「昨夜置いておいたブランデー、空になってただろ!」
 サンタクロースと違い、イギリスのファーザー・クリスマスは酒飲みである。だから酒を用意しておいたのだ、と説明すれば、「さっき読んだ投書欄に、牛乳とミンスパイは飽きたから、シャンパンと寿司を用意してくれってありましたが、同じ人ですかね」などとぼそりと呟く。日本の眼差しはまるっきりサンタクロースを信じる子供に向けるそれだ。新聞のジョークと同レベルの認識をされていることに内心がっくりしながら、見えないヤツには仕方ないといつもながらの諦念を抱いたイギリスは、
「大体、クリスマスに恋人と盛り上がるのはお前んとこの風習だろ?」
 と話を変えた。
「いえ、そこでうちの風習などに気を遣ってくださらなくても――」
「インターナショナルカップルが長続きする秘訣は、互いの習慣に敬意を示すことらしいぞ」
「あの、イギリスさん! プレゼント、頂いたプレゼント、開けてませんし!」
「それは夜でいいだろ。それに明日のボクシングデーもあるわけだしな」 
 近づけようとすると、ぐぐぐと両手で顔を押し返す日本の耳が微かに赤い。照れている――のだろう。表情に出ないので分りにくいが、日本が本当に嫌がる時は、慇懃無礼なほど冷静な声を出す。
 照れているだけならば、嫌ということではない。
 長い付き合いで学習をしたイギリスは、彼を籠絡すべく不機嫌な声を出した。
「なんだよ、嫌なのかよ」
「嫌……と申しますか、折角のプレゼントが気になりますので、ハイ」
 ちろりと日本が視線を向ける先のツリーの根元には、開けられるのを待つプレゼントの箱だ。今年は日本がイギリスの家に行くと聞きつけた国々から、彼宛へのプレゼントもあるので普段の倍近い量があり、ツリーの根元から箱が溢れている。
「あれ全部開けようと思ったら、どんだけ時間かかると思ってるんだ? 俺だけでも10箱以上用意したんだぞ。開けるのなんか悠長に待てるか!」
「はいぃ? なんでそんなにたくさんプレゼントを用意されたんですか?! え? こ、このスーツがプレゼントってさっき……」
「一点豪華主義のお前んとこと違って、こっちじゃプレゼントの数は何個あってもいいんだよ」
 教会へ行く前に着替えさせた極々上品なピンストライプ柄のスーツは、眼鏡通り日本に良く似合っている。「俺がしたいんだからな! お前が気にすることじゃないんだぞ!」と言っても、普段は薔薇以外の物をプレゼントすれば、お返しにと日本は次に会う時に大層な代物を持ってくる。「頂いてばかりでは私の気も済みませんので」と困ったように笑う日本の負担にならないように、渋々贈り物を控えているのだ。クリスマスの時くらい好きにさせろ、と用意したのは、一年の間に溜めた日本に似合うであろう、日本に所有してもらいたい物ばかりだ。
「ああ!! そういえば……昨年も大層色々頂いてしまったのに、私すっかり忘れておりました……! 申し訳ありません、私、本当に一つしか用意しておりません!」
 顔を押しのけるのもすっかり忘れ、青ざめた顔を両手で押さえて、日本はおろおろする。そんな困り顔が見たかったわけではない。
 イギリスの所では、値段よりなにより数で勝負とばかりに一人に幾つもプレゼントを用意するのが普通だが、プレゼントに対する認識が国によって違うのは当たり前で、どちらが良いも何もないだろう。冷静になれば彼我の文化の違いだとあっさり割り切れてしまうであろうに、日本が周章狼狽するのは、彼の過剰にも見える礼儀正しさならではか。
――そんなに他人行儀でなくてもいいのに
「気になるなら、その、キス…で、充分……」
 プレゼントになるぞ、と言いながら途中で台詞のくささに己でも引き、尻すぼみにごにょごにょと呟けば、びっくりしたように眼を見開いた日本は、ふわっと柔らかく微笑んだ。
「イギリスさん、それはプレゼントになりませんよ」
「なんでだよ」
 赤くなって尖った声を出せば、言葉尻を奪うように口づけられ、イギリスは眼を白黒させた。
「恋人への接吻は……プレゼントもなにもないですよ」
 視線を逸らす日本の耳は赤い。不機嫌にも見える無表情は、照れているだけだと分かっているから、イギリスは「そうだな」とキスを返す。とろりと甘い舌をじっくり味わっても、今度は拒絶はなかった。




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