8月22日



 ひたひたひた、と。
 足音がする。
 
 窓の外で誰かが足を忍ばせている。
 激しく打ち付ける雨とガタゴトと雨戸を鳴らしながら唸る強風。
 ざわざわと不安を駆り立てる葉擦れに時折ピシリと悲鳴が混じるのは、枝が耐えかねて折れた音なのだろう。
 灯一つない闇の中、眼を見開いて日本はその音を聞いていた。
 
 ゴホッと一つ咳が零れた。
 それが呼び水となって咳が止らなくなる。途切れることなく咳込めば、肺が破れるのではないかと思うほど苦しく、喉元を押さえ必死で空気を吸い込む。
 身を縮め、咳を堪えんと躯を折ると、痛みが走った。
 深浅様々な傷は全身至る所にあり、こうして寝ている間にもその数は増えていく。畏れを押し隠す態の側仕人が巻いた包帯の締付けと混じってどこが痛むのかわからない。
 きつく瞑った漆黒の視界に咳き込む衝撃で紅い華が咲き、禍々しい美しさを感じる。
 曼珠沙華の色だ、とぼんやり思う。
 永に続くかの苦しみの果て、ようやく咳が止った。
 脳にドクドクと響く血流とひゅっという呼吸音がおさまると、世界の音が戻ってきた。
 啼き叫ぶように吠えるように響く風、不規則に叩きつける強雨。
 その中で、先ほどの足音だけが消え失せている。
 だが、彼らがいることを日本は知っていた。
 息を潜め、声を殺し、彼らはこの屋敷を窺っている。否、見張っていると言っても過言ではないだろう。
 彼らはただ見張っている。
 日本の一挙手一投足を。
 そして、やがて訪なうであろう存在を待ち構えている。
 
 不意に、ガラガラと勢いよく玄関が開くがして、外の世界で響いていた風雨の音が部屋に流れ込んできた。
 カツカツと板張りの縁側を鳴らし近づいてくる足音。
 乾いた音を立てて障子が滑るとともに、暗い部屋に不似合いなほどの明るい声が降る。
「やあ! 外はすごい嵐だよ、タイフーンってヤツかい!」
 眼を閉じていても、枕元に立つ相手がどんな表情を浮かべているのか、日本は知っていた。
 いつものように子供のように無邪気で、自信に満ち満ちた表情。
 すらりと高い長身に怖ろしいほど整った顔と、美しい蒼に浮かぶ冷徹な色を眼鏡で隠し、大仰な言動で崩してみせる青年。
 
 ――日本の、敵。
 
 いや、無条件降伏を受け入れた今となっては、敵であったというべきか。
 
「久しぶり、日本。随分と痩せたようだけど、ちゃんと食べてるのかい?」
 枕元に立つ青年からは雨と土の強い匂いが立ちこめる。
 時の感覚を失うほど長く床に着き、闇を見詰めていた日本にとって、久しぶりに感じる生の息吹だった。
「ねぇ日本、何か言うんだぞ」
 眼を閉ざしたまま何も返さずにいる日本に、沈黙に耐えかねた彼は言葉を強請る。
 我慢を知らない子供のような気質の彼らしい、そう思いながら口を開いた。
「……私を殺しにこられたのですか?」
「まさか! 俺は君と友達になりにきたんだよ」
 とんでもないと言いたげな口調はからりと明るく、彼が真にそう望んでいると余人ならば信じるに違いない。
「……友達に、ですか」
 
 
 排日移民法を作り、日系人の強制収容を行ったあなたが
 
 戦時国際法に違反した無差別絨毯爆撃で十万を遙かに超す我が国民を虐殺したあなたが
 
 一度に限らず二度も原爆を投下したあなたが――
 
 
 大陸で、南方で、そしてまだこの身に属する領土の中でさえ、この瞬間にも多くの民が苦しみの中、死んでいっているのを感じる。
 国へ帰りたいと願いながらも恥辱を避けんとして崖から身を投げる女。
 南の密林の中で飢餓と病に苦しみ、泥を這いずりながら『御国のために』と動けぬ身体で銃をとり戦い続ける兵士。
 原爆の後遺症で黒い血を吐き水を求め母を呼び、やがてひっそりと息絶える子供。
 彼らの苦しみが、声にならない悲鳴が、日本の身体に新たな傷を付ける。
 国として、彼らの悲痛から眼を逸らしてはならない。
 彼らにこの苦しみを与えたのは、戦に駆り立てた自分だ。
 『御国のために』と戦の中死んでいった兵士たちの中には、真に自分を守るためと命を賭した者もいれば、死にたくない、なぜこのような戦をと心の中では呪いながらも、時代の潮流に呑まれ、その言葉を唱えざるをえなかった者たちもいる。
 全てを承知で彼らを死に至らしめたのは自分なのだ。
 そして――
 
 黄禍論、ABCD包囲網、、ハル・ノート、あなたは何をすれば私が刃を向けるかを知っていた。
 戦を望んでいたのはあなたの上司であることを私が気づかなかったとでも思うのか。
 勿論その挑発に乗ったのは私で、私にも私なりの野望があったのは否定しない。
 敗軍の将、兵を語らずで、何を言う資格も私にはないのは分かっている。
 分かっているのだけれど。
 
「友達……ですか」
 皮肉げな翳りが声に落ちたのに気づかぬふりで、彼は明るい声で返す。
「そうさ。おいでよ、日本。こんな暗いとこで寝てたら、治る傷も治らなくなるよ」
 なんの屈託もない、からりとした青空を思わせる声。
 長く見ていないどこまでも澄んだ蒼穹を連想するのは、彼の瞳の色のせいか。
「――日本」
 強い声に、目を開く。
 差し出された手。
 暗がりに光る眼鏡、表情は見えない。
 だが、この手を取れと強いている。
 黒革の手袋から覗く腕は、闇を弾く白。
 美しい色の対比は心の奥深くに押し込めていた記憶を呼び覚ます。
 
『――日本』
 
 照れたような怒ったようなぶっきらぼうな声。
 おずおずと差し出された手に、胸が震えるほどの高揚を覚えたのはもう遙かなる昔。
 だが今差し出されたこの手は――
 
 屋敷の外からこちらを窺う気配がする。
 彼らは、息を詰め、全神経でこの家の中で何が起こっているのか知ろうとしている。
「アメリカ」という<国>が「日本」をどう扱うか。
 それをこの国の行く末を占う手段として。
 彼が手を差し伸べるのならば、敗者である自分に許されるのはその手を取ることだけだ。
 それは分かっているけれど。
 
 この身の中で未だに渦巻く国民の悲鳴、嘆き。
 きつく眼を瞑り、溢れ出す感情の波をやり過ごす。
 握りしめた拳で、爪が手のひらに食い込み皮膚を破る。
 息を詰め、歯を食いしばり、そろそろと指を開く。
 日本は強ばり震える手を黒革に重ねた。
「大丈夫、俺は君の友達だからね。もう何も心配しなくていいんだぞ!」
 掴まれた手は、ぐっと強い力で引き寄せられる。
「まずはその傷を治さないと! 医者を連れてきてるから手当てさせよう。それからちゃんと食べないといけないんだぞ。なんだい君、痩せすぎじゃないか!」
 軽々と日本を抱き上げたアメリカは、機嫌が良さそうに外へ向かう。
 この姿を見れば彼らはアメリカが日本に対して友好的な態度で統治に臨むと悟るだろう。
 恐らくはこの青年もそれを承知でこのような示威行為に及んでいるに違いない。
 今の自分にできることは――
 
 この腕に大人しく身を委ねる事以外、自分には何も許されるものはないことに気づき、日本はきつく眼を瞑った。






付記


京都大学教授 永井和氏HP>映像で見る占領下の日本>2000年度・現代文化学基礎演習報告集>
菊地隆之「アメリカの日本占領政策−五百旗頭真『米国の日本占領政策』より」
 http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/00kisoen/kikuchi.html
 
「マッカーサー司令部は、二十六日先遣隊、二十八日マッカーサー最高司令官の日本進駐、三十一日降伏文書調印という日程を示した。ところが二十二日から猛烈な台風が関東地方を襲い、通信・輸送を復旧するのに手間取ったため、日本側の受け入れ準備が間に合わなくなった。先遣隊進駐予定の前日、マニラは「四十八時間」の繰り延べを認めた。この二日間に日本側の準備が出来ただけでなく、一部軍人の不穏な動きも収まり、米軍側が驚きかつ拍子抜けするほどの平和的進駐となった。日本自身による武装解除と平穏な進駐のための事務に携わっていた陸軍の責任者有末精三少将は台風による二日間の猶予を与えられて、やっと「神風」が吹いたとすら感じた」
 
 
 
現代史は入試で殆ど出されなかった世代ということもあって、殆ど学校で習わなかったツケが今まわってきております。
一夜漬けで年表しか覚えなかったからなぁ……。
おかげで資料資料…とWikiを見る度に鬱になる。ルソン島の戦いでは停戦命令から全軍降伏までに半年かかったとかいう話とか、原爆後遺症、シベリア抑留、小山克事件とか通化事件とかに至ってはいやはや。
というかWW2関連は総じて鬱になる資料ばかりです。
 
WW2 といえばオックスフォード大の国際関係論専攻の人が「欧州は第二次世界大戦を避けようがなかったのだろうかというテーマをゼミで散々検討し議論したものの、結局は「大恐慌なかりせば」という結論に至らざるを得なかった」と呟いておられたのが実に興味深かった。つまりメリんちの不況の結果の戦争というわけですね、と思ってみたり。まぁ日本の参戦はまた違う話なんでしょうが。
 
日本がアメリカの占領に対して疑心暗鬼だったというのは、終戦当時士官学校に在籍していた大叔父が教官から「ヤツらは何をするか分からないので絶対に日本刀を隠し持って帰り、いざという時は家族を守るように」と最後に訓辞を受けたという逸話から。アメリカ側の占領統治に対しては降伏する前後は日本の上司も何されるのかと疑心暗鬼で、乗り込んできたメリ側もどれだけ抵抗運動があるかと疑心暗鬼だったというのもどこかで読んだ気が……。
 
しかしWW2で何が一番惜しかったかといえば、有能な若人を失ったことだと思います。江田島の教育参考館に展示してある二十歳そこそこの若者達が書いたとは思えぬ精緻な手筆の遺書には驚かされます。(江田島の生徒館の赤レンガは明治時代イギリスから直輸入したもの!)
八月になると南方の激戦地で命を落とした大叔父を思います。大叔父の存在がなければ、彼と同期だった祖父と彼の妹である祖母は結婚しておらず、大叔父の死がなければ、祖父も戦場で命を落としていたかも知れなかったと聞きました。カメラ狂で、やんちゃで、二十歳そこそこの若さで亡くなった彼が生きていればどんな話を聞かせてもらえていただろうかとふと思う、八月はそんな月です。



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