E-66


ある朝の風景 −ケベックにて
 

 
島 崎 弘 幸
 



 人通りはまだない。自動車も道の片側にとまって静か。息使いは聞こえてこない。33年ぶりに訪れたカナダ、ケベックでの一夜が過ぎようとしている。まだ暗い窓の外には、大きな教会の建物があって、見上げる屋根の向こうの空に、わずかな朝の光を見ることができた。三角にとがった教会の屋根は、ホテルの8階の窓よりも高く、見上げる位置にあった。その頂点には金色のキリスト像が、朝焼けの空を背負って立っていた。キリストの顔は、暗くて見えないが、それだけに見下ろされているようにも思える。かもめが一羽、教会の前の広場を横切った。5時半を過ぎるころ、東を背に建てられた、教会の向こう側で日の出がはじまった。キリスト像の向こうから、後光のように、日が昇るのかと思ってみていたら、足元よりずっと低い三角屋根の右にでた。速い。ほぼ45度の角度で、右斜め上にそそくさと昇っていった。

◇          ◇          ◇

そのころ、鳩が教会の広場にやってきた。かもめよりも30分ほど遅い。鳩はかもめよりも朝寝坊だとわかる。浮浪者も一人、おもい足取りで広場にやってきた。ケベックの五月の朝はまだ寒い。黒い外套ですっぽり体を覆っていた。歩く姿は老人の足取りのようにも思える。目的もなく歩いている姿を見下ろしているとき、ふと、いまの自分の姿と重なってはっとした。33年ぶりのケベック。懐かしいはずなのに、少しも心が燃えない。異国に来たという興奮もない。いつのまにか、感動に乏しい老人になってしまった自分がここにいる。前回、この地を訪れたのは二十代の後半で、ミネソタ大学に留学中のときだった。留学2年目、季節はいまと同じ5月。2週間ほどかけて、ミネソタから、シカゴ、オハイオ、ボルチモア、ワシントンDC、ニューヨーク、ボストン、モントリオール、ケベック、オタワ、トロント、ナイアガラと見てまわった。女房と二人で、気ままなドライブの旅であった。

◇          ◇          ◇

過ぎ去った時の流れは速く、あれから33年、一度もこの地を訪れることはなかった。今はもう老境に差し掛かっている。あのころは意識をしなくても、日々の生活に、張りや充実感があって、歩調にも、活気やリズムがあった。見るものは全て楽しく、感動の連続だった。今はどうだろう。眼下の広場を歩く黒い外套の男を目で追った。行く当てのない歩みだ。人生の喜びや仕事の緊張を失ったら、人はだれでも、このような歩き方に変わるのだろう。年齢とか、性別とか、人種とかには関係なく・・・。生活の中に緊張感を失いつつある今の自分が、黒い外套の男の姿に重なって見えた。若かった日々のケベック。あれから数十回の海外旅行を繰り返した体験が、ここでの緊張間を失わせているのかも知れないが、明日の自分に、託す夢を失っているのかも知れない。人はだれでも、気の持ち方ひとつで、人生に張りを失い、歩みをゆるめてしまう。それが老人であり、眼下を行く黒い外套の男の姿であろう。
 若者が力強く、早足で歩くのは、行く先に目的があるからで、恋人や、夢や、希望が待っているからである。若者だって、行く当てもなく、急いで歩くことはないだろう。老人とは、年齢ではなく、明日に託す夢の大きさ、歩調のリズムで計れるものかも知れない。今の自分の歩みが、周りの人にどのように映っているかは分からないが、他人を鏡に、その姿勢を正して行かなければならないと思う。誰がどこで見ているか分からないのだから。黒い外套の男も、その姿を8階の窓から、見ている者がいるとは思ってもいないだろう。

◇          ◇          ◇

教会の前の広場に、いくつかのベンチがあって、その一つに十数羽の鳩が集まってきた。遠くて羽音や鳴き声は聞こえないが、せわしく飛び跳ねるようすがわかる。教会の屋根を離れた太陽は、広場の半分ほどに、柔らかな朝の日差しを注ぎはじめていた。芽吹きはじめた木々には、朝の光が明るく透けて、みどりに輝く若葉がゆれている。黒い外套の男が、指先で、小さく餌を撒きながら、ゆっくり、ゆっくり、鳩の輪の中に入っていった。

 

エピローグ

 ケベックに来て最初の朝、時差の関係もあって夜明け前に目が覚めた。備え付けのコーヒーセットで湯を沸かし、一杯のコーヒーを飲みながら窓の外を見ていたら、ここに書いたような朝の風景があった。夜明け前、東の空が明るくなりかけたころ、かもめが一羽、教会の前の広場を横切った。薄暗い広場に、黒い外套を着た浮浪者がひとり歩いていた。ふと、そのとぼとぼ歩く姿に、33年前の自分とは違った今の自分の姿が重なって、広場を見下ろすホテルの窓際で一気にこれを書き上げた。これは物語であって、書かれたことの全てが事実ではない。鳩に餌をやる姿は想像で、鳩の輪の中で少しは幸せな気分を味わってもらいたかった。

 最近は、ノートパソコンが良くなって、軽くて小さなパソコンを持ち歩いている。今回、ケベックに来たのは、油脂の国際会議に参加するためだが、気付くと、ペンもノートも、筆記用具を何一つかばんに入れていなかった。もちろん入れ忘れたのだが、ボールペンよりも、パソコンを頼りにしている今日この頃である。

2007年5月12日、ケベックにて)




  
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