E-37


釣 り 人
 

島 崎 弘 幸



 

 湿気を含んだ春の風が、そよとふいて、五台山(ごだいさん、高知市)の裾野に広がる水田の薄くはった水を温めていた。空には田植えをさそう柔らかな日射しがあって、田おこしをする農夫の姿がところどころに黒いかげとなって見えていた。山と水田のあいだには、池があって、葦のしげる土手がながく伸びていた。初老の釣り人が、土手の中ほどに腰をおろし、釣り糸をたらしたまま固まったように動かなかった。立ちこめる若草と土の匂いの中で、まどろんでいるように思えた。「カタキン、カタキン、リューリューリュー」葦のしげみでは、ヨシキリがはげしく鳴いていた。

 その春、ぼくは工業高校を卒業して、地元の銃砲工場で働いていた。地元ではもっとも知名度のある企業で、その社員になれたことに、ぼくは一応、満足していた。ただ、“これで良いのか”、“一度しかない人生、これで良いのだろうか”という青春の自問や、迷いもあった。大学への進学は、ぼくには漠然としたもので、本気で憧れていたわけではなかった。ただ、ぼくは土手でまどろむ釣り人を見ながら、ここで釣り糸をたらすのは、ぼくが60歳を過ぎてからでも良いのではないか。18歳の今から60歳を過ぎるまで、ずっとここで釣り糸をたらして暮らすのが、ぼくにとって本当に良い人生だろうかと悩んでいた。

 会社ではその春に入社した20名ほどの社員を集めて、新入社員教育が行われていた。その年の講師は東京から招聘された経営コンサルタントで、会社の経営改善だけでなく、新入社員の教育やカウンセリングも務めていた。ある日、ぼくはその上司に呼ばれた。恐る恐る一人で部屋に入ると、五十代半ばの上司は、ぼくに優しく微笑みかけて、「この前、みんなに目をつむってもらって『この会社に定年まで勤めますか』という質問をしたでしょう。あの時、手を挙げなかったのは君だけだった。その訳を聞かせてもらおうと思って・・・」といった。ぼくは“ここで仕事を続けて、このままで人生を終えること”への青春の迷いを語った。上司はだまってぼくの話を聞いていたが、やがてぼくを見つめたまま、やさしい声で「大学に行きなさい」といった。「東京に行って頑張ってごらん」と、静かな声だったが、その一言がぼくの人生を変えた。

☆              ☆

 東京の大学で学んだあと、ぼくはアメリカに渡った。27歳になっていた。その頃はまだ海外留学が珍しい時代で、羽田空港には、ぼくの学んでいた大学の研究室から教授、助教授、同僚など大勢が見送りに来てくれた。成田国際空港はまだなかった。ミネソタ大学で留学生活を送ったぼくは、4年後、自信に満ちて東京にもどってきた。それから定年まで、ある私立大学で教べんをとった。定年後も請われて文化財団の理事を勤めていたが、それも70歳のとき辞して、老妻とともにふる里にもどった。歳をとってから、都会から田舎に移り住むことになった老妻の心の内は分からないが、ぼくにとって、ここでの暮らしは幼子が母の胸に抱かれて眠るようにやすらいだ日々であった。50年ほど、ぼくは一生懸命がんばった。神様が、もう一度、18歳のころから、人生をやり直す機会を与えてくれたとしても、いまと同じ結果にしかならないと思っていた。

◇            ◇

 暖かな春の日射しが、庭の木々のあいだを縫って降り注いでいた。花には蝶が舞い、木の若葉にはやわらかな春の風が舞っていた。ぼくは天気が良いと、ときどき釣り竿を肩に、自転車にのって近くの池へ釣りに出かけた。魚は釣れても釣れなくてもよかった。釣れても多くは池に戻した。子供の頃は、釣った魚は夕食のおかずになったが、この頃は池の水が汚れて食べられなかった。昔もこの池の魚は農薬で汚染されていたかもしれない。この池は水田に水を引くためのもので、このあたり一面に水田が広がっていた。農夫は田に農薬や肥料をひんぱんに散布していた。あの頃は何も知らずに食べていたのだと思った。今は水田は埋めたてられ、新しい住宅街になっている。ぼくの座っている堤防もコンクリートで固められているが、昔は緑の草におおわれた土手だった。子供達はその草の上で、重なりあうように転がって遊んだ。水辺には葦のしげみがあり、ヨシキリがさえずっていた。いまは葦のしげみも、小鳥の姿もなかった。

 昔を思いながら、ぼくは水面(みずも)に浮かぶ、細長い浮子(うき)の先を見つめていた。浮子は水面をゆらすことなく静かに半分ほど沈んだ。「きた!」と思った。ぼくは釣り上げるタイミングをはかった。息をつめて、1秒、2秒・・・。ぼくの身体は、固まっているかのように、その一瞬にそなえて動きをとめた。

 そばに若い男が近付いてきた。歩きながら、若者はぼくをのぞき込むように見たが、無言で、ゆっくり通り過ぎていった。

 

エピローグ
 サッカー界の貴公子、ベッカムさまが来日して、テレビのワイドショーを独占している。キャーキャー騒がれて、三日で10億稼ぐのも人生。キャーキャー騒いで、写真が撮れたと涙ぐむのも人生。ウ〜ム、ヤッカム。「人生における幸せのかたちは一つではない」・・・と。

 

 

2003年6月23日




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