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東へ西へ 団地を走る男のきもち
 


島 崎 弘 幸
 




 理事長といえば一度は就いてみたい要職であるが、こと団地管理組合の理事長にかぎれば、苦労ばかり多くて、かなり情けないポストである。一銭の報酬もなく、100%の奉仕活動で、東にゴミ処理の苦情があれば東に走り、西に犬の鳴声で苦情があれば西に走る。1年中、しかも24時間、心は臨戦状態にある。心も身体も休むひまはない。誰も引受け手はなく、誰かが務めなくてはならないポストだから、しかたなく引受けているのに、時には居住者から罵倒される。そんなみじめな理事長にまで上りつめた男の物語である。
 男が家族とともに鉄筋長家に住み始めて25年ほどになる。最初の8年間は「高くて狭くて遠い」と言われた団地での借家住まいだった。そんな生活にも男は不自由を感じていなかったが、男の妻はそうではなかった。たとえ鉄筋長家でも、持ち家に住むチャンスを虎視眈々と狙っていた。理由は、もし男が不慮の事故で急死をしても、自分だけは豊かに長生きをするつもりだったから。マイホームの取得で、たとえ多くの借金を抱えたとしても、男が死ねば保険でかえすことができる。生きていれば、こつこつ働いてかえすであろう。どっちにころんでも損はない。そう考えたに違いない。いや、きっとそうだ。そんなことから、男はいまの鉄筋長家に住むことになった。
 長家は3棟からなり、530世帯余り2000人ほどが生活をする団地である。敷地もかなりひろい。住み始めて5年ほどたったとき、男のもとに一枚の招集令状がとどいた。「次年度は、貴殿が管理組合の理事である。5月○日の団地総会に出頭せよ」というもの。それを受け取った男は初心(うぶ)だった。無防備のまま出かけたら、環境衛生委員会の委員長に任命された。それが団地を走る男への第一歩とは、その時はむろん知る由もなかった。

 理事長の M さんは、その年の総会で否決されたはずの「衛星放送設備の導入」に関する提案を、男の環境衛生委員会で練り直して、来年の総会では通してくれという。男は総会で、その「導入」に反対をした一人だというのに。M さんの戦略か、無神経か、男は一転して「導入」の促進をする立場になった。ともあれ男は業者を呼んで、工事費用の値下げを交渉した。また受益者負担を原則に、各家庭の負担額を変えるなど、いろいろ工夫をして、総額で1000万円を超えていた「見積もり」を半分近くにまで下げたら、次の総会ではあっさりと受け入れられた。男は副理事長に昇進した。
 M さんは、またささやいた。静かな目で男を見据えたまま。団地の「管理組合規約を見直して下さい」・・・と。M さんは催眠術師かも知れない。男はいつのまにか、理事や住民有志で組織した「規約改定委員会」の委員長になっていた。メンバーは主に法文系出身者で占められていたが、男は生っ粋の理工系である。法律など全く分からない。丁々発止の議論を重ねるうちに、法文系と理工系では、発想の根本的なところで違いのあることに気がついた。
 例えばこの地球上から、全ての人類がいなくなったとしよう。おそらく法文系の人々は、人間が地球上からいなくなれば、思考が止まる。法律も文学も、人間がいてこそ成り立つのだから。法文系の発想の“原典”には、不可侵の法律や規約があり、水戸黄門の印篭のように「規約」の前では平伏する。一方、理工系は“原点”に人間を超えた自然界があり、法律や規約よりも、数学や物理で現されるような原理原則が優先する。頭の中は「法律」ではなく「法則」である。そんなことを考えているうちに一年が過ぎた。

大幅な規約の改定(案)にもかかわらず、団地総会では一人の反対者もなく通過した。昨今、政治家が声高に構造改革を唱えているが、国民に青写真(日本の将来)を示すところまで行っていない。なぜ示せないのか、それは日本の政治が、いろいろなしがらみや、悪しき伝統の中にあって、本当の意味で国民のために行われていないからである。 
 
日本の政治と団地の運営を同じにするな、と言う人がいるとしたら、それは鉄筋長家での生活を知らない人。規模が小さくても、いや、規模が小さいからこそ、いい加減な政治では絶対に許されない。住民のための政治が行われないかぎり、いろいろな価値観を持つ人々の集まり、団地総会での議案は通らないし、平和で、住み良い長家にはならない。

気がつけば男は、誰も引受け手のない理事長として、東にゴミ処理の苦情があれば東に走り、西に犬の鳴声で苦情があれば西に走る生活を送っていた。

 

エピローグ

十数年を経た今も、男らの作った「規約」で団地は運営されている。人々に受け入れられた、責任が果たせたという小さな喜び。男らがもらった報酬かも知れない。

 






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