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冬 寝 る の ? フィンランドの鳥
 


島 崎 弘 幸
 


 

 フィンランドのヴァンター国際空港に、男が降りたったのは、ある初夏の夕暮れ時だった。西日をうけてタラップから降りてくると、滑走路に男の影法師が長く写った。すくなくともこの時だけは、男の足は長かった。

 フィンランドの首都ヘルシンキから、北に汽車で2時間ほどの位置にある古都、タンペレが男の旅の目的地だが、男はヘルシンキのホテルで2泊することにしていた。観光ではない。タンペレで開かれる国際会議で、男は不馴れな講演をすることになっていた。ヘル シンキでの2泊はその準備が目的だった。
 スポーツ選手でも、音楽家でも、男のような一 般人でも、2、3日前にその国に入り、体調を整えてのぞめば、それぞれの力に応じたベ ストの仕事ができる。時差の調整や、英語に耳をならすためにも、男は、はやめに現地について、その国の空気を吸って過ごすのが好きだった。

 夏の北欧は白夜。フィンランドの太陽はなかなか沈まなかった。ホテルに入って、男は部屋のカーテンを閉め、薄暗がりのなかに寝た。夕食は近くのマクドナルドで、ハンバー ガーを食べてすませていた。ぐっすり眠った後、ふと目覚めてカーテンを開けると、窓の外にはフィンランドの静かな朝の風景がひろがっていた。つい先ほど地平線から昇ってきたであろう朝日が都会のビルに映えて、時間とともに、ゆっくり右斜上に昇っていった。 やがて太陽は、右の窓枠を斜に横切って見えなくなった。現地時間の午前2時から3時にかけて、男はぼんやり、ホテルの窓から北欧の日の出をながめていた。
 そのときは気付かなかったが、男はその日、思いがけない現象にであった。右の窓枠に消えた太陽が、夕方になって、おなじ窓の左側にあらわれ、ゆっくり、斜に落ちていった。朝の光の初々しさはなくなって、夕暮れの赤い光にかわっていたが、一つの窓から、日の出と、日の入りを見たのには驚いた。日本では東の空から昇る朝日は、夕暮れとともに西の空に沈む。おなじ窓から、日の出と日の入りを見ることはない。男はそれがあたり前だと思っていた。しかし、ここフィンランドでは、夏の太陽は地平線の下にちょっと隠れるだけなので、おなじ窓から日の出も、日の入りも見ることができた。

 数日後、男はタンペレの会議で、無事に予定した講演を終えた。大勢の前で、英語で講演をするという重圧からときほどかれて、気分はとても軽かった。気分が良いと、英語でも多少は饒舌になれる。講演を終えた日、参加者が一同に集まるレセプションが開かれ、会場となったホテルでは、人々が思い思いにテーブルをかこみ会食を楽しんでいた。

 男は中央付近の重鎮や、主要メンバーの集うテーブルをさけ、比較的、気楽に過ごせそうな席を選んで座った。その席には外国人の参加者も数人いたが、男の前には、会場の受付や、スライド係りをしているフィンランドの女子学生が二人座っていた。話しかけると、笑顔と上手な英語で答えてくれた。いずれも同じ大学の医学部の4年生だという。親子ほどの年齢差はあっても、会話は、はずんだ。東洋からきた男に、珍しさも手伝って、二人はフィンランドの歴史や習慣についていろいろ教えた。男はそんなはずむ会話の中で、ヘルシンキのホテルで経験した驚くべき現象について語った。

 「一つの窓から、日の出と日の入りを見た・・・」と。彼女達はにこりともしなかった。それはそうだ。彼女達にとっては、生まれた時から見なれた風景。むしろ東の空から日が 昇り、西の空に沈む方が奇妙なことかも知れない。男は話を続けた。すました顔で。

  「ところで、フィンランドの鳥は、いつ寝るのですか?」
  ちょっと考えて、男のジョークを理解した一人が、にっこり微笑んで答えてくれた。
  「フィンランドの鳥は、冬寝るのです」(笑)


エピローグ
 外国のパーティーでは、初対面の間柄でも、しばしばジョークが飛び交う。そのような素地があるのだろうか、この女子学生のジョークのセンスに驚いた。これは男が出会った 最上のジョークだが、会話で伝わるジョークも、文章にすると分かりにくい。すこし補足が必要かも知れない。

 「ところで、フィンランドの鳥は、いつ寝るのですか? (だって、鳥は朝が早いのだから、こんなに夜明けが早く、夜が短いフィンランドでは、鳥は寝るひまがないでしょう)」の問いかけに対し、「(フィンランドの冬は、夜がとても長く、昼間は短いのです。だから、)フィンランドの鳥は、冬寝るのです」と切り返したジョーク。






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