E-39
「座頭市」を観て
島 崎 弘 幸
映画「座頭市」を観た。北野武監督の作品は、これまでにも外国で賞をとるなど、なにかと話題になったことは知っていたが、北野作品を観たのは初めて。さほど大きな期待はしていなかった。金髪の座頭市、タップダンスを踊る時代劇、外国での賞をねらった「ウケル」ための映画など、幾つかの批判を耳にしていたから。だから、どんなものかと観にいった。
結論からいえば、素晴しい映画だった。
男のような者に誉められても、何の価値もないのだが、久々に出会った素晴しい映画だと思った。北野監督はお笑い出身で、正直なところ、男の認識はお笑い出身の人が好きで映画監督をしているといった程度のもの。だからこれまで、ほとんど無視していたが、とんでもない。北野監督は、黒沢明監督と同じように、新しい時代を切り開く非常に高いレベルの映画監督であることが分かった。「金髪の座頭市」を観ながら、そう思った。「金髪」も、「タップダンス」も、この作品の中で全く違和感はなかった。否、それらがあるからこそ、この作品に価値がある。モノクロトーンの時代劇にあって、金髪は映えていた。農民や庶民が「悪者」に勝った喜びを現すのに、踊り(タップダンス)はぴったりで何の違和感もなかった。「江戸時代に、金髪やタップダンスはないだろう」という批判は当らない。「無かった」というなら「座頭市もない」のだから。「座頭市」も架空の物語である。男は当然のことながら勝新太郎の「座頭市」を観ている。勝さんの「座頭市」も面白かったが、あれは勝さんが「墓場」まで持っていった作品。渥美清の「寅さん」と同じように。だれも代演はできない。
批判のあった「タップダンス」の場面は、この映画の最後の部分だが、あれは農民が喜びを現すための踊り。とても日本的な和太鼓のリズムで感動した。「タップダンス」という評論家の批判は当らない。他にも農民が田を耕す足音や鍬(くわ)の音、悪者に焼き払われた家を村びとたちが建て直す「喜び」を大工の木づちや、金づちの音で表現した場面は「独創的な発想」。素晴しいと思った。「和太鼓のリズム」をつくった作曲家も、北野監督とともに高く評価したい。男は、このリズムを聞きながら、ひさびさに興奮していた。むかし、同じような興奮を覚えたことがある。男が高校生の頃、「ウエストサイド物語」というアメリカ映画が上映された。歌いながら踊る映画の斬新さに感銘を受けたが、なかでも、ジョージ・チャキリスがパチッ!、パチッ!と、指でリズムをとりながら踊った「クール」。あのときの感動がよみがえった。
エピローグ
北野監督の「座頭市」は、ベネチア国際映画祭(受賞)の他に、日本でどの程度の評価を受けたのだろう。男にはむしろ上記のような批判だけが聞えた。上映もマイナーな映画館だけだから、あまり好評ではないのだろう。だから、男は率直に自分の意見を述べてみた。どんな専門家の意見よりも、自分で感じた素直な気持ちを大切にしたい。素晴しい作品だと。多分、声に出さないまでも、この映画に感動した人は少なくないと思う。
なお、「ウエストサイド物語」では、もう一つの感動があった。美しい女優「ナタリー・ウッド」。この映画には・・・、いなかったけれど。
(2003年11月6日)