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     冷や汗のレンタカー  ポートランド
 


加 藤 良 一
 


 


 ポートランド国際空港の近くでレンタカーを借りた。真新しいアメ車ではあるが日本車と乗り心地に大差はない。空港からポートランド市内までは、ほとんど一本道だ。

 ぼくの行ったポートランドは、アメリカ西海岸オレゴン州のほうだ。おなじ地名が 東部のメーン州にもあるから紛らわしいが、オレゴン州のポートランドは、札幌市と 姉妹提携しているオレゴン最大の都市。いくら大きくても州都ではなく、州都はポー トランド南に位置するセイレムである。オレゴンという州名はどこからきたのか由来 がよくわからないそうだ。アメリカのような歴史の新しい国にしてはめずらしいことだ。

 ぼくにとっては、これが海外でのはじめての運転だった。道路に慣れるまではとり あえずYさんに運転をお任せした。Yさんとは前日にニューヨークで落ち合って一緒 にポートランドまで来た。Yさんは、以前アメリカで二度ほど運転をしたことがある そうだ。だから、最初の運転はまずYさんにお願いした。
 ポートランドには世界的なスポーツ用品メーカーのナイキ本社があり、市内にでか いスポーツ専門ショップがある。ショップといっても、スポーツ博物館のようなとこ ろもある楽しい店だ。ぼくらのクルマは、ナイキショップを探しながら、夕闇迫る市 内をさまよっていた。

 右折して入り込んだ二車線の道路、そこは一方通行で、左側のレーンはクルマでい っぱいだった。ぼくらのクルマは、空いていた右側を走って行った。たぶん並んでい るクルマは左折車の列、きっとこの先にデパートか何かがあるんだろうくらいに、Y さんは考えていたのだと思う。ぼくもとくに不思議には思わず、助手席からポートラ ンドの街並みを眺めていた。
 広い二車線の一方通行をすこし走ると前方にバスが右に寄って停車場で止まってい た。あいかわらず左車線はクルマでいっぱいである。バスをよけて追い越さねばなら ないが、と、ここまで考えてあわてた。あれ、ここはバス専用レーンじゃないのか、 その証拠に一般のクルマは1台もいないじゃないか。いるのはぼくらだけだ。左側の レーンがクルマでいっぱいだった理由が一瞬にして理解できた。理解はできたが遅か った。

 まずい、ポリスにでも見つかったらたいへんなことになる。とにかくこの道から早 く抜け出そう。そうはいったって、もう目の前は交差点だし、バスがうしろからも迫 っていたこともあって止まることもできない。Yさんはとっさにハンドルを左に切ってしまった。ぼくらのクルマは、交差点で停 車していた左車線の最前列のクルマとバスのあいだをすり抜け、まだ赤信号だという のに交差点の中に入ってしまった。まさかこのまま交差点を突っ切るわけにもゆくま い。勢いがついていたぼくらのクルマは、やむをえずそのまま左折してしまった。け っきょくバスレーンへの進入違反と信号無視のふたつの違反をやらかしてしまった。
 横断歩道を歩いていた人も止まっていたクルマの運転手も、なんてやつだ、よく見 りゃ東洋人じゃないか、ずいぶん野蛮な運転をするもんだとびっくりした顔で眺めて いた。でも、ほんとうに肝を冷やしたのは、何がなんだかわからないまま、緊急避難 的に脱出したぼくらのほうだったのであるが。
 この一件があってから、Yさんは、ほんとうにアメリカでの運転経験があるのだろ うかとぼくは少々疑いはじめていた。こんな調子では、以前はいったいどうやって走 っていたのだろうかと、いぶかしく思わずにはいられなかったからだ。

 アメリカのクルマは、右側通行に合わせて運転席が左側にあるが、ブレーキやアク セルは日本と同じ右足で操作するようになっている。これは大助かりだ。ブレーキや アクセルまで位置がちがっていたらたぶんお手上げだろう。人間工学的には、どこか 共通する発想があるのかもしれない。いやそうではなく、たんに右利きが多いという 理由だけからきているのかもしれない。何はともあれ右側通行には左ハンドルが合理 的なのである。

 アメリカと日本とではずいぶん交通事情がちがっている。そのひとつ、行き先を表 示した標識のわかりにくさにはずいぶん悩まされた。アメリカはかなりフリーウェイ が発達している。フリーウェイは、日本でいえば高速道路にあたるが、とくに料金は とらないし出入り自由である。

 フリーウェイのあちこちに置かれている標識は、緑の地に白い文字で書かれてい る。困ったことに、フリーウェイから別のフリーウェイに曲がったり、一般道へ出る ときに、そこがどこなのかという表示がほとんどないのだ。
 たとえば「○○WAY ↑WEST ←EAST」となっている場合、○○WAYの西方向へ行き たければ直進せよ、東方向なら左折という意味である。つまりその道がどっちの方角 へ行く道かを表示しているだけである。つまり自分はどの道路をどっちの方角に行くのかが、分かっていないとだめだとい うことになる。「青梅街道 西は↑ 東は→」と書かれているのと同じである。で は、そこはいったいどこなのかは、まったく書かれていない。道路地図を見ながら、 どこどこで左折しようというようなやり方では、おそらくうまくいかない。つねに自 分の目指す方角や、そのつどの地名を知っていなければ、目的地にすんなりとはたど り着けない。少なくともぼくらはそうだった。

 この標識のおかげでポートランド市内の環状道路をぐるぐる廻り、しまいには逆方 向へ行ってしまったこともあった。二三時間道路を探し続け、真夜中の12時すぎに 気がついたら、遥か離れた空港のそばまで行ってしまったときには、ほとほといやに なった。もっとも、標識をうまく読み切れなかったのはわれわれが未熟だったせいで はあるのだが。まあ、このていどのことならべつに事故を起こすわけでもないし、危 険性があるわけでもないからよしとしよう。

 そんなことより日本人がもっと悩むのが、通行帯の左右のちがいであろう。ふだん 日本で走り慣れた左側通行が反対の右側通行になるというのは、初めての人にはたい へん神経を使うものである。田舎道のような車の少ないところなら、ゆっくり考えな がら走ればよいが、交通量の多い市内ではそうもいかない。通行禁止や一方通行の制 限も多いし、交差点で止まって考え込むわけにもゆかない。
 習慣というのは恐ろしいもので、無意識にひょいっと道路に出て行くと、いきなり 道路の左側を走っている自分に気づいて驚くことがある。ここは日本ではないのだ。 とくにセンターラインのないような狭い道では、かなり意識してないとつい左に寄っ て走ってしまう。もっとも恐いのが左折するときである。気をつけていないと、曲が ってからつい左車線に入ってしまうのだ。中央分離帯がある道路などでこれをやる と、反対車線に逃げられないからおそろしい。とうぜん正面衝突である。ご他聞にも れず、これもちょっとだけではあるがやらかしてしまった。
 そのときはさいわいにも対向車が遠かった。必死になってバックしてことなきをえ た。慣れるまでは「右!右へ!」と声に出して唱えていないと危ない。電車の運転手 じゃないが、指差し称呼をしたほうがいいだろう。左折にくらべて右折の場合は、縁 せきに沿って曲がればよいので、あまり迷うことはなかった。