これより以下の日記の図像は削除してあります
2001年12月18日
年賀状の仕事をした。へたばった。高知こどもの図書館からチラシや航空券が届く。このチラシ。ピカ1の出来でした。情報たっぷりなのにごちゃごちゃしていません。レイアウトがいいのです。書体も。高知は竜馬と幸徳秋水さんだけではなかったのですね。かんざしを買われる煩さん(失礼。坊さんも)もおられたし・・。人材豊富な土地のようです。
2001年12月17日
15日の夜、河童とタヌキにムジナも呼んで忘年会をした。それはいいのだが三人(?)が持参した肉や魚をつついていると、「これ大丈夫かね?」という心境になってきた。まさか馬糞やミミズの挽き肉ということは無いだろうが・・。友情と信頼とはなかなか両立しがたいものである。だから私も三人(?)がぐでんぐでんに酔ったところで、いいちこに・・・してみた。果敢なる実験精神の結果、わかった事は二つある。ひとつは何人も信頼できないということである。もうひとつは、それでも忘年会って楽しいなぁということだった。
今朝、鈴木出版の濱野さんに会った。驚きました。こんど私がビリケン出版で絵本をご一緒する早川純子さんの版画を買われておったのです。「お主、出来るな!」とおもわず刀の柄に手をかけました。世に人ありです。
2001年12月15日
すずき出版の濱野恵理子さんより、こどものくに2月号『ころんじゃった』届く。絵は和歌山静子さん。添えられた濱野さんのお手紙があまりにも感動されているので、オットットとおもわず後ずさりした。でも、濱野さんのお気持ちはよくわかった。だれだって和歌山さんのこんどの絵を見られたら感動されるに決まっている。月刊絵本で市販されないのが残念だけど、定価350円(税込み・1月発売)。書店に注文してみてください。絶対にご損はさせません。と不肖内田麟太郎が保証します。
名古屋より講演のご依頼を受けた。はじめっから講演料の提示があったので気持ちがよかった。「安くて申し訳ありません」と何度も恐縮されていたけど、私には頷けるものだったので喜んでお引き受けした。先の私の講演料についての一石は、思った以上に皆さん考えてくださっていて(茅ヶ崎市でも、そうだった)なんだか気分がのののののと、のどかになっている。
2001年12月14日
内田麟太郎センセイ 初心を語る
本日午前10時30分 内田麟太郎センセイのHPへのお客様が1000人になりました。
これを機にセンセイに「なぜHPを?」を作られたか、その初心をうかがってみました。
センセイ「えー、ぶっちやけた話。『心妖怪シリーズ』があまり売れなかったわけね。(注・現在はよく動いている)。それで絵を描いて下さった、ささめやゆきさんに申し訳ないやら、会わせる顔が無いやら、つらかったのよ。♪くらーく さびしーい この裏町を♪って感じ。それで、なんとかせにゃ、ささめやさんにスマン、アンマン、のど自慢、と。ホームページのソフトを買ってきたわけ」
つまらない談話なのでこれでカットします。
2001年12月13日
昨日、神奈川県茅ヶ崎市へ行ってまいりました。子どもの本を読む会(代表黒沼慶子さん)のお招きです。会場満員。それだけでも嬉しいのに、むさくるしい男は一人もおりませんでした。一人も。うれしかったなぁ。演題は「頭の上にタヌキがいてね」。つまり・・いつもの漫談です。みなさんよく笑ってくださって(ふと私は、そちらの業界へ転向しようかと思いました)。でも、寄席は男も来るからね。やーめた。
お昼はみなさんの手作りの赤飯やケーキ(「アリさん ありがとう」とリボンがありました)や、おしんこや、おいしいものがどっさり。それにしてもですよ。お見送りを受けながら車に乗ったら・・。車の窓がすーっと下がりまして。いや、はや、そのハズカシイコト。「お手をお振りなさいませ」という運転手さん(もちろん女の方です)の配慮であります。わたくし宮様のご苦労をこの一瞬に理解いたしました。あは〜ん。つまり、茅ヶ崎はおいしいものどっさりの女人島でございました。絵本のことはどうだったのかって? そんな野暮なことは、なぁにもおぼえておりませーん。
偕成社の小柏香様よりメール。『ともだち ひきとりや』の初版部数決定と。部数は・・教えられません。編集長の中川様からは「満足するなかれ。気を緩めずに、さらにいい作品を」と厳しい叱咤がFAXで。あたしゃ、つらいの〜、タヌキ。
大川市のクッキーさんからメール。「ともだち くるかな」の構内放送が終わったら、校長先生が「よかったよー」と放送室に飛びこんでこられたそうだ。セリフのところはお母さんたちが(青春されながら)朗読されたとのこと。私も「よかった、よかった」と、ほっとしております。クッキーさんとみなさん、「アリが十なら、イタチは二十歳」です。
ビリケンの津田様より電話。『じてんしゃ きこきこ』がTV神奈川で放映されると。『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』(本日・放映)といい、TV神奈川には変態ヨイトコさんがおられるようです。同社からの次作ナンセンス絵本『しんじなくても いいけれど』のラフ(早川純子さん)も出来ましたと。しんじなくてもいいけれど・・。
ベネッセの勝見さんよりお手紙。絵は石井聖岳さんでOKと。石井さんは、その第一作の絵本『つれた つれた』(解放出版社)で世間を仰天させられた方です。その才能いっぱいの、ほんにゃら絵が「チャレンジ2年生」のたくさんの子どもたちに出会うことを想像すると、私はこの国の将来がとても不安になってきました。ふわぁ〜ん。
2001年12月11日
二日酔いをしております。冷凍マグロというよりも、脳味噌がふやけて膨張した干しナマコです。
あは〜ん。
それでも来るものは来るのですね。偕成社の小柏さんから東映動画のアニメ「ともだちや」のテーマメロディとオーディションを受けられた声優さんたちのセリフ・テストのテープが届きました。曲はのどかで(小柏さんによれば、ヨーロッパの大道芸の雰囲気)少女と手をつないで春の丘を下っていくようです。もちろん声優さんたちはさすがにプロで、自作の物語なのにおもわずじーんとなりました。オオカミはせつないのぉ、と。
そういえば昨夜の忘年会の帰りの車中(JR中央線)で、詩人のKさんと二人で、眠っているまだ少年少女のようなカップルを「いいね、いいね」と見ていました。少女は恋人の腕にわが腕を回して眠っていたのですが、その手(指)の姿がとてもきれいだったのです。またおしゃれでした(これはとても大事なことでしょ)。二人はまだ二人が詩人であるらしいのを自己確認しました。
あは〜ん。
大川氏のクッキーさんへ(掲示板をご参照ください)。明日の読み聞かせ期待しております。実を申しますと・・私もまだ「ともだちや」の読み聞かせには立ち会ったことがありません。つまりどなたもが本邦初演であります。大川市某小学校、明日、「ともだちくるかな」、奔放(ママ)背負えん(ママ)。請う、拍手喝采! 「おせんに、クッキーは、いかがですか」 「え〜 クッキーは いかがですか」 「くっつきー ちょうだい」(幼い子どもの声)。
ベネッセの勝見さんより電話。「いい作品でした。そのまま頂きます」と。ほっ。
竹内通雅さんより電話。フォークソング?「ぶきゃ ぶきゃ ぶー」のデモテープを作りますと。この先はまだ秘密です。

2001年12月10日
今日は詩誌「騒」の忘年会。明日は例によって冷凍マグロよろしくごろんと転がる予定。宿酔いが回復するのはたぶん12日です。
ところで「講演料問題」のT市から、今朝、「中止にしたい。先生には申し訳ありませんが予算がとれませんでした」と、ご丁寧なお電話を頂きました。あまりに恐縮されているので、こちらがどぎまぎしてアチャカパケなハレホロニョペララになりました。次年度からは「しっかり予算をとりたい」とおっしゃっていたので、私の孤独なる?異議申し立てもいくらかは意味があったようです。励ましてくださった皆さん、ありがとうございました。
ご存知さんのメール(掲示板)には参りました。その通りだと反省しています。
でも、ご存知さんのメールも読ませていただきながら誤解されるだろうなぁと思いました。2時間のおしゃべりで7万円は荒稼ぎではないかと。きっとここが問題の鍵なのでしょう。二十数年前に岩崎京子さんが『児童文学者の経済白書』で「講演は三日分の生活費でほしい」という主旨のことを書いておられました。講演のための前日の下調べ。講演当日。くたびれて仕事にならない翌日分と。まだ本も出てない私でしたが「なるほどなあ」と頷いた記憶があります。もちろん私の講演は漫談で前日の下調べはありませんが(・・?)、それでも前夜がホテル泊まりだと眠れなくて超クタビレマス。というわけで講演翌日は当然グロッキー。ということをお考え頂くと、講演料の計算は実に単純で、日本の平均賃金【ボーナスを含む】の三日分+交通費+食事代。そして専門家へのなにがしかではないでしょうか。
昨日は「詩人・内田博に聞いたこと」5枚を書き旭川の『青芽』へ。内田博さんという人は、私の父もやっておられました。詩人と兼業ですね。
2001年12月9日
講演料・・・昨日の続き
昨日の日記(講演料のこと)を読んでくださった方から、電話/fax/メールをいただいた。みんな憤慨してくださっていたけど、その中にその2市の名前を公表すべしというのがありました。だが私は公表するつもりはありません。なぜならそこには悪意が一切ないからです。ただ具体性に思いが及んでいない・・そのことを考えてもらいたいのです。市の文化を預かっている方々には。だから具体的に書きます。
その講演日程は4日間です。その間に2回講演します。ひとつは古い友人の仲立ちで、手作りの運動に協力するかたちですから5万円です(でも、世の手作りの運動をなさっている方に一言申しておきますが、内田麟太郎は一泊の講演でも5万円で来てくれると誤解しないでください。これは、あくまでも古い友人がいたからです)。もうひとつの講演が市で5万円の依頼でした。私は世間の常識というものをなんとなく信頼して生活していますから、この金額をお知らせいただく前に「行きます」と承諾しておりました。市の教育委員会が関係する仕事だったから、なおさらのことでした。もちろん私は約束した者として、この市へ必ず行きます。そしていかなる手抜きもせずしっかりと講演してくるつもりです(といっても、内容はない漫談ですが・・・トホホホホ)。
つまり4日間で10万円の稼ぎです。当然、内容は無くても講演は格闘技ですから5日目はへたばってのびております。日割り2万円ですね。この5日を2で割ると1主催者あたり2・5日です。いうまでもなく出張手当・超過勤務手当付で1日2万円です。この市の職員(私と同じ60歳近い方)の日収は出張手当・超過勤務手当付で1日2万円でしょうか。すなわち年収440万円(ボーナス含む)でしょうかという素朴な問です。これが私の講演にかかわる経済の具体的な姿です。いうまでもなく私にはプロの絵詞作家としての自負はありますが、「それほどでもないでしょう、リンちゃん」という評価もあるでしょうから、ここでは除外しています。市の文化を預かる皆さん。ご一考いただけたら幸いです。
●この問題へのご意見は、なるべく掲示板にお書き込みください。風通しのいい明るい場所で考えましょう。
2001年12月8日
最近、その市の市職員の平均日収よりも低いだろうと思える講演依頼が二件あった。自分をお金のことでことさらにガリガリしているとは思わないが、なんとも哀しかった。東京からへとへとになって(講演は格闘技なので、講演翌日はへたばっておるのです)行くのに・・・。私と同年齢の市職員の年収を月実働22日として割り算した日収より低いのだ。考えただけで惨めになってくる。もちろんその総合計日収は市職員の年収にとても及ばないだろう。「大金をよこせ」というつもりはない。しかし、市職員の平均日収より低い講演料なのは、どうしても頷けない。児童文学者(私の場合は絵詞作家)の地位はそんなに低いものなのだろうか。私の本音を言えば、講演はあまりしたくない。それよりも机に向かってぼんやり考えている時間がずっと好きだ。それでも行くのは待っていてくださる方と、お声をかけてくださる方を、ありがたいと思っているからだ。でも、それだけに楽しく行き、楽しく話したいと思っている。各地の講演担当の皆さん、私の言うことはゴウマンでしょうか?どうか、講演依頼をしてくださるときは、最低でも市職員の平均日収くらいはくださいな(一泊の場合は3日分として)。
書くことも、思い出すことも、惨めな出来事だったけど、ここに洗いざらい正直に書くことで一石を投じたい。ぽちゃん。
文庫や読書会など手作りの運動の講演ご依頼には別の基準にて協力させていただきます。
2001年12月7日
特報
わたくしの少年少女詩集『うみがわらっている』(銀の鈴社)は日販に残部1冊だけとなっております。この1冊。どなたの手に!
完売しました
2001年12月5日
講談社の塩見さんから電話。第一声は「先日は楽しかったですね」。私も「楽しかったねぇ」。竹内通雅絵本原画展オープニング二次会の楽しきバカ騒ぎのことです(2日の日記をご覧ください)。その絵本『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』がTV神奈川で全場面の放映が決まりました。詳しくは後日お知らせします。追記。12月13日放映済んでおりました。あれ、あれ。
『チャレンジ2年生』の作品「おかを こえたら」を書く。丘を越えたら,お顔肥えてたという・・・。わしゃ、しらんもんねぇ〜
偕成社の中川勇さんよりお葉書。『ともだち ひきとりや』の再校に降矢ななさんのOKが出たと。これで来年2月発売になりました。
2001年12月4日
本日も『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』の発送作業。
夕方、なにげなく「大牟田からの独り言」(リンクコーナー)の日記をのぞいていたら、NHKのど自慢で大牟田北高校生がゆず系を歌って鐘2つとあった。この高校には私も三年間おりましたが・・・。どうやら歌手は出にくい学風のようですなァ。でも、手塚治虫賞の萩尾望都さんもこちらの高校です。いずれにしても軟派系。未来があります。
2001年12月3日
午前中、立川でベネッセの勝見さんと『チャレンジ2年生』の打ち合わせ。同じ喫茶店で福田岩緒さんも打ち合わせ中で、ご挨拶され恐縮する。帰宅後『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』の発送作業を夕方までして、おじさんはつかれられました。
おまけ。立川オリオン書房で『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』が平積みでした。
その夕方、大阪のAさんから電話。来年の十二月、大阪で講演をすることに。昨日、Aさんからおいしい菓子が届いていて・・・。Aさんはなかなか策士であります。わたくし食べてシマッタ!後でございました。やられたー。
佼成出版社の小山さんからメール。長新太さんがトムズボックスの「花ざかり」展の会場でサインをなさっていたと。うれしかった。なぜうれしかったかはペケペケチョンマゲ。
というわけでへたばっていたら、久しぶりにタヌキが訪ねてきて「沢口靖子は、いいなあ」といった。なぜか私は不機嫌になって酒を出してやらなかった。
2001年12月2日
11月30日。ギャラリー風草で加清桂子染織展「野遊びと手紡ぎ」を見て、竹内通雅さんの新作絵本原画展(『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』)オープニングへ。二次会は小野明、前野眞(架空社)、沢田としき、辻和子,中澤由美子さんなど十五名ほど。通雅さんがフォーク調で「ぶきゃ ぶきゃ ぶー」を歌い放ち投げ転がし、私も小野さんも、涙を流して笑いました。いいえ、もしかしたら・・・、笑いつつも苦闘する異才竹内通雅に、同情ではなく、感動の涙だったのかもしれません。「竹内通雅は永遠の29歳だ!」と私はこころのなかで叫んでいました。某女性編集者(名を秘す)に別れ際に「大橋重信さんと、竹内通雅さんに、テキストを書いてくださってありがとう」といわれ、無言で握手しました。そのひとの語尾は涙で震えておられました。大橋重信さんと竹内通雅さんの才能を愛している方だったからです。竹内さんはそのようなよき仲間の中にいるんです。ね、ツーガさん。
12月1日 トムズボックスで長新太展を見る。やっと、念願だった長新太さんの花の絵を一枚求めました。内田麟太郎は長新太の絵を持つべきだ・・・といつも己に言い聞かせながらも諸般の事情により今日にいたりました。降矢奈々さん、ありがとう。その足で詩人秋山清を偲ぶコスモス忌へ。三日連続外出。おまけに二日酔い。さすがにへとへとでした。(昼寝がしたかったなあ)。