芸能界きっての人気俳優で、抱かれたい男ランキングでは毎年一位の座をキープし続けているジャッキー・グーデリアンの専属マネージャーとなって三ヶ月が過ぎたその日、私の生活は一変した。
原因は、彼の夜遊びを禁止したことにある。
俳優としての仕事は完璧にこなすし、時間にも正確なグーデリアンの唯一の欠点が私生活だった。
毎晩のように、違う女の子を連れて遊び歩く。
自分が有名人だということを少しも自覚していないようなその放蕩ぶりに、マスコミ対策に追われた歴代の彼のマネージャーは皆、体調を崩し入院する破目に陥っていた。
初めのうちは私も、事務所一の稼ぎ頭であるグーデリアンのやることに従うしかないと考えていたが、自分も体調を崩しそうになって思い直したのだ。
グーデリアンに夜遊びを止めてもらうしかないと。
その時に彼の出した交換条件は、私が相手をすることだった。
彼の部屋で、従わなければ直ぐにでも遊びに出掛けてしまいそうなグーデリアンに、否と言えるはずもなく、私は彼を受け入れていた。
グーデリアンがおかしくなったのは、その時からだ。
突然、どこからどう見ても男の私に向かって、可愛いなどと連発するようになったのだ。
確かに私も、彼が私に厭きるまでと覚悟しておけば、あらゆる女性が欲しがる男を占有できる上に、仕事も楽になるのだから悪くないとは考えた。
しかし、こんな事態に陥るなどと、誰が想像しただろうか。
 やられた……。
 突然響いた来客を告げるチャイムの音に、私はがっくりと肩を落とした。
 扉を開ければ案の定、そこにグーデリアンが立っている。
「今日も一段と可愛いな、ハイネル。もう出られるんだろう?少し早いから、昼食でもどうだ?」
「どこの世界に、自分のマネージャーを毎日迎えに来る俳優がいるんです?」
 今日こそは私が迎えに行くのだと、予定より二時間は早く家を出るつもりだったのに、この男は私の行動を全て読んでしまえるらしい。
 毎日、私が家を出ようとする少し前に、こうして迎えにやって来る。
「そんな細かいこと気にするなよ」
「気にします。私の能力が疑われるんですよ!」
「おまえが優秀なのは、俺が保障するさ。社長だって褒めていたじゃないか」
 確かに社長は大喜びで、この調子で頑張ってくれと言われたばかりだ。特別ボーナスまでくれたから、私の功績として評価してくれているのは事実だろう。
 それでも、その方法がこんなことだなんてばれたらどうなるか。
 目の前がふっと暗くなったと思ったら、唇を塞がれていた。
 軽く触れただけで離れたそれに安堵しながらも、頬が火照るのを止められない。
「まずいな。仕事の前はおまえに触れないようにしようと決めたのに……」
 おまえが可愛くて自分が止められないなんて、そんな艶を含んだ声で囁かないで欲しい。
「俺を止めてくれよ」
 グーデリアンの声に動けなくなる。
 体が強張って、指の一本さえ自由にはならない。
 頬に、グーデリアンの指が添えられた。それが擽るように動いただけで、そこからじわりと甘い痺れが広がって行く。
 こんなに誘惑しておいて、私に拒めと言うなんて酷い男だ。
 意を決して目を閉じた。
「もう出ないと、昼食、食べられませんよ?」
 まともにグーデリアンの瞳を見てしまったら、声なんて出せなくなるから。
 必死の思いでそう告げたのに。
「そんな可愛い顔をするなよ。余計、そそられる」
 驚いて目を開けたら、意地の悪い顔をして笑みを浮かべる男がそこにいた。
「冗談だ。良い店に予約してあるから、早く行こうぜ」
 切り替えの早いグーデリアンは、既に玄関を出て行こうとしている。
 からかわれたのだと理解はしても、グーデリアンのようには気持ちを切り替えられないから、私だけが中途半端なままだ。
 それでも、マネージャーとしての仕事を遂行するべく、グーデリアンの後を追う。
 自分の中で燻る熱は、強引に揉み消した。



 今日の仕事は、次のクールで放送予定のドラマの撮影で、テレビ局内のスタジオでの撮りだった。
 ゲスト出演のグーデリアンが出るシーンはほとんどないので、すぐに撮影は終わるはずだったのだが、共演の女優たちがなっていないせいで、既に三時間ほど押している。
 傍目にはにこやかに対応しているグーデリアンだったが、纏う空気が張り詰めてくるのを感じていた。
 誰も、気づいていないようだが。
 体を合わせるようになって、時折こんな風にグーデリアンの本心に気づけるようになった。
 マネージャーとしては良いことなのかもしれないが、素直に喜べるような能力ではない。
 それでも、仕事の後まで嫌な気分を引きずらないように、気を回すことは出来る。
 案の定、どうにか撮影を終えて控え室に戻ったグーデリアンが、イライラと衣装を脱ぎ捨てた。
「あのバカ女共、ちょっと俺と絡むシーンがあるってだけで、バカバカ香水を降りかけて来やがって。鼻がおかしくなるかと思ったぜ。そんなことに使う頭があるんなら台本くらいきっちり入れておけって言うんだ!」
 これほど怒りを露にするグーデリアンも珍しい。
 よほど腹に据えかねたのだろう。
 確かに、私の目から見ても、彼女たちの演技は最悪だった。演技と呼べるようなシロモノではなかった気もするが。
「確かに、移り香でこれはちょっと酷いですね。シャワールームの使用許可は取ってありますから、浴びてきたらいかがですか?」
「サンキュ。じゃあ、ちょっと待っててくれ」
 グーデリアンがシャワーを浴びるために控え室を出て行った後、彼の脱ぎ捨てた衣装を拾ってハンガーにかける。
 そこから立ち昇る数種類の香水が入り混じったなんとも言えない臭いに、思わず鼻を覆った。
「本当に、酷いな……」
 メイクを直すたびに何かスプレーしているなとは思っていたけれど、あれは香水だったのだ。本番中はもっとすごい臭いだったに違いない。
これに何時間も耐えたグーデリアンの忍耐力に脱帽する。
廊下を歩いていたスタッフを捕まえて、臭いの染み付いた衣装を押し付け、片付けてくれるように頼んだ。
それから控え室に置いてあった消臭スプレーで、残りの臭いを消しにかかる。
しかし、今日のドラマが一度だけのゲスト出演で良かった。これがレギュラーだったら、きっとグーデリアンだけではなく私までおかしくなるところだ。
早く帰りたい。
私の気持ちが通じたのか、グーデリアンが戻ってきた。
適当にしか拭いていないのか、髪から雫が滴っている。
「ちゃんと拭かないと、風邪を引きますよ」
「じゃあ、おまえが拭いてくれ」
「子供じゃないんですから、自分で拭いてください」
私の台詞を受けて子供で良いと宣言したグーデリアンが、私に抱きつく。
このままでは私のスーツが濡れてしまうので、仕方なくグーデリアンが肩にかけていたタオルで頭を拭いてやれば、心底安堵したような声を出した。
「おまえの匂いだ……」
 まだ、先程までの強烈な臭いが鼻の奥に残っている気でもするのだろう。私の胸元に顔を埋めたまま、何度も深呼吸している。
「さぁ、拭けましたよ。こんなところからは、もう帰りませんか」
「そうだな」
 乱れた髪を適当に手櫛で整えながら、グーデリアンも同意した。



 相当くたびれたのだろう、車の後部座席に乗り込んだグーデリアンは、すぐに眠り込んでしまう。
 今日のグーデリアンの拘束時間は、2時間の契約だった。
 多少時間が押すのは、この業界では仕方のないことなのだが、8時間も拘束するなんて、いくらなんでも酷過ぎだ。
 かなり高額の出演料で、拘束時間も少なかったために契約したと聞いていたが、こんなくだらない仕事で疲れさせるくらいなら、一日オフにしてやりたかった。
 ある程度仕事を選べるようになったとはいえ、グーデリアンが忙しいことに変わりはない。
 休めるときに休ませておかないと、いくら頑丈なグーデリアンだって体調を崩さないとは言い切れないのだ。
 グーデリアンのマンションの前に車を止めれば、目を覚ました彼が、もうこんな仕事は二度としたくないと口にした。
「いくら積まれても、絶対やりたくねぇ……」
「私も同感です。明日にでも社長には報告しておきますから」
「頼む」
 疲れているから、流石に今日はこのまま帰してくれるだろうと考えたのに、グーデリアンは車を駐車場に入れようとしない私に気づいて文句を言った。
「今日はこのまま、眠った方が良いんじゃないですか?」
「冗談言うなよ。ただでさえ気が立ってるんだぜ?おまえが静めてくれなきゃ眠れる訳ないだろう」
「……解りました」
 もともとグーデリアンには、私が相手をするという条件で夜遊びを止めてもらっているから、彼にこう言われてしまえば私に拒否権はない。
 当然、車の中で寝ていたじゃないかなんて言えるはずもなく、車を駐車場に入れるためにハンドルを切った。



 玄関を入るや否や目が眩むほどに口付けられた上、着ている物を次々と奪われて、慌ててグーデリアンを押し留めた。
「ちょっと、待……」
「もう待てないね。本当ならもっと早くおまえとこうしているはずだったのに、こんな時間になるまでおあずけ喰らわされたんだぜ?」
 シャワーくらい使わせてくれと言ったところで、グーデリアンは取り合ってくれない。
 蠢く手もその動きを緩めてはくれなくて、脚に力が入らなくなってくる。
「せめてベッドで……うわっ」
 突然抱き上げられて驚いた。
 いくらグーデリアンがジムで鍛えているとはいえ、私だって男である。身長はそれほど変わらないのだから、体重だって大差ないはずだ。
 それなのにグーデリアンは、軽々と私を抱えて歩き始めた。
「グーデリアンッ?」
「なんだよ。おまえがベッドが良いって言ったんだろう?言っとくけど、これ以上の我儘は聞いてやれないからな」
 抱いて連れて行ってくれとは言っていないのだが、逆らえるような雰囲気ではなくて、おとなしくグーデリアンの首に腕を回せば、嬉しそうに笑う。
「そうやって可愛くしてろ」
 相変わらず、グーデリアンの感性は私には理解し難い。
 こんなことくらいで上機嫌になってくれるのだから、ありがたいけれど。
 寝乱れたままのベッドに降ろされて、覆いかぶさってくるグーデリアンを受け止めた。
 濃厚なグーデリアンの匂いが、私の中に燈った熱を煽り立てる。
 降り注ぐキスに、声が抑えられない。
「ひぅっ……」
 咽喉元をきつく吸われて、身を竦ませた。
 そこをペロリと舐めながら、グーデリアンが笑う。
「イイぜ、ハイネル。もっと可愛くなれ」
「やっ…あっ……」
 胸元を彷徨っていた掌が、乳首を掠めた。
 そんな僅かな刺激にさえ反応するように変えられてしまった私の体は、もうずっと感電しているみたいに痺れている。
 グーデリアンの指や舌が明確な意図を持って触れるたび、剥き出しにされた神経が過剰な反応を示した。
「ん……フッ…ゥ……」
 唇が脇腹を辿る。
 柔らかな皮膚に何箇所も吸い付かれ、身をくねらせれば、腰骨に歯を立てられた。
「ア………くふっ」
 体の奥で欲が疼く。
 もっと強い快楽を呼ぶ場所に触れて欲しいと、ざわめいている。
 こんなに煽るくせに、決定的な刺激は一つもくれないグーデリアンへと視線を向けた。
 滲んだ視界では、はっきりと表情を窺うことは出来ないけれど、私の視線に気づいたグーデリアンが顔を上げる。
「どうした?」
 言葉と共に指が唇に触れ、感触を確かめるようになぞった。
 答えられるはずもない。
それだけのことですら、肌が震える。
 唇の隙間から口腔内へと進入してきた指に、からかうように舌を弄られた。
「ふぁ……ハ……」
口端から溢れた唾液をグーデリアンが舐め取る。
解っているくせに焦らすばかりで、私を眺めているグーデリアンの腕に指を縋らせた。
爪を立ててやりたいけれど、マネージャーとして商品に傷を付けることだけは出来ない。
「まだ、抵抗するのか?」
 いい加減仕事のことは忘れろと、耳朶を食まれながら言われて、グーデリアンの方へ顔を向けた。
「もっと俺に夢中になれよ」
 溺れてみろなんて言われても困る。
 かなり恥ずかしい思いを毎日のようにさせられているのに、これ以上私にどうしろというのか。
 これ以上惚れさせて、どうするつもりか。
 もう、自分の気持ちを誤魔化すことが難しいくらい、私はグーデリアンを好きになっている。
 それでもまだ足りないと言うのか。
 こうしている今だって、冷静なのはグーデリアンの方なのに。
 不安の種は、消せない。
「くそっ、そんな顔するなよ」
 どんな顔をしていたのだろう。グーデリアンが噛み付くような勢いで口付けてきた。
「ハフッ……ふ……」
「もっと、良い男になってやる」
 低く掠れた声で、グーデリアンが囁く。
「おまえは、俺のものだ」
「ぅあっ…アァ……ンンッ」
 秘処に、グーデリアンの太くて長い指を突き立てられた。
 それが中で暴れるせいで、腰が浮き上がる。
「俺のことだけ、考えていろ」
 向けられる独占欲が心地良い。
 今だけは、この男は私のもの……。
「……くふっ……」
 早急に開かされたそこに、グーデリアン自身が捻じり込まれて来た。
 何度経験したところで、慣れることの出来ない圧迫感に息を詰める。
 苦しいのに、充足感が私を満たすのも事実で、グーデリアンの広い背中に腕を回した。
「そうだ。もっと俺を欲しがれ」
 ズクリと奥を突かれて仰け反る。
 私の弱い場所を知り尽くしているグーデリアンは、確実に私を追い上げていく。
「アッ…アアッ……」
 熱を打ちつけられ体を揺さぶられるたび、辛うじて残っていた理性のかけらさえ砕かれて、ずっと秘めていた言葉を口にしてしまいそうになる。
 唇を噛めば、グーデリアンの指に阻まれた。
「噛むなよ……。舌を出せ、吸ってやるから」
 言われるままに口を開いて舌を差し出せば、グーデリアンの唇に食まれ強く吸われる。
 そうされただけで背筋を駆け抜ける快楽の痺れに、体が開放を求めて泣き声をあげた。
「ンフゥッ」
「まだ、イクなよ……」
 私を呼吸すらままならないくらいに追い詰めておきながら、まだ一度も達することを許してはくれない。
 自分だって、こんなに熱くなっているくせに。
 私の中にいるグーデリアンのモノは、これ以上ないほどに大きく張り詰めて、熱く脈打っている。
 開放の寸前で嬲られ続ける苦しさに身を捩れば、グーデリアンが呻いた。
「クッ……」
 自らの快楽をも追求し始めたグーデリアンの動きは激しさを増して、ただ縋ることしか出来なくなる。
 頂点まで追い上げられ、そこからダイブさせられたのは、それからすぐのことだった。
「なぁハイネル。俺が俳優を辞めたらどうする?」
 唐突にそんなことを言われて、まだ余韻の残る頭では意味を理解できない。
 私の沈黙をどうとったのか、グーデリアンが言葉を続ける。
「それでも俺に、付き合ってくれるか?」
「え……まさか、辞めるつもりなんですか?私はもう、あなた以外のマネージャーをする気はないんですよ?」
 心地よくまどろんでいた体が、急速に冷えて行くようだ。
 よほど青褪めていたのだろう、グーデリアンが苦笑して、私を腕に抱きこんでくれる。
「本当に辞めたりはしないよ」
 おまえが望むならいつでも辞めてやるけどと続けられて、慌てて首を横に振った。
 そんな私が可笑しかったのか、喉の奥でグーデリアンが笑う。
「本当に可愛いな、おまえは」
 好きだぜ……と耳元で囁かれて動けなくなる。
 頬にキスまでするなんて反則だ。
 顔が熱い。
 グーデリアンが私の髪に顔を埋めるようにして続ける。私の体に回された手に僅かに力が籠った。
「いつかで良い。今すぐでなくて良いから、俺を……」
 その後の言葉は、いくら待っても音にならない。
 ただ、腕の力が強くなるだけで。
 その腕が微かに震えていることに気づいて、驚きに襲われる。
 いつだって強気な男が、あらゆる人に愛されている男が、一介のマネージャーに過ぎない私のことで、こんなにも真剣な顔を見せるなんて。
 胸の奥が暖かくなる。
 だけどまだ、言葉では伝えない。
 グーデリアンは役者なのだ。真実だと確信するまでは、絶対に言葉にはしない。
 敏いグーデリアンにはきっと、私の態度で解ってしまうだろうけれど。
 だからこそ、大切な言葉は秘密にしておくのだ。

 いつか必ず伝えるから。
 もう少しだけこのままで……。







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