天使になることに、疑問なんて感じたことはなかった。

 

 天使に成れなかったからといって不幸になる訳ではないのに、天界に生まれた者は、誰もが一度は天使を目指した。

 天使に成りたいと思うことは、天界人にとって本能のように自然な欲求で、そのために天使学校に入り、色々なことを学ぶ。

 そこを卒業して、試験に合格すれば天使に成れるから、それがどんなに愚かなことかも知らないで、ただそれだけを望むのだ。

 俺も、その一人だった。

 他の奴より少しだけ能力の優れていた俺が、天使に成るのは簡単だった。

 天使に成ったその後で、初めて俺は真実を知ったのだ。

 天使は、物質としての肉体を持たない。だから、人間には見えないし、人間界の物に触れることも出来ない。

 そこまでは知っていたけれど。

 神の手足として働く天使は、心を凍らされるなんて知らなかった。

 常に柔らかな笑みを湛えている顔は、感情を伴わず、ただそれを張り付かせているだけだなんて。

 そして自分もそうだということに、気づきたくはなかった。

 俺にそれを気づかせたのは、同じ天使のハイネルだった。

 ハイネルは、怖いくらいに綺麗だった。その笑顔は心を伴わないにもかかわらず、俺の凍らされた心を揺さぶった。

 ハイネルの存在が、俺の心を溶かしていく。

 心を取り戻してしまった俺は、神の命令を忠実に実行することが出来なくなっていった。

 ハイネルに触れたい。抱きしめて、全てを俺のものにしてしまいたい。

 天使も、同じ天使になら触れることは出来た。

 けれどハイネルの顔が、悲しみや苦しみで曇るのを見たい訳ではないのだ。望んでなった己の真実を知れば、ハイネルだって俺と同じ絶望を覚えるだろうから。

 ハイネルにはいつでも、微笑んでいて欲しかった。

 たとえ偽りの微笑みでも、それが天使としての幸福だと思うから。知らないで済むのなら、その方が良い。

 

 俺は、天使を辞めることにした。欲望を持ってしまった俺は、このままではいつか堕ちてしまうから。

 堕ちてしまえば、彼を見ることも出来なくなってしまう。

 それでも、一度天使になった者は、ただの天界人に戻ることも出来ない。

 だから、片翼をもいだ。天使でなくなっても、天界に在れるように。

 彼を傍で見つめていられるように。

 目の前で翼をもいで見せた俺に、ハイネルは一瞬だけ目を見開いた。

 俺の行為に驚いている。それだけで、翼をもぐ痛みにも耐えられる。

「ごめんな・・・・・・」

 ハイネルの頬に触れさせた指が、次の瞬間には彼の体をすり抜けた。

 ハイネルには、天使として幸福に生きて欲しい。

 けれどもし、ハイネルも俺に触れたいと思ってくれるなら、俺はいつでも傍にいるから。

 

 一瞬でも、見開かれた瞳に望みをかけて。

 俺は今、ここに居る。