英国の人形劇「サンダーバード」が誕生して四十年、その根強い人気と人形の魅力に焦点を当てた日本では始めての「サンダーバード・アート展」が神戸市の有馬玩具博物館で平成16年8月5日から、12月5日まで開催されている。同館はそれに合わせて「サンダーバード」の人形制作者で操り人形の世界的権威である英国のジョン・ブランダール氏を9月9日より、22日迄日本に招待した。

ブランダール氏は1937年3月3日バーミンガム生まれ。10代より操り人形に興味を持ち19歳のとき、人形劇団「ザ・フェスティバル・マリオネット」設立。舞台芸術の分野で演者と監督の両面に関わる。世界中の操り人形や仮面の表現方法、制作技術を研究。その後、人形作家と操り師の両方の才能をかわれ、ジュリー・アンダーソンのTVシリーズ「スーパーカー」に参加。「サンダーバード」でパーカーを生み出す。31歳のとき、バーミンガムで「キャノン・ヒル・プペット・シアター」設立。舞台監督を務め、操り人形の失なわれゆく技術保存、後進の指導にも力を入れる。その活躍の場を世界に広げる。国際人形連盟(UNIMA)のイギリス支部名誉会長にも選ばれる。同館に寄せられた文章には「サンダーバード」の名脇役パーカーの人形は、日本の能面と文楽の影響を受けている。「世阿弥」や能、文楽の書物に書かれている技術や訓練方法の影響も受け、それらをただ真似するのではなく、その中にある精神と様式を見い出し、西洋演劇の新しい発展の為の跳躍台として使うと述べる。

そのブランダール氏の人形作家としての創作活動を長年に渡り物心共に支えたのが、日本の能面師鈴木能仁である。それはちょうどブランダール氏が能面と文楽の頭作りに取り組んでいるとき、ロンドンで鈴木能仁に自作の「般若」の面を見せると強い印象を受けて、神戸に帰ると大量の彫刻刀が送られてくる。ブランダール氏も鈴木能仁の能面展、ワークショップ、デモンストレーションを成功に導く。それ以来、23年間、お互いに言葉は通じないが、何十面もの能面、文楽の頭、長澤氏春の本、彫刻刀などが次々と海を渡り送られた。この交流は鈴木能仁が亡くなるまで続いた。ブランダール氏はそれらの能面から力強いエネルギーと芸術的なインスピレーションを受けて人形を制作。そして、名脇役パーカーが生まれた。

鈴木能仁は能面を通じその一生を海外文化交流に貢献。イギリス・フランスで数多くの能面展を開催。その作品は大英博物館、ビクトリア&アルバート美術館、ホーニマン美術館に収蔵。鈴木能仁が40年間「師」と仰ぎ最後まで能面の交流のあった長澤氏春が平成15年4月他界。恩師の後を追うように鈴木能仁もその年11月逝去。英国に訃報を知らせるや、ブランダール氏からの手紙には幾年月の間、友情の絆で結ばれた鈴木能仁の死を悼む悲しみが綴られる。そして平成16年5月、ブランダール氏の神戸への来日決定。

「サンダーバード・アート」展の主軸として、9月11日同館近くの念仏寺で「ジョン・ブランダール講習会」開催。最初は、鈴木能仁の友人と弟子が一致協力して鼓と謡、能面の紹介をする。ブランダール氏は「自分の制作する人形は、日本文化の影響を受けている。鈴木能仁との出会いで多くのことを学びました。言葉は話せなくとも充分理解できたのもすべて人形の力でした。」と述べる。ブランダール氏の操り人形の実演では「人を愛し、人形を愛してこそ、人形に命を吹き込める」と人形の魅力を語る。
 尚、博物館にはパーカー人形が三体出品、さらにブランダール氏の制作した3インチ(8センチ)の般若と翁も展示。そこに鈴木能仁の強い影響が伺える。

このあとブランダール氏は、12日「有馬の工房」でのワークショップ。13日、淡路島の文楽人形平池清雲の工房見学。淡路人形浄瑠璃館での鑑賞と座員との交流。15・16・17日、八王子西川古柳の車人形、国立文楽劇場、国立能楽堂での鑑賞。21日、京都の鈴木能仁が能面教室に通った八坂神社から清水寺を散策。美しい古都に日本の印象をさらに深められ翌朝帰国。
 最後に、ジョン・ブランダール氏と鈴木能仁との出会いと交流を、有馬玩具博物館が同展にて幅広く取り上げて頂いたことに深く感謝を申し上げる。

 

写真・資料提供/有馬玩具博物館
参考/神戸新聞
能楽タイムズ11月号より