ゆうじん

プロフィールその弐

 

生まれも育ちも原田遊人。チャーリー・チャップリンとハワード・ホークスが 没した年に米国で出現。
日米両国で培養され、父・原田眞人監督を太陽光として光合成し、 母・福田みずほに育成される。


1979年「さらば映画の友よ」(監督原田眞人)で
鮮烈に小道具(赤ちゃん役)デビュー。映画界を意識し始める。


1986年「妖怪天国」(監督手塚眞)で初めて二役ゲット。
自分の将来を期待し始める。


翌1987年には「おにゃん子・ザ・ムービー 危機一髪」(監督原田眞人)で
おにゃん子クラブと共演。年上の女性に憧れを抱く。
1989年に未来SF映画「ガンヘッド」で準主役を演じる。
この時目黒区立東山小学校6年生。


翌、1990年同学校を卒業、渡米。勉学に勤しむ。


1997年「バウンスkoGALS」(監督原田眞人)をキッカケに
単身ニューヨークの演技の学校へ赴く。
この時本格的に役者業を考え始める。


1999年「金融腐蝕列島 ~ 呪縛」(監督原田眞人)では
英語、日本語の台詞でそこそこ注目される。
国際俳優へ向けての記念すべき第一歩だった。


2001年「狗神」(監督原田眞人)では高知の青年を土佐弁で演じる。
この作品は世界三大映画祭の一つ、
ベルリン映画祭のコンペティションに出品した。
当然、同映画祭に赴き、世界にアピールをしてきた。
この時、国際俳優としての人生は始まっていた。
かもしれない。


2002年は「突入せよ! あさま山荘事件」に出演
初めてのアクションに体が痛い・・・。


2003年は記念すべき初舞台を踏み、初侍を演じた。
思いっきり泣いた。


2004年は新たなるジャンル、モーションキャプチャーに挑戦。
CG界でも遊び人健在か?
そしてついに断髪か?!


2007年 2年の休業・修行を得て役者業に復帰。
そして年間数十本のプロモーションビデオの編集と
映画「伝染歌」と映画「クライマーズ・ハイ」(2008年公開)では念願の映画編集にも携わった。


2009年「クライマーズ・ハイ」にて第32回日本アカデミー賞優秀編集賞を受賞