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終戦後の旧満州の実情、逃れるように引揚げて来た途次の苦難は体験した者でなければ到底想像できない悲惨なものでした。
私はそうした人々と共に結成した「凍土の会」の一員として1979年6月、親日家の寥承志氏のご尽力を得て訪中、瀋陽、長春、哈爾浜を訪れ、中国政府のご好意により日本人として初めて多くの中国残留孤児に面接する事を得ました。そしてこの事が帰国後、残留孤児支援の活動に従事する事となった大きな原動力となったのです。
1981年3月、第一次残留孤児肉親探し訪日団が来日、やがて日本永住をもとめて次々と孤児家族が帰国するようになり、言葉も分からない彼等のために、自立指導員として各家庭を訪れ接触しております中に或る一つの事に思い至りました。
それは折角帰国されても残留孤児の方々は既に中年を過ぎており、言葉の習得、就職など様々な困難が伴い、中々良い仕事に就く事が出来ないのです。ここで大切なのは、未だ年若な彼等の子女にこそ、しっかりした教育を施し、それなりに就学して将来両親の国、日本と中国が相争う事を好まない理想的国民として、よりよい方向に成長していって欲しいという願い、そしてその手助けの出来るのは今をおいてないと思い立ちました。
1985年、数人の同志と共に自費で無料教室を開き、残留孤児の子女を対象にマンツーマンで、日本語英語はもとより五教科を教えたのが始まりで、やがて趣旨に賛同する方々が集まり、1988年10月、ここに「ユッカの会」として正規に発足するに至りました。会費無料、様々な問題をかかえる中で、会員各位の純粋なボランティア精神の結集が、会を今日まで盛り上げてきており、現在は業務を分担、組織化して更なる発展をとげつつあります。「青年の樹」といわれるユッカエレファンティペスの名のように今後も大空に向け真直ぐに成長してゆく事を願っております。
2003年2月 代表 沼波 万里子
ユッカの会の歩み(十五周年記念誌より)
ユッカの会が設立されたのは1988年(昭和63年)10月4日です。今年(2003年)10月、設立十五周年を迎えました。十五周年を記念して、設立当時のことを顧み、その歩みを記録にとどめ、次の活動に向けて決意新たに歩みを進めるために、ここに記念誌を発行することにしました。
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設立の動機と設立当時の状況
設立の趣旨、活動内容を見て分かりますように、この会は中国帰国者(中国残留孤児)の支援を主たる目的として設立されたものです。中国残留孤児についてはご存知のここと思いますが、ユッカの会設立の頃の状況を鮮明にするため、改めてここに記します。
第二次世界大戦が終わった1945年(昭和20年)8月、旧満州に多くの日本人が帰国できないまま取り残されました。帰国したくても出来なかったこの人たちは戦争の犠牲者ともいえます。この中で肉親と別れ別れになり、中国人の保護を受けて育った0歳から13歳までの子どもを孤児と呼んだのです。
日本と中国の国交が回復し、それから更に10年たって、やっと国の政策として孤児たちの肉親探しが始まりました。第一次来日調査は1981年(昭和56年)のことで、既に戦後30年以上を経過していました。
やがてこの孤児たちは、配偶者と未成年の子どもを連れて帰国しました。所沢の定住促進センターで4か月の研修(日本語、生活習慣など)を受けた後、各都道府県に居住地を決めました。都道府県では住宅を用意し、自立指導員を派遣して、日本における生活の自立を助けました。孤児たちは既に40代、50代になっていて、言葉の違い、高齢による就職難などきびしいスタートとなりました。自立指導員の苦労も大きかったわけです。
親たちに伴われて日本に来た孤児二世たちにも困難がありました。学校に行っても、言葉も授業の内容も分からず黙ってじっと座っている辛さ、この子たちを一日も早く安心して学校に行けるようにしてやりたいという熱い思いから、有志数名による日本語の勉強や教科の補習が始まりました。これがユッカの会の源流ともいうべきもので、会設立の4、5年前から実際の活動は行われていたのです。活動の場所を探すのも大変でした。帰国者たちがまとまって住んでいる団地の集会所や地区センターなどを借りて教室としました。
ユッカの会代表となった沼波さんは旧満州で終戦を迎え、夫も子どもも財産も全て失って、身一つで帰国された体験があります。そういうことから孤児の肉親探しには最初から関わり、ユッカの会設立当時は自立指導員でもありました。
次に設立の趣旨、発起人、活動内容を記します。
◆設立の趣旨 中国帰国者家族への学習の手助けを中心としながら、会員内外との日中交流を「共に学び、楽しむ」という姿勢をもって進めてゆく。 ◆発起人 沼波
万里子、馬渕 智彦、申 英秀、山本 隆広、大沢 宣子、加藤 紀恵、西山 睦子、中島 晃子、山縣 紀子
以上9名(敬称略) ◆活動内容 補習教室、進路・進学相談、レクリエーション活動、会員内の交流・親睦、日中交流
ユッカの会という名称は『青年の樹』といわれるユッカエレファントディペスという北米南部から西インド諸島に群生する植物のように、どんな環境にもくじけず力強くのびて、それぞれの道を切り開いて行ってほしいという思いをこめて命名されました。
さて、残された記録に従って15年の歩みを追ってみましょう。
設立当時、補習教室は横浜教室、戸塚教室、上飯田教室、平戸教室、西谷教室で行われていました。教室と呼んではいましたが、これらはみな帰国者が多く住む団地の集会室を借りたものでした。学習はほとんど一対一で行われ、このマンツーマンの学習方式は現在まで踏襲され、ユッカの会の大きな特色となっています。
このほか、キャンプが春、夏、冬と頻繁に行われました。キャンプは日頃の緊張を解き放ち、中国語で思う存分話し合える楽しい交流の機会でした。また大人も含めた帰国者家族ぐるみの交流を図るため、音楽会や映画鑑賞会や見学会なども機会あるごとに行われ、餃子の会、クリスマス交流会などもこの頃から始まりました。
クリスマス交流会は特に宗教的な色彩はなく、一年の終わりの時期に、一年の努力のあとを顧み、希望をもって新しい年を迎えようという、ユッカの会で一番大きな交流会です。この他成人を祝う会も早くから行われました。日本の女の子たちが晴れ着を着ている様子を見て、自分も着てみたいと思う乙女心を感じ取った会員の一人が自分の着物を着せてあげたというのが始まりのようです。
自然発生的に始まったこれらの交流会はずっと受け継がれ現在に至り、ユッカの会恒例の行事となっています。このほかハイキングやバーベキュー会なども加わり、毎年賑やかに楽しく行われています。このように会員の交流を図るための行事が多いというのもユッカの会の特徴であるといえるでしょう。
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活動状況
日本語教室が1991年(平成3年)4月、成人を対象としてオープンしました。補習教室に通う子どもたちの親から、私たちも日本語を学びたいという希望が早くから出ていたのです。教室は横浜駅西口の県政総合センター(現在のかながわ県民活動サポートセンター)12階と戸塚の横浜女性フォーラムです。
日本語を教えるボランティアを新聞で募集し、学習者25名、ボランティア22名でスタートしました。学習はマンツーマン形式で週1回2時間、双方の都合のいい時間に学習することになりました。学習者のほとんどが孤児一世で、みな働いていたのでほとんど日曜日が学習日でした。こうして補習教室、日本語教室、二本立ての活動が始まったのです。
ユッカの会のボランティアは資格とか経験とか特に問わず、誰でも入会できますが、いざ、日本語を教えるとなると、教え方の勉強をする必要が生じ、「日本語勉強会」が始まりました。講師を招いて月1回定期的に行い、現在も続いています。
また神奈川県国際交流協会や横浜市国際交流協会(ヨーク)の日本語ボランティア研修会に参加したり、文化庁が行なっている「日本語教育大会」にも毎年参加しています。その他必要に応じて自主的に、講師をお招きして研修会を開催したり、あるいは他団体と協力して研修会を設けたりもしています。
パソコン教室が1995年(平成7年)からスタートしました。教室は県政総合センターから歩いて2分ほどのマンションの一室でした。新しい事務機器としてパソコンが普及しつつあった時期で、この技術を持っていることが就職に有利になってきた頃でした。ボランティアの中で技術をもっている人が指導にあたり、学習者も多くなって、現在はパソコン5台になって活動中です。
地域教室が2003年(平成15年)にスタートしました。神奈川県中国帰国者自立支援センターとユッカの会が連携をとりながら各々の活動を実践し、両者がそれぞれの役割を分担する協働事業の形で始まったのです。
県内に在住する中国帰国者も高齢化から起こる様々な問題を抱えています。月1回でもいいから決まった場所、決まった時間、そこに行けば誰かに会える、日本語が学べる、中国語でおしゃべりできる、気になっていることを相談できる、愚痴がこぼせる、そんな場を作りたい、作って欲しい・・・・ここ3年ほど事務局会議で話題になっていたのです。たまたま県の生活援護課からも同じような話が持ち上がり、県生活援護課、神奈川県中国帰国者自立支援センター、ユッカの会三者での話し合いを重ね、実行に踏み切りました。
この他、各種交流活動がありますが、毎年行なうものに成人を祝う会、餃子の会、市民活動フェア参加、卒業を祝う会、バーベキュー会、多文化ふれあいキャンプ、ハイキング、クリスマス交流会などがあります。また、その年に特別に行なう活動もあります。
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事務局制となる
1997年(平成9年)1月、ユッカの会設立以来会の事務的な仕事一切を執り行なっていた山縣紀子さんが家庭の事情でこの役目を退きました。その後を受けて同年3月から事務局制にし、代表沼波万里子さんのもと、事務局長中和子さんのほか、庶務、会計、広報、教材、コーディネーターと役割分担を明確にしました。月1回、事務局会議を開き、何事も合議の上で方向付けするよう、組織運営を心がけています。学習希望者とボランティアを結びつける大事な役目を担うコーディネーターには重点をおき、5名で担当することにしました。この他最終決定機関として連絡会があり、連絡会は通常年3回開催しています。
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広報活動と現況調査
広報活動としては1990年(平成2年)から機関誌「たより」を発行し、1995年(平成7年)からは広報紙「ユッカの会通信」を発行しています。
その他、ハガキ通信、eメール、ホームページ等を使って情報を会の内外に発信しています。また、会員の活動状況把握のため、平成12年からは一年に1回ボランティアの現況調査を行なっています。
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活動費について
ユッカの会では一時、会費を徴収した時期もありましたが、現在は入会金も会費もありません。設立当初は個人の寄付によってまかなわれていました。「孤児たちの慰労に使ってください」と使途を明確にした篤志家の大口の寄付で一泊旅行や箱根バス旅行などをしたこともあります。そうしているうちに、ともしび基金や中国残留孤児援護基金などから助成金をもらえるようになりました。助成金は主として教材費、通信費、各種交流会補助などに使用しています。収支決算については領収書をきちんと揃え、厳正なる会計監査を経た結果を、毎年広報紙「ユッカの会通信」に掲載しています。
ボランティアも学習者も交通費は自弁であるほか、各種交流会(例えば餃子の会、バーベキュー会、クリスマス交流会、ハイキング、バス旅行など)の折、低額ではありますがお互いに一部負担金を出しあっています。これは事務局の人といえども例外ではありません。交通費や電話代など支出の多すぎるところは補助すべきではないかという声もありますが、ボランティアが約180名の大所帯であること、財源が助成金であることなどでなかなか実現できないのです。助成金は毎年確実にもらえるという保証がないということもありますが、できるだけ楽しい行事を多く行ないたい、よい教材をそろえたいということで、交通費などは現在までずっと個人の負担としてきました。先日ユッカの会の活動を見学にきたある学生が「本当に手弁当なのですね」と感心していました。
活動資金としては公的助成金のほかに、個人的な寄付金、少額ではありますがバザーなどでの収益金が加わります。
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活動の場所
設立当初は会場確保のために苦労してきました。その後活動拠点確保のため県への働きかけなど地道な努力も続けてきました。横浜駅西口の県政総合センター12階にある神奈川県ボランティアセンター情報コーナーが活動の拠点となって活動は一気に広がり、日本語教室もスタートしました。その後戸塚にある横浜女性フォーラム、本郷台の地球市民かながわプラザなどフリースペースを使っての教室活動が定着しました。
平成8年4月から県政総合センターが、かながわ県民センターと名称を変更しました。それに伴ってかながわ県民活動サポートセンターが開設され、ボランティア活動に広いスペースが使えるようになりました。ロッカーも大きなものが使えるようになり、パソコンや教材の保管ができるようになりました。
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他団体との連携
ユッカの会が15年間活動を続けてくる間に各方面から多くの支援を受けてきました。活動の資金面での援助、教材の提供、見学会の受け入れ、研修講座の講師派遣、あるいは活動場所の提供、ボランティア募集、相談機関等として種々協力をいただき、活動を支えていただいたことを感謝いたします。
◆中国帰国者定着促進センター ◆神奈川県中国残留孤児自立センター
◆中国残留孤児援護基金 ◆神奈川県生活援護課
◆神奈川県ボランティアセンター ◆横浜市国際交流協会
◆神奈川県国際交流協会 ◆湘南白百合学園中・高等部
◆横浜女性フォーラム ◆地球市民かながわプラザ
◆かながわ県民活動サポートセンター
このほか毎年クリスマス交流会にプレゼントを贈っていただいたり、成人を祝う会の着付け、写真撮影等各方面から協力いただいたことを改めて感謝いたします。
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受賞・取材・講師依頼について
ユッカの会の存在が広く知られるようになり、テレビや新聞などから取材されたり、公的機関から表彰されたりすることが多くなりました。また、他団体からセミナーなどへの講師派遣依頼があり、ユッカの会の活動を紹介する機会が増えてきています。
◆感謝状・表彰
平成5年12月11日 安藤為次教育記念財団奨励賞
平成6年11月1日 厚生大臣感謝状
平成8年1月21日 読売光と愛の事業団福祉活動奨励賞
平成9年10月23日 神奈川県社会福祉協議会感謝状
平成12年10月24日 神奈川県知事表彰
平成13年9月22日 厚生労働大臣感謝状
◆取材 平成10年7月
神奈川新聞 平成12年6月 TVK(神奈川テレビ) 平成12年9月
中国残留孤児援護基金 平成12年11月 NHKテレビ 平成14年10月
TVK(神奈川テレビ)
◆講師依頼(2002年、3年のみ) 2002年
・「共生社会と市民活動を考える」神奈川県ボランティアセンター・かながわ県民活動サポートセンター主催(9月)
・「日本語教育のここが知りたい」神奈川県国際理解教育研究協議会主催(地球市民かながわプラザ)(11月)
・「外国籍子どもたちの支援ネットワーク会議」横浜市国際交流協会主催(11月)
2003年
・「地域日本語教育支援コーディネーター研修・宮崎県」文化庁委嘱事業(2月)
・「地域日本語教育シンポジウム」文化庁主催(8月) ・「地域日本語教育支援コーディネーター研修・富山県」
文化庁委嘱事業(9月)
・「文京区子ども学習支援シンポジウム」文京区国際交流協会主催(11月)
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学習者・ボランティア及び活動内容の変遷
ユッカの会は当初中国帰国者を対象としてスタートしたこともあって、現在でも学習者の約80%が中国系の人々です。大和にインドシナ難民定住センターがあったことから、ベトナムやカンボジアの人々もユッカの会に入会したり、一時期、日系のペルーやブラジルなどの人が多かったときもありました。2003年現在、学習者の出身国は16か国に亘っています。
一方ボランティアは、ここ数年退職後の男性の入会が多くなりましたし、女性も中高年の人が多いことから、じっくり落ち着いた学習活動には適しています。しかし、各種交流活動には男女とも若手の人材も欲しいところです。
ユッカの会の教室活動、交流活動も15年の間に大きく発展して来ました。相変わらずボランティア不足の状況が続いていますが、交流活動では学習者がボランティアと協力して、一緒に活動する傾向が目立って来ています。また、最近は大学生などの研究調査活動なども多くなりました。神奈川大学、お茶の水女子大学、立教大学、横浜国立大学等、論文資料作成の協力依頼を受け、補習教室の小・中学生も調査の対象となって協力しています。学習者も持てる力を発揮するということは喜びでもありますので、この傾向は今後ますます広がってゆくのではないかと思われます。
設立のときから現在まで、ユッカの会の15年間は実に多くの人々の協力と活躍によって支えられて来ました。その人々の協力と努力に感謝し、共に十五周年を祝いたいと思います。そして、謙虚な気持ちで、思い新たにこの歩みを続けてゆきたいと思います。 |