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四宮正貴の短歌作品 平成十六年

 

過ぎてゆく日々(にちにち)にして買ひて来しケーキを二つ食し喜ぶ
遠き日の思ひ出の中の我一人夕焼け空に向ひて立てり
晩秋の日に照り映ゆる山々の紅葉の錦まばゆかりけり
木々の命燃ゆるが如く秋の日に照らされてゐる紅葉まばゆし
頂きの雪に夕日が照り映える大いなる富士を仰ぐうれしさ
夕焼け空の下にそそり立つ富士の峰の大いなる姿を飽かず眺むる
友どちの指差す方にそそり立つ大菩薩峠の大き姿よ
過ぎて行く日々(にちにち)にして買ひて来しケーキを二つ食し華やぐ
灯の下の白磁に真向ひほのぼのと命満たされる思ひなるかも
風強き日には流れ来る列車の音 聞く時は何時もさみしき心
投票日久方ぶりに訪れし母校の講堂で校歌口ずさむ
林の中のみささぎの御前に今日立ちてはるかなる昔のみかどを偲ぶ (隠岐への旅の思ひ出して)
萬乗の君なりながらこの島に流されたまひ神あがりましぬ
桜木の葉は散り果てし谷中墓地 死者らは静かに眠りますらむ
電話の声高く響けどその心痛みとなりて我に迫り来
その昔田端義夫ショーを見に来たる浅草國際跡形も無し
初冬の入日まともに差せば朱色に硝子は光る炎の如く
ドアの鍵を回さむとせしその時に地震(なゐ)来たりなば恐ろしきかな
秋の夜の月はおぼろに窓に見ゆパソコンの手を休めて仰ぐ
われ以外はなべてカップルの食堂で一人呑む酒の酔ひ早かりき
起き出でて直ちに太陽を仰ぐこと晴天の日のわがならひなる
相槌を打ちつつ心はよそにあり あゝかくて今宵も過ぎて行くなり
飛んで行く鳥をいとしみ夕空を眺めゐるなり 命尊し
秋空の遠き記憶は運動會 友と歌ひし元寇の歌
生きてゐる如き姿の墓守の像を見つめる朝倉彫塑館
秋の日の谷中の町の彫塑館 この世を去りし人並びゐる
恐ろしき弱肉強食の姿なりカラスが鳩を突き殺しゐる
人の世もかくのごときか強き者が弱きを殺す酷き現實
相槌をうちて悲しきこの夕べ意志の疎通といふことのなく
流れ来る汗のすがしも部屋内をきよめはらふは朝の習ひぞ
強き祈り終へたる後のわが命いよよますます奮ひ立つなり
月想観といふ言葉あり 梅雨明けの夜空に浮ぶ月神々し
若き日に會ひたる歌人はすでにしてこの世を去りし人多きかな
柴生田稔と中河幹子が挨拶を交はす姿を見てゐたりけり
最晩年の土岐善麿の姿をば遠くより見しはおよそ三十年前
新古今の講義を受けし日は遠し 窪田章一郎も今や亡き人
酒呑みて大いに語り歌うたひ我が家に泊りし歌人や誰 (阿部正路氏)
われをしも睨みかへせるカラスの目 げに恐ろしきケダモノの眼(まなこ)
谷中墓地にあまた群れなす黒き鳥 人に愛されることのなき鳥
一頁に二首収まれる歌集をば紙の無駄なりといひし人あり
八十路半ばになりたまひたる父母の健やかにゐませと祈る日々(にちにち)
海越えて来たりし島にすめらぎのみさゝぎはあり悲しきみさゝぎ(淡路島淳仁天皇御陵参拝)
かなしみの湧き来たるなり淳仁帝のみさゝぎの前に一人ぬかづき
遠ざかる二上山はとことはにこの日の本のうるはしき山
二上の山は今しも遠ざかる旅終へむとするわれを見送り
大手町のビルの谷間に怨霊を鎮むる石碑の立つがゆかしき
首塚に手向けられゐる花々はビルの谷間に美しきかな
手提袋に一冊の本を入れ行きぬ待たされること多き郵便局へ
 
 

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