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〈蔵出し皇都の一隅より・第五回〉

天皇は君主わが國は立憲君主國である

小宮山泰子衆議院議員の質問主意書と政府答弁書への危惧

天皇は日本國の君主であらせられるといふことは、わが國建國以来の明々白々たる事実であり傳統である。わが國は現行占領憲法体制下であっても、天皇を君主と仰ぐ立憲君主國である。そもそも日本國の君主を「天皇」と申し上げるのである。「天皇」といふ御稱号は、推古天皇の御代より用いられてきた日本國の君主に対する最も普遍的な御稱号である。(天皇の御稱号は他に「すめらみこと」「大君」「みかど」「天子」などがある)換言すると「天皇」といふ御稱号自体が「日本國の君主」といふ意義なのである。

ゆへに、天皇は君主か象徴かと対立させて考へることは全く誤りである。天皇は君主であらせられるがゆへに日本國の象徴及び日本國民統合の象徴としての機能を果たされるのである。したがって、「天皇は象徴であって君主ではない」などといふ議論は全く成り立たないのである。

ところが、「天皇は単なる象徴であって君主でも元首でもない」とする議論が横行してゐる。しかもかかる議論が、日本國體を破壊せんとする勢力すなはち「天皇制打倒」を目指す革命勢力のみによって為されてゐるのではないところに、今日における重大な問題がある。

最近の事例は、昨年(平成十六年)十二月一日に提出された民主党の小宮山泰子衆議院議員の『質問主意書』である。

その全文は次の通りである。

「國歌「君が代」について明治憲法下のような訳文を用いた在外公館における広報活動に関する質問主意書

提出者  小宮山泰子

政府の現憲法下の公式的な「君が代」の解釈と異なり、明治憲法下の「君が代」の解釈と思われる訳文を用いた在外公館の広報活動が見受けられるので、以下質問する。

國歌「君が代」について、現在、政府の解釈は次のとおりだと理解している。「日本國憲法下においては、國歌君が代の『君』は、日本國及び日本國民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本國民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本國民の総意に基づき、天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が國の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え、かつ、君が代についてこのような理解は、今日、広く各世代の理解を得られるものと考えている」(平成十一年六月二十九日 衆議院本會議 内閣総理大臣)

ところが、たとえば在ドイツ日本大使館のホームページでローマ字表記に続いて、君が代のドイツ語訳が掲載されているが、それを日本語に直訳すれば次のようなものになる。

君主よ、汝の支配が
千年も、幾千年も続くように
石となり
岩となって
岩の両側が苔でおおわれるまで

一 このような君が代の訳は、政府の公式的な解釈と相違があると考えられるが、見解を伺いたい。

二 そもそも政府は、君が代の統一的な外國語訳を作成しているかどうか、伺いたい。

三 在ドイツ日本大使館のホームページの例だけでなく、在外公館でも類似の君が代の外國語訳が広報活動や文化交流活動で印刷されたりして使われているとの指摘がある。政府は在外公館等において君が代の訳文や君が代についての説明のあり方について、どのような指導をしているか、それとも在外公館に任せているのか、説明されたい。

四 政府の解釈と異なる君が代の訳文が在外公館で使われることがないよう、何らかの対策が必要と考えるが、見解を示されたい。」

これに対する平成十六年十二月十日付の政府の答弁書全文は次の通り。

「内閣総理大臣 小泉純一郎

衆議院議長 河野洋平 殿

 衆議院議員小宮山泰子君提出國歌「君が代」について明治憲法下のような訳文を用いた在外公館における広報活動に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員小宮山泰子君提出國歌「君が代」について明治憲法下のような訳文を用いた在外公館における広報活動に関する質問に対する答弁書

一について

  「君が代」の意味について、日本國憲法の下では、天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当であるところ、これに照らし、御指摘の在ドイツ日本國大使館のホームページに掲載されている「君が代」のドイツ語訳の表現は、誤解を招きかねないものであると考える。

二について

  政府として、「君が代」の歌詞についての統一的な外國語訳は作成していない。

三について

  政府は、國旗及び國歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)が成立したことを受け、平成十一年八月十一日に全在外公館に対し公電にて、同年六月二十九日の衆議院本會議における小渕内閣総理大臣(当時)の答弁において表明された「君が代」の意味についての政府見解及び同年八月九日に発出された内閣総理大臣の談話を送付するとともに、外部からの照會への対応や広報活動等において、右政府見解等に即して適切に対応するよう指示している。なお、同公電においては「君が代」の正文は和文のみであるとして、題名及び歌詞の外國語訳は作成していない。

四について

  御指摘を踏まえ、今後速やかに、全在外公館に対して「君が代」の意味についての政府見解を周知徹底するとともに、御指摘の在ドイツ日本國大使館に対しては、適切に対処するよう個別に指導することにより、在外公館における今後の広報活動等に遺漏なきを期する所存である。」

 

天皇が君主であらせられることは建國以来の傳統である              

  小宮山泰子氏は如何なる意図でこのやうな質問主意書を提出したのであらうか。小宮山氏は、天皇は日本國の君主であらせられるといふわが國建國以来の事実をわざわざ否定するためにかかる質問主意書を提出したのであらうか。

小宮山泰子氏の質問主意書も、政府の答弁書も、「天皇は日本國及び日本國民統合の象徴」であって「君主」ではないとし、「天皇は君主であり日本は立憲君主國である」といふ明々白々の事実を否定してゐると判断できる内容となってゐることに大きな危惧を覚へる。

小宮山氏が「明治憲法下の『君が代』の解釈と思われる」と述べてゐるのは、「君主」「支配」といふ言葉を問題にしているのであらう。しかし、日本天皇は日本國の君主であらせられることは日本建國以来の傳統であり事実である。それは大日本帝國憲法下においても現行占領憲法下においても全く変りのないわが國の國體である。

「君が代」の「君」とは日本國の君主であらせられる天皇の御事であり、「君が代」とは「天皇の御代」といふ意である。そして日本國は天皇と國民は対立する関係ではなく、精神的に一体関係にあるから、「君が代」=天皇の御代とは「天皇及び天皇を君主と仰ぐ日本國及び日本國民」と解釈するのが正しいし、これ以外の解釈はあり得ない。

君主とは、「世襲により國家の最高位にある人。天子。皇帝。帝王。」と定義される。この定義にあてはまる御存在はわが國においては建國以来今日に至るまで天皇以外にあり得ない。現行占領憲法下においても、天皇が君主であらせられることは、条文に照らしても、また、皇居における様々な行事そして國會の開會式などを見ても、あまりにも明白である。 

現行占領憲法においても、天皇が日本國の君主であらせられることについて、佐伯宣親氏は、「君主とは…『統治権の重要部分を掌握し(特に行政の主体であり)、國家の象徴的性格を持つ、世襲の独任機関』であるというのが最も一般的な定義のようである。…今日ではほとんどの君主國において君主の権限が形式的なものとなってゐることを考慮すれば、形式的ではあるが、内閣総理大臣の任命、最高裁判所長官の任命、國會の召集および解散という國家統治権の中枢的なことがらが天皇の権能とされており、さらに、皇位が象徴的性格をもつ世襲制の独任機関であるというところからして、天皇は現代的意味で日本國の君主であると解するのが妥当なところであろう。」と論じてゐる。(『現代憲法學の論点』)

「形式的」と言ふけれども、形式は非常に大事なのである。國家においても団体においても家庭においても重要なことであるばあるほど、ある形式を踏まなければ物事が成立しない。そのことについて佐伯氏は「内閣総理大臣や最高裁判所長官は天皇の任命を得てはじめてその地位につくのであり、天皇によらない任命は無効である。また、天皇によらない國會の召集や衆議院の解散も無効である。」と述べてゐる。

昭和四十八年六月二十八日の参議院内閣委員會で吉國一郎内閣法制局長官(当時)は、「わが國は、國民の総意に基づいて象徴たる天皇をいただいておるという意味の天皇制の國である…公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特質であるということが一般の學説でございまするので、わが國は共和制ではないことはまず明らかであろうと思います。…わが國は近代的な憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行なう國家でございます以上、立憲君主國と言っても差し支えないであろうと思います。」と答弁してゐる。(大原康男氏編著『詳録・皇室をめぐる國會論議』)

  現行占領憲法において「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴」と規定されてのは、過去から現在そして将来へと永遠に続く日本國と日本國民の生きた姿が、日本國の君主であられる天皇御一身によって体現されるといふ事である。天皇が日本國の君主であらせられるからこそ「日本國及び日本國民統合の象徴」といふお役目を果たされるのである。「天皇は象徴であって君主ではない」とすることは重大なる國體隠蔽といふよりも國體破壊である。

現行占領憲法に押し付けによって、「天皇の御地位は統治者・元首から象徴になった」といふ議論があるが、「天皇」といふ御存在自体が「君主」であらせられ「元首」であらせられるのである。「天皇といふ御稱号を持たれる日本國の君主が、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴である」といふのが正しい憲法解釈であり、それ以外の解釈はあり得ない。

わが國は永遠に天皇が君主であらせられる國である。それを「君が代」といふのである。すなわち君が代とは「天皇國日本」なのである。これを否定し破壊する事は断じてあってはならない。

そもそも「國歌君が代」は、大日本帝國憲法下であらうと現行占領憲法下であらうと、その原義が変化する事はあり得ない。解釈は解釈であって原義ではない。「和歌」の原義は憲法がどう変化しやうとも変化する事はあり得ない。『萬葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』などに収められた和歌の原義が、現行憲法下と帝國憲法下とで変化したなどといふ事はあり得ない。和歌である「國歌君が代」の原義と憲法は無関係である。

 

わが國の君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり憲法の規定によって天皇が君主となられるのではない

「天皇」といふ御稱号の字義は、「天」は天つ神のをられるところすなはち高天原である。「皇」は冠が架上に置かれている形の象形文字であり天の神をいふ。(加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』)

津田左右吉氏は、「推古天皇時代にかういふ御稱號の用ゐられたことは確實であらう。これは此の天皇の丁卯の年に書かれた法隆寺金堂の藥師像の光背の銘に『池邊大宮治天下天皇』とあるからである。」「『天皇』といふ御稱号がやはりシナの成語を採ったものであることは、おのづから推知せられる。さうしてそれは、多分、神仙説もしくは道教に關係ある書物から来たのであらう」「支那に於ける天皇の稱呼は、帝王としての意義を裏面には含みながら、宗教的觀念が主になってゐるのであるが、それは恰もよく、上代人の思想に於いて政治的君主の地位に宗教的由来があり、その意味で神とも呼ばれ、そこから天つ神の御子孫として天から降られたといふことになってゐた、わが皇室の地位に適合するものであって、此の語の採られた主旨もそこにあったに違ひない」と論じてゐる。(『日本上代史の研究』)

肥後和男氏は、「『天皇』というのはもちろん中國語で、『三皇本紀』に『天地初めて立つ、天皇氏有り』と見え、天の支配者といった意味で、いわば最高の神格をさした名称であり、中國でも君主をば天子と称し、あえて天皇とはいわなかった。」「聖徳太子は…スメラミコトは天皇という新しい称号のもとに、絶対なる存在たらしめようとした。ここに、中國では天の支配者をさす『天皇』という大きな名を、スメラミコトの称号として採用することにふみきったものと思われる。」「聖徳太子等をして、そこまでふみきらせた歴史的根拠は…古くからの日神信仰にあったと考えられる。…日本民族は『ことば』にひとつの力を認める。それがいわゆる言霊の説であるが、スメラミコトが天皇という称号を用いることによって、その本質が一段と高められ、一種の神格的存在となった…。」「太子が隋との國交において対等の礼を用い、その國書に『東天皇つつしみて西皇帝に申す』といった用語をされたことは、日本を未開の外蕃とみなしてきた中國古来のゆきかたに正面から挑戦したもの…。」と論じてゐる。(『天皇と國のあゆみ』)

高森明勅氏は、「天皇号の成立は、シナ王朝を中心とする古代東アジア世界において、わが國が自尊独立の文明國家を目指すことを内外に闡明したもの」「天皇号成立の意義については、対外的には何ものにも従属しない國家の主体性と尊厳を表徴するものであって、同時に國内的には、君主大権の神聖な超越的権威と公的・普遍的統治の理念を堅持するものだったと言へるのである。」と論じてゐる。(「天皇号の濫觴」・『立正』誌皇紀二六五五年一月号)

「天皇」といふ御稱号は、「天の神様」を指すことばである。日本國の君主を『天皇』と申し上げるのは、天命の主体たる天つ神の地上的御顕現、言ひ換へると肉身をそなへた天つ神すなはち『現御神』もしくは『現人神』がわが國の君主であらせられるといふわが國の傳統的な「天皇信仰」に基づく御稱号である。

山崎闇斎を祖とする「垂加神道」の「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至るといへども、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻?草』)といふ「絶対尊皇思想」は、「天皇」といふ御稱号の意義と一致する。

里見岸雄氏は、「天皇とはなにかといふことは、天皇なる概念に含まれてゐる多くの表象を分析した上で総合的に観念されなければならないのであって、憲法によって天皇の概念が定まったかの如くに思ひ、そして、軽視的に『象徴である』『象徴に過ぎない』などといふのは、全く逆である。」

「憲法の象徴といふ規定と関連して、天皇非君主説、換言すれば天皇國民説、乃至天皇非元首説を主張するのは、憲法の法相を無視し、天皇概念を正確に把持しない非科學的独断、イデオロギー的見解といはねばならぬ。」
「古来の日本人が、天皇といふ言葉によって観念してきたものは、…他國に類例のない理想的帝王であるとの誇りに充ちた観念である…もう少しくわしく言えば、天皇とは、日本國民が古来、世界に類例のない理想的帝王であると信じてきた萬世一系の君主である。と定義してよからう。」

「憲法が天皇といふ文字を用ゐてゐるのは、國民に対しての概念である事、及び天皇なる文字そのものが君主の意味である事を前提としたものであるのは明白であって、天皇が君主でないなら、天皇の文字を用ゐることは許されぬ。天皇は明白疑ふ余地のない君主である。」と論じてをられる。(『萬世一系の天皇』)

ともかくわが國においては、神聖なる君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり、成文憲法の規定によって天皇が君主となられるのではないのである。繰返し言ふ。天皇は君主ではないなどといふ論議は全く成り立たないのである。

中曽根康弘・後藤田正晴両氏の國體否定につながる論議

小宮山泰子衆議院議員は、昭和四十年、郵政大臣などを歴任した小宮山重四郎元自民党衆議院議員の長女として生まれた方で、芳紀三十九歳である。正統な國體論・國家論・天皇論を學ばれる機會がなかったのであらう。ところが、「天皇はわが國の君主であり、わが國は立憲君主國である」といふ明々白々たる事実、わが國建國以来の國體否定につながる論議をする政治家は、小宮山氏のやうに戦後教育を受けた人だけではない。
大正生まれの政治家、それも政府与党の枢要な地位と役職を経験して来た政治家にも存在する。

内閣官房副長官といふ官僚の最高位に昇りつめ政治家としても内閣副総理といふ枢要な地位についた後藤田正晴氏は、國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではないといふ意識の持ち主である。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。
これは天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國國體を否定し、現行占領憲法体制下においても、わが國は立憲君主制であるという自明の理を否定する発言である。

後藤田氏はまた、「私が役人になった戦前は天皇制であり、当時は官吏といわれていた。…統治権を構成している一員の立場にあり、一方、國民は被治者の立場にあった。…ところが現在は新しい憲法によって國民主権が確立し、役人は全体の奉仕者つまり國民に対してサービスを提供する立場にある。戦前と比較すれば、主客転倒した関係になった」と述べてゐる。(『政治とは何か』)

さらに、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏は次のやうに述べた。

「中曾根康弘 私は國民投票による首相が望ましい姿だと思っています。中曾根内閣はいわゆる大統領的首相の手法でやったのです。というのは、いまの憲法上の首相の地位も、アメリカの大統領より強いですよ。最高裁裁判長も閣議で推薦するとか、自衛隊の最高司令官になっているとか、國會の多数党の首領になっていればアメリカの大統領より権限は強いのです。しかし、それをよう使いませんね。それは吉田茂さんに罪がある。あの人は戦前の総理大臣のイメージが頭から消えきれなかった。つまり、天皇を上に置いて、同輩中の首席的総理大臣というイメージですね。だから『臣茂(しん・しげる)』と言ったわけですよ。そういう戦前の古い陋習の総理大臣というイメージを、吉田さんは持っていた。天皇の権威を維持するために、臣茂が一番いいのだと思ったのではないでしょうか。

しかし私に言わしめれば、それが間違いなのです。主権はいま國民に在って、天皇ではないのですからね。総理大臣はそういう意味で、そうとうな責任と権限を持っている。だから、思い切ってやればいいのです。天皇は、歴史と傳統と文化による権威を持ち、首相は政治的権力を持つ。」(JUSTICE 平成十三年三月十九日号)

これは後藤田氏以上に重大な発言である。中曽根氏は、「主権は天皇にはなく國民にある。総理大臣は天皇陛下の臣下ではない。総理大臣が天皇陛下の臣下だといふ思想は戦前の古い陋習である」と主張してゐるのである。

ところが中曽根氏は、通産大臣だった昭和四十八年六月五日、参議院内閣委員會で、「自分は過日イラン訪問の際、イラン首相に『日本はアジアの東にあって王制の國です。あなた方はアジアの西にあって同じく王制の國で、ともに古い傳統をもってゐる』と言った」と発言した。

一体中曽根氏の本心はどちらなのであらうか。中曽根氏がかつて言った通り日本國は「王制」(正しくは立憲君主制)であるのだから、吉田茂内閣総理大臣が『臣茂』と言ったのは当然である。國家存立の最も重要な問題で主張が正反対に変化するのはまことに遺憾である。

後藤田正晴氏は、大正三年八月九日生まれ。昭和十四年、東京大學法學部卒。中曽根康弘氏は、大正七年五月二十七日生まれ。昭和十六年、東京大學法學部卒。お二人とも大体同年代でしかも内務官僚であり、軍隊経験もあり、同じやうな人生経歴である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点に立った後藤田氏、そして、内閣総理大臣といふ権力の頂点に上り詰め大勲位まで頂いた中曽根氏といふ「保守政治家」の典型と言っていい二人の人物がこのやうな発言をしたのである。

後藤田氏や中曽根氏は、建國以来の日本の國體と傳統を保守する政治家ではないのであらうか。

 

「國民主権」といふ日本の傳統と相容れない西洋概念を成文憲法に持ち込んではならない

問題の根本は、「國民主権論」および現行占領憲法にある。「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く」とあるところから、「大日本帝國憲法では、主権は天皇にあったが現行憲法で主権が國民に移った。ゆへに天皇は君主ではない」といふ思想がこの二人を蝕んでゐる。二人ばかりではなく戦後日本にかかる議論が蔓延してゐるである。

「國民主権」といふ思想は、西洋の歴史における國王あるいは皇帝と人民との権利のぶつかり合ひの中から生まれた思想である。西洋の憲法の歴史とは、國王・皇帝と人民との権力争奪戦の歴史と言っても過言ではない。

ところが、日本國の君主であらせられる天皇と大御宝である日本國民とが権力闘争を行なふなどといふ歴史は日本にはなかった。日本國體は、君民一体であり、君と民とは信仰的にも精神的にも文化的にもそして政治権力の関係においても、闘争関係・対立関係にあった事はない。これを君民一体・君臣一如の國體といふ。わが國には君主に主権があるとか、人民に主権があるとかいふやうな発想は本来なかった。従って「國民主権」といふ日本の傳統と相容れない西洋概念を成文憲法に持ち込んではならない。

小生は憲法學は素人であるが、憲法學では「國民主権」といふ事自体「抗争的概念」とされてゐるといふ。吉原恒雄氏は、「國民(人民)主権學説は十六世紀のキリスト教プロテスタント運動の過程で、第一階層である聖職者と第二階層である君主・貴族との権力争いの中で生まれたものだ。…支配力が衰えつつある聖職者側が君主を上回る権力を保有する論拠として構築したのが國民主権説である。…十七世紀に入ってこの國民主権學説は、第三階層と呼ばれたブルジョアジー(市民)が第二階層の君主・貴族に対抗する理論として利用されるようになる。…國民主権は人類普遍の原理どころか、特定の時代背景のもとに特定の意図を持って構築された理論であり、極めで特殊的゛なものである…統治原理は文化の霊の中核をなすものである。日本の現状は、國民主権という他國の守護神が成文法に入りこみ悪意と破壊の鬼になって暴れまわっている状況と言ってよい。それゆえ、憲法論議の中心は國民主権主義の検証でなければならない。」と論じておられる。(『祖國の青年』平成十一年六月号・「『國民主権』は憲法論議の前提か」)

この吉原氏の論は、今日のわが國において「天皇は君主でも元首でもない」などといふ暴論(憲法學界では永い間「天皇元首説」は少数説だったといふ)が罷り通ってゐる根本原因を鋭く言ひ当ててゐる。小宮山氏の質問も政府の答弁も中曽根・後藤田両氏の主張も、まさに「國民主権という他國の守護神が成文法に入りこみ悪意と破壊の鬼になって暴れまわっている状況」の典型といへやう。

戦後に押し付けられた米國製の憲法ではじめて「國民主権」などといふ言葉・概念が登場した。これは、天皇を君主と仰ぐ日本の國柄を隠蔽せしめ日本民族と國家を弱体化せんとする戦勝國アメリカの意図に基く。

現行占領憲法による日本國體の破壊を防ぐためには、「國民主権」を日本の傳統にでき得る限り近づけて定義することが必要であるとして、さういふ努力をしてゐる憲法學者もをられる。例へば、「主権の存する日本國民」の中に「天皇」が含まれるといふ議論がある。この議論は、皇族は國民なのか、憲法に保障される選挙権・被選挙権などの「國民の権利及び義務」が、天皇及び皇族にも適用されるのかといふ問題がある。

自主憲法制定・憲法改正を断行する場合には、この「國民主権」といふ日本の傳統的國家観とは相容れない思想・概念・言葉はわが國の憲法から排除しなければならない。

ゆへに、「國民主権論」を第一とした「現行憲法三原理」を踏襲する憲法改定では、「自主憲法制定」にも「憲法改正」(「改正」とは間違ひや不十分な部分を直して良くするといふ意)にもならない。しかるに、昨年十一月に発表された自民党憲法調査會の「憲法改正大綱原案」には、「新憲法は日本國憲法の三つの基本的原理を人類普遍の価値として発展させ、歴史・傳統及び文化に根ざした固有の価値を踏まえたものでなければならない」などと書かれてゐる。

自民党憲法調査會は、西洋の価値観である「國民主権論」と、わが國の「歴史・傳統及び文化に根ざした固有の価値」とは矛盾するものであることが分ってゐないのである。西洋概念でありその「定義」も多義にわたってゐる「國民主権」なる概念をわが國の成文憲法に採り入れる必要は絶対にない。

 

大野健雄氏の正統なる天皇論

大正五年生まれで、京都大學法學部卒業、昭和十四年内務省採用、宮内庁総務課長、京都府県警察本部長、近畿管区警察局長を歴任された大野健雄氏の著書に『なぜ天皇を尊敬するのか─その哲學と憲法』がある。大野氏は後藤田・中曽根両氏と大体同年代で同じ内務官僚である。後藤田・中曽根両氏と同じく軍隊経験もある。大野氏はこの書物において後藤田・中曽根両氏とは全く正反対の正統なる國體論・天皇論・憲法論を展開されてゐる。

大野氏はその著書野「憲法篇・第四章 天皇は君主である」において次のやうに論じてをられる。

「天皇は君主である。当然過ぎる位当然で題名にすること自体如何かと思われるのであるが、君主ではないなどという日本人がいるので事がややこしいのである。それも精神病院にでもいるというのなら話は分るが、一応世間的には學者という事になっている人物なのでまこと慨嘆に堪えない訳である。」と論じてゐる。

「世間的には學者という事になっている人物」のみならず「世間的には政治家それも内閣総理大臣・内閣副総理といわれた人物」にも、天皇は君主ではあらせられないと思ってゐる人物がゐるのである。まことにもって慨嘆に堪へない。

宮沢俊義・清宮四郎両氏が「天皇が『君主に共通な標識』を持ってゐないから、天皇は君主ではなく日本國は君主制ではない」と説いてゐることについて大野氏は、「宮沢、清宮両氏の標識と称するものも…ヨーロッパ諸國の君主について、歴史上見られたと思われるものを抽き出したもので別に大した権威のあるものとは思われず…我が日本の國に適用せらるべき標識とは思われない。」と論じてをられる。

ちなみに、宮沢俊義氏のいふ『君主に共通な標識』とは「a独任機関であること b統治権の主要な部分、少なくとも、行政権を有すること、c対外的に國家を代表する資格を有すること d一般國民とは違った身分を有し、多くの場合その地位が世襲であること eその地位に傳統的ないしカリスマ的な威厳が伴うこと f國の象徴たる役割を有すること」であるといふ。

大野氏は、「天皇は立法権に対しては日本國憲法第七条の國會の召集権、衆議院の解散権をお持ちになり、六条によって行政府の長たる内閣総理大臣を任命し給い、さらに司法に対しては最高裁判所の長たる裁判官を任命し給う。これ等は統治権の最も重要な部分と言わずして何ぞや。…天皇の権威にして初めて有効になし能うのであって、天皇以外何人もなし得ないものである。」

「(外國大公使の接受)とは外國の代表である大使公使の信任状の奉呈を受け給うことを含む極めて重要な天皇の大権であり、単なる儀礼的なことではない」

「十九世紀のヨーロッパの覆滅常ならざる諸君主に共通すると称する標識の解釈によってはじめて君主であらせられるのではなく、天皇は太古以来『おおぎみ』にましまし、君主でない天皇など日本國民にとって夢想だにできるものではない。」

「前述の標識の如きは、本来天皇が勿論君主であらせられることを大前提としてそれに適合するような解釈を施すべきであり、もしそれが困難な標識ならば標識の方が間違っているものとして捨て去るべきである。…天皇はもとより君主にましまし、わが國は日本國憲法のもとにおいても立憲君主國であって、象徴的君主制ということができよう。」

と論じてゐれる。まさに正論である。

今日、グレートブリテン・北アイルランド連合王國(イギリス)、スウェーデン王國、オランダ王國など自由民主政治が行なわれている國の君主は、いふまでもなく専制君主ではない。また政治的実権を持っていない。しかし、國民から君主と仰がれてゐる。「政治的実権を持たないから君主ではない」などといふことはない。

日本天皇の「憲法上の御地位」は、独任機関であり、國事行為といふ統治権を有し、対外的に國家を代表する資格を有し、一般國民とは違った身分を有し、その地位はいはゆる世襲であり、傳統的な威厳が伴ひ、國の象徴たる役割を有してゐる。現行占領憲法上の天皇の御地位も、宮沢俊義・清宮四郎両氏がいふ『君主に共通な標識』を十分に充たしてゐる。

現行憲法においても、天皇が君主であり日本國は立憲君主國であるといふことはあまりにも明白な事実である。ただし、わが國を弱体化する事を目的として銃剣の圧力で押し付けられた現行占領憲法の『天皇条項』が日本國體の真姿を正しく明確に成文化してゐるとはいへない。

 

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事をいふ

日本天皇の國家統治とは、天皇が権力や武力によって國家國民を屈従させることではないし、天皇が國民の意志を全く無視し蹂躙して恣意的に権力を行使するといふ事でもない。

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事をいふのであり、天皇が日本國の元首であり統治者であるとは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。これを在ドイツ日本大使館がドイツ語でどう表現したのかの問題である。

「統治」といふ言葉は漢語である。〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

祭祀國家・信仰共同体であった古代日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。

明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といへども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したといふ。

日本天皇は、『朕は國家なり』と言ふような國家國民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した日本神話には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られた時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

  それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ生みの子よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されてゐる。この御神勅は、天照大神の神霊をそのまま受け継がれた生みの子たる天皇が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐる。

天皇の國家統治とは、人為的に権力・武力によって民と國土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって國民と國土を治めるといふことである。

〈やまとことば〉ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言ふ。天皇が民の心を聞かれるといふ意味である。

  日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひめあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本國の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたとされる。
天皇の國家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈従せしめるといふものではない。天皇は國民の意思を広くお知りになり統合される御存在であるといふ事である。さらにいへば天皇の國家統治とは、國家と國民の統一と調和すなはち統合が天皇の宗教的権威によって保たれるといふことである。

  ただし、天皇が日本傳統信仰の祭祀主として君臨されるといふことは、天皇が現実政治に全く関はりを持たれないといふことではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にゐまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられてゐることが、政治のみならず日本國のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

「天皇は君主にあらず象徴なり」と主張する事は、わが國の尊い國體を隠蔽し破壊することとなる。小宮山氏の質問及び政府答弁は、「わが國は天皇を君主と仰ぐ君主國である」といふ建國以来の傳統即ち日本國體を破壊す危険がある。わが國建國以来の天皇を君主と仰ぐ國體は護りぬかねばならないし、正しく開顕しなければならない。

天皇は近代成文法以前から君臨されてきた日本國の神聖なる君主であらせられる。現行占領憲法においても、天皇は日本國の君主であり元首であり統治者であらせられる。しかし<

日本國の國體が隠蔽されてゐる状況を是正しさらには國體破壊を防ぐめには、天皇は日本國の元首であらせられ日本國は立憲君主國であることを明確に成文憲法に規定すべきである。信仰共同体の君主・祭祀國家の祭祀主であらせられ、國家と國民を統合される神聖にして至高の御存在であるといふ古代以来の天皇観を正しく表現する憲法を制定すべきである。 

 

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