萬葉集に歌はれた日本の心 第三十八回
四宮正貴
難波(なにはの)高津(たかつの)宮御宇(みやにあめのしたしらしめしし)天皇代(すめらみことのみよ)
磐(いはの)姫(ひめの)皇后(おほきさき)、天皇を思(しの)ひて作りませる御歌
君が行(ゆき)日(け)長(なが)くなりぬ山尋(たづ)ね迎へか行かむ待ちにか待たむ (八三)
「巻二」巻頭の歌。「難波高津宮御宇天皇」とは仁徳天皇の御事。仁徳天皇の皇后・磐姫皇后が、仁徳天皇のことを思慕して歌はれた御歌。『萬葉集』で時代的に一番古い歌。古代日本において、理想的な天皇として「聖帝」と仰がれた天皇は、第十六代・仁徳天皇と第二十一代・雄略天皇である。雄略天皇は猛々しい武の天皇であらせられる。仁徳天皇は仁慈の天皇であらせられる。「巻一」巻頭の歌は雄略天皇御製である。「巻二」巻頭の歌は仁徳天皇の皇后の御歌である。こうしたところに、天皇の御代が永遠に続くやうにと祈る心で『萬葉集』を編纂した編纂者の意図が伺へる。「萬葉」とは天皇の御代の永遠であるといふことを意味する。
仁徳天皇は、「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」
といふ御製をお詠みになってゐる。民の竈を見て、民の生活を思ひやれた慈愛深い天皇であらせられる。
「難波高津宮」は仁徳天皇の皇宮。今日の大阪市中央区法円坂付近。仁徳天皇は、応神天皇の皇子。
磐姫皇后は、武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫。武内宿禰は相当強い勢力を持って豪族であり、蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖とされる。
「君が行」は、「あなたがお出かけになられましてから」といふ意。「日長く」のケは、日数。旅が長いといふ意。「迎へか行かむ」のムカヘカは、迎へにかといふ意。「待ちにか待たむ」は、ひたすらに待つといふ意。
通釈は、「あなたがお出かけになられてから、日数が重なった。山々を尋ねてお迎へに行かうか。それともひたすらお待ちしてゐようか」といふほどの意。
わが國の戀愛歌の原点と言っていい歌。情熱を燃した戀愛の歌であり、女性の戀歌としてまことに胸を打つ御歌である。
『古事記』には要旨次のやうに語られてゐる。
「磐姫皇后は嫉妬深い方であられたので、天皇にお仕へする女性たちは宮中に入ることができず、他の女性のことが天皇の言の葉にのぼると、足摺りをして嫉妬された。仁徳天皇が、吉備の海部(あまべ)の直(あたえ)の娘で黒日売(くろひめ)といふ美しい女性をお呼びになってお使ひになった。しかし、磐姫皇后が嫉妬されるのを怖がって黒日売は故郷に逃げ帰ってしまった。天皇は皇居の高殿に立たれて、黒日売の乗った船をご覧になって、
『沖方(おきへ)には 小舟つららく くろざやの まさづこ吾妹 國へ下らす』 (沖の方には小舟が続いてゐる。あれはいとしいあの子が國へ帰るのだ)
といふ歌を歌はれた。磐姫皇后はこの天皇のお歌をお聞きになり、非常にお怒りになって、船出の場所に人を遣って、船から黒日売を追い下ろして徒歩で國へ帰らせた。また、皇后が紀伊に旅をされてゐた間に、天皇が別の女性を宮殿に入れられた。それをお知りになった皇后は山城の國へ行ってしまはれた。」
このやうに『古事記』においては、嫉妬深いお方と伝へられた磐姫皇后も『萬葉集』においては、悲しくも切ない夫君を慕ふ心を歌はれた御歌が収められてゐるのである。
この御歌は『古事記』の允恭天皇の条に、木(き)梨(なしの)軽大郎女(かるのおほいらつめ)(允恭天皇の皇女)の御歌として、
「君が行き け長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待またじ」(あなたがお出であそばしてから日数が多くなりました。お迎へに参りませう。お待ちしてはおりますまい)
と記されてゐる。木梨軽大郎女は、同母兄の木梨之(きなしの)軽太子(かるのひつぎのみこ)と戀愛関係となったため、木梨之軽太子は伊豫に流されてしまった。悲しさに堪へかねた木梨軽大郎女が、太子を追って行かれた時の御歌である。郎女は伊豫で太子と共に自害される。
作者不明の伝承歌が、木梨軽大郎女の悲戀・磐姫皇后の嫉妬伝説と結びついて長く伝へられるやうになったとされる。
古代日本文學においては、戀が大きな要素・テーマになってゐる。和歌は戀愛の発想を離れることはできない。驚きとか新鮮な思ひといふものは、戀によってそれを感じる場合が多かった。現實生活を尊んだ古代日本人は戀愛歌を大切にした。