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蔵出し「生長の家について」第三回


谷口清超先生の御冥福をお祈りする
生長の家は、小生が中學校一年生の時(昭和三十四年)、谷口雅春先生の『生命の實相』を読んで感激してから、高校時代そして大學卒業まで熱心に活動した教団である。

生長の家第二代総裁の谷口清超先生が昨年十月二十八日、老衰のため東京都内の自宅で逝去された。八十九歳であった。小生の母と同年であられた。

小生は、清超先生の講演・講義を度々聞く機會があった。機関誌に発表された文章や著書も読んだ。また私個人の事で心配して頂いたり、指導もして頂いた。清超先生の著書では『基督 ―イエスの神秘的生涯とその解説』に最も感銘した。心よりご冥福をお祈りする。
清超先生は、婿養子であり、二代目を継承する人として、谷口雅春先生のご存命中は副総裁の立場で、信徒を指導されてゐた。私はそれほど身近に接したわけではないが、ご性格としては地味な方であったと思ふ。談論風発、意気盛んといふ方ではなかった。絶叫調の講演をされることは絶対になかった。それは谷口雅春先生も同じであった。教義を静かに諄々と説かれた。

先帝・昭和天皇さまが御不例の時、清超先生と恵美子夫人(雅春先生の息女)が、皇居二重橋前でご快癒を祈る姿をテレビニュースで見た記憶がある。

今の生長の家は、清超先生の長男の谷口雅宣氏が副総裁として教団を率いてゐる。(この三月に第三代総裁に就任するといふ)ところが雅宣氏が、谷口雅春先生が國體論、大東亜戦争論、愛國思想を説いた書籍を事實上絶版にしたこと、雅宣氏以外の雅春先生のお孫さんやその配偶者が生長の家の組織から排除されたり教団から離脱してゐること、雅宣氏自身の言動・教団運営方針などに対して、批判が起ってゐる。宗教教団には内紛はつきものであるが、生長の家だけは、雅春先生ご存命中には内紛はなかった。しかし、近年、雅宣副総裁に対する批判が高まってゐる。前述した如く、雅宣氏の意に反する人々は、たとへ兄弟であらうと、功労者であらうと、教団から追放されるか自ら出て行ってゐる。教団の教祖が亡くなった後、幹部間・親族間で内輪揉めが起るのはよくあることであり、生長の家も例外ではなかったといふことだらう。

創始者・谷口雅春先生は、信徒から見れば事實上「生き神」であり、雅春先生をはじめとした谷口家の人々は「お山様」といはれ、言はゞ「神聖家族」として崇められてゐた。生長の家本部には「お山様ご専用」といふトイレまであった。

ところが、その所謂「神聖家族」が、生長の家の根本的経典『生命の實相』第一巻の巻頭にある『大調和の神示』の「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」といふ教へを實行できないでのある。雅宣氏は、「法燈継承者」とされる以上、他の誰よりも生長の家の教義を守り、その實践者であるべきである。ところが、自分の實の兄弟・親族と「和解」「調和」「赦し合ひ」「拝み合ひ」が出来ないのは困ったことである。

 

生長の家の運動が愛國運動ではないとするのは谷口雅春先生の意志に背くことになる

今日の生長の家の問題は、@谷口雅宣氏の意向により、創始者である谷口雅春先生の日本國體論・日本神話論日本國の世界的使命・日本精神論・大東亜戦争観などが書かれた著書が、事實上の絶版となってゐること。A谷口雅宣氏が「生長の家は愛國運動ではない。國家主義を信奉しているわけではない」と宣言して、生長の家が展開してきた「天皇國日本實相顕現運動」が行はれなくなり、真正保守運動の中核組織としての活動を停止してゐること、の二点である。

小生が生長の家高校生連盟で活動してゐた頃よく歌った谷口雅春先生作詞の『生長の家高校生連盟の歌』には、「愛國の情を父に受け、人類愛を母に受け、光明思想を師に學び」とある。谷口家の人々が神聖家族として崇められてゐたと言っても、清超先生のお子さんたちは一般信者と一緒に組織活動に参加してゐたので、この歌は、雅宣氏も歌ったであらう。

雅春先生が「愛國心」「祖國愛」を非常に大切にしてをられた事は確かである。この歌詞を読む限り、人類愛よりも光明思想よりも大切だと考へてをられたやうに解することもできる。私は、生長の家の宗教運動が、そのまま愛國運動であると思ってゐた。谷口雅春先生の代表的な愛國思想の著書の名前は『限りなく日本を愛す』である。

谷口清超先生が雅春先生の御葬儀で言はれたやうに、谷口雅春先生が空前絶後の愛國者であられたことは紛れもない事實である。生長の家が愛國運動ではないとするのは、谷口雅春先生の意志に背くことになると考へる。生長の家は宗教団体であるから、信仰的・信仰的基盤に立った愛國運動であることは言ふまでもない。

「國家主義」といふ言葉の定義も色々あるやうだが、谷口雅春先生が「國家主義」といふ言葉を講演や論文で使はれたことはないと思ふ。生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。生長の家でいふ「國家」すなはち雅春先生の説かれる「國家」とは、単に、「領土・主権・國民を三要素とする統治組織をもつ政治的共同体機構」といふことではない。

『久遠天上理想國實現の神示』(昭和七年五月二十七日)には、「實相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となってゐるのである。…久遠皇統連綿と云ふことは偶然になることではない。形の世界が心の世界の影であることが解り、實相世界が久遠常住の世界であると云ふことが判れば久遠皇統連綿と云ふことは實相世界の久遠常住性が最も迷ひの念なしに形に顕れたのが日本國だと云ふことが解るのである。」「…今の世界で實相世界の常住性を形に顕(うつ)し出してゐるのはたゞ日本の國ばかりである。生滅常なき現實世界が変じて久遠實相世界の常住性を顕現するには、常住性ある國がひろがりて常住性なき國を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。十六菊と云ふのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の國ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである。」

この『神示』には、日本國は世界の手本となるべき理想國家であり、日本天皇の皇統連綿性が世界の中心たるの御資格・御使命を有したまふと説かれてゐる。ただしそれは「権力國家としての日本」の主権や領土の拡大ではない。理念の日本・實相の日本つまり「久遠天上理想國・日本」の世界的顕現である。天皇を祭祀主とする理想的世界國家の實現である。

谷口雅春先生の天皇信仰の特質は、天皇は日本民族・日本國家の祭祀主・統治者であらせられるだけでなく、世界の統合の象徴・世界連邦の中心者として天皇を仰ぐところにある。

日本天皇は、常に自分を無にして神と合一する行事である祭祀を行はれ、仁慈の大御心で國家・國民の平和と幸福を祈られてゐる。谷口雅春先生はそれを端的に「天皇之大慈悲心是國體」と喝破された。神と合一された天皇は、天津神の地上における顕現即ち現御神であらせられる。世界人類が天皇の神聖なる大御心に帰一し奉る時に世界永久平和が實現する。

天皇中心帰一の理想の姿を地上に正しく實現することが、日本建國の大精神であり、生長の家の人類光明化運動の目的なのである。生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。生長の家の教への根本である天皇信仰・大日本真理國家論を度外視したら、真の人類光明化運動にはならない。「久遠天上理想國」を地上に持ち来たす運動、天皇國日本の實相を顕現する運動を實践する宗教が生長の家である。

 

「法脈」の継承に関する小生の質問に対する谷口雅春先生のお答へ

宗教団体の後継者が、後継者独自の教義を説き始めるといふことは、よくあることである。仏教・キリスト教・イスラム教は教祖の説いた経典を大切にしてゐる。しかし、その解釈で、大変な争ひ・対立が起り、分裂抗争が起ってゐる。生長の家もさうした歴史が繰り返されてゐるといふことであらうか。
生長の家では最近、「法燈の継承」といふことが、強調されてゐるやうである。その是非は別として生長の家が世襲制であることは前々から決まってゐたことである。

谷口雅春先生は『日本の危機を救うもの』といふ著書(昭和三十七年十二月一日生長の家本部発行)で、次のやうに論じてをられる。

「最近、生長の家の青年部の實相研鑚會があったとき、四宮君といふ熱心な青年學徒が、創価學會機關誌編輯係の一人だといふSとかいふ或る男を逆折伏に出掛けて往って色色議論をして來たといふのである。その熱心さには頭がさがった。…創価學會のS君が生長の家についての攻撃の矢を向けた問題として傳へたところは、『生長の家は総裁が世襲になってゐるから邪教である。創価學會は會長は選擧によるのであって、最も適する人が選ばれる。これが正しい教團のあり方である。釋尊も決して、その教への後繼者(あつつぎ)を自分の子とせずに、最も教へを理解し得たものを法嗣者(はふししゃ)としたのである。この釋尊の嗣法の仕方と異なるから生長の家は邪教である。』といふのですが、これはどのやうに答へるべきですか──といふのであった。私は決して釋尊は完成した宗教を説いてゐない。…生長の家は釋尊の教へよりも一歩も數歩も進出してゐるものであって、釋尊の通りでないから邪教だといふ理由は成り立たない。既に釈尊の世は去って彌勒如来の世に移らうとしつゝあるのである。釈尊の教と異なるところに未完成の佛教の完成があるのである。…『秘められたる神示』の中にも『久遠皇統連綿としてつゞくのは、實相世界の常住不滅の姿が現象世界に影を映すのであって實相世界の御心の天になる状態記号≠ェ現象世界に影を映すと、さうなるのである。實相久遠常住の生命が現象世界に歪みなく影を映すやうになれば、各人の家系も連綿として一系に續くやうになるのである』といふ意味が示されてゐるのであって、國家でも家庭でも團體でも、連綿としてその主宰者が一系に續かないのは、迷ひによって、常住一貫の姿がゆがめられてゐて、そのために國家では、王や大統領や國家首席などの交替が始終行はれてゐるのである。釋尊の如く一系の血統(ちすぢ)に法燈がつがれないのは、一系の血統に生まれた者の迷ひ深くして法燈をつぐ資格がなかったからであって、決してそれは稱(ほ)めるべき出來事でも、眞似るべき出來事でもない。…實相の完全な姿が現實世界にうつれば、教組の教へが歪みなく教祖の血統につたはり、血脈法脈一體となりそのやうな見苦しい權力争奪戰がなくなるのである。そのやうに實相世界の久遠終始一貫の常住性が生長の家には現象界に歪みなく影を映すやうになってゐるから、法脈は血脈と共に一貫して傳へられることになってゐるので、それが傳はらないやうになって選擧などで司配權力の奪ひ合ひが行はれるやうになってゐる方が、寧ろ邪まに歪んで『迷ひ』が深いのである──このやうに説明したら、列席の皆皆、悟りを深めて、日本國の皇統連綿の事實を讚歎する目が一層明らかにひらかれることになったのであった。」と書いてをられる。
ここに登場する「四宮君」とは小生のことである。昭和三十七年のことであるから、小生はまだ高校一年生であった。「世襲制」については小生自身の疑問でもあった。

その頃は、谷口雅春先生のお答に納得したが、今この文章を読み返してみて、生長の家といふ宗教団体の「法燈の継承」「法脈の継承」を、皇位の継承といふ、日本國體・上御一人に関はることと同列に論じてゐることに疑問を持つ。小生は、皇位継承を、宗教団体の後継者決定と皇位継承を同列に論じることはまことに畏れ多いと考へる。

また、谷口雅春先生のこの論議を敷衍すれば、谷口雅春先生は、「男系による皇位継承でなければ皇統は断絶する」とは考へてをられなかったといふことになる。それどころか、先帝の皇女が皇后となられれば、その婿が皇位についても、皇統は継承されると考へてゐたと類推することも可能である。何故なら、第二代総裁であられた谷口清超先生は婿養子であるからである。しかし、雅春先生はそこまでは考へてをられなかったと信ずる。

谷口雅春先生は、教団内で権力の争奪戦が起らず法燈が歪みなく継承されるためには、一系の血統・家系によって法燈・法脈が傳へられるべきであるとされてゐる。そして二代目の総裁には、娘婿の谷口清超師が就任し、三代目の総裁には雅宣氏が就任することになってゐる。しかし、今日、谷口雅春先生を宗教上の師と仰ぐ多くの人々から、雅宣氏が、雅春先生の意志に反することを説いてゐるといふ批判が起ってゐる。

宗教教団の後継者の決定方法は、色々あるであらうが、世界宗教となってゐる仏教・キリスト教は、その中心者・後継者は世襲ではない。ローマ-カトリック教會の最高位の聖職者たるローマ法王(教皇)は、十二弟子の筆頭とされる使徒ペテロの後継者としての資格で全教會を統率してゐるといふ。教皇は枢機卿の互選により選出される。仏教は、釈尊の十大弟子の筆頭とされる摩訶迦葉が、釈尊入滅後その教団を統率したとされる。

生長の家も、教祖の一番弟子が後継者であるとしてゐたら、谷口輝子夫人が後継者となったであらう。といふのは、輝子夫人自ら「私は谷口雅春先生の第一の弟子」と言はれていたからである。

生長の家のみならず日本國内の新宗教教団には世襲制の教団が多い。そして世襲制の教団に内紛が起こらないかといふと決してさうではない。親族間・幹部間の争ひが起った教団は多い。

小生が高校生だった昭和三十七年当時は、創価學會の第三代會長に池田大作氏が就任した直後である。近所の創価學會員が私宅に『聖教新聞』と『大白蓮華』といふ機関紙誌を贈呈してくれてゐたので、小生はよく読んだ。

当時の創価學會は、他の宗教団体の世襲制を強く批判してゐた。日蓮の後継者が、日蓮に「常随給仕」してゐたされる日興であった如く、牧口常三郎初代會長の後継者が牧口氏と共に入獄し最もよく仕へた戸田城聖氏であった如く、戸田氏の後継者も、戸田氏に最もよく仕へたとする池田大作氏であると強調されてゐた。要するに一番弟子が後継者となるといふことである。世襲制ではない創価學會はその後、會員数も伸び発展したことは事實である。

当時の創価學會は世襲など全く感じられず、會長の家族を特別視することはなかった。戸田前会長の幾子未亡人、池田香峯子池田新会長夫人が表に出ることは全くなく、陰の人であった。今は、池田香峯子夫人が「奥様」と呼ばれ、特別視され、創価學會も世襲制になるのではないかとさへ噂されてゐる。

 

谷口雅宣氏の『ブログ』を読んで思ふ

旧臘二十八日の谷口雅宣氏のブログに次のやうなことが書かれてゐた。小生が今号でこの文章を書いてゐるのも、雅宣氏のこの文章に触発されたからである。

「2008年12月25日
私は青山學院高等部の出版部に所属していて、『日本國憲法無効論』などで論陣を張っていた。私は当時、生高連(生長の家高校生連盟)にも参加していて、そこの東京の機関誌に文章を書いたりもした。」「青山學院に限って言えば、ここでは神學部の學生を中心とした反安保の左側≠フ運動が盛んだったが、そこへ生長の家の學生による民族派≠フ反対運動が起こったことで、厳しい學内対立になったようである。…姉2人が青山學院に籍を置いていた関係もあり、高校と同じ敷地内にある大學には出入りすることも多く、私は實際にそこへ行って写真を何枚も撮っている。その写真のうち2枚をここに掲げる。1枚は、青學大構内で集會をする安保反対の學生運動参加者たちだ。ヘルメットをかぶった學生のアジ演説を聴いている。」「もう1枚は、大學の建物の柱に書かれた落書きの写真だ。『落書き』ではあるが、内容はかなり脅し≠ノ近い。文字が一部光っていて読みにくいが、『青學大に巣食う 右翼肉体派 ○○○○ 谷口一家(生長の家天皇万才派 谷口雅春の孫)』と書いてある。實際には固有名詞がきちんと書かれているが、ご本人の名誉のために写真ではボカした。このほかにも『天皇万才派 ○○○○の早セ田大學右翼と結びついた暴力を許さないぞ』『右翼 ○○○○ 谷口(生長の家)一派を殺せ』などという物騒なものもあった。これらの伏せ字の所には、当時の青學大の生長の家學生會の代表者の名前が入っていた。…私は、こういう騒然とした雰囲気の中で高校から大學へ進學したのである。」

谷口雅宣氏が、青山學院大學に進學した時の状況は危険はまりないものであったことが分かる。かうした學生時代の体験や、その後のアメリカ留學が雅宣氏に大きな精神的信仰的影響を与へたと思はれる。

生長の家の古くからの信徒で、母上が生長の家婦人部(白鳩)會の幹部であり、谷口家と深い関はりがあったと言はれる方の話を聞く機會があった。その方は大要次のやうに述べられた。

「私がお山(渋谷区神宮前の谷口雅春先生の自宅)を訪ねた時、谷口先生が顔を赤くして出て来られた。谷口先生が顔を赤くされるのは、お酒を飲まれた時か、怒ってをられる時なので、めったにお酒を飲まれない谷口先生が昼間からお酒を飲まれることはあり得ないから、何か怒ってをられるに違ひないと思った私は、早々にお暇しやうとしたら、谷口先生は『話したいことがあるから上げりなさい』といはれ、応接間に通された。谷口先生は、『私は雅宣に皇學館大學に行かせたいと思ってゐるのだが、清超は青山學院大學に進學させたいと言って反対する。君はどう思うか。』と言はれた。」
この方は、この話を涙をこぼされながら、私に語った。これが事實とすれば、谷口雅春先生は、雅宣氏を皇學館大學に進學させて、神道と國史を學んでもらいたかったのである。雅宣氏が雅春先生のご意志通りに、皇學館大學に進學してゐたら、雅宣氏そして生長の家のその後のあり方も違ったものになってゐたであらう。

それは谷口雅宣氏自身が、昨年十二月十七日に行はれた『故 生長の家総裁谷口清超先生追善供養祭』における「偲ぶ言葉」で「父である清超先生から『三代目にならなくてはいけない』と言われたことは一度もないのであります。學校も自由の精神を尊重する青山學院へ入れてもらい、そこの大學を出てから鞄本教文社へ入りましたが、3年足らずでやめてしまい、アメリカへ留學しました。これは勿論、父が賛成してくれたからです。コロンビア大學という、これまた自由を尊重するリベラルな私立の大學の大學院へ入りましたから、學費も生活費も多くかかりました。それを父が快く出してくれたことで、私は日本國内では得られないであろう数々の貴重な経験をすることができました。そして、そのことが、今日の生長の家の運動を進める上で大いに役立っている−−というより、もっと正確に言えば、それらの経験がなければ、今日の生長の家は『國際平和信仰運動』とは別の方向に進んでいたに違いないのであります。」と述べてゐることによって明らかである。

「自由」はもちろん大切である。しかし、雅宣氏が、自分の人生体験や雅宣氏が感じている時代感覚から、生長の家の「愛國運動」「天皇信仰」を否定とはいはないまでも、表面に出さなくなってゐることは、まことに残念である、谷口雅春先生の意志を蔑ろにするものだと思ふ。
法燈の継承者にはそれなりの「自由」の制限があると思ふ。といふよりも、生長の家の幹部や信徒が愛國運動を行ふのもまた自由なのであり、創始者の意志を継承することなのである。そのことを雅宣氏にはよくよく理解したもらひたい。

谷口雅春先生はその愛國精神・日本國體への限りない愛によって、混迷する祖國日本そして全世界現代を救ほうとされたのである。日本國體精神・日本傳統信仰を広く世界に恢弘することが真の「世界平和」を持ち来たすことである。

日本肇國の精神こそが「世界平和信仰」である。小生は「國際」といふ言葉よりも「世界」といふ言葉の方が好きである。谷口雅春先生も常に「世界平和光明思念」「世界聖典普及協會」といふやうに「世界」といふ言葉を使はれた。

宗教といふものは本来、人々に安穏・平和・喜びをもたらすものであるはずである。ところが、宗教が闘争・戦争の原因となるといふことが問題なのである。歴史上の戦争・紛争そして今日唯今起ってゐる戦争・紛争の原因が宗教対立にある。宗教上の対立における憎悪は尋常ではない。しかし、これは人類の歴史で繰り返されてきたことなのである。

「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」を根本教義とする生長の家においても、同じやうな歴史が繰り返されることは何とも悲しいことである。「一切の自己の責任とする神の子の自覚に超入しよう」といふのが、谷口雅春先生の教へであるのだから、やはり、その責任の多くは、法燈の継承者とされる谷口雅宣氏が負ふべきものであると考へる。

 

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