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蔵出し「皇都の一隅より」第二回

日本國民の絶対的な忠誠の対象は、天皇陛下である

閣僚・官僚は総理大臣の臣下ではない。総理大臣も國務大臣も官僚も等しく天皇の臣下である

最近の政治家は、保守政治家といはれる人ですら、わが國の國體の本義を全く理解してゐない人が多い。報道によると、自民党の中川秀直幹事長は、二月十九日に行はれた仙台市における講演で、「閣僚・官僚は総理に対し絶対的な忠誠、自己犠牲の精神が求められてゐる」と語ったといふ。これはまことにおかしな発言である。閣僚・官僚は総理大臣の臣下ではない。総理大臣も國務大臣も官僚も等しく天皇の臣下である。だから「大臣」(天皇の重要な臣下といふ意)と言ふのである。総理大臣をはじめとする各大臣そして官僚の絶対的忠誠心は、天皇陛下に対してのみ捧げられるべきである。天皇の臣下である内閣総理大臣に対して「絶対的忠誠心」を捧げてはならない。

筑紫哲也氏は「ニュース23」で、「忠誠心の対象は総理ではなく國民である」と言ってゐた。しかし、『現行占領憲法』において、天皇は「日本國及び日本國民統合の象徴」と規定されてゐる。従って、天皇への忠誠心は即ち日本國民への忠誠心である。「君民一体」が日本の國柄であるからそれは当然である。繰り返し言ふ。臣下國民の「絶対的な忠誠」の対象は天皇である。

武家が専横を極めてゐた江戸時代においても、天皇を日本国の神聖君主と仰ぐ精神は脈脈と傳へられてゐた。征夷大将軍は天皇の臣下であるといふ大義名分は失はれることはなかった。  

『円覚院様御伝十五箇条』に見える尾張徳川家四代・徳川吉通の家訓に、「今日の位官は、朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣と称するからは、これ朝廷の臣なり、されば水戸の西山殿(註・徳川光圀)は、我らが主君は今上皇帝なり、公方(註・征夷大将軍)は旗頭なりとのたまひしよし」と見える。徳川御三家の水戸藩二代藩主徳川光圀は、「水戸藩の忠誠の対象は朝廷である。徳川宗家・征夷大将軍は旗頭である」と言ったといふ。徳川御三家筆頭の尾張藩は、「もしも、朝廷と江戸の将軍の間で対立が起ったら、わが藩は朝廷に従ふ」と言ひ傳へてゐたといふ。

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

このやうに、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるといふことが大義名分であった。

  中川秀直氏は、安倍総理の権威を高めやうとしたのであらう。その安倍総理の祖父である岸信介氏は、東條内閣の商工大臣として、戦争を早期に終結させるために、東條総理に「絶対的忠誠」を尽くさず、東條総理の辞任要求を拒否して東條内閣を崩壊せしめた。岸氏はそれが、天皇陛下および國家國民への忠誠であると信じたからである。

この時、当時の東京憲兵隊長の四方諒二といふ陸軍大佐の軍人が岸氏の大臣官邸を訪れ、軍刀を立てながら「東條総理大臣が右向け右、左を向け左と言へば、閣僚はそれに従ふべきではないか。総理の意見に反対するとは何事だ」と言って岸氏を脅した。それに対して岸氏は「黙れ兵隊!お前のやうなことを言ふ者がゐるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左といふ力を持ってゐるのは天皇陛下だけではないか。お前のやうなわけの分からない兵隊が言ふとは何事だ、下がれ!」と言って追ひ帰した。(『岸信介の回想』による) 

岸信介氏はまことに腹の坐った政治家であり、かつ國體の本義をよく体得し尊皇精神強固な政治家であった。

中川幹事長は以上のやうなわが國の歴史をよくよく学び直すべきである。今回の中川秀直自民党幹事長の発言で、「忠誠心」といふ言葉が、大きく話題になった事は良い事である。死語になってはゐなかったのである。マスコミも忠誠心といふ言葉そのものの存在は否定してゐないやうだ。ただし、閣僚たちがそろって「安倍総理に忠誠心を持ってゐる」と言ったのには違和感を覚えた。「忠誠心」といふことの意義を本当に理解して言ってゐるのであらうか。「忠」と自己を無にして誠を捧げるといふ意味である。今の閣僚たちに本当にその覚悟があるのだらうか。

 

絶対的忠誠心とは現御神日本天皇に対する明けく清らけき捨身無我の仰慕の心

そこで、日本古来の道義精神の要である『忠誠心』について少しく論じさせて頂きたい。

天皇を君主と仰ぎ絶対的忠誠を尽すことが、日本國及び日本國民の安定と道義の根本である。天皇への絶対的忠誠は、日本傳統精神の中核であり、道義精神の要である。日本国は人倫国家であり、その中核は天皇の神聖なる権威である。日本国民は、天皇の神聖な権威を仰ぐことによって正義を自覚した。

天皇に対する絶対的忠誠心を「恋闕」(御門辺を恋ひ慕ふ心)と言ふ。日本国民の純道徳であり、他から強いられたものでは決してない。権力や制度によって作られ強制される精神ではない。現御神であらせられる日本天皇に対する日本国民の明けく清らけき捨身無我の仰慕の心である。

和辻哲郎氏は、「『清き心』の傳統は、尊皇の道の一つの顕著な特徴として、倫理思想の潮流の中に力強く生きている。…清さの価値は『私』を去ること、特に利害の放擲に求められる。…それは生命に根ざす価値ではなくて、生命を超えた価値である。…日本武尊は典型的な英雄として描かれているが、領土とか富とかはおよそこの尊とは関係のないものである。」(『尊皇思想とその傳統』)と論じてゐる。

この捨身無我の清き心を漢語によって表現した言葉が「忠誠」である。従って、絶対的忠誠心は権力関係から生ずる精神ではない。間違ひを犯す可能性のある権力者に対して絶対的忠誠心を持ってはならない。

「忠」は、意味を表す「心」と音を表す「忠」とからなる形声字で、「忠」の音の表す意味は、「洞」(中空の意)てあり、字義は、「己の心を空しくして他人のためにつくす心の意」といふ。(「加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』」

「誠」は、意味を表す「言」と、音を表す「成」とからなる形声字で、「成」の音の表す意味は、「重(ちょう)」(重なる意)であり、字義は、「言葉と心が一致して違はない、進んで、言と行なひとが一致する意」といふ。(同書)

つまり、忠誠とは、己を空しうして君主に仕へ奉る事である。つまり恋闕である。わが国における忠誠とは、神聖君主日本天皇に国民全体が己を空しうして誠を捧げることである。それは、権力や武力による強制ではない。天皇の神聖権威が自然に国民をして忠誠の心を抱かしめるのである。

天皇の神聖権威は、神から国家を支配する権力を与へられたといふ西洋の王権神授説とは全く異なる。祭り主として神に五穀の豊饒と民の幸福と四海の平和を祈られる無私の精神の体現者としての神聖権威である。

「祭り」とは自己を無にして神と一体になる行事である。ゆゑに、祭祀主たる天皇は、神と一体であり、地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。現御神日本天皇を、道義の鏡・生活の規範として仰ぐことが、日本人の歩むべき道である。天皇に対し奉り、絶対の誠を尽してお仕へ申し上げる事が、日本国民の本来的な「絶対的忠誠心」である。

折口信夫氏は、「日本では、神祭りの主體となるのは、宮廷の神祭りで、その祭りにおける主體は、歴代聖主であられた訣だ。主上の御生活には、日常の生活のほかに、神としてあらたまった生活があった。そのハレの生活は更にケの規範であって、同時に我々のハレおよびケの生活の典型であったのである。」(『宮廷と民間』)と論じてゐる。

天皇を我々國民の道義の鏡、規範とするといふことは、大変畏れ多い申し上げ様であるが、天皇が絶対的に誤りを犯されない完全無欠のご存在であるといふことではない。天皇が祭祀を最も大切な御使命とされ、日々、敬神崇祖の御生活を営んでをられる事が、國民の道義的規範であるといふことである。
明治天皇は『教育勅語』において、十二の徳目を国民に示された後、「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と仰せになってゐる。

村尾次郎氏は、「天皇は道徳を國民にだけお示しになったのではありません。結びの文に明らかにしておられますように、天皇御自身が率先して、國民と共にそれらを実践なさって、『その徳を一にする』ことをお誓いになっています。」(『明治天皇のみことのり』)と論じてゐる。

しかし、日々祭祀を実行され敬神崇祖の御生活を営まれる上御一人日本天皇は、道義的に最も清らかで尊い御存在であられる事は間違ひがない。

 

天皇に對し奉り絶対的忠誠を捧げるのが日本国民の最高の「道義」である

信仰共同体・祭祀国家の祭祀主たる天皇は、道義の中心であり体現者である。そして、道義の要としての天皇に對し奉り、絶対的忠誠を捧げるのは国民としての「道」であり最高の「道義」である。

新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

倫理(人のふみ行ふべき道。人間関係や秩序を保持する道徳)は共同体国家において確立される。共同体の中で生きてゐるからこそ、人間に倫理が必要となる。言ひ換へれば人間が獣ではなく、まさに「人」として多くの人々共に生活するには、倫理が必要なのである。倫理を人倫と言ふのも、人にとって倫理が不可欠だからであらう。わが国が素晴らしい特質は、倫理・信仰・文化が天皇皇室を中心として継承されてきたところにある。わが國の国柄・國體が万邦無比といはれる所以である。

筧泰彦氏は、「日本人の倫理や道徳の根本は、ワレの心としての『清明心』や『正直』や『誠』にあります。西欧で理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本に考へるのとは対照的に。『私』を去り『我』を没することを以て根本と考へてゐるのです。…天皇は、今日の日本人が日本語を日常的に用ゐてゐる限り、自覚すると否とに拘らず、かかる清明心の根源、無我の体現者たるヒトとして、日本族が長い歴史的鍛錬を通じて作り上げた生きた文化の最高傑作であり、最重の傳統であり、日本人の『ミチ』の中心点でありましょう」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

前述した通り、祭祀は「神人合一」の行事であり、無我になって神にまつろひたてまつる行事である。その最高の実践者が天皇であらせられる。即ち、天皇はわが国において最高の無我のご存在であり、清らけく明けきご存在なのである。

天皇の神聖権威(御稜威)による統治と、天皇にまつろひたてまつる国民の尊皇精神・忠誠心が、日本国家存立の原基である。日本国は権力・武力による専制支配によって成立してゐる國ではない。日本が人倫国家である所以である。

しかもそれは、神話時代から継承されてきた傳統である。神話に語られてゐる倫理思想は、太古の倫理思想であるのみならず、後の時代に顕著な形で展開されて来た倫理思想である。

新渡戸稲造氏は、「神道の教義には、わが民族の感情生活の二つの支配的特色と呼ばるべき愛国心および忠義が含まれている。…それは国民的本能・民族的感情を入れた枠であるから、あえて体系的哲学もしくは合理的神学たるを装わないのである。」「孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友間における五倫の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能と認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

日本国民が絶対的忠誠を捧げるのは、「滅私奉公」といふ言葉もある通り、「公」に対してである。「公」とは、権力者のことではない。天皇の御事である。天皇に対し奉り、私心なく清らけく明けくお仕へする心、それが日本人の絶対的忠誠心である。私心なく天皇にお仕へする典型、即ち絶対的忠誠心の最高の実践者が、日本武尊であらせられる。絶対的忠誠精神を体現され生涯をかけて行なはせられたお方が日本武尊であらせられる。

 

身分制度が解体された明治維新後において、国民全体の尊皇精神・天皇への絶対的忠誠心が高まった

  宇野精一先生は、「支那においては、俸禄を受けて直接君主に仕へる者を臣と言ひ、俸禄を受けないものを民といふ。しかして一般のいはゆる民は君主に対して直接何の義務もない。わが国においては、臣は即ち民であり、民は即ち臣である。」(要約)と論じてをられる。(宇野精一氏著『儒教思想』)
このやうに、日本と支那の国体観・君主観の大きな違ひがある。わが国肇国以来の傳統である天皇に対する「忠」と、封建君主に対する「忠」とは、絶対的に区別されるべきである。日本は一君萬民の國體であり、天皇は萬民の君であり、萬民は天皇を絶対的君主と仰ぐのである。封建社会が解体され、一君萬民・天皇中心の國體が明徴化された近代以後においては、「絶対的忠誠」の対象は、天皇以外にあり得ない。

「忠」と「恕」を倫理の基本と考へた孔子の思想=『論語』は、「君子」(朝廷の會議に参列できる貴族・官僚たちの総称)の身分道徳であった。然るに、わが国においては、封建時代においてすら、寺小屋で『論語』が教へられゐたことによって明らかなやうに、孔子の思想は一般國民の道徳として学ばれた。
わが國の尊皇精神・天皇への忠誠心は、俸禄を与へる封建君主と俸禄を与へられる臣下の間の精神的紐帯ではない。百人一首・雛祭りが一般国民に愛好され、農民が『なに兵衛』と名乗るやうに、天皇への忠誠心は、俸禄などといふものは全く関係のない心であり、上御一人と日本国の民衆全体との精神的紐帯である。天皇への忠誠は封建道徳ではない。

ゆゑに、「士農工商」といふ身分制度が解体された明治維新後において、国民全体の尊皇精神・天皇への絶対的忠誠心は、顕在化し高まったのである。
さらに言へば、安倍晋三総理は、天皇の臣下である。閣僚も官僚も臣下である。臣下が臣下に対して「絶対的忠誠」を捧げるといふことはあってはならない。中川氏が「閣僚・官僚は総理に対して絶対的忠誠を捧げるべし」と言ったのは、日本の傳統的尊皇精神、國體精神に反する。

天皇は常に無私の御心で統治される。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行はれた道を継承されることを心がけられる。そのことがそのまま國民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となる。天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。

ところが、支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらへ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考へられてゐる。しかしわが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心であると考へてゐる。

簡単に言へば支那においては天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。この違ひは支那と日本の国家の成り立ちとその後の歴史の違ひによる。

明治維新によって、肇国以来の一君萬民の国体が回復した。明治天皇は、西洋模倣・知育偏重の教育を憂へ給ひ、『教育勅語』を渙発された。そして天皇は、全国民に対して「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」といふ徳目が示されたのである。それが肇国以来のわが國の道統である。萬葉時代の防人の歌を見ても、萬民が大君の御爲国の爲に「義勇公に奉じ」る精神が歌はれでゐる。決して武士階級(支那で言ふ『士・大夫』)のみが大君の御爲国家の爲に義勇を以って奉じたのではない。これがわが國體の本義である。

 

権力者に対して絶対的忠誠を捧げることは誤り

會澤正志斎は、「君臣の義は、君臣共に道を行ひ、行はれざる時は退くべし。君の無道なるにも、其のままに阿順(註・その人の気に入るようにきげんをとって従ふこと)するは、義と云ふべからず」(『讀葛花』)と論じてゐる。

これは、封建領主と臣下の間の「君臣の義」を論じたのであって、天皇と國民との関係を論じたのではない。國民の天皇に対する忠誠と、俸禄を受ける武士の封建領主に対する忠誠とはその本質がまったく異なる。間違ったことを行なふ可能性のある権力者に対して絶対的忠誠を捧げることは誤りである。間違った事を行った権力者は打倒するべきである。それが天皇のへの忠誠である。會澤正志斎が言ふ如く無道なる権力者に対して阿順するのは「義」と言へないのである。

中川自民党幹事長の発言は、わが國の國柄と歴史に関はる実に重大な問題である。中川氏は「閣僚と官僚は総理に絶対的忠誠を尽くさねばならない」と言ったが、この「絶対的」といふ言葉が問題である。「絶対的」とは何があっても逆らはない、言ふ事をきくといふことであり、総理がどんなに間違った事をやってもそれに従ふといふ事である。これは総理大臣の独裁を許す事につながる。

権力機構(政体)としての国家を司るのは、法律と権力である。権力機構としての国家の根源である祭祀国家の祭祀主たる君主即ち天皇には「絶対的忠誠」を捧げるべきであるが、権力国家の権力者に対しては「絶対的忠誠」を捧げる必要はない。何故なら権力者は祭祀国家の祭祀主即ち日本傳統精神の最高継承者でもないし道義の鏡でもないからである。

 

天皇に対する忠誠心・かしこみの心が独裁政治を防止する

日本民族が太古以来、畏敬と仰慕の思ひを持って来た神聖にして無私なるご存在である日本天皇に、政治家・官僚そして国民全体が絶対的忠誠心を捧げ奉ることが、政治家・官僚だけではなく広く国民全体の道義の頽廃を最小限防止する道である。

前述した岸氏の戦時中の体験を見ても分かるやうに、わが國に独裁者が出現せず、一権力者による絶対的な独裁政治が行はれなかったのは、国民の代表者が選んだ権力者の任命権が天皇にあったからである。現行憲法においても、それは変らない。天皇に対するかしこみの心が独裁政治を防止する。

石原慎太郎都知事が「横暴ではないか、親族を優遇してゐるのではないか」と批判されるのも、石原氏の尊皇精神が希薄であり、天皇に対するかしこみの心が足りないからではないかと危惧される。

石原慎太郎氏から、自決に対する根拠のない中傷を受けた東條英機元総理は、天皇に対する忠誠心は実に旺盛であった。東條元総理は、『極東国際軍事裁判』の法廷において、「日本国の臣民が陛下のご意志に反してあれこれすることはあり得ません」と明言した。これは臣下としての心情を吐露したまことに当然の発言であった。ところがこれにより、先帝陛下が開戦責任を問はれる事態になる危険が生じた。そこで東條氏はあらためて法廷において「それは私の国民としての感情を申し上げてゐた。天皇の責任とは別の問題です」と述べた上で、キーナンの「戦争を行へといふのは裕仁天皇の意志であったか」との追及に対して、「意志と反したかも知れませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってしぶしぶ御同意になったのが事実です。而して平和御愛好の御精神は最後の一瞬にいたるまで陛下は御希望を持ってをられました。戦争になっても然り、その御意思の明確になってをりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅の内に明確にその文句が加へられてをります。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことにやむを得ざるものあり、朕の意思にあらずといふ意味のお言葉です」と述べ、先帝陛下をお守り申し上げた。(上法快男氏編『東京裁判と東條英機』参照)

昭和天皇は東條氏を深く信頼あそばされてゐたと承る。昭和天皇は東條氏について「元来東条と言ふ人物は、話せば良く判る、それが圧政家の様に評判が立ったのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝らなかったことゝ又憲兵を余りに使ひ過ぎた」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素云ってゐることも思慮周密でなかなか良い処があった」と仰せになってゐる。(『昭和天皇独白録』)

何度も繰り返すやうだが、天皇への忠誠心は、権力・武力に対する屈服でも服従でもない。神聖なる権威に対する畏敬であり仰慕である。それが権力者の横暴を自制させ腐敗を防止するのである。尊皇精神の希薄な政治家・権力者が、大きな誤りや失敗を犯してきた事は国史上の事実である。

国史を顧みれば、天皇を君主と仰ぐ日本國體が、強大に権力を一手に掌握する独裁者の出現を防いだのである。北條・足利・徳川といふ政治の実権を掌握した武家にも、天皇・朝廷を畏敬し自分たちは本来的に日本の統治者・君主ではないといふ意識が常にあった。それが横暴をある程度抑制して来た。
今日においても、天皇の神聖権威に対するかしこみの心・忠誠心が、権力の横暴と腐敗を抑制する。だからこそ、権力者に絶対的忠誠心を持てなどといふ今回の中川発言が問題なのである。

穢れ切ったいまの日本を祓ひ清め道義国家日本を再生せしめる道は、天皇・皇室に対する仰慕の心を復興する以外にない。日本国民が皇室に対して絶対的忠誠をお誓ひする事が最も大切なのである。繰り返し言ふ。国務大臣・官僚の絶対的忠誠の対象は、天皇であらせられる。内閣総理大臣ではない。
天皇に対する絶対的忠誠心は、わが國の長い歴史の中で次のやうに歌はれてゐる。

大伴家持の「陸奥国に金を出す詔書を賀す歌」といふ長歌の一節

海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 邊にこそ死なめ かへりみはせじ

鎌倉幕府三代将軍・源實朝

山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

 梅田雲濱

君が代を思ふ心の一すぢにわが身ありとは思はざりけり

 乃木希典

現し世を神さりましし大君のみあとしたひて我は行くなり

 

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