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萬葉集に歌はれた日本の心 第二十一回

四宮正貴

 紀伊國に幸(いでま)しし時、川島皇子の作りませる御歌 

白波の 濱松が枝(え)の 手(た)向けぐさ 幾代までにか 年の經
ぬらむ                   (三四)

 川島皇子は、天智天皇第二皇子。持統天皇の弟君。斉明天皇三年(六五七)にお生まれになった。『日本書紀』編纂に携はられた。文雅に優れ、漢詩も詠まれた。大津皇子(天武天皇第三皇子)が、持統天皇の御代に謀反の罪で処刑されるが、その時に「大津皇子が謀反を企んでゐる」と密告した方であるといふ。大津皇子と川島皇子は莫逆の友であったことから、漢詩集『懷風藻』は、川島皇子のことを「朝廷はその忠誠を嘉したが、朋友を思ふ心は薄い」と評してゐる。持統天皇五年に、十五歳で薨去。

この御歌は、持統四年(六九〇)九月、姉君の持統天皇の紀伊國行幸のお供をされた時に詠まれた。山上憶良の歌との説もある。巻九の一七一六に同じ歌が憶良作として収録されてゐる。久松潜一氏は歌の調べから憶良作とはいへないとする。

「白波の」は濱に掛る枕詞的用法。「手向け草」とは、手向けをする材料の意。「手向け」とは、旅の無事を祈って道祖神(道路の悪魔を防いで、行く人を守る神)などに幣帛(へいはく)(神前の供物(くもつ)特に御幣(ごへい))を捧げること。また、その供へ物のことを言ふ。「くさ」はその材料。多くは布・木綿・糸などを供へた。ここでは松の枝にかけた幣帛をいふ。今日も神社などで、御神籤(おみくじ)などを木に結びつける風習があるが、あれと似てゐる。

「むすぶ」といふのは、「水をむすぶ」「おむすびを作る」といふやうに、「生命力が増加し何時まで元気でゐるやうに」といふ祈りが籠められる行ひである。御幣を道祖神が祭られてゐる場所にある木などに結びつけることによって、旅の無事を祈った。常緑樹の松の木に結んだのは、松の緑が変化しないのと同じやうに、旅人の命も何時までも異常がないやうに、と願ったのである。松は当時から長寿の象徴であった。

通釈は、「白波の打ち寄せる濱の松の枝に付けてある神に手向けたこの幣(ぬさ)は、結び目が解けないままで、幾年ほどの年を経たであらうか」といふ意。
川島皇子よりも先にこの道を通った誰とも知らない人が、行路の安全を祈って手向けた幣がまだ残ってゐるのをご覧になって、「手向け」をしてから幾世まで年月が経った事であらうと歌はれたのである。

今更にやうに感じた旅愁を詠んだ歌。流麗なしらべの歌。簡潔で緊張した表現になってゐる。川島皇子が御年三十四歳の時の歌。

この川島皇子の御歌は、有馬皇子(孝徳天皇の皇子。謀反の罪の問はれ藤白坂で死を賜る)の辞世の御歌、

「磐(いは)白(しろ)の 濱松が枝を 引き結び まさきくあらば またかへり見む」(一四一・磐代の濱の松の枝を引き結んで、もし無事であったなら、再びここに来てこの結び松を見よう、といふ意)

と関係するのかもしれない。

川島皇子の御歌には、当時の旅人の心と信仰的風習即ち古代日本人の素朴な信仰感情がよく表れてゐる。

現代人も神社などにお参りして、大分前の参拝者が掛けた絵馬や張った御札などを見てある種の感懐を抱くことがある。 

古代日本人は、峠や海岸沿ひの道を通る時、道祖神などに手向けをして旅の無事を祈った。信仰の対象となり、精霊や神が宿ってゐると信じられた自然は、姿形が美しいものであった。三輪山や天香具山や富士山などの神奈備山も然りである。松や杉も然りである。松原や杉の森は美しい。美と信仰と文藝は「三位一体」と言って良い。

 

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