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『天壤無窮の御神勅』と皇位繼承

四宮正貴

 

『天壤無窮の神勅』には日本國體が端的に示されている

 「天壤無窮」とは、「天地と共に窮(きわ)まりが無く永遠である」という意味である。太陽神であり皇室の祖先神である天照大神の御孫であられる邇邇藝命が地上に天降られる時に、天照大神が邇邇藝命に与えられた<神勅>のひとつである『天壤無窮の神勅』にある聖句である。「壤」とは「土」のことである。

 『天壤無窮の神勅』には次のように示されている。

 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」。

 これを現代國語に訳すと、「豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう」というほどの意である。  

 この『天壤無窮の神勅』には、「日本國は天皇が永遠に統治する國である」という日本國體が端的に表現されている。

 「吾が子孫(うみのこ)」とは、邇邇藝命をはじめ神武天皇そして今上天皇に至るまでの御歴代の天皇は、天照大神の「生みの子」であり、御歴代の天皇は天照大神の御神靈と一體であり、同一神格であり、邇邇藝命も神武天皇も御歴代の天皇も今上天皇も、天照大神と同じ関係であるということである。ゆえに天皇を皇御孫尊(すめみまのみこと)と申し上げるのである。今上天皇は、邇邇藝命・神武天皇と不二一體なのである。天皇が現御神・現人神であらせられるとはこういう意味である。 

 「爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)」は、天照大神の生みの子よ、日本國を統べ治めよ、つつがなくあれ、という御命令である。「治(し)らす」とは、「知る」の尊敬語の「知らす」と同じで、「知る」という動詞に尊敬の意を表す「す」のついた語である。天の下を御統治されるという意味である。

 なぜ「知る」という言葉が「統治」を意味するようになったのか。それは祭り主たる天皇は、神の意志を知ることを根本にして國家を統治されるからである。神の意志を君主がよくお知りになることが國家國民を統治することの基本なのである。

 天皇が神をお祭りになられて、神の御心をお知りになり、臣下は天皇がお知りになった神の御心に基づきそれを実現するために実際の政治を行うというのがわが國の古来の「まつりごと」のあり方である。これを「祭政一致」という。

 御歴代の天皇は神のご意志をよくお知りになって神の意志を実現させることを使命とされる。

 「寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむ」とは、「皇位が栄える」(寶祚とは天皇の御位のことである)ということである。「あまつひつぎ」とは、政治権力者の地位ということでは全くない。

 「紀元節」の歌に、「天津日繼ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある通り、「寶祚」は「天津日繼ぎ」あるいは「天津日嗣」と書く。

 「天津日繼ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(靈)を繼承される」という意味である。日本天皇は天の神(天照大神・日の大神)の靈統を繼承され、神の御心のままに(神ながらに)日本國を治められるので、皇位のことを「天津日繼ぎの高御座」というのである。「高御座」とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所という意味である。

 皇位の繼承は肉體的な血統のみによるのではなく、日の神の神靈を繼承するという神代以来の信仰に基づくのである。

 天地が永遠であるように天皇の日本國御統治も永遠であると、天照大神は宣言されているのである。これが「寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」の意味である。

 このように『天壤無窮の御神勅』は、天照大神の神靈をそのまま受け継がれた「天照大御神の生みの子」たる邇邇藝命及びその御子孫が永遠に統治される國が日本であるということを端的に表現しているのである。

天孫降臨は、日神であり祖母神であらせられ穀靈であらせられる天照大御神の御神靈を體された邇邇藝命が、「生みの御子」として豊葦原瑞穂國の稲穂の稔りを體現される御存在として地上に降られたのである。即位の大禮及び大嘗祭・新嘗祭は天孫降臨の繰り返しの意義があるのである。

「天孫降臨神話」は日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきた

 天孫降臨の時に、天照大神は『天壤無窮の神勅』と共に『斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅』をお下しになった。

 『斎庭の穂の神勅』には、「吾が高天原(たかあまはら)の所御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつる」(わが高天原につくっている神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせよう)と示されている。

 『斎庭の穂の神勅』は、高天原で神々が行われていた米作りをそのまま地上でも行うべしという御命令である。稲の種子を伝えるということは、米作りの生活を伝えることである。『斎庭穂の神勅』は、「米作り」という「くらし」の伝承なのである。これは、米作りを基盤とする文化が日本文化であることを証ししている。

 天照大神から皇孫・邇邇藝命に「斎庭の穂(ゆにわのいなほ)」を授けられたのは、高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり民族の使命であるということを示している。天上から伝えられた斎庭の穂を地上に稔らせることによって、地上と天上とが等しくなると信じた。

 これは、神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習うという信仰である。神々の理想を地上において実現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる天皇なのである。

「高天原を地上に」「今を神代に」というのがわが國の肇國の理念・國家理想である。こんなすばらしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比の國體という。

 『斎庭の穂の神勅』は、民族生活の様式が水田耕作の上に立っている史実を物語る。そして、天皇の日本國御統治・國土経営の理想を示している。

邇邇藝命・神日本磐余彦火火出見尊の御名の意義

 邇邇藝命は正しくは、「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)と申し上げる。この御名は、「天地に賑々しく實っている太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」というほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の靈の神格化である。

 穀物を稔らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命が、地上に天降り、天上の斎庭の神聖なる稲穂を地上に稔らせるという「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。

 言い換えると、皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に伝持させ、その稲穂を地上において栄えさせるという使命を歴代の天皇に与えたことを示している。それがわが日本の始まりであり、わが日本民族の基本的性格であり、日本という國家と民族の理想である。

邇邇藝命の曾孫が神武天皇であらせられる。神武天皇の御名前は、神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイハレヒコホホデミノミコト)という。磐余とは現在の奈良県桜井市の天の香具山の北東麓地域の古地名である。「火」は「ホ」と読み「稲穂」の意である。この御名前は、「神の國大和の磐余の首長である日の神の御子で稲穂がたくさん出て来る命」というほどの意である。

 つまり、神武天皇は、太陽神たる天照大神の神靈と稲穂の靈の體現者なのである。そして神武天皇は、邇邇藝命が天照大神から受けた「日本國の統治」と「稲穂をたくさん地上に実らせる」という御命令を実現するために、九州より大和に来られて橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位されたのである。これが日本國家の基礎の確立である。

 このように日本文化の基盤は稲作を中心とする農耕生活である。「神ながらの道」といわれる日本傳統信仰は、日本民族の稲作生活から生まれてきた。そしてその祭り主が天皇である。

 天皇は、日本國家を武力や権力で支配する覇者・王者ではなく、稲作生活を基本とする日本人の「くらし」を永遠に保証する祭り主であり信仰的御存在である。

 天皇の國家統治の根本そして國家民族の理想を稲の稔りを以て象徴するのは、稲が我々日本人の生命を養う最も大切な主食であるからである。そして、天皇の祭りは稲作りをはじめとしてその他諸々の生産に及ぶのである。豊かな生産に支えられた日本國家の繁栄を希求するである。

 わが日本民族基本的性格を表現している『天孫降臨の神話』と『天壤無窮の神勅』は、日本民族の生活は水田耕作の上に立っている事実を物語る。この國の人々の生命の糧である稲穂が毎年豊かに稔るように、という古代日本人に共通する切なる願いが「天孫降臨神話」を生んだのである。

皇位繼承は肇國以来の傳統に基くべきである

 日本という國は農耕生活を基本とする祭祀國家である。武力・権力を基本として成り立っている権力國家ではない。また多くの人々が契約を結んで成立した契約國家でもない。また、日本人は農耕生活を基本とする民族である。天皇の國家統治の基本は農耕生活から生まれた平和な信仰精神である。天皇の國家統治は、平和的な農耕生活・稲作文化が基本である。

 天皇が日本國の統治者であらせられるということは、天皇が政治権力や軍事力を保持して國土と國民を力によって支配し服従させる方であるということではない。天皇は、祭祀國家日本の祭祀主であり、天照大神の御神靈と一體となられた神聖なる存在であらせられ、常に國家と國民の安泰と五穀の豊饒を神に祈られるお方である。

天皇統治は天照大神の「生みの子」としての神聖な権威に基づく統治である。ゆえに、「天壤と窮まりなかるべし」なのである。武力・権力・財力による國家支配は、相対的支配である。ゆえに、興亡常なき支配なのである。源氏・平家・徳川などの覇者の歴史を見れば火を見るよりも明らかである。

 現御神であられる天皇は、皇祖皇宗(天照大神・邇邇藝命・御歴代の天皇)と一體であられる。天皇の國家御統治は過去も未来もそして今日も永遠である。そして永遠に発展し栄え続けるのである。「天壤無窮」とは、「永遠」を表すと共に、「今」を意味している。わが國の歴史は「永遠の今」の展開であり、永遠の生命が流れ続けている。今即久遠・今即神代という真理が具體的に展開した國が「天皇國日本」である。

 権力機構としての國家は、天孫降臨の神話以来続いてきている<天皇を中心とした祭祀國家・信仰共同體>の上に成立しているのである。日本を立て直し國家を正しく保つためには、信仰共同體の祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

憲法とは「基本となるきまり。特に、國家の統治體制の基礎を定める法。國家の根本法。」である。であるならば、『天壤無窮の御神勅』こそ日本國の最高の憲法であり憲法中の憲法である。この御神勅の精神を隠蔽する一切の憲法・法律は破棄されなければならない。

「皇位繼承」および「皇室典範改定問題」は、日本國體の根幹に関はる問題である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同體・祭祀國家日本の根本問題である。神聖にして萬邦無比の「天皇國日本」といふ天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體・祭祀國家の根幹に関はる重大問題である。日本天皇の皇位繼承のあり方は、他國の王位繼承方法や元首の選び方=「権力者交代のシステムづくり」とは全くその本質を異にする。

「皇位繼承」など御皇室に関はる重大事は、天つ神の御意志・神代以来の肇國以来の傳統に基くべきである。そして、天つ神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定するべきではない。

 

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