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やまとうたのこころ 名歌鑑賞 第十八回

四宮正貴

 

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

 吉田松陰の安政元年(一八五四)、わずか二十五歳の時の歌である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込んで渡米せんとする計画が失敗して捕らえられ、江戸へ護送される途中の四月十五日に、高輪泉岳寺前を通過した時、赤穂義士に手向けた歌である。

 松陰が國法に触れることは分かっていても、國家を思うやむにやまれぬ思いで米艦に乗ろうとしたことと、赤穂義士が、吉良上野之助義央を討てば、自分たちも死を賜ることは分かっていたが、やむにやまれぬ思いで吉良を討ったこととは相似であり、それが「大和魂」なのである。松陰は赤穂義士に心底から共感したのである。

 幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々の心を打つ。あふれるばかりの思いとはりつめた精神が五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

 片岡啓治氏は「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文學と現實の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。

 日本固有の文學形式によって自己の真情が吐露できるということは、日本人が神から与えられたまさに最高の幸福である。

 吉田松陰は、安政五年(一八五八)正月十九日、月性(幕末の勤皇僧。周防妙円寺住職。攘夷海防を論じた)に宛てた書簡で、前年の安政四年に米駐日総領事ハリスが、江戸城に登城し、幕府に米公使江戸駐在を認めさせたことを憂えて、「ミニストル(公使のこと)を江都(江戸のこと)におき、萬國(ここでは國内各藩のこと)の通商、政府に拘らず勝手に出来候へば、神州も實に是きりに御座候。何とも一措置なくては相済み申すべきや。幾重に思ひかへ候ても、此時大和魂を発せねば最早時はこれ無き様覚へ申し候。」と記している。

 吉田松陰は、大和魂を発揮して幕府の軟弱外交を糾弾すべきことを論じているのである。前述した通り、物事に素直に感動する心、清く明るい心、無我の心、散るを厭わない心が、大和魂・大和心である。そしてそれは戦闘者の精神・武士の心・軍人精神・維新者の根幹となる心なのである。 

 大和心・大和魂には、和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)とがある。和御魂の大和心・大和魂は日本民族の持つ包容力・美しさを愛する心である。和魂漢才・和魂洋才の和魂は日本民族の強靱なる包容力のことである。荒御魂の大和心・大和魂は、勇武の心・桜の花に象徴される散華の心(潔く散る精神)である。

 この二つのは全く別なものではなく、清明心(清らかで明るい心)・純粋な心・素直な心・そのままの心として一つである。それは日本民族の本来的持っている魂であり精神である。宣長の歌は「大和魂」「大和心」の和御魂・荒御魂を「朝日に匂ふ山ざくら花」という言の葉に結び合わせて歌っていると思われる。 

 わが國民の死生観は、肉体生命に恋々とするよりも、永遠の命を信じている。肉体は滅びても生命は永遠であると信じた。だから死を恐れない。

 『萬葉集』に収められている大伴家持の長歌に、「海ゆかば 水づく屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という句がある。

 大君の御為に自らの命を捧げることを最高の名誉とするというのが日本武士道精神なのである。この精神こそが大和魂であり、「朝日ににほふやまざくら」が潔く散っていく姿そのものなのである。武士道は禅や儒教から生まれたのではなく、記紀萬葉以来から継承されてきた日本人の道である。

 神風特別攻撃隊の『散華の美』、楠正成の『七生報國の精神』、萬葉人の「大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」という決意を、今日において回復することが求められている。

 明治維新において神武建國への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本である。その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った志士たちの「志」を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切なのである。

 そのためにも志士たちの詠んだ詩歌を學ぶべきであるし、自己自身も歌心を持つべきである。「復古」とは決して時計の針を逆に戻すことでもない。永遠に新しい命を持つところの「先人の道」を踏み行うことである。復古即革新は永遠の日本的変革の原理である。そしてそれは「やまと歌」によって継承されていくのである。

 日本は今日、中華帝國主義とアメリカ覇権主義の狭間にあって苦しむのみならず、北朝鮮にミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られ、共産中國や韓國から教科書を検閲されている。台湾海峡も尖閣諸島も危険な状況のなりつつある。最早わが國はその独立を堅持するために相当の覚悟が必要になっている。

 今こそ日本國民全体がナショナリズム・愛國心・戦闘的大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。日本民族の真のナショナリズムは本居宣長・村田清風・眞木保臣・吉田松陰のように日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂でなければならない。内憂外患交々至るといった状況にある今日こそ、吉田松陰の如く、大和魂を奮い立たさなければならない時である。

 

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