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この頃出した手紙

四宮正貴

 

謹啓

時下益々ご清祥にて邦家のためにご精励の段、大慶至極に存じ上げます。
小生もお蔭様にて、日々元気に活動させていただいております。

小生は大学時代に「萬葉集」を卒業論文に致しまして以来、今日迄、自分なりに「萬葉集」を勉強し続けてまいりました。現在、毎月二回、豊島区の千早と駒込の地域文化創造館という名の社会人教育施設におきまして、「萬葉會」「萬葉古代史研究會」という勉強会の講師を勤め、萬葉集の講義を二十年ほど続けてきております。

「萬葉集」が「記紀・萬葉」と並び称される所以は、「古事記」「日本書紀」と並んでわが國の「古典」だからであります。この場合の「古典」とは「長年月にわたる批判に耐えて傳へられ現代でも文化的価値の高い内容の書物」という意味だけの「古典」ではなく、「天皇國日本の中核的な傳統精神」即ち「日本國體精神をうたひあげた歌集」という意味の「古典」である。「萬葉集」の基本的性格は、天皇と日本國への祝福であり讃嘆であります。

詩歌を始め偉大なる文藝はなべて変革期に勃興します。変革と和歌とは切っても切れない関係にあります。「萬葉集」も大化改新という大変革と「壬申の乱」という未曾有の事件が起こった時代に生まれました。

氏族制の打破即ち天皇中心の統一国家の建設、言い換えれば天皇中心の信仰共同体の真姿回復の時期=白鳳・天平時代に生まれた歌集が「萬葉集」です。

この時代は基本的には明るく大らかで溌剌とした新生国家勃興の時期であり、造型・建築など多くの文化・芸術が開花した時代であります。そして支那との交流の中において支那からの影響を受けつつも日本独自の政治・文化を闡明しようとした日本ナショナリズムの勃興期でありました。

国家の大変革とその後の大興隆期において、「萬葉集」全二十巻という日本最大の古典が誕生したのであります。「古事記」「日本書紀」の編纂もこの時期に行われました。「記紀」では日本伝統精神が語られ、「萬葉集」では歌われていると申して良いと存じます。つまり日本民族の中核精神(コアパーソナリティ)を歌いあげた歌が集められている歌集が「萬葉集」なのであります。

「萬葉集」は大伴家持が編纂したと伝えられ、約四千五百首の歌が収められており、その半数以上の当たる二千三百首が作者未詳歌です。名も無き庶民即ち草莽の歌が過半数を占めるということは、後代編纂された「古今和歌集」や「新古今和歌集」には全く見ることのできない「萬葉集」の大きな特色です。萬葉時代には和歌が上御一人天皇から下万民に至るまで日本伝統文藝の中核である和歌を詠んだということであります。そして和歌によって君民一體の國體が明らかになったのであります。

「萬葉集」を学び、日本伝統精神に回帰し、それを現代に生かすことによって、混迷せる現代の国民精神を変革し浄化し、現代日本を亡国の危機から救済することができると確信します。

現代日本の精神と文化は腐敗と堕落の極に達していると言っても過言ではありません。自国の伝統への誇りを喪失した民族は、いくら物質的経済的に繁栄し文明や科学技術が進歩して国民が快適な生活を送っていても、亡国の道を歩むことは火を見るよりも明らかです。「古事記」「日本書紀」に語られ、「萬葉集」に高らかに歌い上げられた真の国民精神を今こそ復興し、現代の汚辱を祓い清めなければなりません。

「萬葉集」の復興とは単なる「萬葉集」の様式・言葉や語句上の技巧の復活のことではありません。「萬葉集」の精神への回帰とはとりもなおさず日本民族の中核精神への回帰・萬葉歌に表れた国民精神の復興であります。維新とは「復古即革新」といわれています。「萬葉集」こそ言葉の真の意味において復古即革新の歌集であり維新の歌集なのであります。

私が中国を訪問致しましたのは、一九八五年です。文革が終り天安門事件が起こる前、民主化が行われていた時期です。先生のいわれる「私たちの世代にとってまさにこの國において体験した、最も輝かしい黄金の時期」です。その訪中では色々勉強になる楽しい思い出があります。貧しくても明るい活気のある國という思い出です。この頃は日本とも友好関係が密でした。

その後の悲劇は、要するにケ小平も権力維持のためなら人民を虫けらのように殺す毛沢東と変らない独裁主義者・共産主義者だったということです。ただし、今日の中國のある意味の繁栄と軍事大国化はケ小平なくしては達成出来なかったことは事実だと思います。私たちから見れば「敵ながら天晴れ」と言うほかはありません。また、ケ小平は江沢民のような反日主義者ではなかったと思います。しかし、貴先生の言われる通り、「ケ小平の改革も、単なる共産党の独裁体制を維持していくための、ひとつの手段に過ぎ」なかったのであります。

貴先生が、幼少時に祖父様から論語の教育を受けられた事は何と素晴らしいことでしょう。このことが後の、貴先生の体制批判の素地になっていると拝察致します。まさに生きた学問を学ばれたのであります。生意気な事を申し上げて申し訳ございません。

私は、いくら今の共産党独裁政権が嫌いでも「唐詩」は大好きです。「千里鶯啼いて 緑紅に映ず…」は暗記しております。

私も京都が大好きでよく訪れます。

わが國の思想史に対する先生の卓見に心より敬意を表します。

「超越的な存在としての無私無欲の皇室をもつことは、まさに日本民族の幸運であり…中国人の私は、…皇室の天長地久と、日本民族の永遠の繁栄を願いたい」というお言葉に満腔の感謝に意を表します。有難うございました。

この度は、小生が「武の精神を體現され軍を統率されるのが、天皇・皇室の本来の姿であって、武の否定は國體の本義・皇室の傳統に反する」と論じました事につき、「天皇様が文武にお励みあるはよろしいが、軍を統率なさるのは私は賛成できません。吾人の心のシンボルであってほしいです」との御意見を賜りました。

先生以外にも、二・三の読者の方から、異論と申しますか、ご注意のお手紙やらお電話を頂戴致しました。拙論をそれだけ熱心にお読みいただいていることを有難く思っております。

小生は、天皇陛下が実際の軍事行動の指揮官であらせられるべきだと思っているわけではありません。

『軍人勅諭』に「我國ノ軍隊ハ、世々、天皇ノ統率シ給フ所ニソアル」と示されておりますので、「統率」という言葉を使わせて頂きました。

「統率」とは辞書によりますと、「統轄してひきいること。集団をまとめひきいること。統帥」という意味だそうです。そして「統帥」とは、「全員をまとめひきいること。軍隊をすべひきいること」という意味だそうです。

小生は、天皇陛下に、戦前で申しますれば、参謀総長や軍令部総長のお役目を果たしていただく事、つまり、実際の軍事作戦の指揮をとっていただくべきだとは決して思っておりません。

ただ、戦後の風潮として、あまりにも天皇・皇室の文化的中心者としてのお役目のみが強調され、軍との関わり・武との関わりを全く無視し遮断してきたことに対して疑問を持っております。

小生がこの事を論じましたのは、「明治以後男系の男子でなければ皇位につくことあたわずとしたのは女性では大元帥陛下として軍を統帥できないからだ」という主張に対する反論でもありました。

『現行憲法』に「軍」の規定が無いのですから、天皇と軍との関係に関する規定もありません。自衛隊は、天皇陛下の閲兵を受けることも出来ません。
しかし、何処の國も、元首・君主が軍の最高の「統帥者」(実際に軍を指揮するというのではなく栄誉的地位も含めて)であります。日本のみがそうであってはならないということはないと信じます。

天皇の御権能は、「三種の神器」に示されています。「剣」は軍事であります。

皇室の道統に、「武・軍事」があることを否定することはできないと思います。むしろ、わが國における軍の道義性は、「わが国軍は天皇の軍である」という精神から発すると思います。

ただ、戦前の日本軍が「上官の命令は天皇陛下の命令だ」と言って恣意的な命令に部下を隷従させたり、「統帥権干犯」を主張して、政府・議会の意志を陸海軍が全く無視したという事は、歴史を誤りました。こうした事は絶対に防がねばなりません。こうした事を防ぐためには、「天皇は国軍の道義的・精神的な統帥者である」という事を明確にすべであります。

「尊皇」を言いながら実は天皇のご意志を無視し逆らうということは絶対にあってはならないことであります。

国軍の尊厳性・道義性の拠りどころとして、天皇を最高の精神的栄誉的統帥者(他に言葉が見つかりません)として仰ぐことは大切であると思います。
以上、小生の思いを述べさせて頂きました。

 

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