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神社神道と近代日本

─村上重良氏の『国家神道論』を糾す─

四宮正貴


『神道指令』に登場した「國家神道」とはどういう定義なのか

大東亜戦争終結後、アメリカ占領軍は、わが國が二度と再びアメリカに刃向かうことのないようにするために日本を弱体化せんとして、様々な占領政策を行なった。その一つが、『神道指令』である。「日本が侵略戦争をした根源は『國家神道』にある」という考え方が蔓延し、それが靖國神社に対する誹謗中傷の根拠の一つになっているのは、この『神道指令』が原因である。

『神道指令』に登場した「國家神道」という言葉は、一体どういう定義なのであろうか。「國家」と「神道」が結合している言葉であるが、小生には何となくいかめしく感じられる。小生は日本各地の神社に参拝させて頂いているが、各地の神社にお参りすればするほど、日本の神々は明るく大らかで平和な神々であると実感する。この精神を世界に広めることが大切だと思う。「神ながらの道」という言葉の響きと「國家神道」という言葉の響きとは、随分違うように思われる。

村上重良氏は「國家神道」について、「明治維新から大東亜戦争終結までの約八十年間日本國民を支配していた國家宗教であり、宗教的政治制度であった。日本の宗教はもとより國民の生活意識の隅々に至るまで広く深い影響を及ぼした。日本近代は思想・宗教に関する限り國家神道によって基本的に方向付けられてきた」「それは近代天皇制の宗教的表現であり、神仏儒の公認宗教の上に君臨する、内容を欠いた宗教であった」「國家神道の原理を克服し、残影を消し去ることが民主主義に立つ政教関係を確立して、信教の自由を擁護するための不可欠の課題である」「國家神道は、まぎれもない國教であった」「教育勅語が國家神道の教典である」と論じている。(『國家神道』)

こうした考え方は、左翼だけでなく、今日、与党の一角を占めている公明党・創価學會の「反靖國神社」「反神社神道」の理論的根拠の一つになっている。

「國家神道」は決して戦前の問題ではない。皇室祭祀が「天皇の私的行為」などとされているのは、「皇室祭祀を『公的行事』とするのは『國家神道』の復活だ」という批判があるからである。また、靖國神社國家護持・総理大臣公式参拝に反対している勢力は、「國家神道の復活を恐れる」ということをその根拠の一つにしている。このように「國家神道」の問題はまさに今日的問題なのである。

村上重良氏は、「國家神道は内容を欠いた國家宗教に落ち着くほかはなく、國民の生活意識から遊離した制度上の宗教にならざるを得なかった」(國家神道)と断定している。神社神道が内容を欠き國民の生活意識から遊離していたのなら、國民の意識を支配することができない。それどころか影響を及ぼす事すらできず、國教には到底なり得ない。これは國家神道國教論と矛盾した論議である。

村上氏がいかに日本史に対して大きな誤解というか偏見を持った上で神道を論じているかは、次の記述に明らかである。「日中戦争下の一九三九年(昭和一四)に創建され、未鎮座のままに終わった官幣大社扶余神宮は…扶余の地に『内鮮一体』をあらわす神社としてつくられたが、その祭神は、応仁、斉明、天智の三天皇と神功皇后で、古代における朝鮮侵略の担い手たちが、神として植民地朝鮮に降臨したのである」(國家神道)。

愚かな事を書くものである。斉明天皇・天智天皇が出陣せられた白村江の戦いは、わが國と友好関係にあった百済を、唐・新羅連合軍からの侵略から救うための戦いであったのだ。決してわが國による朝鮮侵略ではない。また、神話時代の伝承を歪曲して論じ、「日本は古代から朝鮮を侵略した」などと断じるのは全く誤りであり、村上氏の好きな言葉でいえば「時代錯誤」である。

一事が万事である。村上氏は「天皇を中心とした歴史と伝統の國日本」を破壊しようとして、過去の日本の歴史を罵り否定しているのである。そういう基本的立場から、「戦前の日本は、権力と一体となった神社神道(國家神道)を國教とした時代錯誤の帝國主義・軍國主義國家だ」と言い張っているのである。

 

日本人のナショナリズムは、尊皇精神・神國思想の勃興・甦りと一体である

「國家神道」という言葉は、前述したように、「國家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件(神道指令)」(昭和二十年十二月十五日 連合國最高司令部日本國政府宛覚書)に登場した言葉である。戦前において一般的に用いられていた言葉ではない。

この「神道指令」には「本指令の目的は宗教を國家より分離するにある、また宗教を政治的目的に誤用することを防止し正確に同じ機會と保護を与へられる権利を有するあらゆる宗教、信仰、信条を正確に同じ法的根拠の上に立たしめるにある、本指令は啻に神道に対してのみならずあらゆる宗教、信仰、宗派、信条乃至哲學の信奉者に対しても政府と特殊の関係を持つことを禁じまた軍國主義的乃至過激なる國家主義的『イデオロギー』の宣伝、弘布を禁ずるものである。本指令の中にて意味する國家神道なる用語は日本政府の法令に依つて宗派神道或は教派神道と区別せられたる神道の一派(國家神道或は神社神道)を指すものである」と書かれている。

当然のことながら「國家神道」という言葉は、英語を我が國語に翻訳した言葉である。「State Shinto」という言葉が、「國家神道」と翻訳された。state とは権力機構としての國家を言う。自主独立した主権のもとの共同体としての國家(nation)や、同一國民が帰属する共同体としての國家(country)とは異なる。あくまでも國家権力を意味する。

國家権力が特定の教団宗教と一体となることは、他の教団宗教を認めないどころか権力によってこれを弾圧し消滅させることがある。一神教や共産主義というイデオロギー宗教と一体であった國家権力はこうした事を行なったし、現に行なっている。『神道指令』の言う「國家神道」とは、「國家権力と一体となって排他独善の一神教的神道イデオロギーを宣伝し弘布する神社神道」のことらしい。

そして、村上重良氏は,この國家神道体制が、明治維新から終戦までの八十年間の長きにわたってわが國において確立されて、神社神道が國家権力と一体となり他の宗教をすべて否定し弾圧し圧迫してきたと主張している。そしてそれが「侵略戦争」を推進し日本國を破滅させたというのである。

しかし、戦時下にあっては何処の國でも思想統制を行なう。わが國においても昭和十年代にそうした事が行なわれた。しかしそれは、神社神道と國家権力が一体となって行なったのではない。戦前の神社神道が國家権力と一体となって教団宗教を弾圧したなどということはない。

神社神道すなわち全國の神社は、戦時体制となった昭和十年代(満州事変以降)においても、古来の祭祀を続けていただけである。一体、日本國中の神主が、声を嗄らして戦意高揚の演説を行ない戦争を煽ったなどということは、ごく一部の例外を除いてなかった。神社神道は、明治十年代ごろから「宗教ではない」とされて、神社及び神官が神道思想普及する事が憚られる状況にあった。神道思想さえ宣伝出来ないのに、政治問題・外交問題などについての意見を神官が氏子などに説く事は、余計憚られたに違いない。

葦津珍彦氏は、「大東亜戦争で人心が極度に緊張するとともに、在野の熱烈な神國思想が猛然として國民の間に広まった。しかし『帝國政府の法令に基づく國家神道』の世俗合理主義的言論からは、國民の内心に感動を与へ、確信を与へるものは出て来なかった。」(國家神道とは何だったのか)と論じておられる。

大東亜戦争という國家存亡の危機に際して、日本人のナショナリズムが高揚した。大東亜戦争中、全國津々浦々の神社で戦勝祈願が行なわれたことは事実である。日本人のナショナリズムは、尊皇精神・神國思想の勃興・甦りと一体である。白村江の戦い前後の唐・新羅連合軍侵攻の危機、元寇、明治維新、大東亜戦争がそういう時であった。そのような時に、神社への参拝が盛んになり、神社神道の基本行事である祭祀によって戦勝祈願が行なわれるのは当然の事である。これを以って「國家神道(=國家権力と一体となった神社神道)が戦争を煽った」とするのは荒唐無稽の妄説である。

戦争に打ち勝つためには、ナショナリズムの興起は必然である。穏健な國民も、戦いに勝たんとする意志を強くすると、國民的昂揚・國家的興奮をもたらす。國家危急存亡の時にはどこの國でもナショナリズムが高まる。國家民族存亡の危機に際して、日本の伝統信仰・伝統精神の先鋭化するのもまた止むを得ない。今後の日本においてもそれは大いにあり得ることであるし、あって当然の事である。

神社神道によって仏教が圧迫され信教の自由が脅かされたなどということはなかった

日本民族の精神的強靭さの根底に神道思想があるのは事実であるが。しかし、昭和十年代に興起した愛國心が、神國思想(神社への崇敬心)・尊皇心と一体だったからといって、神社神道が國家権力と一体となって國民を洗脳し信教の自由を奪い、國家國民を戦争へ駆り立てたなどというのは全く誤りである。

しかもその「國家神道」なるものが、明治維新以来八十年の長きにわたってわが國の思想界・宗教界に君臨し支配したなどという村上重良氏の主張は幻想どころか妄想である。

村上重良氏は、『教育勅語』が『國家神道』の「教典」だったと言う。教典とは、絶対無条件で信じるべき教義(「独善的観念大系」)が書かれている書物である。ところが『教育勅語』はそれを拝すれば火を見るよりも明らかな如く、國民道徳の基準として學校教育を根本から支えた明治天皇の「おさとし」である。『教育勅語』にはいわゆる『國家神道』なるものの教義などは一切書かれていない。申すも恐れ多い事ながら、『教育勅語』には、「神」の字は一字もない。『國家神道』なるものの「教義」が書かれていないのにどうして『教典』なのか。もっとも「國家神道」などいうものは村上重良氏の幻想であり妄想なのだから、教義などはあり得ない。村上氏自身、「國家神道は内容を欠いた國家宗教」と書いているではないか。

多くの文献や歴史的事実を参考にしながら、「現人神信仰」「八紘一宇」そして「國家神道」についてきわめて詳細に論じられている新田均氏著「『現人神』『國家神道』という幻想」によると、井上毅が『教育勅語』起草に際して首相の山県有朋に提出した意見書(明治二十三年六月)には、「勅語ニハ敬天尊神ノ語ヲ避ケザルベカラズ何トナレバ此等ノ忽チ宗旨上ノ争端ヲ引起ス種子トナルベシ」「世ニアラユル宗旨ノ一ヲ喜バシテ他ヲ怒ラシムルノ語気アルベカラズ」と書かれているという。

この意見書を見ても分かるとおり、明治の御代の政治家たちは神道を重んじたが、他の宗教、特に仏教に大変気を使ったのである。明治政府の要路に「仏教を叩き潰して神道を國教にしよう」などと考えている人はいなかった。「國家神道」なるものが明治初期からあって全宗教の上に君臨していた、などということは絶対になかった。

慶応三年十二月九日の『王政復古の大号令』に「諸事神武創業の始に原(もと)つき」と示されているとおり、明治維新当初は、祭政一致の古代國家再生が実行されようとした。しかし、それは文明開化路線とは相容れず、且つまた仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。そして、「神道は宗教にあらず」という仏教教団の主張が取り入れられたという。

明治初期に「神仏分離令」が出され、廃仏毀釈が行なわれたことを以って神道が國教化し仏教が圧迫されたとする説がある。しかし、神仏分離は必ずしも排仏ではなかったし、廃仏毀釈の動きには理由があった。

廃仏毀釈は、徳川幕藩体制下で、神道・神社が仏教から圧迫され制約を受けていた反動である。また、徳川幕府が仏教を尊崇し仏教教団を支配の道具として利用したので、徳川幕府打倒の戦いであった維新が成就した後に、仏教が圧迫されたのである。しかし廃仏毀釈は長くは続かなかったことは歴史に明らかである。

明治維新以来終戦までの歴史において、神社神道によって仏教などが圧迫され布教の自由・信教の自由を脅かされたなどということはなかった。むしろ神社神道がその宗教性を除去されたと言って良い。村上氏の「國家神道が神・仏・基の上に君臨し支配した」などという説は誤りである。神社神道はむしろ仏教教団の政府に対する工作活動によって形骸化されたというべきである。

造化の三神への信なくして神道はあり得ない

この神社神道からの宗教性の除去とは、具体的にいえば、造化の三神を無視するということであろう。

明治八年三月、島地黙雷という浄土真宗の僧侶(この人は長州の勤皇僧で、明治維新の戦いの時に僧兵団を組織し戦ったという)が起草し、大谷光尊が太政大臣三条実美に提出した『宗門上相戻候大意』には「(天照皇太神は来世救済などの宗教上の談ではないからこれを崇敬するが)…造化三神ノ儀ハ近来一種ノ神道者流古事記ニ依テ…尊奉致シ…國体ノ談ニハ管係無之自ラ宗教ノ位地ニ相当リ候」と書かれている。(葦津珍彦先生著『國家神道とは何だったのか』参照)

これは、実に重要な文章である。浄土真宗を始めとした仏教教団の政府への影響力は強かった。特に浄土真宗は明治維新に貢献したので影響力が大きかった。維新の志士・明治政府の要路(特に長州出身者)にも真宗門徒がいた。

「神社神道非宗教説」とは、「造化三神への信仰を除外した神社神道」と言うことができるのではないか。近代日本におけるいわゆる「國家神道」の形骸化とはこのことである。

小生は、造化の三神(天之御中主神・高皇産霊神・神産巣日神)への信なくして、神道はあり得ないと思う。造化の三神は『古事記』冒頭に登場される神であり、わが國神話の根本である「天地生成の神」であられる。この神を否定することは日本神話否定・國體否定と同じである。

昭和十年代になって、祖國愛・愛國心が強烈に勃興し、神社神道のいわゆる宗教性、言い換えると造化の三神への信が回復し、天皇絶対論が勃興したのだと考える。

 

尊皇愛國の大義の前には宗教対立は雲散霧消してしまうのが日本の國柄

一神教は、多神教を「野蛮であり非理性的」としながら、他の宗教を信じる人々に対してそれこそ非理性的にして野蛮な排撃、殺戮を行なった。否、行なったのではなく、今日唯今も行なわれている。

昭和十年代の日本においても、一神教的思考が幅を利かせてきて、闘争的にして非寛容な状況が生まれたのではないか。それが言われるところの「國家神道の幻想」である。小生は、わが國に國體否定の共産主義革命思想が侵入して来たこと、近代以後の西洋化・覇道化がその原因ではないかと考えている。

しかし、それは「神社神道」すなわちわが國伝統信仰そのものが非寛容にして排他独善なのではない。國内外の危機的情勢が、本来寛容にして包容力のあるわが國、とりわけ権力機関に、一時的にそういう「衣」を着せてしまったのである。

浄土真宗及びその信者が明治維新に貢献し、明治政府の宗教政策に大きな影響を及ぼしたということは、葦津珍彦先生の著書そして新田均氏の著書によって學んだ。

小生は、高校時代、帝都日々新聞社主・野依秀市先生の書生をしていた。野依秀市先生は、浄土真宗の熱烈な信者で、『絶対の慈悲に浴して』など数多くの仏教書を著された方である。その野依先生は、紀元節復活運動を全國的規模で展開された。また、『風流夢譚』事件では、中央公論社糾弾運動を行なった。「愛國の快男児」と言われ、戦時中は米本土爆撃論を唱えたし、東條内閣を批判して新聞発行禁止になった。そここそ愛國心の塊のような人だった。野依先生の戦後愛國運動に残された足跡は大きい。

その野依先生が強烈な真宗門徒だったのである。浄土真宗が反日・反皇室の教団ということはない。ただ、最近の真宗の中には、反靖國・反皇室の動きを示す輩が多いのは事実である。それは愛國敬神思想の強烈だった日蓮の系統を引く教団に、國家軽視・反靖國神社の姿勢をとる創価學會が存在するのと相似である。

紀元節復活運動は丁度小生が書生をしていた時に展開されたが、生長の家の谷口雅春先生、そして憲法學者で日蓮主義者(田中智學氏の令息)の里見岸雄氏も協力し、演説會を何回も行なった。日蓮宗と念仏は教義上絶対に相容れないと思うのだが、野依氏と里見氏は相協力した。野依氏が『創価學會を折伏する』という本を出版した時、里見氏も原稿を書かれた。『討論天皇』という書籍も野依氏の経営する帝都日々新聞社から出した。

また戦前戦中、野依先生は「國體知らぬ生長の家の神思想を批判する」として大々的に生長の家及び谷口雅春先生を攻撃した。これは、天照大神そして日本天皇を絶対神として拝する谷口先生の「天皇絶対論」「天照大神絶対神論」を批判したのである。

しかし、戦後になって、野依先生は谷口先生と共に愛國運動を展開した。谷口先生は野依氏の主宰する『帝都日々新聞』そしてその後身の『やまと新聞』に原稿を書かれた。尊皇愛國の大義の前には宗教対立などは雲散霧消してしまうのが日本の國柄である。

靖國神社における戦没者への祭祀は古来よりの日本民族の道義精神の典型である。「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行はれている信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式に依っている。祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祀ることは、わが國の神話時代からの傳統信仰たる神社神道の祭式に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教団體による宗教行事ではない。

このほど、山崎拓と冬柴鐵三と鳩山由紀夫が結託して「無宗教の國立追悼施設建設実現を目指す議員連盟」を発足させた。無宗教の國立追悼施設建設は、わが國傳統信仰である神社神道の祭式で戦没者を慰靈し追悼する事を否定し、明治天皇の大御心によって創建された靖國神社を形骸化することである。そしてそれは、天皇を祭祀主とする信仰共同體日本・祭祀國家日本を破壊することにつながる。まさに國體の根幹に関はる重大問題である。断固として阻止しなければならない。

 

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